給与もやりがいも働きやすさも全部欲しい! 27歳の僕が2度目の転職で“欲張り転職”を叶えられたワケ
今回登場するのは、介護・医療系人材の派遣や紹介を行う日研トータルソーシング メディカルケア事業部で営業所長として活躍する小島翔さん(27)だ。
彼にとって現職は、3社目の勤務先にあたる。「1社目は、収入は良かったけれど仕事量が多くやりがいもなかった。2社目は仕事のやりがいだけを重視して選んだので、収入面に満足できなかった」と小島さん。“3度目の正直”となる現職への転職では「もう失敗できない」と追いつめられたような気持ちだったと過去を振り返る。
では、そんな状況下で一体どうやって「やりがい・収入・働きやすさ」という自分の希望を全て叶える企業への転職を実現したのだろうか。
仕事選びは「やりがい」か「給与」か。極端だった前職時代
小島さんは高校卒業後、お世話になった野球部監督の推薦で地元のリサイクル会社に入社。配属先は、廃棄される家電製品やコンピューター機器などに使われる電子回路基板から、レアメタルを回収するリサイクル工場だった。
「恩師に紹介していただいた会社だったので、特に疑問も持たず就職先を決めました。同年代に比べれば給料はかなり良かったのですが、仕事内容は同じ作業の繰り返しでしたし、残業や休日出勤ばかりの労働環境がかなりストレスで。それで次こそは自分のやりたい仕事に就こうと、転職先を探し始めたんです」
小島さんが次に選んだ仕事は人材サービス会社のエンジニアだった。小さな会社だったが、右も左も分からないエンジニア未経験者でも採用してもらえると聞き、応募したと言う。
「多くの人が利用するウェブサイトを構築する技術を身に付ければ、前職のようにルーチンワークに追われることもなくなると思ったんです。肉体労働から頭脳労働に切り替えれば、自分の可能性がもっと広がるはずだと考えました。前職では残業や休日出勤が常態化していましたから、自由な時間が少しでも持てればという思いもありましたね」
念願叶って入社を果たした小島さんは、基地局でのネットーワーク監視や運用に携わる傍ら、希望通りウェブサイトを構築する仕事にも携わることができた。だが、不満が一切ないわけではなかった。
「自分でやりたいと思った仕事に就けて、自由な時間が増えるのであればそれでいいと思っていました。でも将来のことを考えると、やっぱり収入も大事だなと。そこは残業がほとんどない分、給与も低かったんです」
1カ月かけて自己分析と求人研究に没頭
数百社の候補から見つけた運命の1社
収入と仕事内容、理想のワークライフバランス。それらを全て満たせる会社が他にあるのではないか。そう思う反面、次に転職したら当時22歳で2回目の転職になる。
「もっと腰を据えて長く働きたい、次はもう失敗できない」と不安に思った小島さんは、1カ月かけて、「自分が転職で手に入れたいもの」をリストアップ。その条件に合う会社探しに時間を費やした。
「自分が興味を持てる仕事で人の役に立ちたかったですし、給与、福利厚生、ワークライフバランス、仕事の将来性についても譲りたくありませんでした。仕事を頑張りたい気持ちが強かったので、実力で評価してくれる会社も絶対条件でしたね。ちょっと欲張りだったかもしれませんが、私にとっては“三度目の正直”。転職を成功させるには、自分の正直な気持ちを知ることから始めるべきだと思ったので、妥協せずわがままを貫きました」
とはいえ、これだけの条件を全て満たせる仕事がすぐに見つかるとは思えない。そこで小島さんは職種を限定せず、あらゆる媒体に載っている求人を片っ端から見ていった。その数は、数百は下らなかったという。
「複数の求人サイトを並行して使って仕事を探すうち、心に響く求人広告がいくつか目に止まりました」
その中の一つが、現職の日研トータルソーシングメディカルケア事業部の求人広告だった。
「そこには『人と人をつなぐ架け橋になる』、『仲間や求職者の皆さんと喜怒哀楽を共にしながら未来を切り拓く』仕事だと書いてありました。このキャッチコピーに、ビビっときたんです。この仕事ならきっと人の役に立てるし、やりがいもあるはずだと。そこで募集条件を見てみると、残業も少なく休日もしっかり取れて、実力次第で評価される社風だと書かれていて、自分にぴったりの会社がやっと見つかったと思いました」
自分の軸を見つけて転職すれば、自ずと成果もついてくる
仕事は介護・医療系の人材を募集し、病院や介護施設などに斡旋する営業職。営業についても介護・医療業界についても知識は少なかった。しかし日研トータルソーシングメディカルケア事業部は当時拠点数が急ピッチで拡大しており、未経験から最短2年で所長に昇格できるような教育体制も整えていると聞き、面接に進むことを決めたという。
「面接では面接官の方が、緊張してしまってガチガチだった私の気持ちを解きほぐそうと、話しやすい雰囲気をつくってくれましたし、疑問点にも丁寧に答えてもらえたのを覚えています。オフィス見学の際の雰囲気も、社内に活気があってすごく楽しそうで。仕事内容も面白そう、条件も良い、人間関係や社風も良い。ここが自分が求めていた会社だと思いました」
その後内定を得た小島さんは、2015年10月、横浜オフィス立ち上げと同時に入社することが決まった。
やる気に満ちて入社した小島さんだったが、「入社から3カ月間は空回りする日が続いた」と照れくさそうに話す。営業成績が全国最下位だったのだ。
「今思い返しても恥ずかしいのですが、営業は未経験なのに、できる自分を演出したかったんですよね。知らないことを知らないと言えなかったり、できていないことを認めようとしなかったりして。しかもすぐに環境のせいにしたりして、何に対してもネガティブな捉え方しかできなくなっていました。でもある時上司から『何でも否定から入るんじゃなくて、まずは周りを肯定してから行動してみたらどうだ』と諭されたことがきっかけで、意識が変わり、行動も変わっていきました」
先輩のアドバイスを受け入れて、ネガティブな発言を控えるようにしたところ、クライアントや求職者との接し方にも変化が表れた。それがやがて売上や成約率などの成果となって実を結び始め、なんと入社4カ月目には、約90人いた営業の中でトップになることができたのだ。
「それ以来、ずっとトップを維持して、翌年には主任、翌々年には横浜オフィスの所長になることができたんです。初めは条件面に惹かれて決めた転職先でしたが、こうして自分を成長させてくれる上司との出会いも大きな収穫でした」
最後に小島さんは「欲張り転職」を成功させるポイントは、「自分に嘘をついたりごまかしたりせず、妥協しない会社選びをすること」だとアドバイスをくれた。
「大事なのは自分にとって譲れないポイントや、本当にやりたいと思ってる仕事を根気強く探すこと。希望が叶えられたら、多少辛いことがあったとしても転職先で努力できると思うんです。そしてそんな努力はやがて自分の力や自信になって、大きな成長にも繋がっていきます。だから妥協することなく、時間がかかってもいいから自分の軸となるものを見つけること。ちゃんと自分の意志で転職先を選べるかどうかで、その後のキャリアも大きく変わってくるはずです」
転職時期:社会人4年目(22歳)
活動期間:3カ月(自己分析・企業選定に1カ月)
応募企業数:5社(面接3社。2次面接に進んだ時点で他社の面接を辞退)
内定社数:1社
転職活動でやってよかったこと:転職で叶えたいことを言語化した上で、数百社の中から企業を探したこと
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取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/野村雄治
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