株式会社MiL 代表取締役社長 CEO 杉岡侑也さん1991年、大阪府生まれ。高校卒業後5年間のフリーター生活を送り、23歳でIT系企業に入社。約1年勤めた後、2016年にBeyond Cafe、18年にZERO TALENTを起業。同年、妻とシェフの三人で、フード×ヘルスケアスタートアップMiLを創業し、現職
不登校・高卒・元フリーターから連続起業家へ。MiL杉岡侑也の信条「挑戦するなら、リスクを知って怖くなる前に」
どこで何を学んだかという「学歴」、どんな企業でどんな仕事をしてきたかという「職歴」──。
新しいことにチャレンジしたいと思った時、目の前に立ちはだかる「経歴」の壁。しかしその壁は、他の誰でもない自分が勝手につくり上げているものかもしれない。
そう思わせてくれるのが、20代で3社の起業を経験し、現在はフード・ヘルスケア事業を展開するMiLの代表を務める連続起業家の杉岡侑也さんだ。
杉岡さんが2018年に創業したMiLは、素材・味・栄養にこだわったベビーフード『Mi+(現在のthe kindest)』を19年にローンチし、発売開始から累計170万食を突破。21年には3.4億円の資金調達に成功し、社外取締役に元陸上選手で実業家の為末大さんを迎えるなど、急成長を遂げている。
起業家として着実に実力をつけつつある杉岡さんだが、過去の経歴を聞くと、「最終学歴は高卒」「フリーター歴5年」だというから驚きだ。なぜ、そこから連続起業家としてのキャリアに舵を切ることができたのか。杉岡さんの転機について聞いた。
不登校だった高校時代、大学受験に失敗……流れるままにフリーターへ
ーー今では連続起業家となった杉岡さんですが、最終学歴は「高卒」だとか。まずは学生の頃のお話から聞かせてください。
もともと学校が苦手で、高二くらいから不登校になりつつありました。
興味の対象や学ぶスピードは人それぞれなのに、学校ではカリキュラムが決まっていますよね。それに合わせて生活する日々にストレスを感じていたんです。
そんな自分を見かねた両親が、「何かが変わるきっかけになれば」と、海外留学に行かせてくれました。外国人の友人との交流を通じて、「自分の興味を素直に追求していいんだ!」と衝撃を受けたのを覚えています。
日本の高校で「当たり前」と思い込んでいたことが、いかに「当たり前」ではなかったかを痛感したことで、不登校に拍車がかかってしまいました。
結果、勉強にも身が入らず、大学受験は撃沈。今となっては、どの大学が第一希望だったかもあまり覚えていないくらいです。
ーー悩みの多い高校時代だったのですね。学校の外で興味の持てることはなかったのでしょうか?
高校時代からアルバイトは熱心にしていました。「自分で何かを決められる」ことが楽しかったんだと思います。
アルバイトなら、「次はどこで働くか」「週何日入るのか」を自分で決められますよね。しかも、自分のしたことが世の中の役に立って、自分にも返ってくるものがある。アルバイトを通じて、自分と世の中が交わっているのを感じられたこともうれしかったです。
その後、大学受験に失敗してからもひたすらアルバイトをする生活を送っていました。
ーー学校卒業後、就職も浪人もせずにフリーターになる道を選んだのはなぜですか?
フリーターの道を選んだと言うよりも、結果的にそうなったという方が近いかもしれません。
大学受験って「求められている答えを出す」ことで競う世界だと思うのですが、どうも興味が持てなくて。その延長線上に大学生活があると思うと、浪人してまで進学したいという気持ちにはなりませんでした。
もちろん、進学しないことに不安がなかったわけではありません。でも、大学に行かない選択をしたからには、何としてもこの道を正解にしたいという強い気持ちはありました。
ーーそこから始まる5年間のフリーター生活は、どのように過ごしたのですか?
飲食店のホールやパチンコ台の設置、スイミングスクールのインストラクターなど、さまざまな仕事を経験しましたね。
アメリカやフィリピン、マレーシア、シンガポールなどの海外にも行き、各国で働きました。5年間で経験したアルバイトの数は50を超えます。
ーー海外でもアルバイトをしていたんですね。きっと、その経験から学んだこともたくさんありますよね。
はい、そう思います。この5年間を一言で言い表すと「意思決定の連続」でした。
どんなに小さなことでも自分の意志で決め続けてきたことによって、意思決定のセンスは着実に磨かれたように思います。
それに、自分がどんな仕事に最もやりがいを感じるのかも知ることができました。
私の場合、「不確実性の高い仕事」にやりがいを感じるんです。中でも、子どもの成長に関わるスイミングスクールのインストラクターの仕事は最も不確実性が高く、最も面白い仕事の一つでした。
ーー当時、フリーターである自分に対する世間の目が気になることはありませんでしたか?
ありましたね。人の目が気になって落ち込んでしまったり、「このままで大丈夫なのかな?」と不安になったり。そんな繊細な自分も、ずっと心の中にいました。
自分の成長は実感しつつも、複雑な気持ちを抱えながら過ごしていたと思います。
「起業する」という選択は、アルバイト先を選ぶのと同じ感覚だった
ーーその後、どのような経緯で起業という選択に至ったのでしょう?
フリーター生活も5年が経とうとしていた23歳の頃、高校時代の同級生がとある会社でインターンをしているのを知って、「自分もそろそろ次のステージに進もう」と思いIT企業に就職しました。
そこから起業を決めたのは、入社一年目の終わりです。私はその会社で働くことが楽しかったのですが、世の中には「働くことが楽しくない」と思っている人の方が多いんですよね。
つり革を持ってうなだれている社会人なんて、正直フィクションの世界の話だと思っていたのに、通勤電車で「本当にいるんだ」と知ってショックを受けました。
働きたくないと思っている人たちが大勢いることに気付いてから、「この人たちがポジティブに働けるようになるために、自分のできることをしたい」と思うようになって。結果的に、それが起業へとつながりました。
その時に立ち上げたのが、大学生向けに自分のキャリアと人生について考えるきっかけとなるような場所を提供する事業を行うBeyond Cafeです。
ーー起業に際して不安はなかったのでしょうか?
なかったですね。「自分がやることを自分で選択する」という意味では、起業はアルバイト先を選ぶのとあまり変わりませんでした。
そもそも不安って、何が怖いかを知らなければ感じないものだと思います。当時は「不安になる」というレベルにすら至っていなかったのでしょう。
ただ、起業した後、父親に「お前は人(共同創業者や社員)の人生にまで責任を持たないといけない」と言われた時は、さすがに鳥肌が立ちました。
自分は大きな意思決定をしてしまったんだと気付かされた瞬間でしたね。
ーーそれでも、会社経営を続けられているのはなぜだと思いますか?
やっぱり私は「複雑性の高い領域でチャレンジすること」と「自分で意思決定をすること」の二つが大好きなんです。それを思う存分できるのが、起業家という職業だからだと思います。
もちろん不安やストレスは、最初に起業してから8年間の間でずっと大きくなり続けています。その一方で、起業家の醍醐味も同じぐらい大きくなり続けているのでバランスが保たれているんです。
リスクを考えだす前に「まず挑戦」を繰り返す
ーーもともとはキャリア支援事業で起業した杉岡さんですが、現在はMiLでフード・ヘルスケア事業を手掛けていらっしゃいますよね。どのような軸で事業領域を選定してきたのでしょうか?
おっしゃる通り、最初に起業したBeyound Cafeは大学生のキャリア支援を行う会社でした。
続いて立ち上げたのがZERO TALENTも、1社目と同じくキャリア支援を行う会社です。世間の高卒者が置かれている厳しい環境を変える一助になりたいという思いから、サービスの対象を非大卒者に絞りました。
そして3社目が、今も私が代表を務めているMiL。現在、起業から5年目です。
MiLを始めたのは、1社目、2社目の経営を通じて、「何においても、土台となるのは心身の健康である」という結論に行き着いたから。
個人の心身を良くすることで、社会そのものがより良い状態になっていくようなウェルビーイングを実現したいと考えたことが設立の背景です。
ーー取り組む事業を変えることも、生き方を変えること同様に勇気がいりますよね。
そうですね。でも、「リスクを知って怖くなる前にスタートする」を続けてきたから、チャレンジできたのかなと思います。
例えば、何かをやりたいと思った時、それが困難であればあるほど事前にいろいろと調べますよね。その結果、多くの人はやる前から知ったふうになり、不安を膨らませてしまうから、やらないまま終わってしまうじゃないですか。
でも、過去の経験を思い起こすと、自分で選んでやりだしたことだったら、結局どうなっても後悔はしないんですよね。海外を渡り歩いて続けたアルバイト生活がまさにそれでした。
だからこそ、あれこれとリスクを考える前に「やりたいことに挑戦しよう」と思えたんです。
ーーリスクは挙げだしたらきりがないですからね。それでは何も始まらない、と。
はい。そして、後先のことをじっくり考えずに「まずやってみる」という経験は、若いうちにどんどん積めるといいですよね。
私は起業のために初めて銀行に行った時、口座残高が5万円しかなかったんです。銀行の人から「杉岡さんがまだ24歳でよかったです。もし28歳だったら、その残高では厳しいのでは? とお帰りいただいていたかもしれません」と言われたことがあります。
この時、若者って最強だなって思ったんですよ。世間からの期待値の低さが逆に武器になる。時間がたつにつれて、越えないといけないハードルやリスクはどんどん上がっていきますからね。
それだったら、賢く器用にやろうとする前に、やりたいことをやってしまえばいいんです。20代のうちにそうやってチャレンジした方が、ハードルは越えやすいし、つまずいた時の痛みも小さくて済みますから。
少なくとも今の自分があるのは、リスクを知って身動きが取れなくなる前に「まず挑戦」し続けてきた10代、20代があるからだと思っています。
取材・文/一本麻衣 編集/秋元 祐香里(編集部)
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