「会社では“お利口さん”な新卒だった」元電通の起業家・小林百絵が“気持ちいい自分”を手に入れるまで
日本ではまだ馴染みの薄い「漢方」。その魅力に着目し、漢方を取り入れたライフスタイルを日本に根付かせようと奮闘している、一人の経営者がいる。漢方ライフスタイルブランド『DAYLILY』共同創業者兼CEOの小林百絵さん(28歳)だ。
彼女が『DAYLILY』を立ち上げたのは、26歳の時。新卒で電通に入社したが、1年半で退職を決意し、縁もゆかりもなかった台湾の地で事業をスタートさせた。
会社員として過ごした日々を「楽しかった」と振り返りつつも「組織の中で“自分らしくいる”ということが、うまくできなかった」と語る小林さん。経営者となった今では、自分らしく、そして心地よく働けるようになったという。
なぜ彼女は、起業という大きな一歩を踏み出して「心地よい自分」を見つけられたのだろう?
周りの目を気にして、萎縮していた電通時代
――小林さんは大学院を卒業して、なぜ電通に入社されたのでしょうか?
ブランディングに携わる仕事がしたかったんです。学生時代から「ブランドを作る」ということに興味があって、大学院までコンセプトデザインやブランディングを学んでいました。
ただ私はとても飽き性なので、一つのブランドのみに関わるよりも、いくつものブランドに携わっていく方が自分には向いているんじゃないかな、と思っていました。
――電通でのお仕事はいかがでしたか?
とても楽しく仕事をできていたと思います。ありがたいことに、電通ではクライアントの新規事業立ち上げのお手伝いをする部署に配属されたので、やりたいこともやらせてもらっていました。本当に素敵な同僚・先輩方と出会えましたし、環境への不満はなかったです。
――そんな中で、入社1年半で退職を決意されましたよね。それはどうしてでしょうか?
正直、そのまま電通で長く働き続ける自分も、想像できなくはなかったんです。経験を積んで、バリバリ楽しく働いている自分も見えた。ただ、うまく身動きが取れなくなっている感じがしたんです。
――“身動きが取れない”というと?
すごく周りの目を気にしちゃっていて。年次の浅い社員として“お利口さん”でいようとしちゃっていましたし、会社組織の中で自分がどうあるべきなんだろう、というのが分からず、悩んでいました。
電通って、周りにすごい人たちがたくさんいるんです。その中で、上司からは日々「自分のカラーを出していけ」「個性を見せていけ」ということを言われるわけですが、それってすごく難しいこと。
そもそもそうやって意図的につくっていく「個性」みたいなものって、普段の自分の在り方とは少しズレが生じてきてしまう。今思うと、かなり萎縮してしまっていたんだと思います。
――会社組織の一員であることが窮屈に感じられてしまったんですね。
はい。あとは、本来やりたかった「ブランドをつくる」ことに関しても、認識が甘かったなと思います。広告代理店って、ビジネスの仕組み上、最終意思決定を下すことができないんですよね。商品はクライアントさんのものですから、私自身が作りたいものを作れる、というわけでは必ずしもない。そのことに、入社してから気付いたんです。
もちろん、長い期間経験を積めば自分のやりたい企画を通すことも可能だと思いますが、それにはかなりの年月を要する、ということにしばらくしてから気付きました。
「ヘルシーに働きたい」そんな時に出会った、漢方の魅力
――窮屈さを感じていた会社員時代を経て、自分でブランドを立ち上げるべく起業をした、と。そこでなぜ、漢方に着目されたのでしょう?
ちょうど私が電通に入社した頃が、労務問題が取り沙汰されていた時期だったんです。私自身は幸いにも、しんどい働き方をしていたわけではなかったですが、「ヘルシーに働く」ってどういうことなのか、と考えないわけにはいきませんでした。
その頃に感銘を受けたのが、台湾の漢方のカルチャーでした。『DAYLILY』共同創業者であるEriとは大学院のゼミで知り合ったのですが、彼女のご両親が台湾で漢方薬局を経営していたのもあり、よく話を聞いていたんです。
台湾では、漢方を薬のように大袈裟なものと捉えておらず、食・ライフスタイルなど日常のありふれたところで自然に取り入れられています。日々の生活の中で自分の心身を調整するという、漢方との付き合い方を聞いた時、「無理がない心地よさ」を感じて、すごく好きだなと思いました。
――台湾の方にとっての漢方。ヘルシーで、素敵な考え方ですよね。
はい。「ヘルシーに働く」「ヘルシーに生きていく」ことが課題だった私にとって、その考え方がぴたりとハマったんです。
すごく素敵な在り方だな、この考え方を日本にも広めたいなと思い、Eriに声を掛けて共同でDAYLILYを始めることにしました。
――どのように事業をスタートされたのでしょう?
クラウドファンディングで資金を調達して、会社を設立しました。新規事業の立ち上げは電通時代にも経験させてもらっていましたし、漢方のライフスタイルブランドを確立したいという想いは多くの方に賛同していただけて。
始めはEriの故郷でもあり、漢方の本場である台湾から店舗をスタートさせました。そこから1年後に、日本での店舗をオープンしたんです。
――順風満帆なスタートだったんですね。
起業してからはつらいこともたくさんあったし、うまくいかないこともたくさんありましたが……全て、振り返ってみるとたくさんの人に支えられて「何とかなった」という感じです。
私はこれまでの人生の中でもたくさん失敗をしてきましたが、その度に周りに自分を変えてもらいながら、結局は「どうにかなるだろう」という考えが強いんです。何事もやってみないと分からないことの方が多いし、やってみてダメだったとしても、変わっていくことができれば何とかなる、という気持ちで行動していました。
――すごくポジティブな考え方です。
そうですね。それと私は漢方と出会ってからは特に、何を決めるにも「気持ちいいかどうか」で決めるようにしているんです。どういう人と一緒にやるのか、何をつくるか、どっちを選ぶのか、などすべての意思決定の基準は「気持ちいいかどうか」。
身体的にも気持ち的にも、何か違和感があったり無理があったりするのはヘルシーじゃない。楽にリラックスして心地よくいられる状態でいたいな、といつも思っていて。
起業も、そちらの方が気持ちいいなと思ったので、決意できました。先ほど言ったように「やってみたらどうにかなるだろう」と思っていたので、不安はそこまで感じていなかったです。
“何となく感じていた窮屈さ”を無視しなくてよかった
――起業してから、小林さんの中で変化はありましたか?
より一層、自分にとっての“気持ちよさ“を一番大切に、動けるようになりました。会社組織の中で萎縮してしまっていた自分を解放してあげられた、と思います。性格や行動の仕方も大きく変わりました。
――どんな風に変わったんですか?
起業するまでの自分は、ある意味とても器用に立ち回るタイプで。基本的に面倒くさがり屋なので、いかに楽に物事を進めるか、を考えて喧嘩や摩擦を避けて生きてきたんです。でもゼロから全てはじめるとなるとそうも言っていられない。始めの頃は、共同創業メンバーの二人ともしょっちゅう喧嘩していました(笑)
――想像もつきません(笑)。どういったことで喧嘩するんですか?
最初ってなかなか先行きが見えなくて不安ですし、あまりにも忙しすぎてコミュニケーション不足が積み重なるしで悪循環に陥ってしまっていたように思います。
事業の立ち上げってゼロからのスタートなので、巻き込んだ私自身は「きっとうまくいく!」と思い描けることも、巻き込まれる側がそれを全く同じように描くのはとても難しくて、絶対に不安ですよね。それでどんどんお互いに心にも余裕を持てなくなって、度々口論になっていました。
――喧嘩を避けてきた過去と比べると、それは大きな変化ですよね。
淡々と物事を進めるだけでは分かり合えないからこそ、本気でぶつからないとダメなんだなって強く思うようになりました。これは2人に変えてもらった部分だなと思います。自分だけだったら絶対に変われなかった。だから2人には心から感謝しています。
――起業した当時は、「とりあえずやってみよう!」という思いでスタートされたとのこと。とはいえ、最初の一歩を踏み出すのは勇気がいることですよね。きっと不安に思う人の方が多いと思います。
もちろん、私も不安が全くないことはなかったです。ただ、不安って根本的になくすことはできないと思うんですよ。逆に、不安があるからこそ必死に頑張ろうと思えたり、間違った選択をしないように、と丁寧に判断ができるようになったりもします。
不安があるって悪いことではないので、不安を払拭するとか乗り越える、というよりは「不安とうまく付き合っていく」ようにしています。
――すごく建設的な考え方ですね。ご自身の「始めの一歩」を踏み出した当時を振り返って、思うことはありますか?
違和感を無視しなくてよかったな、と思います。自分が何となく感じていた窮屈さとか居心地の悪さをなあなあにしないでよかったです。あの時、思い切ってEriに「一緒に起業しよう」って声を掛けて本当によかった!
――「心地よさ」に妥協しなかったことが、いい結果につながったんですね。
あとは、「経験は何一つ無駄じゃない」というのも、今だから思えることです。
実は会社を辞めようと思った時、会社に入ったこと自体を後悔しそうになったことがあったんです。私、遠回りして時間を無駄にしちゃったんじゃないかって。でも、実際はそんなことありませんでした。
会社員として組織で感じたことが今めちゃくちゃ生きていますし、たくさんの素晴らしい縁にも恵まれた。だから、当時の自分には「何一つ無駄じゃなかったよ」ということを言ってあげたいです。
取材・文/太田冴 撮影/赤松洋太
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