2018.03.05
流行を生み出す仕掛け人のアイデアの源泉【動画付き】
朝の情報番組としてお馴染みの『スッキリ!!』や、『STORY』『DRESS』などの有名雑誌、人気ブランド『レイビームス』の仕掛け人に、ヒットを生み出した転機や、いかにしてアイデアを生み出しているのかを聞いた。スペシャル対談第1回。
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【プロフィール】
株式会社アブリオ 代表取締役/C Channel株式会社 取締役
三枝孝臣1989年に日本テレビ放送網に入社し、プロデューサーとしてバラエティや情報番組など全てのジャンルで数々のヒットコンテンツを世に送り出した。2014年に『Hulu』制作部長、インターネット事業担当部次長を経て、独立。2015年、新たにメディアデザイン事業会社、株式会社アブリオを設立。同時にC Channel株式会社取締役に就任
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株式会社「編」代表取締役社長/『DRESS』エグゼクティブプロデューサー
山本由樹光文社で『女性自身』の編集者を16年担当。2005年には『STORY』の編集長を務め、その後2010年より『国民的美魔女コンテスト』を開催し美魔女ブームを仕掛ける。現在では株式会社giftを設立し、月刊誌『DRESS』を創刊
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株式会社ビームス ビームス創造研究所 シニアクリエイティブディレクター
南馬越一義1984年に株式会社ビームスに入社。メンズカジュアルのショップスタッフを経て、ウィメンズ店舗『レイビームス渋谷』の店長へ。その後、1989年には『レイビームス』レーベルのバイヤーとして数々の功績を挙げる。2004年、ウィメンズ全体のクリエイティブディレクターに就任。現在様々なバラエティ番組やコンテストでコメンテーターや審査員を務めている
何気ない日常の中に、ヒットのアイデアが隠れている
――みなさん様々なサービスを生み出されていますが、そのアイデアはどこから生まれてくるんですか?
山本 自分が日常的に見ている光景の中に、アイデアの種はあると思うんですよ。例えば電車の中で、黒ずくめの服装の女の子と、全身ピンクの服装の女の子が並んで立っているのを見かけたとしますよね。黒とピンクって一見対極なものに感じるけど、黒しか着ない女の子とピンクしか着ない女の子の内面は、どこかしら似ているんじゃないか、と考えてみる。すると、そこから何か企画が生まれそうじゃないですか?なので、日常の光景を常に観察しながら生きています。
三枝『美魔女』の企画はどこから生まれたんですか?
山本『美ST』という雑誌を作っている中で、読者の女性から送って頂いた写真を並べて見てみると、どの方も年齢よりも若く見えるし綺麗なんですよね。でも、その秘訣を聞いてみると「何もやっていない」と答えるんです。そこで「何もやっていないのにこんなに美しいとしたら、これはもう魔法だ」「美しい魔女だから美魔女と呼ぼう」と。
――南馬越さんは、どうして今の仕事をすることになったのですか?
南馬越 話せば長くなるのですが、一言で言えば「成り行き」ですね。以前はバイヤーとして、仕入れたものをどうやって販売していこうか、ということを考える仕事をしていました。そのうち、広告やイベント企画の方へと仕事の比重が傾いていって。結果、ビームス創造研究所という、企画やアイデアを他の企業や自治体に提供する組織の設立に至りました。
山本 南馬越さんと僕って同い年なんですが、実は僕も流れ流れて編集者になったようなものなんですよね。就職活動を迎えて、マスコミ業界で就職しようと考えた時、テレビ局も、広告代理店も、新聞社も全部落ちてしまって。そんな中で、たまたま入社できたのが出版社だったんです。なので、今この座談会の話を聞いてくれている方に伝えたいことがあるとしたら、「適性は自分で決められない」ということでしょうか。やってみないと、わからない。与えられた仕事が、実は自分の天職だったりするんですよ。
――三枝さんはいかがですか?
三枝 僕は小学生の頃からずっとテレビが好きだったのでテレビ局に入ったのですが、運良く番組制作の部署に配属されたので、25年間ほどテレビ番組をつくり続けてきました。なので、初志貫徹できたかな、と思っています。その後、インターネットとテレビをどう融合するか、というプロジェクトに参画したこともあって、今はインターネット業界寄りの仕事をしています。
「40歳手前でも遅くない」彼らに訪れた転機とは?
――みなさんが今の仕事を続けようと思った転機などがあればお伺いしたいのですが、いかがでしょうか?
南馬越 学生の頃からビームスでアルバイトをしていて、根が真面目だったので、とにかく真面目に販売の仕事をしていたら、それが認められて店長になったんですね。その後、タイミング良くポジションが空いて、バイヤーになりました。その、計らずもバイヤーになれたということが転機ですね。とはいえ、たいした経験もなくバイヤーになったので苦労はしたのですが、その頃アメリカで『X-girl』というブランドが流行っていたので、それを仕入れて日本でも販売してみたら、すごく人気が出たんです。起死回生でした。自分の感覚やセンスで仕入れたものに反響が集まり、世の中の流行をつくれる可能性がある。それが快感になって、この仕事を続けようと思いました。
山本 僕は16年間週刊誌の編集者をやっていて、芸能も、皇室も、全て経験しました。僕も真面目だったので、たくさん記事を書いたんですよ。16年もやっていると、何千本にもなるんですよね。ですがある時、もう週刊誌はいいな、と思ったんです。やり尽くしたな、と。当時の社長は有名な編集者だったのですが「君、何歳?」と聞かれて。もうすぐ40歳ですと答えたら「ギリギリだな」「でも、まだ間に合うかもしれない」と言われたんです。その社長は週刊誌の『女性自身』をもとに『JJ』というという雑誌を生み出した方で、「僕がJJを作ったのが40歳の時だったから、君も頑張ればまだ間に合うよ」と言ってくれたんですよ。その頃、新しく創刊される月刊誌の編集に異動になりました。なので、39歳の時に「ギリギリだ」と言われたことが、僕の転機ですね。週刊誌と月刊誌の編集者って全然違うジャンルの編集者なんですが、年齢重ねていてもまだ大丈夫なんだな、と思えたので。
三枝 僕の転機も、38歳くらいの時ですね。それまで朝の番組ってつくったことがなかったんですが、『スッキリ!!』という番組を担当することになって。長いことやってきたバラエティとはつくり方が全然違うんですよ。毎朝放送があるし、早起きして撮影しなきゃいけないから体はつらいし。正直なところ、あまりやりたいとは思っていませんでした。ですが、いざ担当するとなると、今まで経験していないことをやるって可能性があるな、感じたんです。
――40歳前後で転機を迎えたとのことですが、みなさんいつまで現役でいたいと思いますか?
山本 言うなれば、イチローじゃないでしょうか。自分の現役に年齢制限を設ける必要はない。やれるまでやればいい、って。
三枝 そうですね。制限を設けるよりも、他にもっとやりたいことが出来たり、もうやりきったと思える時がくるまでやりきれるといいですよね。日本はまだサラリーマン社会なので年齢的なラインが決められていることが多いですが、そういったものは取っ払って、自分で決められたらいいなと思います。
この記事の内容は、動画で詳しく見ることができます
※このコンテンツは、2016年にtypeメンバーズパークに掲載された動画を新たに記事化したものです。
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