“レンタルなんもしない人”の人生が、「中学生以来ずっとつらい」から「毎日がエンタメ」になるまで
前回の「お仕事コロンブス」に登場した、「おごられること」を生業としているプロ奢ラレヤーさんの記事の中で、「レンタルなんもしない人」の名前が上がった。
「レンタルなんもしない人」っていう人は僕を知って活動を始めたらしいんですけど、彼は正しい手法でトレースしたと思います。似たようなことをしてると思われがちですけど、全く別物なんですよ。お互いの活動を入れ替えたら1日で破綻します。
そこで今回はレンタルなんもしない人(以下、レンタルさん)をインタビュー。「レンタルなんもしない人をやるか、死ぬしか選択肢はないって、身投げするような気持ちで始めた」というサービスは、6月で2年目を迎えた。
”普通に働く”を辞め、なんもしない人になって1年。今、思うことを聞いてみた。
「なんもしない人」を貸し出すサービスを行なっている。1日10~20件ほどの依頼がTwitterのDM経由で来て、毎日3〜5件の依頼に応えている。「なんもしない」の定義を説明するのは難しいが、レンタルさんの中には明確な基準があるらしい。
時間帯は依頼によるが、基本的には10時から21時くらい。今まででもっとも遠方は福岡で、もっとも長い拘束時間は16時間半。
「16時間半の依頼では、ほぼ始発から終電まで、食事やトイレ以外の時間ずっと山手線に乗り続けました。依頼者は学生で、卒業の記念に乗りたかったそうです。全部で13周して、30分で飽きましたけど、依頼者と2人で飽きるのを楽しみました」(レンタルさん)
月収:数万円〜35万円くらい
利用料は国分寺からの交通費のみで、レンタル料金は取っていない。収入源は依頼者からの謝礼や印税、漫画や書籍の原稿料、取材謝礼など。収入の管理や請求書の処理などは妻が行なっている。
プロ奢ラレヤーが「面白いから奢られる」なら、自分にもできると思った
「レンタルなんもしない人」というサービスがスタートしたのは、2018年6月2日のこと。告知の翌日には早速2件の依頼が来た。
意外と早く依頼がきたなって印象でした。最初の依頼は「国分寺駅の周辺を風船持ちながら歩いているところを撮影させてほしい」というもの。楽しかったですね。
以来、レンタルの依頼はコンスタントに来ているという。
レンタルさんも以前は大半の人と同じように「なんかしてる人」だった。大学院を卒業し、就職し、会社を辞めたあとはフリーランスに。8年ほど“普通に”働いていたが、そこから今の活動をするまでの期間、文字通り「なんもしない」時期があったという。
ぼーっとして、たまに散歩に行くだけで十分満足でした。もともと何もしないことが苦にならないタイプだし、振り返ってみれば、ぼーっと過ごす時間が一番幸せ。
でも、ずっと何もしないのは、世間が許してくれない感じがあって。それならと思って行き着いたのが、「レンタルなんもしない人」でした。
着想のきっかけは心理カウンセラーの心屋仁之助さんが提唱する「存在給(人間が生きているだけでもらえる給料)」という概念を知ったこと、そして「プロ奢ラレヤー」の存在だった。
最初はプロ奢ラレヤーを丸パクリしようとしたんですけど、早々に自分には無理だと思いました。「図々しさはスキル」って彼はよく言ってるんですけど、そのスキルは自分にはない。「奢れ」とか言えないですし。
自分の性格を考えた結果、「なんもしないけど、呼ばれた所に行く」という、今の形に落ち着いた。
蓋を開けてみればサービスはすぐに軌道に乗ったわけだが、「プロ奢ラレヤーみたいなことがしたい」と思っても、自分には無理だと行動に移さない人がほとんどだろう。レンタルさんはなぜやろうと思えたのか。
プロ奢ラレヤーのTwitterを見ていて、「そもそも面白い人間だから奢りたいと思われるんだろう」と思いました。それでいうと、僕は自分のことを面白い人間だと思っているんです。夫婦で会話してると、奥さんが爆笑するんですよ。「こんな面白いのに、私だけのコンテンツになってるのはもったいない。もっと世の中に発信すべきだ」って言われたのを真に受けたところはありますね。
何もしなくても、素の自分が絶対面白い。そんな自信はあったが、その根拠があるわけではない。それでもいいと思ったのもまた、「根拠のある自信は根本の根拠が揺らいでしまったら弱いけど、根拠のない自信は誰に何を言われても関係ないから強い」と話すプロ奢ラレヤーに感化されたところが大きいという。
批判の声は同時に「面白がられている理由」でもある
実用的な理由でレンタルなんもしない人に依頼をする人もいれば、面白そうだからとネタ的に利用する人まで、利用者の動機はさまざま。毎月依頼するリピーターもいるという。
思った以上の反響がありましたけど、依頼が後を絶たない理由はよくわかんないです。気軽さと手軽さが大きいんですかね。なんとなくブームになっているし、どんな感じなんだろうって使ってみたい気持ちが湧きやすいのかもしれないです。
レンタルなんもしない人というサービスの面白さは、「味の変化があるところ」にあるとレンタルさん。
サッポロポテトというお菓子は塩加減にムラがあるように僕には感じられて、そこが好きでよく食べるんですけど、それに似ています。
派手な面白さの依頼もあれば地味な面白さの依頼もあるし、羨ましがられるようなものもあれば苦行みたいなものもある。味がまばらで一つの方向性や尺度で図られないから、飽きずに面白いです。
依頼の内容によってさまざまな場所に行けるのはもちろん、「時に効率悪く移動するのもまた面白さ」だと続ける。
国分寺→新宿→国分寺→新宿→立川っていう、反復横跳びみたいな、会社でやったら怒られるようなスケジュールの日もあります。調整はできるけど、あえて効率性を無視しているところはあって。最近は依頼が増えたので多少は考えますけど、合理的じゃないことを楽しんでるようなところはありますね。
依頼は楽しいものばかりではない。例えば、「気温3℃の中で路上ライブを見る」という依頼は「めちゃくちゃつらかった」と振り返る。つらそうな依頼は断ればいいのでは?と聞くと、「それだとバランスが取れない」のだとか。
会社で働いていた頃はずっと不幸で、たまに良いことがあった。でも、今は基本幸せなんです。そうなるとなんていうか……ちょっとそわそわしちゃうんですよ。しんどいものもたまに入れないと落ち着かない。だから「最近うまくいってるな」って時にはエゴサーチして、悪口を探してます。
依頼者には好意的な人が多いものの、世間からの「なんもしない」ことへの風当たりは強い。批判的な声も少なくないが、「そういう声があって当然」とレンタルさんは淡々としている。
僕のやっていることが面白がられている理由の一つは、世の中の常識から外れているから。批判の声は同時に、面白がられている理由でもあると思っています。
「なんもできない人」でもストレスなく生きていける世の中の方がいい
「なんもしない」ことに対しても、世の中の常識から外れることに対しても、不安や恐怖はない。その理由を「むしろ“普通”が無理だったから」とレンタルさんは説明する。
会社員やフリーランスの時の方が、「社会でうまくやっていけない」っていう不安に苛まれていました。きちんとあいさつをするとか、言われた通りにやるとか、そういう一般的な能力が低すぎたんだと思います。普通に働くことができればそれに越したことはなかったけれど、僕にはそれができなかった。
だから、レンタルなんもしない人をやるか、死ぬしか選択肢はないって、身投げするような気持ちで始めたんですよ。普通の道は無理だけど、それでも生きていきたいから、必要に迫られて今の生き方に至っています。この道が生き残れる道なのかどうかはわからなかったから、そういう意味では不安でしたけどね。
結果的には、外れて行った道で、いろんな面白い人たちと出会えた。薄い関係がいっぱいできたから孤独感はないし、困った時はTwitterで助けを呼び掛けることもできる。何もしてないし、誰かの役に立とうなんて考えたこともない。でも、「ちょっとぐらいは依頼者が喜んでる感じがする」から、意外と役に立っている実感もある。
このサービスを始めるまで、ずっとつらかった気がします。フリーランスの時も、会社員の時もつらかったし、大学も高校も中学もつらかった。楽しかったのは小学生くらいまでですかね。
でも今は毎日がエンタメで、ストレスもないし、気持ちも楽。レンタルなんもしない人を始めてからの1年はすごいですね。
レンタルさんのベースには、「なんもできない人でもストレスなく生きていける世の中の方がいい」という思いがある。
自分が嫌な思いをしながら働いてるのに、なんもせずに楽してることが許せない人もいるかもしれないけれど、人間は何もしなくても価値がある。
社会がなんもしないことを許せるようになったら、皆が安心して暮らせて、犯罪も減って、結果的に皆が楽に生きられる気がします。社会全体がなんとなく何もしない感じでやっていけたらいいのにっていうのは、ずっと変わらず思ってることですね。
性格や資質は人それぞれ違うから、レンタルさんがプロ奢ラレヤーさんを丸パクリできなかったように、他の人がレンタルさんと同じサービスを行うのは無理かもしれない。でも、「なんもせずに楽にやっていく方法はあると思う」とレンタルさん。そう話しながらも、昔の自分のような生きにくさを抱える人へのアドバイスを求めると、「特にない」とあっさり。
介入したくないんです。僕は仕事を辞めた後、結構な期間しんどかったんですよ。つらくて死にたくもなりましたし。だから何もしないでもいいとか、しんどいなら会社を辞めた方がいいとか、そんなことは言えないです。
「レンタルなんもしない人」のサービスを通じて、この1年で世の中にはいろんな人がいることがわかったし、知識もフォロワーもたくさん得た。進む先は自由で、ロールモデルもいない。今は「先が見えないことが楽しみ」だという。
ずっと昔、科学や数学など、学問が各分野に分かれる中で、まだどこにもカテゴライズされてない部分がざっくりと「哲学」と呼ばれているんだと僕は思っています。レンタルなんもしない人やプロ奢ラレヤーも、既存の何かにカテゴライズされないという意味では、それに近いところがあるような気がします。
これしかないと思って身投げする気持ちで始めたけれど、1年たって、もしかしたら今後の可能性や選択肢は増えているのかもしれません。この先なんかしたくなったらするのかもしれないですけど、とりあえずは誰にも怒られないような、楽な立場でいたいですね。
取材・文・撮影/天野 夏海
RELATED POSTSあわせて読みたい
「勝つことに必死になってはいけない」日本初のプロゲーマーが辿りついた強者の法則【スポプロ勝利の哲学】
「うさんくさいことを避ける若者はチャンスを見逃してる」HIKAKIN所属・UUUM代表が“普通の総務”から話題の新興企業トップになるまで
“一人映画会社”を営む30歳の幸福論――仕事と人生に究極のやりがいを求める生き方
「会社員時代の何倍も毎日が楽しい。でも、私の人生が正解とは思わない」パラレルワーカー・横塚まよが“副業を勧めない”理由
“しょぼい起業家”が説く、20代が生きづらさを払拭する術「キャバクラ化したオンラインサロンには入るな」「可愛がられる子分になれ」