【伊良コーラ】28歳で世界初のクラフトコーラメーカーを創業した男に学ぶ、“ストーリーのある事業”のつくり方
今回登場するのは、28歳の時に大手広告代理店を辞め、世界初のクラフトコーラメーカー『伊良コーラ(いよしコーラ)』を創業した‟コーラ小林”こと小林隆英さんだ。
小さい頃から「人を驚かせて、喜ばせたい」という気持ちが強かった小林さん。大好きな「コーラ」で驚きを与えたいと考え、100回以上もオリジナルコーラの試作を繰り返した。試行錯誤を経て彼が見つけたのは、これまでの自分の“点と点”をつなぎ、自分だけの物語をつくることの大切さだ。
そんな‟自分にしかできない事業”に踏み出した彼の、起業までの軌跡を聞いてみた。
趣味とはいえ「感動のないコーラ」を作るなんて論外だ
幼少期から人を驚かせることが好きで、小学生時代は「アイデアマン」と呼ばれていたという小林さん。大学卒業後は大手広告代理店で、広告を出稿する企業への営業や万博関連のイベントプロデュースなどに携わっていた。コーラに目覚めたのは、自身の片頭痛がきっかけだ。
「偏頭痛にはカフェインが効くといわれ、コーラを頻繁に飲むようになったのが大学生の頃。大学院に進学してからはコーラの味にも目覚めて、世界の“ご当地コーラ”を飲み比べてみたくなり、3カ月かけて30カ国を巡ったこともありました」
とはいえこの時点では、あくまでコーラマニアの1人に過ぎなかった。
「最初に自分でコーラを作ったのは社会人1年目。たまたまネットで『100年以上前に書かれたコーラのレシピ』を見つけたのがきっかけでした。どこでも手に入る身近なスパイスで作れることが分かったので、好奇心に駆られて試してみたんです」
それ以来、コーラ作りが日課になった小林さん。少しでもおいしいコーラが作りたくて、スパイスの種類や配合、混ぜ方にも工夫を凝らした。
「コーラ作りが趣味になってからは、少しでも時間があると試作して、どうせならおいしいものが作りたかったですし、もっとスゴいコーラができるのではという期待もありましたから、100回以上は試作しましたね」
すぐに一定レベルの味は作れるようになった。しかし納得できるレベルのコーラにはならなかったという。
「満足できなかったのは、僕が作ったものは『よくある手作りコーラ』のレベルに留まっていて、驚きも感動も感じられなかったからです。健康にも良くて、味や香りにストーリーが感じられるような、『感動するほどのコーラ』を作りたかったんですよ」
人を驚かせることが好きな小林さんにとって、いくら趣味とはいえ、感動のないコーラなど論外だったのだ。
漢方職人だった祖父が亡くなって気付いた「自分にしかできない事業」
趣味でコーラ作りをはじめて2年。ブレークスルーのきっかけは、ある悲しい出来事とともに訪れた。
「その頃、漢方の職人だった祖父が亡くなったんです。祖父の工房に遺された漢方に関する資料や道具を手に取って眺めているうちに、コーラ作りに生かせるのではないかとひらめいたことが状況を大きく変えました」
さっそく漢方の資料を参考に火の入れ方の工程を変えてみると、風味も味も格段に良くなったという。
「生前、祖父とコーラについて話す機会はありませんでした。でもこういう形で祖父とのつながりが持つことができた。僕が偏頭痛持ちなのも、あるとき偶然古いコーラのレシピを見つけたのも、祖父が漢方職人だったのも、ただの偶然に過ぎません。でもその時に、一つ一つの点が1本の線につながった感覚があって」
これは、僕にしかできないことかもしれない。そう考えたら、いてもたってもいられなくなり、一気に事業化の道を突き進むことになった。2018年の夏にコーラの基本レシピが固まると、1カ月後にはフードトラックを用意して移動販売を始めていた。
「『伊良コーラ』の名は、祖父の工房名『伊良葯工(いよししゃっこう)』が由来です。ロゴデザインやフードトラックの制作は、書籍でイメージに合う作品を作っている人を探して、直接アポを取ってお願いしました。夏からフードトラックでの移動販売を始め、会社を辞めたのはその年の12月末。そのあと年明けすぐに会社を設立したんです」
「副業ではなく起業の道を選んだ理由は、これは僕にしかないストーリーを持った事業だったから。そして、より多くの人に驚きを感じてもらいたかったからです。固定店舗は構えないし、作業場は祖父が残した工房があったので、資金周りは会社員時代に貯めた自己資金と、クラウドファンディングで集めた200万円で賄うことができました。ありがたいことに伊良コーラのストーリーに共感して、応援してくれる人も多かったですね」
とはいえ、小林さんの前職は、大手広告代理店のイベントプランナー。人気企業での花形職種を辞めて起業することに不安はなかったのだろうか?
「会社を辞めること自体に迷いはありませんでした。辞める半年前からフードトラックは始めていましたし、それよりも早く多くの人に飲んでもらって、驚いてもらうことの方が僕にとって大事なことでした」
こうして2018年7月、小林さんは満を持して、世界初のクラフトコーラメーカー『伊良コーラ』を設立したのだ。
2015年4月 広告代理店に入社。イベントプランナーとして活躍
夏頃 ネットで100年以上前のコーラのレシピを発見。初めてコーラを作る。その後2年間、趣味でコーラを週4で作る
2017年 漢方職人だった祖父が亡くなる。祖父の技術をヒントにコーラをアレンジ。試作の日々を送る
2018年5月 納得のいくレシピが固まる
7月 フードトラックを制作、週末限定で移動販売を開始
11月 資金調達のためクラウドファンディングを実施。無事目標金額の200万円をクリア
12月 広告代理店を退社。祖父の工房跡に「クラフトコーラ工房」をオープン
2019年1月 法人を設立し、通販サイトでも販売開始
小難しいロジックよりも「やると決める」
現在の『伊良コーラ』は、フードトラックでの移動販売、デパートや飲食店などへの展開と、着実にその販路を拡げている。手に取った人たちは口々に「おいしいコーラって、手作りできるんだ!」と驚き、リピーターも順調に増えているそうだ。
ここで改めて小林さんに、ひらめいたアイデアを形にするためのポイントを整理してもらった。
「あまり意識せずにやっているので参考になるか分かりませんが、僕の場合はふと頭に浮かんだアイデアを起点にロジックを組み立て、どうやったら実現に近づくのか考える、というシンプルなやり方です。面白くてワクワクするアイデアはなるべく早く実現したいので、頭の中で急いで組み立ててみるという感じですね」
ゴールや目標を先に定めたほうが、行き先が分からないまま動き出すよりも行動の具体性が増す。しかし、その「やるべき行動の組み立て」が分からず立ち止まってしまう人も多そうだ。
「会社員時代にも実感していましたが、次に何をすべきかどうかを考えるためには、インプットの量を増やすことが大事です。僕もいま振り返ると、点でしかなかった経験や知識が線になったことで、アイデアの発想から事業化までの道筋ができた。ジョブズが言った『Connecting The Dots(点と点をつなげ)』のように、自分の物語は点をつくるところから生まれるものなんだと思います」
人と話したり勉強したり、インプットすることによって、アイデアが生まれやすくなると小林さんは話す。ただ、それだけでは十分ではないようだ。小林さんは「やると決める」ことがもっとも大事だと考えている。
「何が正解かなんて分かりませんし、明日何が起こるかなんて誰も分からない。いくら勉強しても考え続けても結論が出ないこともたくさんあります。だから僕は自分で『これをやるんだ』と決めて、まずはやり抜くことが大事なんじゃないかなって思っているんです。その時に、他人に押しつけられたことではなく自分が本気でやりたいと思えるものを選ぶこと。そうした方が『やり抜く』を成し遂げやすくなりますから」
成功確率を上げるにはロジックでやるべき行動を組み立て、リスクヘッジをすることが重要だ。しかしリスクを恐れるあまり行動しなければ、状況が変わることはないだろう。もし実現したいアイデアがあるならグズグズせず「やる」ことが成功の近道なのかもしれない。
これから小林さんは、伊良コーラを世界で「3本の指に入る」コーラブランドに育てるために奮闘していきたいという。
「まずは多くの人に伊良コーラを知っていただくのが当面の目標です。数年のうちに日本から世界に進出して、誰でも知っているブランドに育てていきたい。この事業をはじめて、『こんなおいしいコーラが作れるんだ』というお客さまの驚いた顔を見るのがとても楽しくって。僕にしかできない、面白いことをやれていると実感があるので、これからもっともっとワクワクしながらコーラ作りを極めていきたいです」
取材・文/武田敏則(グレタケ) 画像/先方提供、編集部撮影
RELATED POSTSあわせて読みたい
【Ontenna】“髪の毛で音を感じる装置 ”開発秘話「僕は障がい者を助けたいんじゃない。一緒に楽しみたいだけ」富士通・本多達也さん
WeWork髙橋正巳が教える、生産性を劇的に高めるために必要な4つのルール
『BASE FOOD』開発秘話「働きながら健康的な食生活って無理じゃない?」
“しょぼい起業家”が説く、20代が生きづらさを払拭する術「キャバクラ化したオンラインサロンには入るな」「可愛がられる子分になれ」
「イケてない奴らを全員救いたい」人生を懸け“大して好きじゃない”VR領域で起業した、根暗20代社長の野望