渡邉美樹氏が考える圧倒的成長論「1日中働くな。でも、1日中仕事のことを考えろ」
「25歳こそ、“自分の人生”のスタート地点」と語る渡邉美樹氏。今や業界大手にまで急成長したワタミを立ち上げたのは、渡邉氏が弱冠24歳の頃だった。新米経営者として無我夢中に走り続けていたという当時を振り返ってもらい、自分らしいキャリアを築くために若手時代をどう過ごすべきなのかを聞いた。
経理、宅配ドライバー、外食産業での武者修行……一流の経営者になるためにひたすら経験を積んだ
居食屋『和民』を中心にさまざまな業態の店舗を全国に展開するとともに、宅食・農業・環境など「食」に関わる事業を幅広く手掛けるワタミグループ。もともとは、大手居酒屋チェーンのいちフランチャイズオーナーとして、小さな店の経営を手掛けるところから始まった。創業は1984年、渡邉氏が24歳のときだ。
まだ「ベンチャー」という言葉さえ、一般的ではない時代。ましてや20代前半の若者が起業するなど、ほとんど例のないことだった。
「それでも、迷いはなかったですね。なんと言っても、10歳のときから『将来は社長になる』と決めていましたから」
若くして経営者としての人生を歩み始めた原点は、小学生の頃に遡る。最愛の母を病気で亡くし、さらに父が経営する会社を清算。それまでの比較的恵まれた生活が、孤独で貧しいものへと一転した。「社長になる!」と心に誓ったのは、その悔しさからだった。
将来の起業を目指し、高校時代から経済小説をむさぼり読み、大学時代には、ビジネスのネタを探すため、日本一周旅行や北半球一周旅行を決行。ニューヨークで立ち寄ったライブハウスで、人種も国籍もさまざまな人たちが、音楽や食事を楽しんでいる姿に衝撃を受け、外食産業での起業を決意した。
「その旅から帰ってきたのが22歳の3月でした。その時に、2年後の『24歳の4月1日に社長になる』と、夢に日付を入れたのです」
そこからは起業に向けてまっしぐらに突き進むことになる。大学卒業後は経理会社に入社し、約半年間、ひたすら会計の知識を詰め込んだ。その後、運送会社の宅配ドライバーとして必死に働き、1年間で資本金300万円を稼ぎ出した。さらに半年間、外食産業での武者修行を経て、FCチェーンのオーナーとして会社を創業。いよいよ経営者としての道を歩き始めたのだ。
若手時代に「猛烈に働いた」経験が、ビジネス人生の基盤をつくった
調理や仕入、立地など業界の仕組みは何も分からない。あまりにも無知だったと当時を振り返るが、その反面で業界を知らないことが強みにもなった。常識にとらわれず、純粋に「自分がお客さまだったら何を望むか」をとことん突き詰めていくことができたからだ。
渡邉氏の店では、接客は膝を突いて両手でおしぼりを手渡したり、吸い殻3本で灰皿を取り替えるなど、居酒屋らしかならぬ高級クラブ並みのサービスを提供。これが大いに受けた。わずか2店舗の運営で年収は1億円を突破。当時、全国に400店舗あったFCチェーンのなかで、常にトップクラスの売上を誇っていた。
「それでも全然満足できませんでしたね。当初から創業10年で店頭公開しようと決めていたので、もっと会社を大きくしていきたかった。当時としては10年で店頭公開など不可能だと思われていたので、誰もやったことのないことへのチャレンジに燃えていました」
「もっともっと」という思いに駆られて、寝る間も惜しんで働いた。開店前の午後3時から仕込みを始め、閉店後の掃除を終えるのは午前7時。創業当初は休みも満足に取れなかった。しかし振り返ってみれば、この頃の努力が自分の血肉になり、ビジネスパーソンとして確固たる基礎を身に付ける期間となったと言う。
「今は世の中的に、ワークライフバランスを重視しようという風潮がありますが、自分の成長のためにはどこかで必死に頑張る経験も必要だと思います。その時期は、オンオフなど関係なく全てを仕事に注ぐべきだというのが私の考え。それは決して、1日中お客さまのところに行って営業をしろというわけではありません。例えば休日にディズニーランドに行った時に、キャストのおもてなしが素晴らしいから自分も仕事に取り入れてみようと考えたりすること。こうして常に仕事のことを考える時期が、成長する上では不可欠だと思います」
とはいえ、長時間労働問題が取り沙汰される昨今。渡邉氏は「働き方改革」自体を否定するつもりは毛頭ない。
「誤解してほしくないのは、闇雲に働けという話ではありません。国や企業が、働きやすい環境をつくり、人々を守るのは当然のこと。ただし、特に若い頃の基礎固めの時期には、バランスを気にしながら足腰を鍛えるのはなかなか難しいというのをお伝えしたいのです。若手時代にしっかりと基礎を固めておけば、その後は仕事にも慣れて自己調整できるようになりますから、そうしたら自分が理想とする働き方を実現していけば良いのではないでしょうか」
仕事は自己実現の手段。時間を切り売りする働き方は本質的ではない
渡邉氏が25歳の頃を思い返すと、体力的につらいと感じることもなかったわけではない。それでも、心の中はワクワクしていた。すべては自分自身の夢の実現のためだからだ。
「仕事とは、本来自己実現の手段なんです。だから、働いている時間も自分の大切な人生の一部だと思えるか。そう思える仕事しかしてはいけないと僕は思っています。ワークライフバランスの権利ばかりを主張する若手がいるとしたら、そういう人は会社に時間を搾取されているという感覚で働いているのではないでしょうか。自分の時間を切り売りするような働き方は、仕事の本質ではないと思います」
経営者を含め、多くのビジネスパーソンを見て来た渡邉氏は、成功するビジネスパーソンには明らかな共通点があるという。それは「欲の強さ」だ。彼らは「金持ちになりたい」「異性にモテたい」といった自分なりの欲を、まっすぐに追求している。
「僕自身、子どもの頃の貧しさから、最初は『家が欲しい』『良い車に乗りたい』という物欲に突き動かされていた。でも、自分の物欲に留まっていては、しょせんはその程度で終わってしまう。自分が豊かになったなら、社員も豊かにしたい、もっと世のため人のためになりたいなどと、どんどん欲が広がっていく人こそ、本当の成功者になれるのではないでしょうか」
その意味で「欲」とは、その人の純粋な「夢」と言っても良いのかもしれない。つらいことがあってもワクワクしながら頑張れるのは、それが自分の「夢」だからだ。
渡邉氏が理事長を務める学校法人郁文館夢学園では、「25歳で輝いている人材を育てる」ことをゴールにしている。とかく中・高一貫校は大学合格率で評価されがちだが、若者教育の目的は決してそこではない。
「自分の夢を持って、大学4年間はしっかり勉強する。それから社会人3年間みっちり基礎経験を積む。そして25歳から本当の人生を生きていってほしいですね」
世の中の仕組みを冷静に理解し、その中で自分がどのような役割を果たしたいのか。広い世界の中で自分を客観視しながら、素直にワクワクできることを追求していく。そのためには、若手時代に“必死に頑張る経験”が必要だ。
仕事は楽なことばかりではないだろう。だがそんな成長過程こそが、渡邉氏が考える「輝く人生を送る」第一歩になりそうだ。
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取材・文/瀬戸友子 撮影/桑原美樹
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