月給15万円で絶望していた介護士が、月収100万円になって気付いた“人生の精神安定剤”とは?
仕事はキツイのに、収入は少ない。それが世間の介護職に対するイメージだろう。確かに福祉関連の職種は給与水準が低く、長く続かずに離職する人も多い。
そんな中、正社員の介護士から、「派遣介護士×副業」という働き方を選択し、月収15万円から月収100万円へと大幅な収入アップを果たしたのが深井竜次さんだ。
正社員の肩書きを捨てることで、不安定になるのでは?と考える人は少なくない。なぜ深井さんは「派遣介護士×副業」という選択への一歩を踏み出すことができたのだろう。
「10年経っても給料が上がらない」現実に絶望した
――深井さんは現役の介護士ですが、そもそもなぜこの職業を選んだのですか。
もともと僕がなりたかったのは保育士なんです。だから地元の島根にある専門学校で保育士免許と幼稚園教諭免許を取得し、卒業後は保育園に就職しました。
でも結果的に、1年も経たずに辞めてしまいました。給与が低いことは分かっていましたが、残業代が出ないのに毎日のようにサービス残業して、それでも終わらず家に仕事を持ち帰らなければいけない。ブラック企業と呼ばれるような職場より、ずっとヤバい環境だったと思います。
それで心身ともに疲弊し、精神的にも追い込まれて、働き始めて10カ月ほどでうつになってしまったんです。それで保育園は辞めざるを得なくなりました。そんなとき、知り合いが「介護施設で働いてみないか」と紹介してくれて。それが介護職に就いたきっかけです。
――介護の仕事も大変そうなイメージがありますが……。
それ以前にキツイ職場を経験していたので、介護職がそれほど大変とは思いませんでしたね。保育も介護も同じ福祉の世界なので仕事にはすぐ馴染めたし、「目の前にいる人のために働きたい」という気持ちの対象が子どもから高齢者に変わっただけ。だからすぐに介護の仕事が好きになりました。
収入についても、介護士には夜勤があるので保育士の頃より多くもらえる。少なくとも働いた分はちゃんとお金をもらえるので、その点でのストレスは軽減されて、転職後はメンタルも回復しました。
ただ収入が増えたとはいえ、世間一般の水準と比べればまだまだ低いことに変わりはなくて。当時の月収は手取りで15万円を切る程度でした。
――手取り月収15万円弱ですか。なかなか厳しいですね。
しかも僕が新人だからではなく、その先も収入が上がる見込みがないと知ってしまったんです。ある時、僕より10年ほど長く働いている先輩とボーナスの明細を見せ合ったら、自分と1万円しか違わなかった。
「これから10年頑張ってもこの額なのか」と絶望したし、将来結婚して子どもが生まれても、家族の生活を支えていくことはできないだろうと不安になりました。
でも介護の仕事は好きだったので辞めたくない。それで「同じ介護職でも他の職場なら収入も変わるのかもしれない」と思い、転職を考えるようになりました。そしてさまざまな介護職の求人を見てみたんです。
――条件の良い職場は見つかりましたか?
職場というより、“稼げる働き方”があることを発見しました。それが夜勤だけを担当する“夜勤専従”です。これなら夜勤手当が上乗せされる分、収入も多くなる。地域ごとの給与水準も比較しましたが、地方よりも都市部が高く、中でもやはり東京が一番でした。それで「東京で夜勤専従の仕事をすれば、介護職でも稼げる」と分かったのです。
ただし正社員だと夜勤専従ができない職場がほとんどで、派遣という働き方を選択する必要がありました。それでも東京なら、夜勤1回につき16時間の勤務で3万円ほどもらえます。だから月に10回夜勤をこなせば月収は30万円、手取りで25万円もらえる。手取りが一気に10万円増えるわけです。
――でも、東京は住居費や生活費が高いのでは?
そこは事前にきちんと計画を立てました。住居費はシェアハウスに住むことで抑えようと考えました。実際に入居したシェアハウスの家賃は光熱費込みで月3万5000円。あとは食費があれば生活できます。
僕は日ごろから家計簿をつけていたので、これまでの出費から考えて「月に10万円あれば十分暮らしていける」と判断しました。手取りで25万円入れば、残った分は貯金までできる。「こんなにお金に余裕ができるなら行くしかない」と思い、すぐに上京を決めました。
「働き方」をコントロールし、ブログで月収100万円を突破
――派遣社員というと、正社員より不安定なイメージを持つ人も少なくないと思いますが、その点での心配はありませんでしたか。
今は高齢化社会で介護職の需要が高まっていて、特に介護派遣の価値が高まっています。人手不足なので正社員で募集をかけても人が集まらないことが多く、介護施設は派遣に頼らざるを得ない。しかも夜勤は敬遠されがちで、引き受けてくれる人はさらに少ない。だから夜勤専従なら、なおさらニーズは高いと考えました。
それに派遣で働くメリットって、すごく多いんですよ。まず、派遣には残業がない。できないわけではありませんが、派遣に残業させると施設はその分高いお金を払うことになるので、「深井さんには残業させないように」と気を使ってくれます。
あとは時間の調整もしやすいし、「この施設は自分に合わない」と思ったら、次の契約を更新せず他の職場に移ればいいのもメリットです。
――派遣で働くデメリットはないのですか?
正社員に比べれば、職場の人たちと多少の距離はできますね。ずっと長く一緒に働くわけではないので。でも、職場の人と深く関わるのが苦手な人も多いじゃないですか。僕も性格的に得意な方ではないので、そこは大したデメリットにはなりません。
これらのメリット・デメリットを事前に考えた上で、派遣社員という働き方を選びました。実際にやってみても、介護の仕事自体は正社員だろうと派遣だろうと、同じように楽しいんですよ。
――本業の介護では派遣という働き方を選択する一方、同時期から副業として介護職の情報を発信するブログサイトを始めていますね。
もともと昔から趣味でブログを書いていたんです。その頃は雑記ブログでしたが、それでも毎月5万人くらいに読まれるようになっていたので、「アフィリエイトブログにしてもっと戦略的にやれば、副業として稼げるかもしれない」と考え始めました。
では、どんなブログならより多くの人に読んでもらえるか。そう考えたとき、上京前のことを思い出したんです。東京の介護職や夜勤専従の人たちの働き方や生活について知りたくて、ネットで検索してみたのですが情報はほとんどヒットしなかった。介護の情報といえば企業やメディアが提供するものばかりで、現場で働いている介護士が個人で発信しているものは皆無でした。
それで困った経験があったので、「自分が現役介護士として情報発信するブログならニーズがあるのではないか」と考えました。そして介護職の人たちに向けたブログサイトを立ち上げて、介護職の働き方や現場で起こっている問題に特化した記事を書き始めたんです。副業を本格化させるため、夜勤の回数は月に8回まで減らしました。
すると3カ月後にはブログの収益が月に20万円台になり、本業である介護の収入を超えました。そして1年後には、ブログの収益が月に100万円を突破したんです。
――100万円! すごいですね。多くのブロガーさんがいる中で、成功した要因は何だと思いますか。
最大の勝因は、競争相手がいなかったこと。現役介護士が現場のリアルな情報を発信するブログは他にないわけですから、絶対に勝てますよね。
もう一つの勝因は、継続したこと。記事を10本書いてヒットが出なくても、100本書けば1本や2本は当たるじゃないですか。もちろん記事の質を上げることも大事ですが、まずは書き続けて量を増やしていかないと、自分の存在に気付いてもらえませんから。
その点、働き方がコントロールしやすい派遣社員だったのは大きかったですね。継続してブログを書き続けやすい状況をつくりやすかったと思います。
チャレンジに必要なのは「勇気を持って踏み出そう」みたいな精神論じゃない
――好きな本業の仕事を自分のペースで続けながら、副業でもしっかり稼ぐ。深井さんには、「派遣介護士×副業」という働き方がフィットしたんですね。
そうですね。今の働き方に関しては、事前にかなり綿密にシミュレートしていたので、もともと大きな可能性を感じていました。
それに、僕のブログが読まれるのは、“実際にやっている人”だからという理由も大きいと思います。最近は副業を解禁する会社も増えているし、副業に興味を持つ人も多い。でも実際にやっている人ってまだまだ少ないじゃないですか。「やろうとしている」とか「やってみたい」ではダメで、「やっている」こと自体に、すごく価値があるんじゃないかなって。
――それでも未経験のことを始めたり、初めての環境に飛び込むのは勇気がいりますよね。深井さんはどうして一歩を踏み出せたのですか。
それは勝機があると分かっていたからです。上京する時も、介護派遣の収入と生活費を計算して、「これなら暮らしていける」と確信したから行動できた。副業でブログを始めるときも、ライバルがいなくて自分が得意なことを生かせる領域は何かを探して、「介護職専門のブログなら勝てる」と確信したから行動できました。
一歩を踏み出すのって、「勇気を持てば踏み出せる」みたいな精神論ではなく、行動する前の段階で「これなら勝てる」と思えるまで計画を詰めることが大事なんだと思います。勝てる確信がないと、単なる無謀な行動になりかねないですから。
――深井さん自身は一歩を踏み出したことで、どんな変化がありましたか。
収入が増えたことで、好きな介護の仕事を安心して続けられるようになったのが嬉しいです。よく「仕事はお金じゃない」という人がいますが、僕は好きなことをしたいからこそお金が必要だと思う。
とはいえ、お金を稼ぐために無理して働くと、以前の僕のようにメンタルを壊してしまう。「派遣介護士×副業」の働き方を選んで何がよかったかといえば、お金を稼ぐことに対するストレスが大きく減ったこと。労働に囚われるのではなく、好きなことで収入を得られるのはすごく幸せです。
――「もし副業がうまくいかなくなったら」という不安はありませんか。
もちろんその可能性はあります。でもそのときは介護で働く時間を増やせばいい。そういう風に「選択肢がある」ってすごくいいことだと感じています。「こっちがダメでも、こっちがあるじゃん」と思えると、すごく安心感があるので。
そしてその選択肢を拡げるために「どこでも稼げる力」を身に付けることが、本当の意味での安定なんだなと思うようになりました。
――どこでも稼げる力?
はい。その点、副業は良いスキルアップの場になります。例えば僕もブログサイトの運営で、マーケティングや情報分析のスキルが身に付いたし、そのつもりがあればマーケティング系の企業に転職もできると思います。
最近では企業の経営者から「介護現場のことを教えてほしい」と頼まれることが増えているので、介護分野のコンサルティングなどもできるかもしれません。
いずれにしても、「食べていく方法はいくらでもある」と思えるようになったことは、僕にとって大きな精神安定剤になっています。
――もし今、うつだった頃の自分が目の前にいたら、何と声を掛けると思いますか?
「そこから逃げていいんだよ」ですね。そんなに無理しなくても、外へ一歩踏み出せば自分に合う働き方が必ず見つかるし、自分を受け入れてくれる場所も絶対にあるよって。
そして自分の道を探して、実際にやってみて、それを継続できれば必ず勝てるんだと。繰り返しになりますが、実際に行動に移せる人って本当に少ないので、「戦略的に一歩を踏み出す」ことが何より大事だってことを、当時の僕にも教えてあげたいですね。
取材・文/塚田有香 編集・撮影/大室倫子(編集部)
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