小笠原 記子さん
立命館大学理工学部卒業。IT企業でSEとして3年間勤めた後、ウルシステムズのITコンサルタントに転身。入社後12年目の2014年にKIT虎ノ門大学院へ進学し、2人の子どもの子育て、仕事、大学院での学びを両立させた。現在は部長として、部下の育成とともに企業のデータドリブン経営を支援する自社サービスの展開に注力している。
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この先、自分のキャリアはどうなっていくのだろうか。技術の力でどこまでいけるだろうかーーエンジニアとしての自分の将来に、不安を抱えている人は少なくないだろう。
そんな状況を打開し、キャリアをブレイクスルーさせるためにはいくつかの方法が考えられる。転職する、資格を取る、そしてリカレント(学び直し)をする。今回エンジニア読者に提案したいのは、リカレントのために「大学院へ進学する」という方法だ。
話を聞いたのは、MBA・知的財産マネジメントなどが学べる社会人大学院であるKIT虎ノ門大学院(以下、KIT)卒業生である小笠原 記子さん。
エンジニアとして経験を積んだ後、現在はITコンサルタントとして働く小笠原さんは、仕事と育児と並行しながら大学院を修了。卒業後は自ら作ったソリューションの展開を手掛ける部門で部長を務めている。
大学院での学び直しは、小笠原さんのキャリアにどのような変化をもたらしたのだろうか。
小笠原 記子さん
立命館大学理工学部卒業。IT企業でSEとして3年間勤めた後、ウルシステムズのITコンサルタントに転身。入社後12年目の2014年にKIT虎ノ門大学院へ進学し、2人の子どもの子育て、仕事、大学院での学びを両立させた。現在は部長として、部下の育成とともに企業のデータドリブン経営を支援する自社サービスの展開に注力している。
「このままでは自分は周囲に埋もれてしまう。他の人がやっていないことに挑戦しなければ、『そこそこのキャリア』で終わってしまうと思ったんです」
KITへの進学を決めた理由について、小笠原さんはそのように語った。
新卒で入社したIT企業でSEとして3年、ウルシステムズに転職してからはITコンサルタントとして10年以上経験を積んできた小笠原さん。しかし、ITコンサルタントになって以降、突出した強みがないことに対する焦りを募らせていった。
「もともとは、技術とビジネスの両方が分かるようになりたくてITコンサルタントにキャリアチェンジしました。
ですが、コンサルタントに必要なビジネスの知識が豊富なわけでも、エンジニアとしてずば抜けた技術力があるわけでもない。優秀な同僚や上司と自分を比較して、このままではいけないと思っていました」
悶々と過ごす小笠原さんに転機が訪れたのは、第二子出産後の育休中のこと。たまたま参加した子育て中の親向けセミナーの講師が、KITの教授だったのだ。さらに、小笠原さんの同僚に同校の卒業生がいたこともあり、「大学院への進学」という選択があることを知った。
「もともと勉強は好きでしたし、信頼している同僚からの勧めもあったので入学への迷いはありませんでした。
それに、自分のキャリアに立ちはだかっているように感じた壁を突破するためには、何か大きな変化や挑戦が必要だと思ったんです。とにかく何かを変えなければならないという焦りが、決断につながりました」
当時小笠原さんは37歳、子どもは6歳と2歳だった。育休から復職し、仕事と子育て、そして大学院の「三足のわらじ」を履く生活がここから始まった。
入学後は、企業戦略やマーケティングなど、MBAの取得に必要な科目を満遍なく受講した。一般的な大学院と同様に、講義を受けてリポートを提出することで単位を取得できる。
KITで特に印象的だったこととして、小笠原さんはファシリテーションの講義を挙げた。
「企業や社会の課題を、一人ではなく多くの人を巻き込みながら解決をする。そのために必要なファシリテーション法を学びました。
私はリーダーとして周囲を引っ張ったり、人前で話したりすることがずっと苦手だったのですが、プロの教授から学ぶうちにその面白さが分かってきたんです。最終的にはファシリテーターとして、自身の研究テーマのために集まってくれた約100人の参加者を相手に2時間のセッションを行えるまでになりました。
この講義での学びは、部長として組織を運営するようになった現在の仕事の中でも非常に役立っています」
バックグラウンドの多様なメンバーとの交流も充実していた大学院生活。今まで関わったことのない人と出会い、知らなかったことを学んでいく日々はとても充実していた。
しかし「三足のわらじ」生活は、決して楽なものではなかったと小笠原さんは振り返る。
「平日の授業は夜18時45分に始まります。そこから90分の授業を2コマ受講して、帰宅後はリポートを作成。深夜2時頃に就寝し、朝は5時半に起きて勉強してから子どもたちの学校や保育園の支度をしていました。
移動中やスキマ時間さえ、読書やパソコン作業に費やして。『何となくスマホを見てしまう』といった時間は1秒もなかったですね」
学びに対して、それほどまでに高いモチベーションを維持できたのはなぜなのだろう。問うと、「根底にあったのは、キャリアに対する危機感です」と即答した。
「『そこそこ』のキャリアのまま、残りの数十年を過ごしたくない。だったらここで結果を出して、次のステップに行かなくてはいけないと思いました。
他の受講生の多くも、将来のキャリアに何かしらの悩みを抱えていて、それを打開するために大学院に来ていたように思います。そんな仲間の存在も支えになりました」
KIT卒業間もない頃を振り返り、「会社が今までとは違う世界に見えた」と小笠原さんは語る。
「以前は、上司やお客さまの言うことに違和感があっても自信のなさから、うまく伝えることができませんでした。しかしKITで『重要思考』という考え方を習得してからは、相手が重視することを踏まえつつ自分の意見を返せるようになったんです。
周囲に対する劣等感とともに、かつて襲われていたキャリアに対する閉塞感のようなものも一切なくなりました」
KITで学んだ対話方法や課題の優先順位の付け方などを実際の業務で生かしていくうちに、顧客や社内からの評価は目に見えて変わっていった。
さらには、企業のデータ利活用のための新しいソリューションサービスを生み出し、部門として独立。「KITの同級生には事業会社に勤めている方が多くて、自社の商品とかサービスを作ることに憧れていたんです」と微笑む。
現在の小笠原さんはITコンサルタントであり、一つの部署を率いるマネジャーでもある。しかし、エンジニアを続けていたとしても、大学院で学ぶ価値は大きかっただろうと言う。
「これまで関わってきたエンジニアの方の多くは、ロジカルシンキングが得意でした。なので、『論理的に考えれば必ず答えに辿り着ける』と思っている傾向がある気がしていて。私も、昔はそうでした。
でも、職位を上げたいとか、仕事の幅を広げたいと思ったときに、ロジカルさだけでは乗り越えられない壁が必ず訪れます。そんなシーンでの戦い方は、開発業務だけでは磨けませんし、会社で学ぶ機会もなかなかありません。
私の場合は、KITの戦略思考や企業戦略の講義やグループワークで理屈以外でのアプローチ方法を学ぶことができました。普段の環境から一歩出て大学院に行ったことで、思考方法のレパートリーが増えた実感があります」
最後に、KITで過ごした時間を通じて「キャリアに対する視野も広がった」と小笠原さんは付け加えた。
「私は大学院に行って、今まで自分が狭い世界の中で生きようとしていたことに気付かされました。
以前の私は、過去のキャリアの延長線上でしか未来を描けなかったんです。しかし今は、KITでの学びを経て、将来のキャリアはいかようにでも築くことができると思えるようになりました。今後も自分のやりたいことを見つけて、チャレンジを続けていきたいですね」
社会人大学院での学び直しは、キャリアのブレイクスルーに効果的だ。しかしそれだけでなく、「自分のキャリアや人生は自由にデザインしていける」という自信と心の豊かさを得ることもできるのだと、小笠原さんの経験が物語っていた。
取材・文/一本麻衣 撮影/吉永和久
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