ヘタレ営業マンだった僕が、25歳を転機に6千人の頂点に上り詰めたワケ/エイチ・アイ・エス 彦坂明紀氏
本特集の3人目は、旅行業界のリーディングカンパニーであるエイチ・アイ・エスでトップ営業マンとして活躍する彦坂明紀氏。
エイチ・アイ・エスといえば、若手であっても裁量の大きな仕事を任せる社風で、就活生にも人気の高い企業だ。同社で働く従業員数は、グループ全体で1万4千人、単体でも6千人を超える。成長意欲の高い若手が集まる環境だが、入社当時の彦坂氏は決して”ガツガツした”営業マンではなく、成績も良くなかったという。
そんな彼が30歳を迎える今、トップ営業マンとして活躍できるようになった背景には、“25歳”で訪れた転機が関係しているという。ビリから6千人の頂点へ上り詰めた営業マンだからこそ語れる、25歳の理想的な過ごし方とは――?
万年成績下位を一気に押し上げた
「俺、やれるじゃん!」という自信
——彦坂さんがエイチ・アイ・エスに入社した当時のことを教えてください。
新卒入社で地元・中部エリアの営業所に配属され、成績はいつも下から2番目くらい。入社3年目くらいまでは、地味な営業マンだったと思います。万年成績下位だったので、「この会社で、本当に自分は戦っていけるのだろうか?」という不安は常にありました。
——ということは、その後一気に成績を伸ばすきっかけがあったのでしょうか?
ちょうど25歳くらいのときですね。入社4年目になって、大手中古自動車オークションを手掛ける会社の大規模な社員旅行の提案を、前任者から引き継ぐことになったんです。中部エリアとしては破格の金額が動く案件で、いつも競合大手に敗れていました。今まではコツコツ地道に営業してきた私でしたが、この時に初めて「この案件は絶対獲得したい」という野心が芽生えたんです。そしてまずはその企業の経営者のもとに毎週通うことにしました。当時は怖いもの知らずで、とにかく足で稼ごうと考えたわけです。
お客さまのもとへ足繫く通ううちに、担当者から競合大手が担当してきた前年までの社員旅行に対する不満を聞かせてもらえるようになりました。会話の中に出てきた細かい不満を改善していくことで、ついに私に任せていただけることになったんです。その時に、入社以来はじめて「俺、やれるんじゃん!」と感じました。
その後は実績も伸びましたし、チームを任されるなど責任も負うようになりました。とても単純なことですが、「自信を持つ」ことでこんなにも目の前のハードルをクリアできるんだなと感動したものです。
トップセールスにもかかわらず「井の中の蛙」?
20代で気付けてよかった“トップ営業マンの驕り”
——その結果、エリアでのトップ成績を収めたり、2年連続で社長賞も受賞されたとのこと。徐々に評価が高まったことで、東京への栄転が決まったのでしょうか。
表面的にいえばそうなりますが、実は大きな転機があっての東京異動だったんです。4年目に‟覚醒”した私は、その後も順調に売上をあげていきました伸ばし続けました。それなのにある日、上司から「お前は井の中の蛙だ」と言われたんです。
——グループ全体で1万4千人も従業員のいる会社でトップに立ったのに、「井の中の蛙」と言われたんですか?
成績が上がり、責任ある立場を任されても、別にいい気になっているつもりはありませんでした。ところが上司に「いつまでも居心地のいい地元であぐらをかいていては、もう成長はないぞ」と指摘され、ドキっとしましたね。
——それがきっかけで、転勤を決心されたということでしょうか。
そうです。中部エリアと違って東京は大きな案件も多いし、今までの仕事とは勝手が違うことも多く、もがく日々が続いています。けれども、東京に来て良かったと心底思います。なぜなら、まだこんなに学ぶべきことがたくさんあったんだとか、こんなに凄い人がいたのかと、刺激的な毎日だからです。私は今年30歳になるので、20代のうちにチャレンジできて良かったと思うのですが、こういったチャレンジは1年でも早い方がいいと思います。
——もう少し早い時期が良かったと?
そうですね。もう少し早くチャレンジできていれば……と思うことはあります。ちょうど今回のテーマである「25歳」の時だったら、と。
――当時はなぜ、それができなかったのだと思いますか?
25歳の私に欠けていたものがあったからだと思います。当時は自信も出てきてモチベーションも高かったし、謙虚にがむしゃらに努力をしていたつもりでしたが、長期的なビジョンというものがなかった。
例えば「40代で部長になる。そのためには30代の内にこれを手に入れなければいけない。それならば20代の間には何をしておかないと」というように逆算式なキャリアビジョンですね。そういった長期的な視野を25歳で手に入れていたら、間違いなく今やっているようなチャレンジを、もっと早いタイミングで自ら進んで実行しようとしたはずです。そうすれば、「中部エリアを統括する立場になって、地元に貢献する」という私の夢にもっと早く近づけたのに、と思います。
早いうちから「自分」という商品を磨き続けることが大切
——彦坂さんは、営業マンが仕事で成功するために大切なことは何だと思いますか?
よく語られる言葉だとは思いますが、「営業マンが売るのは商品じゃない。自分という人間だ」という原則です。東京へ来て、その重みをあらためて痛感しています。扱う商品の規模も金額もクオリティも上がった今、私自身が商品に見合うだけの「信頼される人間」にならなければいけない。自分がお客さまからの信頼に見合うだけの人物にならなければいけない。そんな基本的なことが成功への近道だと思っています。
——信頼される人になるために、若手時代は何をすべきなのでしょうか?
「人の真似」をしてみてはいかがでしょうか。若いうちは変にかっこつけたり、自分だけの力で成果を上げてやるぞと奮起しがちですが、そんなくだらないプライドなんて持たずにどんどん真似していけば良いと思います。
例えば、目の前にいるお客さまに振り向いてもらおうと思ったら、「どういう人間がどんな風に対応すれば振り向いてくれるか」を考えます。そして「こういう知識や能力を持った営業マンならば、このお客さまは振り向いてくれる」という仮説を立てる。そんな時に周囲を見回すと、会社の中に必ずそういう人がいるんですよ。理想の人物を見つけたら、恥も外聞もなく近づいていって、その人のやり方をどんどん真似していきます。
要するにイミテーションでしかないんですが、いろいろな人の知見や魅力を1回自分の中に取り込むことで、いつかはイミテーションがイノベーションになる。私はそう信じて、日夜、人真似に励んでいます(笑)。
——理想の人を真似する、というのは若手でもすぐに実践できそうですね。最後に、読者の若手営業マンにメッセージをいただけますか。
営業は「自分自身が商品」なのですから、いつかはオンリーワンを目指すべき。でもその唯一無二な商品を作るために、若いうちには人真似をして学ぶことも大事です。理想を描いて、それに向かって模倣していくことが、ビジネスパーソンとしての成長を促すのではないでしょうか。私自身は29歳で実践している最中ですが、それを25歳のうちにできる若手が現れれば、私なんてすぐに追い抜かれてしまうと思いますよ。
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取材・文/森川直樹 撮影/大室倫子(編集部)
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