陶山 嶺さん(@rhoboro)
広島大学を卒業後、東京のシステム開発会社に就職。学生時代から好きだった尾道に住みたいという思いが日に日に強くなり、2017年に広島へ移住。機械学習を手掛ける東京の企業に勤めながら、フルリモートで開発に従事。20年10月に同社を退職し、現在は株式会社RevComm(レブコム)でAI搭載型クラウドIP電話Miitel(ミーテル)の開発に携わっている
著書:『Python実践入門―― 言語の力を引き出し、開発効率を高める』(技術評論社)
コロナ禍によるリモートワークの広がりに伴い、移住に関心を持つエンジニアがじわじわと増えている印象だ。
移住に興味はあるけれど、実行には踏み出せないエンジニアの中にはこんな不安を抱える人も多いのでは?
「リモートワークだけで仕事を完結できるか心配」
「移住してから田舎暮らしが合わないと分かったらどうしよう」
そこで今回、実際に東京から地方に移住した3名のエンジニアに、移住が自身のキャリアにどんな影響を与えたのかを聞いてみた。
陶山 嶺さん(@rhoboro)
広島大学を卒業後、東京のシステム開発会社に就職。学生時代から好きだった尾道に住みたいという思いが日に日に強くなり、2017年に広島へ移住。機械学習を手掛ける東京の企業に勤めながら、フルリモートで開発に従事。20年10月に同社を退職し、現在は株式会社RevComm(レブコム)でAI搭載型クラウドIP電話Miitel(ミーテル)の開発に携わっている
著書:『Python実践入門―― 言語の力を引き出し、開発効率を高める』(技術評論社)
岩下弘法さん(@iwa4)
3000名程度のSIerで8年勤務した後、2013年にSansan株式会社にWebアプリケーション開発エンジニアとしてジョイン。徳島県神山町にあるサテライトオフィス『Sansan神山ラボ』での経験を経て、19年に京都にUターンという形でリモートワークをスタートさせる。現在は京都にいながら、グループマネジャーとしての役割を担っている
西川伸一さん
フリーランスの開発者として、東京でWeb制作やプロジェクトマネジメントを経験後、2013年に家族でバンコクに引っ越す。WordPressソリューションを提供するイギリスのHuman Made社で日本市場開拓の担当者として活躍しながら、16年に香川県の離島・男木島に移住。同社を20年7月に退職し、現在はフリーランスとして活動している。ブログやポッドキャストを通じてWordPressや家族での移住、ライフスタイルについても発信中
著書:『サイトの拡張性を飛躍的に高める WordPressプラグイン開発のバイブル』(SBクリエイティブ)
陶山:僕は広島大学の卒業と同時に東京に引っ越し、小規模のSIerに新卒入社しました。その後、日に日に「広島の尾道に住みたい」という思いが強くなり、入社4年目の12月に移住することを決めました。
そして、翌年の4月に転職し、しばらくみんなと一緒にオフィスで仕事をしてから、7月に尾道に移住。今は渋谷にオフィスを構える株式会社RevComm(レブコム)に所属し、尾道からフルリモートでWebアプリ開発の仕事に携わっています。
岩下:私はSIerで、8年ほど基幹システムの開発を行っていました。Sansanに入社したのは、今から7年前。Webアプリケーションの開発エンジニアとしてジョインし、リードエンジニアの役割を担いつつ、採用関連の仕事も手掛けてきました。
Sansanで6年目を迎えた昨年の春、会社に所属したまま、東京から京都に拠点を移しました。現在は新規事業を開発する部署で10名弱のチームマネジメントを担当しており、チームメンバーのうち自分だけが京都でリモートワークをしている状況です。
西川:自分はもともとフリーランスの開発者として、東京でWeb制作やプロジェクトマネジメントの仕事をしていました。2013年に家族でバンコクに引っ越し、その2年半後に香川県の離島・男木島に移住。
大手メディアや大企業向けのWordPressソリューションを提供するイギリスのHuman Made社に入社し、日本市場開拓担当としてリモートワークで働いていました。今年の7月に退職し、今はフリーランスとして、企業が新しいプロジェクトを立ち上げる際のサポートをしています。
西川:東京に住んでいた時によくコワーキングスペースを利用していたのですが、たまたまバンコクに旅行に行ったときに、東京と同じような雰囲気のコワーキングスペースを見つけて。
その近くに幼稚園もあったので、「もしかしたら仕事をしながら家族とバンコクに住めるかも」と思い、妻と相談して家族4人でタイへの移住を決めました。
その後、男木島に移ったのは、一言で言うと「楽しそうだったから」ですね。廃屋を図書館に建て替えている人がいたり、個人で魚を獲って売っている人がいたり。住民が「自分たちの力で生きる」ことをしているのを見て、自分もやってみたいと思ったんです。
そもそもエンジニアの仕事を始めたのは、会社が潰れても仕事に困らないような、「どんな環境でも死なない生き方」に憧れてのことでした。ここで暮らして生きる力を身に付ければ、より一層「死なない生き方」を追求できるのではと思いましたね。
西川:ありませんでしたね。むしろ、停滞した状況を避けるために、生活に変化は必要です。東京の生活ではなかなか変化が起きませんが、住む場所を変えれば自動的に全てが変わる。東京で新しいことを始めるよりも、エネルギーは低くて済むんじゃないかと思いますね。
陶山:尾道には大学生の頃にちょくちょく遊びに行っていて。昔から好きな場所だったんです。
移住を選択できたのは、リモートワークのイメージをつかんでいたのが大きいと思います。新卒入社した会社では自分だけ客先常駐して本社のメンバーとやり取りしていたこともありましたし、業務外ではPythonユーザーのカンファレンス『PyCon JP』の運営に参加していて、Slackで連絡を取り合っていました。
加えて、『PyCon JP』で知り合った人たちの影響もありましたね。海外から日本のイベントに参加する人たちも多く、みんなエネルギーに満ち溢れていて。「好きなことをしている人って、こんなに輝けるんだ」と驚きました。
自分は好きなことを仕事にできていたので、あとは好きな場所にも住んでみたら、何か変わるかもしれないと思ったんです。
陶山:いえ、移住自体が目的だったのでかなり気楽にできました。それに、東京にはいくらでも仕事はありますから。「ダメなら戻ればいいや」ぐらいの気持ちでした。
西川:それは自分もすごく分かります。エンジニアはスキルが明確なのでアピールもしやすいですし、自分にどのくらいの需要があるのかも把握しやすい。「死にそうになったら東京に戻ればいい」という安心感は、確かにありましたね。
岩下:東京以外に住んでいる優秀なエンジニアの方たちと交流したかったからです。あわよくば、その人たちがSansanに入社してくれたら嬉しいなと。当社の知名度がそこまで高くない地域もあるので、地方におけるSansanのブランディングにも貢献できたら面白そうだなと思いましたね。
それから、当社には地方拠点がいくつかあるのですが、基本は現地採用で、「東京で採用された人が地方に移る」パターンはほぼありませんでした。私は、そうした事例がもっとあってもいいと考えていて。
エンジニアの働き方の選択肢を増やすために、自分がその第一号になろうと思い、会社には「どこでもいいので東京以外で働きたい」と相談しました。
私にとって移住はあくまで「手段」。移住自体が目的になったことはありません。
岩下:そうですね。ただ移住が「手段」なのか「目的」なのか、それはどちらでもいいと思います。人の価値観はそれぞれですし、私も年齢や家族構成が違っていれば、移住が「目的」になる可能性も十分あったと思うので。
西川:岩下さんは数百人規模の組織に所属しながら移住を選択した点で、自分のようなフリーランスとは状況が異なると思います。移住のために何か準備をしていたんですか?
岩下:実は入社してからの6年間、毎年3~4カ月はリモートワークをしていたんです。徳島県の神山にある会社のサテライトオフィスを気に入ってしまって(笑)。そこでリモートワーカーとして積み重ねてきた信頼と実績がプラスに働いたのは、間違いないと思います。
岩下:怖さは多少ありましたね。フルリモートでもきちんと評価してもらえるのかという心配があったので、移住後の評価基準についてはかなり細かい部分まで会社とすり合わせしました。
また、チームメンバーとFace to Faceでのやり取りができなくなってしまうので、今まで通りに仕事を進められるのだろうかという心配もありました。微妙な感情の揺れは、オンラインではどうしても伝わりませんから。今はできるだけ頻繁に声を掛けたり、必要な場合は東京に行ってカバーしたりするようにしています。
陶山:僕はリモートワークでのコミュニケーションが不便だと感じたことはないです。先日、前職の退社にあたって、東京のメンバーから色紙を送ってもらいました。
そこには「社内にはいないけど一番存在感があった気がします」、「尾道にいることを感じさせない仕事の進め方が印象的でした」といった嬉しいメッセージが書かれていて。仕事のやりやすさにメンバーとの物理的な距離は関係ないと思いましたね。
西川:プラスの面でいうと、バンコクに引っ越したときは仕事の幅がかなり広がりました。日本ではフリーランスを相手に仕事をしない会社でも、海外の支店ではできるケースが多いんです。規模の大きな仕事ができるので、日本で働くよりも成長できるメリットはあります。
また、バンコクに住んでからは、日本のメディアなどから海外の経験を話してほしいと頼まれるようになりました。自分の露出が増え、新しい人と接触する機会も増えましたね。マイナス面は感じたことがないです。
西川:地方の情報格差も、あまり感じたことがないです。特に最近ではほとんどのイベントがオンライン化していますし、自分がほしい情報は技術コミュニティーなどから自然と入ってきますから。
ただ「マイナス面はない」というのは、あくまでもフリーランスである私の場合ですけどね。岩下さん、会社員だとどうでしょうか?
岩下:私もマイナス面はほとんど感じていなくて、先ほど申し上げたコミュニケーションの難しさくらいでしょうか。自分自身のキャリアにも変化はほとんどないないですね。一方で、地方で働きたいと思っている社員の選択肢を広げたことに、価値があったのかなと思います。
つい先日、自分が担当した新しいプロダクトの記者発表会が行われたんですが、東京にいなくても成果を出せることが証明できました。これを機に、後に続く社員が増えたら嬉しいですね。
西川:将来の予測が難しい今の時代には、岩下さんのような“変化する存在”がいる組織が生き残るのではないかと、個人的には思います。個人の柔軟性が高まれば、組織が変化に対応する力も高まるはずですし。
岩下:そうだといいですね。ただ一方で、自分の言動に一層の責任を持つことを楽しめない人は移住が合わないと思います。
神山(徳島)でリモートワークしていた時は、テレビの取材が来ると、Sansanの社員として自分の言葉で仕事について説明しなくてはなりませんでした。東京で大勢の中の1人として働いていた頃よりも、個としての責任が増すんですよ。
陶山:僕もお二人と同じでマイナス面はほとんど感じておらず、エンジニアとしての役割に変化はなかったですね。マイナス面があるとすると、フルリモートで働ける会社でないと転職先の候補にできないことくらいです(笑)。
キャリアでいうと、僕は移住してから『Python実践入門』という本を執筆したのですが、東京にいたら集中して書けなかったと思うんです。自分の部屋以外に1人で集中できる場所がなかったので。
東京では、喫茶店に行っても、公園に行っても人がいますよね。でも、今は5分と歩くことなく、誰も視界に入らない場所に行けます。一人で考え事をしたり、リフレッシュしたりするには最高の環境です。
西川:私の場合は、その両方がある環境だからこそ「仕事と生活のギャップ」に悩まされることもありました。仕事部屋から一歩外に出ると、ものすごく綺麗な空が広がっていて、仕事との温度差に精神的にまいっちゃうこともあって。東京ではそんな経験がなかったので、最初は戸惑っていましたね。
西川:「お試し移住」でもいいので、とりあえず一回やってみたらいいんじゃないでしょうか。その結果、「やっぱり東京に住もう」と考える人もいると思います。それでも、一回外に出てみた方がいいと思う。東京の良いところも悪いところも分かるようになりますし、住む場所を自分の意思で選び直すことで、自分自身の考え方が豊かになりますから。
岩下:僕も西川さんと同じ意見ですね。環境が許せば、年に数カ月とか、ちょっとずつ「お試し移住」をやってみるのがいいと思います。特に、今の会社に所属したまま移住したい人は、「お試し移住」で実績を出し、“信頼貯金”を貯めてから会社に交渉するのをお勧めします。
それから、自分の考えを積極的に発信するのも大切です。移住したい理由を周囲に伝えなければ、誰も望む環境は与えてくれません。それに、発信し続けているうちに共感してくれる仲間が増えるかもしれませんから。
陶山:僕も気軽に始めてみることをお勧めします。西川さんと岩下さんの言う通り、人によって移住が合う・合わないはあると思いますが、合わないと思ったら元の場所に戻ればいいだけの話。定住する覚悟をする必要はないので、思っているほど移住のハードルは高くありません。
もし、東京から距離の遠い地域に引っ越すことに抵抗があるのなら、都内の引っ越しでもやる価値はあると思います。住む場所を変えると、想像以上に大きな刺激が生まれます。その刺激は、仕事や生活をプラスの方向に動かしてくれるはずです。
取材・文/一本麻衣
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