「俺にとっての成功は、チェ・ゲバラみたいに死ぬことだ」暴走族『鉈出殺殺~なたでここ~』総長から農業実業家になった男が語る“ぶっちぎり”営業論
現在、農業生産法人ベジフルファームの代表を務め、農業革命に燃える実業家としてメディアに取り上げられ、名を馳せる田中健二氏。
しかし、若かりし頃は、千葉県の超狭小エリアを席巻した暴走族『鉈出殺殺~なたでここ~』の初代総長。先輩から渡されたパーティー券を売りさばく高校時代。ドリフト(高速蛇行運転)にハマり、警察と追い掛けっこをする日々を送っていた。
なぜ田中氏は、暴走族という反社会的な若手時代を過ごしながら、実業家として成功を収めることができたのだろうか。見事な“成り上がり”を果たした田中氏から、成功者のマインドを学んでみよう。
「良い車に乗りたいし、もっと遊びたい」素直な欲望がヤンキー少年を突き動かした
「正直、ここでは言えないような悪事も多く働きました。当時のことは本当に反省しているんですよ……」とばつが悪そうに語る田中氏。
高校時代の彼は、絵に描いたようなヤンキー少年。暴走族チーム『鉈出殺殺~なたでここ~』を結成し、同じく千葉県の暴走族『犯那殺多(ぱんなこった)』と激しい抗争を繰り返していたという。まるで漫画のような学生生活だ。
“典型的ヤンキー”の例に漏れず、勉強はできなかった。一時は当時の恋人に影響されて専門学校への進学を考えたが、教師に反対されあっさり断念。将来はボクシングのプロになるか、音楽好きを活かしてDJになるか……という道も考えたが、どれもピンとこない。結局、彼の父が営む青果市場の運営会社への就職を決めた。
「かっこいいバイクや良い車に乗りたいし、友達とも思い切り遊びたい。当時は物欲の塊だったんですよ。だから高校を卒業して就職しても、とにかくお金が欲しくてガムシャラに働いていました」
田中氏が入社後に担当したのは、農家から野菜を仕入れ市場で売りに出す仲卸業。結果を出した分だけ給与に反映されるシステムだったため、「頑張った分だけ稼げる」という分かりやすさが面白く、どんどん仕事にのめり込んでいったという。
「どうすれば成果が出るのかを考え、工夫すればするほど収入は上がった。すぐに月収40~50万円は稼ぐようになりました。その時は給料のほとんどを車の改造費・ガソリン代と飲み代に使っていましたけどね(笑)」
閉鎖的な雰囲気が強い業界で、見知らぬ業者に警戒する農家は多い。しかし田中氏は暴走族時代に培ったカリスマ的な人当たりの良さと、「稼ぎたい」欲の強さで活躍を続けた。もっともっと稼ぎたい。そう渇望する田中氏が思いついた策が、“自ら営業活動”をすることだ。
「もっと売りたいと思うんですけど、市場の仲卸は『買いに来る人を待っているだけ』の販売業だったので、売上げに限界があるんですよ。それなら自分から外に売りに出ればもっと稼げると思ったんです」
当時、会社には営業部がなかった。それでも「やってみないと分からないから」と、近場の食品会社へと青果の売り込みに向かうことを決めた。そこで彼の営業人生はスタートするのだ。
「バカだから、恥ずかしいことなんて何もない」何事も“ド直球に頂点を目指す”ことが結果を生む
「営業をやったことがなかったので、手順やノウハウなんて何も知らなかったんです。だからいきなり食品会社に行って『うちの野菜、買いませんか?』と聞いてみました。そしたら担当者に『営業資料とかはないんですか?』って驚かれて。そこで営業には資料が必要なんだって初めて知りました。どんな資料があればいいのかも分からなかったので、『よく知らないんで、他社はどうしているのか教えてくれませんか?』って聞いたんですよ(笑)。そしたら意外と担当者が親切に教えてくれて。その後もお客さまに聞かれたことを行き当たりばったりで用意していくうちに、何とか営業の形ができるようになりました。思ったとおり、売上は上がりましたね」
飛び込み営業を躊躇してしまう人が多い中、なぜそのような「行き当たりばったり」な行動ができたのだろうか。
「俺はもともとヤンキーでバカだった。だから営業のことなんて分からなくて当然だし、それなら知ってる人に聞けばいいじゃんって思ったんですよね。そうすればちゃんとできるようになりますから、いらないプライドは持ちません。
あとは、暴走族時代に先輩たちから『このパーティー券売ってこい』って半ばむりやり営業みたいなことをやらされていた経験が活きたかな(笑)。先輩が開催するよく分からないパーティーのチケットを、あり得ないノルマで売らなきゃいけない。知り合いにお願いするだけじゃ賄えない枚数ですよ。だからいろんなツテを使ったり、通行人に話しかけて売りさばいてきた。そのおかげで、モノを売ることには自信があったんですよね」
田中氏の営業マンとしての強さはその“折れない心”にもある。
「営業中に挫折したりモチベーションが下がるということがなかったんです。なぜかというと、『タイムカード押した瞬間から、俺は営業マン』と決めていたから。プロなんだったら、苦手なんて言っちゃあダメでしょう。そう思えば、恥ずかしいことなんて何もないし、断られるのが嫌だとかも思わないんですよ」
会社唯一の営業部員として、順調に輝かしい実績をあげていく田中氏。しかし営業マンとして“外の世界”を見ていくうちに、彼の価値観に変化が訪れる。
「俺がいくら商品を売りたくても、生産者が農産物を育ててくれなければ売るものがないでしょう。どんなにいい銃を持ってても、弾がなければ一発も打てないのと同じです。弾がどんどん減っているのに、銃を磨いてる場合じゃねぇぞと危機感を感じていました」
そこで田中氏は営業マンのネクストステージとして、流通業から生産の立場へ進出することを決意した。知り合いの農家から小松菜づくりを学び、社内ベンチャーとして畑を用意。2012年4月に生産法人ベジフルファームを設立した。
「売り先はいくらでも知っているから販路は十分に確保出来る。無いのは野菜だけ。今まで培ってきた販売ノウハウに生産をプラスすれば、完璧なサイクルが出来上がります。無敵だと思いましたね(笑)。もちろんまだまだ発展途上ですから、これからも頑張らなきゃいけないですけど」
幸せなキャリアを掴みたいなら、「成功の方向性」を変えること
どん底の暴走族時代から、トップ営業マン、そして社会的に価値の大きな事業を手掛ける実業家へ。まさに‟リベンジキャリア”を果たしている最中の田中氏。彼が考える「成功の秘訣」とは何なのか。
「まずは何があれば仕事人生が成功したと言えるのか、というのを自分自身が決めること。例えば俺にとっての成功は、チェ・ゲバラみたいに『疲れ果てて、やりきったと思って死ぬ』人生を送ることなんですよね。だから無駄に金持ちになろうとも思わないけど、後悔だけはしたくない。そういう成功の基準を持っていたら、次にどんな行動をすればいいのかが分かってきます。
営業マンだって、営業成績や年収だけが成功の全てじゃないでしょう。もし『年収が低いから、私は成功していない』と思って塞ぎ込んでいる営業マンがいるとしたら、成功の方向性を変えればいいだけだと思います。幸せな人生を送りたいと思ったら、世の中の常識なんか気にせずに自分自身が決めた成功に向けて突き進めばいいんじゃないかな」
いつでも「自分が納得しているかどうか」を判断軸に人生を歩んできた田中氏。他人からどう思われようと、自分の軸はぶらさずにそれぞれの成功へと進んでいけばいい。自分のキャリアをまっすぐな目で語る田中氏の姿が、そのことを証明してくれている。
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取材・文・撮影/大室倫子(編集部)
田中 健二(著)
元ヤン人員募集――1本の広告からいろいろな仲間たちが集まった。
仲間を大切にする、根性が据わっている、自分で農機を改造できる――これらはヤンキー経験があったからこそできること。
試行錯誤しながら農業に奮闘する元ヤン社長と仲間たちの、掟破りの物語。
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