転職、副業、フリーで独立……キャリアの選択肢は広がっているけれど、起業という選択肢にハードルの高さはまだ残る。では、DX全盛時代に起業のカタチはどう変わる? エンジニアが会社を興すことで得られるものは? エンジニア社長への取材を通して“起業研究”してみよう。
起業で得るもの・失うものは何? さくらインターネット田中邦裕が語る、「エンジニア社長」の“明らかな強み”
転職や昇進を繰り返して、より高い給料を目指していく――。それだけがエンジニアの道ではないはず。
せっかくエンジニアをしているのならば、「起業」という選択肢を一度は検討してみてもいいのでは? そう思わせてくれるのは、さくらインターネット代表取締役社長の田中邦裕さん。
田中さんは高専在学中、さくらインターネットの母体となるレンタルサーバーの会社を起業し、同社を東証一部上場企業にまで成長させた。
その過程で田中さんは、「エンジニア起業家ならではのメリット」を感じる機会が多々あったという。
自分は本当に起業と縁がないエンジニアなのか。それとも、大きな可能性を持つ「起業家の卵」なのか……? それを判断する前に、田中さんの話に耳を傾けてみよう。
エンジニア不足のIT業界は今、転換期にある
いえ、創業時はここまでの規模になるとは思っていませんでした。しかし私が言うのも何ですが、会社って「大きければいい」というわけではありません。
会社が大きくなると、経営者と社員の距離が遠くなって、社員は貢献を感じにくくなりますし、自分が退職しても他の人が仕事を引き継げるので、スタートアップと比べるとモチベーションが保ちにくくなる。
でも、会社が小さいままでは、自分より優秀なエンジニアに社内で会うこともなければ、お互いに切磋琢磨することもない。
大きい会社と小さい会社のどちらがいいのか、その答えは人それぞれなんだろうなと思います。
そうですね。一言で言うと、業務に対して人をアサインするのではなく、人に対して業務をアサインする経営スタイルに変わりました。
創業期は、私自身がコードの中身やネットワークの構造まで全て把握していて、「この業務は全部自分でできるけれども、時間がない。だから社員に頼む」という感覚でした。
最初はそれでも良かったのかもしれません。しかし、当時はついて来れた社員も、会社の成長とともに歳をとります。日本でIT業界が始まってから30年近く経ちますから、20歳だった人は50歳になる。つまり社員の価値を上げ続けなければ、会社が成長できないんです。
若くて優秀な人を無限に採用できるわけではない以上、会社が社員に活躍の場を用意し、社員が学び続けていくことが大切なのだと思います。
そうですね。IT業界のほとんどの企業は、いずれ社員が転職することを前提に設計されているので、社員の成長を支援する姿勢が甘いと感じています。
ただでさえエンジニア不足なのですから、社員の成長を考えない企業は、今後はかなり厳しくなるはず。転職を前提に、「使えない人は切っていく」という考え方は、そろそろ転換すべき時期が来ていると思いますね。
エンジニア起業家が強みを発揮する二つのタイミング
多くのスタートアップは今、資金調達よりもエンジニア調達に頭を抱えています。そんな状況で、もし社長がエンジニアならば、極端な話一人でも事業をできる。それは大きなメリットです。私も創業期は一人で開発して、一人で運用していましたから。
最近のスタートアップはほぼ例外なくITを使っていますから、創業期こそ起業家にエンジニアリングのスキルは必要だと考えます。Webサイトやアプリ開発、データ分析など、外注すると莫大なお金が掛かりますが、スタートアップは余計なお金を使わないに越したことはありません。
自分でプログラミングをする機会は減るはずなので、創業期ほどメリットは感じなくなるかもしれません。
ただ、大きなパラダイム転換となる事業を立ち上げるときに、自分でプロトタイピングができることはかなり重要なポイントです。動くものには大きな説得力があります。単なる方針ではなく、実際にものを作って見せられるのは、エンジニア社長の明らかな強みです。
弊社ではクラウド事業を始めるときに、私が最初にプロトタイプを作って社員に見せました。これは、社長である自分がソフトウエアエンジニアだからこそできたことだと感じています。
そうですね。もはや今の時代、エンジニアリングが分からない状態で経営者になるのは、かなりリスキーだと思いますよ。
日本には「システムは外注するもの」という考え方がいまだに根強いですが、自分たちでプロダクトを作らないと他社に勝てませんからね。
今、プロダクトサービスの成功の最も強い因子は、「何をやるか」ではなく、UI / UXです。これを常にアップデートし続けるためには、自分たちでやるのが一番早くて安い。
それを考えると、最初からエンジニアリングの知識を持っている経営者のいる会社は圧倒的に強いです。「自分に知識がなくても、優秀なCTOと組めば良い」と考える人もいるかもしれません。
でも、そんなに素晴らしい人材が、自分の会社で働いてくれるとは限らない。そこは冷静に考えた方がいいと思います。
原価がほとんど掛からないから、成功も撤退もしやすい
そうですね。その背景には、エンジニアが「時間単価の工員」だという意識が、経営層にもエンジニア自身にもあるからだと思います。でも実際は、エンジニアはクリエーターなんです。
そもそもコンピューターのソフトウエアには、著作権が認められています。それはすなわち、エンジニアのクリエーティビティーがそのまま価値になるということ。エンジニアは、ただ単に決められた作業をするだけの人ではありません。
特にITエンジニアには、業界構造上の強みもあります。リアルなものづくりの世界を考えてみてください。一般的な製造業では原価の割合が高いので、売れたとしても爆発的な利益が上がるケースは少ないです。
一方で、ソフトウエア開発で発生する原価は、人件費とサーバー代のみ。従来のものづくりに比べて、ソフトウエア開発は圧倒的にレバレッジが効きやすい夢のある業界と言えます。
エンジニア起業家が、昔は考えられなかった成功を手にする可能性があるのは、明らかですよね。
会社勤めするか、起業するか。これって取引だと思うんですよ。
会社勤めだと、どんなに頑張っても給料が何十倍になったりはしませんが、病気などで働けなくなったときでもある程度は守ってくれる。一方、起業すればリスクは自分が全て取らなくてはなりませんが、リターンも全部自分に入ってくる。どちらの立場を選ぶかです。
後者を選びたいのであれば、まずは副業から始めてみたらいいんじゃないでしょうか。知り合いの会社をCTOとして手伝ってみるとか。退職するのが怖いなら、働きながらでもいい。起業のハードルは思ったほど高くはありません。
それで、もし失敗してしまったら、会社を閉じてしまえばいいわけです。失うのは、かけた時間とサーバー代ぐらいのもの。何度でもチャレンジできるのも、エンジニア起業家の特権ですね。
取材・文/一本麻衣
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