「2人以上が褒めてくれたら本物の才能」作家・岸田奈美を導いた“運”と“縁”と“勘”
この文章が『note』で2万以上の「いいね」を集め、これをきっかけに2020年3月に作家デビューを果たした岸田奈美さん、28歳。心地良いリズムで笑いを誘う岸田さんの文章のファンは多く、noteのフォロワー数は現在3万6000人を超えている。
前職ではユニバーサルデザインのコンサルティング会社、ミライロの広報として活動していた。現在は文芸誌でエッセイの連載、有料note『岸田奈美のキナリ★マガジン』の執筆、文章コンテストの開催などで幅広く活動中。9月23日には初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が発売された。
弾けるような笑顔が印象的な岸田さん。明るいキャラクターとは裏腹に、父親は12歳の時に心筋梗塞で死去、母親は17歳の時に病気で下半身麻痺に、そして弟は障害者、という境遇の中で生きてきた。
「チャンスはいつも、人が連れてきてくれる」と語る岸田さんが、ベンチャー企業の広報を辞め、作家の道を進む決意ができたのはなぜなのか? その道のりと、執筆の原動力を聞いた。
組織になじめなかった日々が一転。最初のnoteで人生が変わった
ーー作家になる前は、ミライロで広報をしていたとのこと。何がきっかけで入社したのですか?
大学での出会いがきっかけです。
高校を卒業後、歩けなくなったお母さんのために何かしたくて、福祉の勉強ができる大学に入りました。でも、入って割とすぐに、「辞めようかな」と悩んでいたんです。
このまま公務員になっても、お母さんと一緒に行きたかったホテルがバリアフリーになるわけじゃないし、行きたかった居酒屋に車椅子で入れるようになるわけじゃない。勉強を続けたところで、お母さんが幸せになる未来が全然見えなくて。
そんな迷いを抱えていた時、ある車椅子の大学生に出会ったんです。「バリアフリーのコンサルティング事業で起業を考えている」と話す2つ上の男性は、後のミライロ創業者となる垣内俊哉でした。彼の思いに強く共感した私は、大学に通いながら創業メンバーとして働き始めます。
広報部長としてミライロを知ってほしい一心で、新聞社やテレビ局を回りに回りました。靴底がめくれるまで歩き、大量の文章を書いて発信を続け、気付けば年間200件以上のメディアが、私たちを取り上げてくれました。
ーーミライロで働く日々は、充実していたのでは?
すごく楽しかったです。やりがいもありました。でも、3人で始めた会社の規模が50人を越えてくると、だんだん自分のダメな部分が気になるようになってきて。
ルールは守れない。締め切りは過ぎる。話は横道に逸れたまま戻ってこない。人の顔を覚えられないから、同じ人と何度も名刺交換をしてしまう……。
いくら成果を上げていても、こうした特性は社会人としてはマイナスです。会社の制度や評価基準が整っていく状況で、徐々に居場所を見失い、自信をなくしていきました。
そして、同僚とトラブルがあった翌日に、会社に向かうエレベータの中で立てなくなってしまったんです。悲しくもないのに、涙がボロボロと溢れてきて……。1カ月半の休職を経て復帰した後も、「辞めようかな」と揺れる日々でした。
そんな時、ふと家族について書いたnoteが信じられないぐらいバズったんです(笑)
「つらい思いをしてきたから、人を傷つけない文章が書けるんだね」
ーーそのnoteには、2万以上の「いいね」がつきました。もともと文章は得意だったのですか?
全然(即答)。今でも得意だとは思っていません。
ーーではなぜ、作家になる決心がついたのでしょうか?
このnoteのおかげでいろんな人に出会えて、褒められたんです。糸井重里さんには「いいね!岸田さんの文章を読むと、良い気分になっちゃうよ」、前澤友作さんには「この人の文章めっちゃ好き」と言ってもらえて。
決め手になったのは、コルクの佐渡島庸平さんの言葉でした。「岸田さんは人を傷つけずに面白い文章を書ける、とても珍しい人。それができるのは、岸田さんがつらい思いをしてきたからだと思う」と。
その瞬間、これまで心の奥底に抱えてきたコンプレックスが、価値あるものに見えたんです。障害のある家族のことも、お父さんの死のことも、休職したことも。
それまで私にとって文章を書くことは、つらかった記憶を楽しい記憶に編集する、自分のための行為でした。それが、人のためにもなるなんて。
ミライロでは、障害を価値に変える“バリアバリュー”の活動をしてきました。これからの私のバリアバリューは、書いて発信することなんだ。それに気付いたとき、会社を辞める覚悟ができたんです。
ーー佐渡島さんの言葉が、背中を押してくれたのですね。
そうですね。あとは、生活の見通しが立ったのも大きかったです。
最初のnoteでは、サポート機能を通じて約250人もの方からおひねりをいただいたんです。もしサポートしてくださる方がいたら、弟との一泊二日旅行で使わせてもらおうと決めていたのですが、とても使いきれない金額を頂いてしまいました。
noteの有料マガジンを始めたときは、「1~2年かけて生活できるぐらいは稼げるようになればいいかな」と思っていたのに、購読者数は想像以上で、開始1カ月であっという間にクリア。
「これはやっていける」と思い、不安はなくなりました。
自分の気持ちを観察して、運・縁・勘を引き寄せる
ーー思い切って会社を辞めたわけではなく、生活の見通しが立った上での判断だったのですね。
昔から無謀なことはしない性格なんです。無謀に見えることでも、風をつかんでいるというか。その風はいつも、人が連れてきてくれます。
ーー人が連れてきてくれる?
大学を辞めようと思っていた時に、垣内俊哉に出会ったのもそう。作家になる前に、佐渡島さんたちに出会えたのもそう。
毎回、「なんとなくやりたいと思っていたけど、自分では言葉にできなかった」道を、誰かが見つけて教えてくれるんです。
11月にnoteで開催する「#キナリ読書フェス」もそうです。私が村上春樹さんの作品『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んで、その感想を全力でnoteに書いたら、文藝春秋の方から村上春樹さんの直筆のサイン入りポストカードが自宅に届いて。「作者に感想が届くってめちゃめちゃうれしい!!」と思った出来事がきっかけになりました。
「運」と「縁」、そして、この2つが運んでくるチャンスを選び取る「勘」が、私にはあるのかもしれないなと思っています。
ーー運と縁と勘。これらを引き寄せるにはどうしたらいいでしょうか?
自分を褒めてくれる人が周囲にいる環境を選ぶといいと思います。
人の才能を伸ばすのは「人」です。どんなに有名な会社で働いていても、誰も自分を認めてくれない環境では、何をやってもうまくいかないはず。どの会社や組織に所属しているかではなく、そこに誰がいるかの方が大切です。
自分の気持ちをちゃんと観察して、「この人と話している自分、好きだな」と思えたら、その人は自分に新しい風を運んでくれる存在かもしれません。
「2人以上が同じことを褒めてくれたならーーそれは間違いなくお前の真実だ。信じていいんだ」
マンガ『宇宙兄弟』には、こんな言葉があります。たった2人でも背中を押してくれる人がいたら、それはお世辞ではなく、本物の才能です。思い切って踏み出す価値はあるはず。
ーー褒めてくれる人の言葉、聞き流さないようにしたいです。ところで、岸田さんの執筆の原動力は何ですか?
“愛のお裾分け”ですね。「自分が愛しているものを人に自慢したい」「好きなものを面白いと言ってくれる人を増やしたい」という気持ちです。私のキャッチコピーでもある「100文字で済むことを2000文字で伝える」原動力は、そこにあります。もともとオタクなので布教活動が好き、というのもありますが(笑)
子どもの頃からあまり友達ができなくて、自分が面白いと思うことを言っても誰も笑ってくれなかったんです。それが今は、多くの人が面白いと言ってくれる。こんなにうれしいことはありません。
ーーその「愛しているもの」の中でも特に伝えたいテーマが、家族なのですね。
そうですね。今回本を書いて、家族に対する愛の解像度はより高まりました。
世の中には「家族とうまくやっていく方法」のような本がたくさんありますが、私はそういう本はあまり書きたくありません。「家族だから、愛さなければならない」という考えが透けて見えるからです。
私が家族を愛し、家族について発信をしているのは、「家族だから」ではありません。
写真家の幡野広志さんが著書『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』で「家族でいることを選びたくないのなら、選ばなくたっていい」という趣旨の話をしています。私は幡野さんとお話をして、家族のとらえ方が変わったんですよね。
家族とは、責任を負うものではなくて、選べるもの。
そう考えたとき、父、母、弟のことはたとえ家族でなかったとしてもすごく尊敬できるし、大好き。だから120%の勢いで好きって言って、みんなにも好きになってもらいたいんですよ(笑)
また立ち上がるために「落ち込むときは、しっかり落ち込む」
ーー自己分析してみて、岸田さんが作家として活躍できている理由は何だと思いますか?
熱量と速さです。熱量は、今お話した通り。速さは、熱狂をつくる一つのきっかけとして大切にしています。
私、前職の頃からタイピングのスピードが速いんです。「岸田さんみたいにできません」なんて言われることもありましたが、速さはちょっと努力すれば誰でも習得できます。「自分には飛び抜けたスキルがない」と思っている人ほど、意識してみるといいのではないでしょうか。
私は「この人に話聞きたい!」と思ったらすぐに連絡しますし、本を頂いたらその日のうちに感想を送ります。作品も、たとえ未完成の状態だったとしても、早く出すことを優先しています。
ーー「速さ」を強みとする作家は、新しい存在のように感じます。
業界の先輩からは「プロは荒削りなものは出さないよ」とたしなめられたことがありますが、自分は「作品を書く」ことが目的の作家さんとは違うんだな、と理解しました。
私がやりたいのは、「岸田奈美という人生」を作品として捉え、編集し、世に出していくこと。そして、私の人生そのものを面白がってもらうことです。
そのためには、自分の人生をリアルタイムで伝えることが大切。だから、作品としての完成度と同じかそれ以上に、速さを大事にしているんです。
ーー休職中で沈んでいた頃の自分に「一歩踏み出すための」アドバイスをするとしたら、どんな言葉をかけますか?
あの頃の私には、「落ち込むときは、底まで落ち込んでいいんだよ」と伝えますね。
以前の私は、ちょっとした不安や嫉妬を感じたときに、下がる気持ちをクッと止めて、そのまま忘れようとしていました。でもそれが積み重なると、今度は立ち直れなくなってしまうんです。
つらい気持ちを見て見ぬ振りをするのではなく、落ち込んで落ち込んで、落ち込み切る。底まで行き着いて初めて、「また頑張ろう」と上昇できます。
だから、失敗したり、落ち込んだりすることを、怖いと思う必要はないんだなって。
そして、底まで沈みきったときに、「頑張れ!」と大きな声で励ましてくれる人よりも、自分と同じぐらい「悲しいね」と寄り添ってくれる人がもしいたら。その人のことを一番大切にしてね、と伝えたいです。きっとそういう人が、新しい風を運んでくれるから。
Information
岸田奈美さんの新著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』
笑えて泣ける岸田家の日々のこと
車いすユーザーの母、
ダウン症で知的障害のある弟、
ベンチャー起業家で急逝した父――
文筆家・岸田奈美がつづる、
「楽しい」や「悲しい」など一言では
説明ができない情報過多な日々の出来事。
笑えて泣けて、考えさせられて、
心がじんわりあたたかくなる自伝的エッセイです。
取材・文/一本麻衣 撮影/赤松洋太 編集/河西ことみ(編集部)
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