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課題より先に「作りたい」があった/及川卓也と『Jasmine Tea』の挑戦【前編】

働き方

マイクロソフト、グーグルでプロダクトマネジャーやエンジニアリングマネジャーを歴任してきた及川卓也さん。さまざまな企業にアドバイザリーとして関わり、日本のITの底上げに貢献する一方で、2023年には自身が代表を務めるTablyとして『Jasmine Tea』という自社サービスをリリースした。

『Jasmine Tea』はプログラミング初学者向けの学習サービス。学習に最適化された独自の開発言語Jasmine Teaを使ってテキストプログラミングの基礎を学べる。主に中高生がビジュアルプログラミングからスムーズに移行できるよう、さまざまな配慮がなされている。

今回は及川さんのこの1年の挑戦から、新しいことに挑戦する際に必要なことを探る。前編では『Jasmine Tea』の開発に至った背景から。日本社会の現状に並々ならぬ課題意識を持つ及川さんだが、意外にも開発の起点はそことは違うところにあった。

プロフィール画像

Tably株式会社
代表取締役 Technology Enabler
及川 卓也さん(@takoratta

早稲田大学理工学部卒業、日本DECを経てMicrosoftに転職。Windowsの開発に携わり、その後Googleではプロダクトマネジメントとエンジニアリングマネジメントに従事。退職後はテクノロジーによる課題解決と価値創造で企業支援やプロダクト開発エンジニアリング組織づくりの作成支援を行うTably株式会社を設立。AdobeのExecutive Fellow、クライス&カンパニーの顧問も勤める

実装力こそがものづくりの本質

━━『Jasmine Tea』のリリースからちょうど1年が経ちます。及川さんのこの1年の挑戦を振り返ることで、新年度を迎え、新しいことに挑戦しようという人へのヒントをいただきたいと考えています。

とてもいい機会をいただき、ありがたく思います。ですが、実は皆さんの模範になるようなことはそんなにやれていないんです。むしろ反面教師的なところ、まだ苦戦しているところから何かしら感じ取ってもらえればと思います。

oikawa takuya

━━では、そもそもなぜ『Jasmine Tea』という新しいサービスを立ち上げようと思ったのか、その経緯や背景にある問題意識から聞かせてください。

それなりに偉そうに話せる所からスタートします。その後、ぶっちゃけそんなに高いビジョンを持ってスタートしたわけではないという話もします。

私はグーグルという外資系企業を辞めた後、スタートアップを経て、日本企業のお手伝いをするようになりました。その中で、日本の現状に対する強い危機意識を抱くようになりました

私自身はバブル崩壊直前くらいに社会人になった、いわゆる失われた10年、20年、30年の戦犯と言っていい世代です。自戒を込めて振り返ると、私が学生だった頃の日本のコンピュータ産業は、世界的に見てもかなり強かったです。

半導体全般に強かったし、NECのスーパーコンピュータが日米貿易摩擦の要因になったくらいでした。ところが、21世紀に入ると、急速に国際競争力を失っていきました。それと国力とをすぐに結びつけるのは乱暴かもしれませんが、強い相関があると思っています。

その間に各国、特に米国、ここ10年で言えば中国がITの威力に気付き、国としても民間企業としてもしっかりと投資することで産業力、ひいては国際競争力を高めていきました。

日本はその点で遅れをとってしまいました。これは著書『ソフトウエア・ファースト』でも書いたことですが、日本はIT、あるいはソフトウエアというものの本質を理解してこなかった。もしくは都合よく解釈してきました。

━━都合のいい解釈とは?

私はソフトウエアの本質は実装力、すなわちプログラミングのところにあると考えています。ですが日本では、プログラミングとは一定の教育を受けた人であれば誰でもできるようなことだと曲解されてきました。

それがゆえに上流工程・下流工程という名前で歪な分業体制が広がりました。実装の部分は下流、すなわち子請け・孫請けに任せておけばいいことになっています。

優秀な人間は仮にプログラミングからスタートしたとしても、そこに長く留まることはありません。SEになり、コンサルタントになりという道を辿るようになりました。「上流工程こそがすべてである」という間違った考え方があったように思います。

けれども、現実はそうではありません。グローバルで使われるようなソフトウエアを作ろうと思ったら、コンピュータサイエンスの知識を最大限に生かし切る必要があります。それが私のいたグーグルをはじめ、マイクロソフトやアマゾンなど、テクノロジーで世界を席巻している企業が行っていることです。

初学者向けの最適な学習環境がない

━━ソフトウエアの実装の部分を軽んじたことが、ひいては国力の低下につながっていると。

徐々にですが、日本企業もそのことに気付き始めています。社会人におけるリスキリングの流れなどは、その表れでしょう。あるいは、日本の一般の事業会社にも内製化を進める動きが増えました。

実装や設計をしっかり行える人材をグローバルで確保しようとしているのは、とてもいいことだと思います。私自身も、アドバイザリーという立場からそうしたことに関わってきました。

イメージ

ですが、まだまだ十分には進んでいない現状にあります。これをもっと加速するには、やはり社会に出る前の教育が必要です。そのように考えている時に、文科省が進める小中高校のプログラミング教育について、たまたま知る機会がありました。

さまざまな立場からプログラミング教育に関わる関係者と意見交換し、中学高校で使われる教科書も実際に入手して中身を見ました。素晴らしい取り組みである一方で、二つの課題があると感じました。

━━二つの課題というのは?

一つは、教えられる先生がいないことです。情報をしっかりと学んだ経験のある先生がそもそもいないですし、これは情報科目に限ったことではないですが、今の先生は忙しすぎて、兼務で教えようにも教えきれないという課題があります。そしてもう一つが『Jasmine Tea』につながるところ。プログラミング初学者に適した学習環境がないことが徐々に分かってきました。

一般に、初学者がプログラミングを学ぶのに適していると言われるのが、Scrachに代表されるビジュアルブロックプログラミングです。これ自体は問題ないのですが、そこから一歩進んで複雑なことをやろうとすると、問題が生じます。

中学高校で学ぶような内容、あるいはその先の大学、社会人になっても使える能力やスキルを身に付けようとするならば、やはりテキストプログラミングを学ぶ必要があります。

ところが、現状は学習に適したテキストプログラミング言語がありません。高校の教科書を見ると、用いられているのはJavaScriptかPython。あるいは、Excelとはっきりは書いていないのですが「表計算ソフトウエアにおける言語」ということで、ExcelのVBA(Visual Basic Application)が用いられています。

残念ながら、これらが最適とは言えません。そう考えるに至ったことで、われわれは初学者向けの学習に適した独自のプログラミング言語を開発し、それを用いた学習サービスを作ることにしました。長くなりましたが、これが『Jasmine Tea』開発の背景と経緯になります。

悪い意味のプロダクトアウトから始まった

━━非常に重要なお話だと思うのですが、それがもう一つの「高いビジョンを持ってスタートしたわけではない」というお話とどう接続するのでしょうか?

ここまで日本社会の課題を話してきましたが、もともとそれありきで開発を始めたわけではありません。

Tablyという会社では『Jasmine Tea』以前にもいくつかのプロダクトやサービスを作っていました。ですが、あまりうまくいかなかった。外には出さなかったり、無料の形で出したものの、そこまで大々的には広めなかったりということを数年間繰り返していました。その間は、先ほど触れたアドバイザリーサービスや研修事業を主な収益源としていました。

けれども、私はもともと外資系企業でプロダクト作りをやってきた人間です。人の会社のプロダクト作りをお手伝いすることにやりがいを感じながらも、自分自身も何かを作りたいとずっと思っていました

そして、同じように何かを作りたいという仲間を集めてもいました。その一人が、現在弊社のCTOを務める田中 洋一郎(@yoichiro)です。

われわれがプロダクトを作っては壊しを繰り返していたちょうどその時、彼は当時小学2年生の娘さんにプログラミングを教えようと試みていました。どうしたら学習がうまくいくだろうかと考え、いろいろと既存のサービスも試したといいます。そうした中から生まれたのが、後の『Jasmine Tea』につながるアイデアでした。

中高生 プログラミング学習の様子

プログラミングを学ぶことに関して、私と彼には共通の原体験があります。彼はファミリーコンピュータのファミリーベーシック、私はNECのPC-8801で、N88-BASICという、やはりBASICを用いてプログラミングを学びました。

雑誌に載っていたサンプルコードをひたすら写経のように打ち込み、動かなかったら目を皿のようにして打ち間違えた箇所を探しました。「ここを変えてみたらどういう動きをするだろう」「逆にこういう動きをさせるには何を変えればいいだろう」と試行錯誤する中で学んでいきました。

━━その世代のエンジニアの方からよく聞くエピソードです。

BASICはいろいろと問題がある言語ではあるのですが、初学者の学習には向いている可能性がある。二人に共通する原体験からは、こうしたいくつかの仮説が立ちました。なので、田中が最初に作ったのは、ファミリーベーシックの完全なるシミュレーション環境だったんです。古本屋でマニュアルを入手してきて昔の文法を思い出し、それをブラウザの中で再現することからスタートしました。

最初は彼が一人で隙間時間に作っていたのですが、並行して調査する中で「ビジュアルプログラミングの次」が欠けているのではないかという、先ほど話した教育現場の課題が見えてきました。

今作っているこれは、ひょっとして単に「マリオを動かせる」という以上の、価値あるものにできるのではないか。そのように考えたところから、会社の事業として本格的に作ってみようということになりました。

つまり、もともとは完全に「自分たちが作りたい」というところから始まったのです。私が普段多くの会社の人に偉そうに言っている「まずは顧客を理解し、顧客の課題から逆算して必要とされるものを作ろう」ということとは真逆の、いわば「悪い意味のプロダクトアウト」として始まっているんです。

人を巻き込み、自ら巻き込まれるビジョン

━━最初から大きなビジョンがあったわけではなく、自分たち自身の作りたいという衝動が、結果的に課題意識と合流したんですね。

後で詳しく触れることになると思いますが、『Jasmine Tea』は現状全くうまくいっていません。それでも迷いなく進めているのは、一つには、心底信じられるビジョン・ミッションを手にしたからです。

いろいろな場で『Jasmine Tea』というものを作っていますと言うと、興味を持ってくださる方がたくさんいます。そこから教科書会社の方ともご一緒できるようになりました。「こんなことをやりたいです」「業務委託でもいいからお手伝いさせてください」という人が現れたりもしました。結構巻き込み力は強いのではないかと思います。

これだけ皆さんに興味を持ってもらえるということは、可能性があるのではないか。そのような形で、逆に自分たちも自信を強くしているところがあります。

『Jasmine Tea』でのシューティングゲームプログラミング画面

『Jasmine Tea』でのシューティングゲームプログラミング画面

━━未知の領域に進むのに、やはり強いミッション・ビジョンは不可欠ですか。

新しいものをスタートする人はビジョナリーでなければなりません。ビジョナリーな人というのは、誤解を恐れずに言えば、詐欺師です。

悪いことをしない詐欺師。自分の思い通りにことが運んだならば、全ての人に良いインパクトを与えるのだ。そう人々に信じ込ませ、巻き込んでいかなければなりません。

そして大事なのは、そのビジョン・ミッションは、他ならぬ自分自身も巻き込まれるようなものでなければならないということです。心底自分もそれを信じていて、何がなんでも実現したいと思うようなものである必要がある。

思えば『Jasmine Tea』以前のわれわれのプロダクトが長続きしなかったのは、そこが足りなかったからなのかもしれません。自分たちが掲げた世界観に対して、心底心酔しきれなかったところがあったかと思います。

━━読者は必ずしもビジョン・ミッションを掲げる創業者ではありませんが、そうした立場でもできることはありますか?

そこは実は問題になりません。これは別の言い方をすると、いかに自分ごとにできるかということです。大企業の中にいると、ついつい上から言われたことを「仕事だから」という形だけでこなしてしまうのだと思います。

ですが、こういうものは自らが発起人であったり、サービスや事業のスタートメンバーであったりする必要はないのです。後から巻き込まれるのでもいい。それに心底共感したならば「最初からいた人間なんじゃないか?」と言われるくらいに、その魅力を語れるようになるはずなのです。

そういうメンバーが集まっている組織は、いい組織だと思います。個人としても、自主的にどんどんいろいろなことを考えて進めていけるようになると思います。

自分ごととしてやるには、トップからのメッセージをちゃんと咀嚼する必要があります。分からないのであれば聞き、自分なりの言葉で語れるようになる必要がある。そういうことをやっていったならば、もうその人は本当に「ファウンダーになっている」と言っていいと思います。

だから成功したサービスには「俺が〜〜の父だ」「俺が関わっていたよ」という人が多いのです。そういう人が多いサービスは強い。自ら「父だ」と思うくらいに、一人一人が自分ごと化して、与えられたミッションをこなしているのですからね。

>>>後編記事はこちら

取材・文/鈴木陸夫

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