渋沢栄一『論語と算盤』はなぜビジネスマンに読み継がれるのか?
渋沢栄一は日本の近代資本主義の父とされる人物で、六百社近くの創業に関与している彼の思想は、日本企業の原点とも言える。大正五(1916)年に刊行された『論語と算盤』が、今なお多くの経営者や起業家に読み継がれているのか。現代にも通じる「道徳と経済」の考え方を学べる一冊。
タイトル:論語と算盤 モラルと起業家精神
著者:渋沢 栄一、道添 進編訳
ページ数:296ページ
出版社:日本能率協会マネジメントセンター
定価:1,728円
出版日:2017年3月30日
Book Review
本書は渋沢栄一の名著『論語と算盤』に気軽に親しんでもらうために編まれたものである。第一部では『論語と算盤』が書かれた背景、渋沢の人生や思想が解説されている。第二部では『論語と算盤』の現代語での抄訳を収め、第三部では同書のエッセンスを「渋沢栄一のビジネスマインド」として提示する。
『論語と算盤』は、大正五(1916)年に刊行された。著者の渋沢は、日本の近代資本主義の父として知られる人物だ。六百社近くの起業に関与し、実業の側から近代日本を作ってきた一人である。論語は、孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものだ。渋沢は論語を、実業を行う上での規範とした。出世や金儲け一辺倒になりがちな資本主義の世の中を、論語に裏打ちされた商業道徳で律する。そして公や他者を優先することで、豊かな社会を築く。これが、渋沢が積み上げてきた思想だ。
論語と算盤というと、異質なものの取り合わせのように見える。だが、渋沢によれば、論語は朱子学として伝承されるうちに解釈を歪められ、富や地位と道徳は両立しないとする思想だと考えられるようになったという。しかし、こうした旧来の論語の解釈に疑問を抱いた渋沢は、道徳と経済の合一説を説いた。『論語と算盤』は論語の解釈の更新でもあったのだ。
渋沢は明治という激動の時代に未来志向で生き、大きな仕事を成した。彼の物事の捉え方に触れれば、日々の仕事においても、これまでとは違った景色が見えてくるかも知れない。時代を超えて読み継がれる名著には、読むたびに新しい発見があるはずだ。
名著『論語と算盤』とは
時代を超えて読み継がれる本
この本を初めて手にする読者は、何となく既視感を抱くかもしれない。というのも、近代資本主義の父といわれる渋沢栄一(以下、渋沢)が設立に関与した会社は、六百社近い。その流れをくむ会社が読者の職場かもしれない。だから、社訓などを通じて渋沢の思想に触れている可能性は高い。また、京セラ創業者の稲盛和夫氏など、影響力のある経済人が『論語と算盤』の影響を受け、その思想の伝道者となっている。
本書の大きな主張は二つある。一つは、道義を伴った利益を追求せよというものだ。そしてもう一つは、自分より他人を優先し、公益を第一にせよ、という主張である。要は、金儲けをすることと、世の中に尽くすことを両立しなさい、というわけである。
こうした考え方は、日本企業に広く浸透したものでもある。企業理念に「社会やお客様と共に」といった文言を盛り込んでいる企業は多い。こうした言葉の源流をたどると、『論語と算盤』に行き着く可能性が高い。
日本企業の強さは『論語と算盤』の延長線上にあったといえる。『論語と算盤』は、日本の経済人にとって、迷った時や先が見えない時に立ち返るべき原点なのだ。ガバナンスもコンプライアンスも突き詰めれば、『論語と算盤』で主張される「道義の伴った利益の追求」ということになる。こうした重要な教えが詰まった本書は、今後も長く読み継がれることだろう。
『論語と算盤』の誕生した時代
渋沢は、事業の第一線を退いた明治30年代から、堰を切ったように自らの経営思想を語り始めた。『論語と算盤』は、彼の思索の集大成として、大正五(1916)年に出版された。この本の思想は、論語の精神で、人が本来持っているやる気や成長を促し、経済を持続的に活性化させようというものだ。
この本が書かれた大正の初めは、どんな時代だったのか。当時、社会全体がバブル期に突入し、とりわけ若い世代では立身出世、金儲けの風潮が蔓延していた。儒教の倫理観は、時代遅れだとして、隅に追いやられていた。
一方で大正期は、激動の明治が過ぎて、その余韻が収まろうとしていた時代でもあった。先進国の仲間入りを果たしたという安堵感もあっただろう。そして目標を喪失し、現状に甘んじるようになっていた。志ある名士たちは、こうした風潮を諫めようと声をあげた。その一つが『論語と算盤』だった。
渋沢は本だけでなく、あらゆる機会を捉えては、「道徳経済合一説」を唱えた。経済界の人々を前に話すときはもちろん、幼稚園で子供たちに語る時でさえ、最後はこの話になったという。もしも渋沢が今の時代に生きていたら、きっと同じことを語っただろう。本を書いた頃とよく似たこの時代をみて叱咤激励したにちがいない。
渋沢栄一の人生
渋沢は、アヘン戦争の勃発した1840年に生まれ、満州事変の起こった1931年に没した。彼の生きた時代はまさに東アジアの激動の時代だった。
彼の一生は、大きく五つの時代に分けて捉えられる。郷里の村落で過ごした江戸後期の幼少時代、尊王攘夷運動に加わっていた幕末の青年時代、徳川家に随行し、渡仏して大政奉還に直面した時代、大蔵官僚時代、そして実業家時代だ。
幼少期には、理不尽な身分制の下、村人たちのために苦労する父母を見て、公共心や利他心を育んだ。渡仏中には、ヨーロッパの近代を目の当たりにし、産業や経済発展の重要性を痛感した。そして帰国後、渋沢は静岡に商法会所を設立する。これが日本最初の株式会社といわれている。
若く有望な渋沢を見込んで、官界へ引き入れたのは大隈重信だった。だが渋沢は、明治六(1873)年、大蔵省を退官し下野する。豊かな国をつくるために、自ら率先して起業し、産業を興そうと決心したのだ。これが渋沢にとって本当の「立志」だった。
それからの仕事ぶりは驚嘆すべきものだ。まず、第一銀行の総監に就任し、投資を呼び込んで、民間企業を次々と設立した。その分野は、金融、物流、製造、エネルギー、サービスと多方面に及んだ。福祉や教育事業にも積極的に取り組み、一橋大学などの創設にも尽力した。実業家時代の後半では、米国などを中心に民間外交にも携わった。こうした精力的な活動の後、渋沢は91歳でその生涯を閉じた。
処世と信条
論語と渋沢の特別な関係
ここからは『論語と算盤』の現代語抄訳のうち、「処世と信条」「仁義と富貴」の中から、ポイントを一部紹介する。
明治六年に渋沢が実業界に入ったときから、論語と渋沢の特別な関係が生まれたという。商売人になるには、わずかな利益を上げながら世渡りしなくてはならない、という覚悟を決めた。そして、そのための志はいかにあるべきかと考えたとき、渋沢の心に浮かんだのは、以前に習った論語のことだった。
論語には、自分のあり方を正しく整え、人と交わる際の日常の教えが書かれている。渋沢はこの論語を、商売の原則にしようと考えた。当時、商売に学問はいらない、むしろ害があるとさえ思われていた。だが、渋沢は、学問によって利殖を図っていかなくてはならないと確信していた。
当時、渋沢の同僚に玉乃世履(たまのよふみ)という、後年に初代大審院長となる人物がいた。渋沢と彼は親しい交流があった。勅任官への昇進も同時で、互いに将来の希望を抱いて邁進していた。玉乃は、渋沢が官職を辞して商人になると聞いたとき、それを惜しんで引き留めた。「卑しむべき金銭に目がくらみ、官僚をやめて商人になるとは見損なった」という言葉を渋沢に投げかけたという。
渋沢は論語の一説を引用しつつ、「私は論語で一生を貫いてみせる。なぜ金銭を扱う仕事が卑しいのか。君のように金銭を卑しむようでは、国家は成り立たない」と反論した。
それからというもの、論語を熟読しなくてはならなくなった渋沢は、あらゆる学者の講義を聞いて、論語の理解を深めていった。明らかになったのは、論語の教えは広く世間に効能があり、非常に実用的という点だった。
仁義と富貴
本当の利殖法とは
商業や工業の目的は利益を増やすことだ。しかし、自分さえよければ他はどうでもよいという考えで利益を追い求めたら、どうなるだろうか。孟子がいったように、「国を治めるには仁義があるのみ」「上から下まで利益ばかり求めると国が衰退する」などと非難されるにちがいない。
本当の利殖は、仁義や道徳に基づいていなければ決して長続きしない。誤解されがちだが、これは「欲を捨てて薄利で満足しなさい」ということではない。他人を思いやり、世の中に尽くそうとするのは素晴らしい。だが、私利私欲のために働くのも、俗世間ではごく自然な営みだ。
利益を追求することと、仁義や道徳を重んじることは、均衡がとれて初めて健全に機能する。中国の宋の時代には、仁義や道徳を唱えるばかりで、物事を発展させる考えが抜け落ちていたため、人間の活力が失われ国家は衰退した。逆に元の時代には、自分さえよければいいという利己主義が蔓延した。
事業を発展させたいという欲望は、常に持っておくべきものだ。しかしその欲望は、仁・義・徳という道理によって制御することが求められる。
孔子は利殖や富をどう考えたか
昔から儒学者たちは孔子を誤解してきた。その最たる例が、富や地位に関する観念だ。彼らの論語の解釈によれば、「仁義、王道」と「貨幣、富貴」の両者は相容れないという。
しかし、論語二十篇をくまなく探しても、そんな文言は一つも見当たらない。
孔子は、利殖の仕方について自説を述べているが、それは、孔子らしい反語のような言い回しであった。そのため、儒学者が完全に理解できず、間違った解釈が世の中に広まったのではないか。
孔子が述べた内容はこうだ。「道理に反して金や地位を得るくらいなら、貧しくて卑しいほうがましだ。もし正しい道理に則って得た金や地位なら、それは特に問題はない」。これを、「孔子は富や地位を嫌い、悪と見なしている」などと決めつけるのは、早合点というものだ。
孔子は決して、進んで貧乏せよと言っているのではない。正しい道を歩んで得た金や名声や地位ならば、孔子もまた自分から進んで手に入れようと考えたのだ。
金に罪はない
「論語と算盤とは一致すべきもの」というのが渋沢の持論だった。孔子も、道徳を教える際、経済についてもかなり注意を払っていた。論語はもちろん、四書の一つである『大学』では、財産を築く時の心がけが述べられている。
政治家だろうと一般人だろうと、金銭と無関係ではいられない。国を治めて安定に保つには道徳が必要だ。だから、経済と道徳を調和させなくてはならない。渋沢は一人の実業家として、経済と道徳を一致させることをめざしていた。洋の東西を問わず、昔は金銭を極端に卑しむ傾向があったようだ。アリストテレスにも「すべての商業は悪である」という言葉があるという。
たしかに人間には、金銭が絡むと欲望に惑わされやすいという弱点がある。特に道徳観念が未発達であるほど、こうした傾向は顕著になる。昔は人々の道徳観念が未熟だったので、ことさら金銭を卑しむ風潮が生まれたのではないか、と渋沢は考えていた。金銭によって謙譲や清廉といった美徳を傷つけられる人が多かったので、金銭に対する強い警戒心が生まれたのではないだろうか。
だが、今日の社会は昔に比べ大きく進歩し、一般の人々の人格も向上している。金銭の扱い方も改善され、利殖と道徳とがうまく両立する傾向にある。渋沢は、人々が金銭にまつわる災いに巻き込まれず、道徳心を磨き、金銭の価値を最大限に利用するよう努めることを願った。
一読の薦め
儒教と実業というテーマを議論の主軸としつつ、渋沢が『論語と算盤』で取り上げる話題は実に幅広い。人格をどのように磨けばいいのか、客観的人生観と主観的人生観の違い、道徳は進化するのか、合理的な経営とは何か、江戸時代と明治時代の教育の違いなど、ぜひ一読していただきたい内容ばかりだ。
何より本書の魅力は、全編を通して、誠実さをベースにしながらも、語り口にユーモアがあって楽しく読めることだろう。本書を枕頭や座右において、折にふれてページをめくってみてはいかがだろうか。
最後に、渋沢が『論語と算盤』の締めくくりで語った言葉を紹介したい。「道理とは、天にある太陽や月のように、いつも明るく輝いていて、決して曇ることはない。だから、道理と共に行動する者は必ず栄える」。
※当記事は株式会社フライヤーから提供されています。
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著者紹介
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渋沢 栄一 (しぶさわ えいいち)
1840(天保11)年~1931(昭和6)年。明治~昭和期の実業家、財界の指導者。武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に生まれ、幕末の青年期には討幕運動にも参加したが、のちに一橋家に仕え幕臣となる。1867(慶応3)年に渡欧して欧州の様々な知識を吸収し、明治維新の後に帰国して大蔵省に出仕。1873(明治6)年に大蔵省退官後は、第一国立銀行、王子製紙をはじめ多くの企業のほか、大学、病院、団体など600近くの様々な組織の立ち上げにかかわった。日本実業界に指導的役割を果たした経済近代化最大の功労者。
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道添 進(みちぞえ すすむ)
1958年生。文筆家、コピーライター。国内デザイン会社を経て、1983年から1992年まで米国の広告制作会社に勤務。帰国後、各国企業のブランド活動をテーマにした取材執筆をはじめ、大学案内等の制作に携わる。企業広報誌『學思』(日本能率協会マネジメントセンター)では、全国各地の藩校や私塾および世界各国の教育事情を取材し、江戸時代から現代に通じる教育、また世界と日本における人材教育、人づくりのあり方や比較研究など幅広い分野で活動を続けている。著書に『ブランド・デザイン』『企画書は見た目で勝負』(美術出版社)などがある。
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