自らもエンジニアながら、3社の経営に携わっている竹内真氏をインタビュアーに迎え、注目のIT・Webサービスを展開する企業の技術トップにインタビュー。CTO同士の対話から、エンジニアがどのように「ビジネスを創ることのできる技術屋」へと進化すべきか、その思考・行動原則をあぶり出していく。
学生起業、事業売却、そして話題のスタートアップへ。モバイルコマース『Origami』のCTOを磨いたビジネスの現場
今回のCTO対談にご登場いただくのは、「次世代eコマース」と称される『Origami』で技術担当副社長を務める野澤貴氏。アプリ内でお気に入りのブランドやショップをフォローして、気に入った商品をワンタップで購入できるという、スマートフォン時代のECサービスとして各方面から注目を集めている。
注目を集めた理由の一つは、競合ひしめくECサービスの中で、独自のポジションを築こうとするビジネスディベロップメントにある。そんな同社の中で開発をけん引する野澤氏は、なぜ【ビジネス×開発】の両面でハイクオリティーな事業を構築できたのか。
技術者向けのコラボレーションツール『codebreak;』のリリースなどで、Origami同様ビジネス面でも脚光を浴びる新規サービスを展開するビズリーチCTOの竹内氏が迫った。
株式会社レイハウオリ 代表取締役 | 株式会社ビズリーチ・株式会社ルクサCTO
竹内 真氏
電気通信大学を卒業後、富士ソフトを経て、リクルートの共通化基盤やフレームワークの構築などを担当。並行してWeb開発会社レイハウオリを設立。その後、IT・Webスペシャリストのためのコラボサイト『codebreak;』などを運営するビズリーチ、国内最大級のタイムセールサイトを運営するルクサを創業、CTOに就任。The Seasar Foundationコミッターを務めるなどOSS活動も
株式会社Origami 技術担当副社長
野澤 貴氏
慶應義塾大学大学院在学中にIPAが主催する「未踏ソフトウェアプロジェクト」に採択された4名のメンバーが中心となり、2006年、モバイルアプリ開発基盤などを手掛けるネイキッドテクノロジーを創業。2011年、同社がミクシィの子会社になったことを受け、分析基盤作りなどに携わるように。翌2012年に退社し、Origami創業に参画。現職に就任
“チャット”でエンジニアリングに開眼
竹内 はじめまして。本日はよろしくお願いいたします。
野澤 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
竹内 まず野澤さんご自身について伺いたいのですが、プログラミングを始めたのはおいくつのころですか?
野澤 中学1年生くらいのころでした。インターネットとプログラミングを同時に始めて、掲示板やチャットを作ったのが最初です。
竹内 どうしてチャットだったんですか?
野澤 チャットを初めて経験した時の驚きですね。書き込んだ文字がすぐに相手の画面に表示されるじゃないですか。遠くにいても会話できることがうれしくて、僕も作りたいと思いました。
竹内 僕はそのころ大学1年だったのですが、同じことを感じていました。ちなみにIRC(Internet Relay Chat)はお使いでしたか?
野澤 はい。IRCはめちゃくちゃ楽しかったですね。チャット中、「中学生なんです」って言うと、わりとみんな絡んでくれてうれしかった思い出があります。
竹内 僕がIRCですごく思い出に残っているのが、世の中にはこんなにタイピングの速い人がいるんだという衝撃でしたね(笑)。
野澤 確かに(笑)。本当に考えられないくらい速い人がいましたよね。
「プログラマーで食っていく」と決めたのは中学生時代
竹内 ところで野澤さんが作ったチャットは、どこかからダウンロードしてカスタマイズされたんですか?
野澤 いいえ。あの時はPerlの本を読みながらフルスクラッチで作りました。
竹内 僕が最初に掲示板を作った時はKent Webさんのソースを読んでかなり勉強させてもらいましたが、野澤さんは当時どんなサイトを参考になさっていました?
野澤 僕は、ヤフーのチャットや掲示板を片っ端から読んで勉強した覚えがあります。あとは「とほほ」シリーズですね。あのサイトには何かとお世話になっていました。
竹内 「とほほ」(笑)! 当時はHTMLなら「とほほ」という感じでしたよね。インターネット黎明期から遊びでプログラミングを始めた僕らのような人はたいてい、そういうサイトにお世話になったんじゃないですか?
野澤 本当に。だけど、サイトの中の人たちが、今どこで何をやっているかって意外と知らない。いらっしゃったらお礼を言いたいですよ。
竹内 同感です(笑)。そのころはOSSなんて、今みたいに盛んじゃなかったので、プログラミングを学び始めたばかりの人にとって、技術やノウハウを公開してくれている人たちは大切な“拠りどころ”でしたよね。
野澤 ずいぶん助けられましたから、本当にありがたかったですよ。
竹内 そこから、本格的にコンピュータサイエンスの道に進まれるわけですけど、この道で仕事をしていこうと決められたのはいつですか?
野澤 プログラミングを始めた中学1年の時です。
竹内 相当早い段階で腹を決めていたんですね。
野澤 ええ。「将来プログラマーになるから」って、その当時から親にもそう言い続けていました。ただそのころは、業界の事情なんてよく分かってなかったので、プログラマーになるっていうことは「IBMみたいな大きな会社に入ること」なんだろうという程度のイメージしかなかったんですけどね。
就職活動で覆りかけた、プログラマーに対するイメージ
竹内 中学時代にプログラマーの道に進もうと決心され、大学院時代には学生ベンチャーを立ち上げも経験されていますよね。会社を作ろうと思われたきっかけを教えてもらえますか?
野澤 本当は就職しようかどうかでずいぶん悩んだんです。プログラマーになりたい気持ちは変わりませんでしたけど、就職活動中に見聞きしたものと、自分のイメージが違っていて。
竹内 どう違ったんですか?
野澤 僕にとってのプログラマーって、インターネット黎明期にWebを作った人たちのようなアグレッシブな人たちでしたが、企業の中ではどうやら「コーディングだけしかしない人」という位置付けになっていましたから。その先のキャリアにしてもプロジェクトマネジャーになる選択肢しか見えなかったし、本当にギリギリまで「僕がやりたい仕事は本当にこれなのかどうか」、判断できずにいました。
竹内 なるほど。理想と現実のギャップがあったんですね。
野澤 そうですね。就職活動をする前から、仲間とネイキッドテクノロジーを起業していたので、卒業後もここで働くか、早い段階で内定をもらっていたコンサルティング会社に進むかで悩んでいたんです。ただ子どものころからずっとプログラミングを続けてきましたから、エンジニアリングを捨てることはできませんでしたね。それでコンサルティング会社の内定を辞退し、卒業後もネイキッドテクノロジーで働くことに決めました。
竹内 起業された当時は、全員が学生だったわけですから、いろいろ大変だったんじゃないですか?
野澤 大変というか、何一つスムーズにいったことがなかった(笑)。
一同 笑
野澤 ただ、起業当時からインキュベーターとして支援をしてくれた、アーキタイプの中嶋さん(中嶋淳氏・同社の代表取締役)と出会えたことが僕らにとって幸運でした。当時、僕たちは「こういうモノを作りたい」、「こういう技術で作りたい」という議論はできても、じゃあそれをどういったサービスで、どうビジネスとして成り立たせるかという議論は全然できていませんでした。中嶋さんはそんな僕たちに、「仕事とは何か」というところから教えてくれたんです
竹内 作ることばかりに目を奪われていると、サービスとかビジネスが見えなくなってしまうことって、エンジニアにはよくありますからね。ちなみに、野澤さんが起業された当時、スタートアップに感じた魅力を教えてください。
野澤 やっぱりインターネット黎明期に見た衝撃ですよね。インターネットができたこと、それ自体が衝撃ですけど、これを作り上げた人たちの成功をリアルタイムで見せつけられているわけじゃないですか。彼らは世界を変えたし、僕はその世界にあこがれている。だから僕は、スタートアップに惹かれたんだと思います。
竹内 なるほど、あこがれですか。
野澤 そこだけは今も変わりませんね。
「このメンバーなら背中を預けられる」
竹内 その後、ミクシィに会社売却されたわけですが、それは皆さん一致で決められたのですか?
野澤 ネイキッドテクノロジーの社長だった朝倉(朝倉祐介氏。現ミクシィ代表取締役社長)やほかのメンバーと一緒に、売却以外のオプションも含めて議論しました。最終的には、当時作っていた携帯電話向けプラットフォームなどのサービスをミクシィと一緒にやるのが一番効率的だという結論になって、ミクシィにジョインすることにしたんです。
竹内 ちなみにミクシィさんではどんなことをされていたのでしょう?
野澤 もともと大学院でデータ分析を専攻していたこともあったので、ミクシィでは分析基盤作りや、その基盤をサービス改善にどう役立てるべきか施策を考えるポジションを担っていました。資料もたくさん作ったので、Excelの扱いは随分上手になったと思います(笑)。
一同 笑
竹内 それから1年後に、Origamiさんにご入社されたんですよね? ご入社のいきさつは?
野澤 Origamiの社長を務める康井(義貴氏)とは、彼がDCMというベンチャーキャピタルにいて、僕がネイキッドテクノロジーに在籍していたころから面識がありました。ある時、康井がDCMを辞めて起業したという話を聞きつけ、オフィスに遊びに行ったのがOrigamiに入社したきっかけです。
竹内 へー。
野澤 「こういうシステムを作りたいんだけど、どうすべき?」みたいな質問をよく受けていたので、アドバイザーのつもりでいたんですが、いつの間にか入社することになってしまいました(笑)。
竹内 巻き込み上手な方なんですね。
野澤 そうですね。スタートアップの経営者には欠かせない能力だと思います。
竹内 同感です。ところで、野澤さんはOrigamiのどこに魅力を感じられたんですか?
野澤 きちんとマーケットを見据えていたこと、そしてチームとして信頼できたことです。僕にとって、テクノロジー以外の面を彼らに託せるかどうかが重要でした。その点、康井はファイナンス出身なので資金調達はもちろん、人を引き寄せる力に期待できましたし、世界で戦えるメンバーが集まっていました。これなら「背中を預けられる」と思えたので加わることにしました。それに、こういうチャンスは狙ってもなかなか得られるものでもありませんからね。
竹内 仲間というのは重要です。ビズリーチの立ち上げ時も、お互いがお互いの背中を預け合っていたので、きっと同じような感じだったのでしょうね。
野澤 そうかもしれません。
「ビジネス×開発」の視点は、商売の現実が養ってくれた
竹内 野澤さんはビジネス全体を見ながらエンジニアリングをやられている人だと思いますが、一般的にそういうことができるエンジニアってとても少ないと思います。今まで野澤さんの周りには、同じような視点で働かれている方ってけっこういらしたんですか?
野澤 それほど多くはなかったと思います。僕の場合は、スタートアップの経営を通して、お金が尽きて会社が潰れるんじゃないかという経験を何度も味わいました。そういう状況はかなり辛いものなので、できるだけそうならないように、ビジネスとエンジニアリングの両軸で仕事をしてきたつもりです。でも、大企業に入ったエンジニアなら、普通はそんなこと考えませんよね。
竹内 そうですね。
野澤 自分が恵まれた環境に身を置いているってことにさえ気が付きませんし、自分で意識して行動しない限り、エンジニアリング以外の経験を積むのは難しいものなんですよ。
竹内 やはりOrigamiさんのエンジニアには、やはりビジネス的な視点も要求されますか?
野澤 ビジネス視点を持つエンジニアも必要ですし、技術にのめり込んでいくエンジニアも必要だと思っています。小さいころからコンピュータサイエンスが好きで学んできた人には、信頼してエンジニアリングをお任せできますし、一方でエンジニアリングとビジネスサイドの架け橋になれるような思考パターンの人も組織には必要です。エンジニアみんながビジネス視点を持たないと組織が回らないわけじゃないので、要所、要所にそれぞれの得意分野を持ったエンジニアがいてくれるとうれしいですね。
竹内 役割分担でチームを構成するイメージですね。
野澤 そうです。とは言え、そもそも日本のエンジニアの中で、ビジネスとの架け橋になれるような思考を身に付けられる確率ってすごく低いように感じます。そう思いませんか?
竹内 本当にそう感じます。僕の場合、実家が飲食店なので小さいころから商売の感覚を養えましたが、何かしらそういう経験がないと両方の視点を自然に身に付けるのってけっこう難しいかもしれないですね。
野澤 ただ、最近はスタートアップが増えているので、けっこうエグイ体験をした人は増えているかもしれません(笑)。
竹内 そうですね(笑)。実は僕らの会社では、自分たちで何かをやろうとしたけど上手くいかなかった人や、何かしら挫折を味わった人を採用することが多いんです。ないない尽くしの環境の中で仕事をしてきた人が、ある程度の組織に成長した会社に入ると、社内に背中を預けられる人がたくさんいることに感動してくれるんですよ。
野澤 それはよく分かります。竹内さんの会社ではエンジニアはどんな役割を担う位置付けなんですか?
竹内 実はビズリーチのエンジニアは、全員「グロースエンジニア」って肩書きがついているんですよ。
野澤 へー!
竹内 新しいことを始める時は、何の数字が上がるのか、もしくは何の数字が下がるのか、という会話から始めるんです。事業を作るための視点を全員が持つためのマネジメントをしています。
野澤 それってすごくいいですね。エンジニアと事業を見ている人のコミュニケーションの乖離ってどうしても発生するじゃないですか。エンジニアが作りたいモノと、事業を見ている人が作りたいモノって違っていたりする。両者が常に同じ目線でいられるなら、組織として強いと思います。
竹内 エンジニアとしての喜びとビジネスの喜びって別物ですから、そう簡単じゃないですけれどね。
野澤 確かに。僕もコーディングをすると即効でエンジニアの脳みそに戻っちゃうので、脳みそをマネジメントに切り替えなきゃならないときは、しばらくホワイトボードを眺めるようにしています(笑)。
竹内 それ分かります! 僕も昔は、切り替えが不十分なときにミーティングがあるとよくイライラしていました。慣れるにしたがって、切り替え速度はだんだん早くなりますけど、作る側とマネージする側の狭間の悩みは、今もなかなか尽きませんね。
エンジニアリングを手放すことの難しさと葛藤
竹内 ちょっと話が変わりますが、僕はエンジニアを長年続けてきて一番難しかったのは、ほかの人に仕事を渡すことでした。物理的にこなせないくらいの仕事を抱えていても、「これは頼みたくない」ということが多々あって。野澤さんはいかがですか?
野澤 それは現在進行形で感じていることですね。僕より優れた人にお願いしたほうが確実だし楽だけど、エンジニアとしては仕事を手放したくない。得意分野まで誰かに渡してしまうと、自分の存在価値って何だろうって思ってしまうんですよ。だけど、会社全体のことを考えたら僕がボトルネックになるわけにはいきません。精神的な葛藤はあっても、なるべく自分の中で消化するようにしています。
竹内 実は、僕には今でも人に渡さない仕事が一つだけあるんです。
野澤 どんな仕事ですか?
竹内 HTMLのテンプレート作りです。HTMLってエンジニアとデザイナーの狭間にあるせいか、ものすごく得意だという人がとても少ないですよね。良いものを作っておけばあとは間違いも起こらないから「ここだけは自分にやらせろ」って言っているんですよ。
野澤 CTOになっても、そういうマインドを持ち続けるのは大事なことですよね。
竹内 そうなんです。もちろんこの仕事を手放してもいい。でも2日寝ないで作れるなら自分でやりたい。実はそれが本心なのかもしれないですが。
CTOを目指すなら、数字の責任を負ってみるべき
竹内 では、この対談連載で恒例の質問です。ズバリ、野澤さんにとってCTOとは何でしょう?
野澤 CEOやCOOはある程度ロールモデルがイメージできるんですが、CTOってそうじゃないと思うんです。ネイキッドテクノロジーのCTOは事業優位性をプレゼンするのが得意な人間が担っていましたし、ミクシィでは理想的なシステムを考え、実現することが求められていました。会社ごとにCTOの役割は大きく変わるものなんですよね。
竹内 この連載でもいろんなタイプのCTOが登場されているので、よく分かります。
野澤 その上で、僕にとってのCTO像を挙げるなら、あくまでもマネジメントチームの一員として、テクノロジーを理解し会社の成長に責任を持つことだと思っています。ですからCTOというのは、必ずしもエンジニアの志向に直接結びついているものではないというのが僕の考え方です。
竹内 なるほど。よくわかりました。では最後にCTOを目指すエンジニアにアドバイスをお願いします。
野澤 もしCTOを目指すのであれば、好きなテクノロジーについて学ぶだけでなく、会社のプロジェクトや個人的なサイドプロジェクトなどで、売り上げやユーザー獲得といった数字に対する責任を負うことが一番ではないでしょうか。
竹内 今日は有意義なお話をありがとうございました!
野澤 いえいえ。こちらこそありがとうございました!
編集/武田敏則(グレタケ) 撮影/玄樹
RELATED関連記事
RANKING人気記事ランキング
NEW!
ITエンジニア転職2025予測!事業貢献しないならSESに行くべき?二者択一が迫られる一年に
NEW!
ドワンゴ川上量生は“人と競う”を避けてきた?「20代エンジニアは、自分が無双できる会社を選んだもん勝ち」
NEW!
ひろゆきが今20代なら「部下を悪者にする上司がいる会社は選ばない」
縦割り排除、役職者を半分に…激動の2年で「全く違う会社に生まれ変わった」日本初のエンジニア採用の裏にあった悲願
日本のエンジニアは甘すぎ? 「初学者への育成論」が米国からみると超不毛な理由
JOB BOARD編集部オススメ求人特集
タグ