転職、副業、フリーで独立……キャリアの選択肢は広がっているけれど、起業という選択肢にハードルの高さはまだ残る。では、DX全盛時代に起業のカタチはどう変わる? エンジニアが会社を興すことで得られるものは? エンジニア社長への取材を通して“起業研究”してみよう。
「仕事の不安と不満はトレードオフ」たった一人でメーカーを起業した、元音響エンジニアの覚悟
「今の世の中、『ビジネスを知っている人が強い』という雰囲気がありますが、本来は『作れる人間が強い』って思うんです」
そう語るのは、“持ち運べるホワイトボード”を展開するバタフライボード代表の福島英彦さんだ。
福島さんは、元々大手音響機器メーカーの日本ビクター、米BOSEにて11年間スピーカー開発に従事。マーケティング職に転身した際にバタフライボードのアイデアを発想し、約4年間の副業を経て、2017月に独立。たった一人でメーカーを起業した。
現在挑戦中のクラウドファンディングは7回目で、総調達額は8000万円超に上る。事業が拡大しても、商品開発から顧客対応まで、社員を雇わずに一人で対応し続けているというから驚きだ。
福島さんを副業から起業へと駆り立てたものは何なのか。また、一人メーカーはなぜ実現できるのか。
24年間の会社員生活を経験したからこそ語れる、「エンジニア起業」の価値について聞いた。
副業で乗り越えた「四つの壁」──お金、量産、配送、そして〇〇
もともと音響エンジニアを11年間やっていて、その後マーケティング職にキャリアチェンジしたんですが、エンジニア歴が長すぎて、人前で喋るのがめっちゃ下手だったんです(笑)
転職先には、外からきた僕をとにかく敵視する人もいて。僕の発言は全て否定されてしまうような状況でした。
どうしたものかな……と思い、ある時ホワイトボードを使って自分の考えを説明してみると、驚くほど議論が前に進みました。僕の人格ではなく、僕の書いたことに意見が集中するようになった。僕のコミュニケーションの課題は、ホワイトボードによって解決されたんです。
しかし、ホワイトボードは全ての部屋にあるわけではありません。そこでA4サイズの小さなホワイトボードを試作して持ち歩いてみると、これが非常に役に立った。このアイデアは、自分のように喋るのが苦手なエンジニアなどにきっと刺さる。商品にしたら絶対にいける、という直感がありましたね。
大きく三つの壁がありました。
一つ目は、「お金の壁」です。まだ信用のない状態で工場にものを作ってもらうためにはお金が必要だったので、クラウドファンディングに挑戦しました。
初回のプロジェクトでは目標金額の800%を超える金額の支援をいただけたので、お金の壁はクリアできたのですが、その次に立ちはだかったのが「量産の壁」です。
テープ貼りの試作品を工場に持っていくと、工場から「こんな構造で作れるわけない」と言われてしまいました。量産するためには、もっとシンプルで作りやすい構造にする必要があったんですね。
そこで考え付いたのが、マグネットを活用する方法です。ここで、エンジニア時代にマグネットの研究をしていた経験が生かされました。
そして三つ目は、「配送の壁」です。初回のクラウドファンディングで800人近くの方にご購入いただいたのはいいものの、自力で配送するのはかなり大変でした。
海外への配送がうまくいかず、送料で赤字になってしまったことは数え切れません。今は倉庫とデータを連携し、住所の入力間違いなどは事前にチェックできる仕組みを整えています。
副業のスピードを自分でコントロールできたからだと思います。発売日などは自分で決められましたし、本業でトラブルがあった際には、副業を止めて本業に専念することもありました。
クラウドファンディングで集まるお金の桁が変わり、お客さまの規模がどんどん大きくなってくると、さすがに時間が足りなくなってきたんです。今までは2、3年かけて一つのプロダクトを開発してきたのですが、よりスピーディーにお客さまの意見を反映させようと思うと、副業として取れる時間には限度がありました。
ただ、歳が歳でしたから、勢いで会社を辞めるわけにはいきません。うまくフェードアウト&フェードインするために、起業の下準備は徹底的に行いましたね。
会社を辞めるタイミングは税理士さんと相談して決めました。それから、退職前に金融機関から融資を受けて、向こう一年はやっていけるお金を調達しました。これによって、独立前の最大の壁として立ちはだかっていた「妻の壁」を乗り越えられたんです(笑)
クラウドの進化が可能にした「一人メーカー」という選択
今はクラウドサービスが非常に優れているので、意外と「一人メーカー」は可能なんです。ECサイトの売り上げや銀行残高はリアルタイムで把握できますし、在庫の数や回転率、広告の配信実績といったデータも全てデジタルで取れるので、あとはそれを見て判断すればいいだけですから。
すごい時代ですよね。こうしたテクノロジーの進歩のおかげで、自分は開発やお客さまとのコミュニケーションに集中できています。
もちろん会社を去るときは不安でしたし、不安は未だにありますよ? 先ほど言ったように、いつでも売り上げが見られてしまうので、スマホが手放せないんです。心配で夜中にも見てしまうほど。
ただ、会社員でいることと起業することは、「不安」と「不満」の二択でもあるのかなと思います。
会社員時代を振り返ってみると、「不安」はそんなになかったんです。ただ、「不満」はいっぱいありました。賞をいただいたり給料が上がったりしても、会社で働いている以上、100%自分のやりたいようにはできませんからね。
ところが起業すると、それが逆転します。今は全てを自分で決定できるので、「不満」はなくても、大きな「不安」がある。でも、この「不安」は、事業をうまく運営することによってどんどん小さくなっていくと思うんです。
はい。最近はBtoB事業を始めたので、既存のBtoC事業との両輪を回せるようになると、経営が安定して今の状況は改善していくと思っています。
企業へのライセンス提供です。昨年、アルバム製造を手掛けている企業さんから、「ホワイトボード同士をつなぐマグネットの特許技術を使いたい」というお話があり、もうすぐ商品化が実現します。
このご相談をいただいたときは、非常にうれしかったんです。自分のプロダクトが多くの人に使われるのはもちろんうれしいですが、技術そのものが業界を超えて広がっていくのは、エンジニアとして言葉にできない喜びがあります。今後もこのような技術転用を通じて、事業規模を拡大していきたいですね。
会社員時代に得たものは、会社の“外からの視点”で見えるようになる
もちろんです。僕の場合、今の活動のすべてに会社員時代の学びが生かされています。
特に、BOSEのものづくりに対する考え方からは、ずっと影響を受けています。BOSEの「常識を疑え」という哲学が自分の中にあったから、「大きくて重い」というホワイトボードの常識を覆すアイデアを生み出せた。
そして、「例え常識外れでも自分の課題を解決できるものを信じなさい」という教えを信じていたから、ここまで諦めずにこられたんです。
はい。でも、それを自覚したのは、副業を始めてからです。会社で得たものって、会社の中だけにいるとなかなか自覚できないのですが、一歩外に出てみると「こんなスキルやマインドを身に付けていたんだ!」と意外に気付くんですよね。
「ビジネスってシンプルなんだ」という発見ですね。大きな組織の中で働いていると、つい複雑に物事を考えてしまいがちですが、裸一貫でビジネスをやってみると、「要はものを作って売ればいいんだな」と、非常にシンプルに考えられるようになりました。副業で得た「一段上からビジネスを見る視点」は、本業にも生きましたね。
そうなんです。ちなみに、「一人メーカー」を始めてからは、お客さまとの距離が圧倒的に近くなりました。クレームを見ると心が痛くなることもいっぱいありますが、全てのお客さまの声に耳を傾けることが、次の進化につながると信じているんです。だから僕は、怒っているお客さまには直接電話するようにしています。
はい。全ての工程を自分でやっているので、お客さまに何を聞かれても答えられる自信があるんです。企業で働いていると分業制なので、答えられない質問はどうしてもあると思いますが、事業の全てを知り尽くしていれば、自信を持ってお客さまと向き合える。これは、「一人メーカー」の良さだなと実感しています。
起業に一番必要なのは本気度。「プロダクトを信じる力が周りを変える」
起業できるかどうかを試せる環境は今非常に整っているので、興味がある方はぜひやってみたらいいと思います。
もし身近な人に「こんなの売れるわけない」と言われたとしても、「それいいね」と思ってくれる人はどこかにいるものです。僕もそうでしたから。それに、クラウドファンディングで失敗したとしても、そもそも人に見られていないわけですから、何も気にする必要はありませんよ。
そうですね。ただ、本気度は必要です。周りを変えるのは、プロダクトを信じる力です。熱い想いを口にし続けなければ人には伝わりませんし、語れば語るほど、それに感動して協力してくれる人が現れるものです。
今の世の中、「ビジネスを知っている人が強い」という雰囲気がありますが、本来は「作れる人間が強い」って思うんです。作れない人が起業しようと思ったら、エンジニアを雇うところから始めなければいけませんから、事業の立ち上げはエンジニアの方が絶対にやりやすい。
後は、エンジニアがビジネスを学べばいいだけのこと。ハードルを感じてしまうかもしれませんが、ビジネスは「作って売る、それを繰り返すだけ」。非常にシンプルです。エンジニアだからこそ、副業・起業はやってみるべき。そう、強く思いますね。
取材・文/一本麻衣 編集/大室倫子
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