Vol.640

「『35歳定年説』なんてバカげたおとぎ話」 ミドルエイジのロールモデル2人が語る、エンジニア人生の描き方

大企業の若手社員エンジニア・氏家範昌氏と、現場で“レジェンド”と呼ばれていた名物フリーエンジニア・救仁郷(くにごう)剛氏。そんな2人が出会い、紆余曲折を経た後に共に起業したのが、システム開発を主軸に各種ITサービスを提供しているインサイトだ。一方は経営者への道を選び、もう一方は技術者たちを束ね、育成を担当。そうしてこのベンチャーを二人三脚で牽引している。

見るからにタイプの違う2人のエンジニアの人生は、なぜ交差し、共に同じ道を歩むことになったのか。ミドル世代の彼らが身を以て示すキャリア形成から学べることとは何なのか。共に道を切り拓いてきた2人の絶妙なコンビネーションと強固なパートナーシップの源泉に迫る。

株式会社インサイト社長氏家範昌氏と救仁郷 剛氏

(写真左から)株式会社インサイト取締役・救仁郷 剛氏と代表取締役社長・氏家範昌氏

初対面で「いずれ一緒に何かやろう」と意気投合

話は今から15年ほど遡った2000年代の初頭。氏家範昌氏が大手ベンダー系システム開発会社の若手エンジニアだった頃のことだ。

「私は当時28歳でした。それなりに場数を重ね、主に大手通信キャリア向けのシステム開発を担当していました。ある時、たまたまプロジェクトが一区切りついたタイミングで時間ができ、クライアントであるキャリア企業の研究所に物凄く仕事のできる面白いエンジニアがいる、と聞いて会いに行ってみたんです」(氏家氏)

それまでの仕事の中でも、時々耳にしていた「救仁郷(くにごう)」という特徴ある名前。「どうやら家に帰る気がなくて、研究所に住み着いて開発をしているらしい」という怪情報まがいの噂を聞き、氏家氏は以前から興味を抱いていた。

「研究所に住んでいたって? ああ、本当ですよ(笑)。だって、当時で5000万円もするサーバを使い放題なんですから。持って帰ろうにも重たいから、マシン室で寝泊まりして触らせてもらってたんです(笑)」(救仁郷氏)

株式会社インサイト救仁郷 剛氏

救仁郷剛氏は経歴も独特だ。20代の間はミュージシャンとしてライブハウスでベースを演奏していた。やがて子どもが生まれ、「ちゃんとお金を稼がなければ」と一念発起。予備知識ゼロのところからITの世界に入った。

COBOLに始まり、PL/Ⅰ、アセンブラ、C言語と覚えたあたりでフリーランスに転身。オープン系にハマった挙げ句、Web技術に触れて「なんて面白いんだ!」と魅了されたのだという。その後、PHPやPostgreSQLが登場し、どんどん開発の虜になっていった。

「研究所には計8年くらいいました。氏家と出会った時にはもう39歳になっていたかな。年齢差は10以上ありましたが、彼とはすぐに意気投合して、会ったその日に『いつか一緒に何かできたらいいね』と話したことを覚えています」(救仁郷氏)

互いに何か通じ合う感覚があったと、氏家氏も頷く。相手の第一印象を尋ねると、氏家氏は「独特のオーラを持った人」、救仁郷氏は「“野望の人”だなと直感した」と語る。

「氏家からは上昇志向というか世界制覇系(?)、そういう熱量を強く感じました。だから、あ、これは“野望の人”だな、と(笑)。この直感は正しかったし、今も変わらないですね」(救仁郷氏)

この後、共にクライアント企業への提案活動を行うなど、仕事で関わる機会が急速に増えていく。氏家氏は「プリセールスであり、エンジニアでもある何でも屋」を務め、救仁郷氏はより技術的な部分で提案の精度を上げていく役割を担った。

氏家氏いわく「救仁郷は一般的なエンジニアが控えめなタイプが多かった中、びっくりするぐらい人間力の圧がすごかった」のだという。最高のコンビネーションで次々と提案を勝ち取っていく2人。一体何がそんなにも共鳴したのだろうか。

「言葉にすれば根っこの感覚が一緒ということなんでしょう。今でも思い出すのが、ある重要な提案の直前に、2人で持ち込んだPCがブルースクリーンになってしまったことがあって。経験のある人なら分かると思いますけれど、大抵は顔を真っ青にして震えるところですよ。でも僕らは顔を見合わせて、その場で大笑いしてしまった(笑)。このタイミングでこんなことって、と逆に面白くなってしまったんですよね。いわゆるマーフィーの法則的な。結果、PCなしでプレゼンをして、それでも大成功に終わりました」(救仁郷氏)

「あり得ないほどポジティブ、というのが最大の共通項でしょうね。どんなことがあっても何とかなる、できる、と2人とも思うタイプの人間で(笑)。創業からこれまで、絶対絶命のピンチに遭遇したことも数々ありましたが、2人ともこんな人間なものですから共に乗り越えてこれたんですよね」(氏家氏)

「その他にも、システム開発のあるべき姿とか、自分の市場価値に対する考え方にも共感できるところが多かったですね」(救仁郷氏)

数年後、氏家氏はシリコンバレー系ベンチャー企業(以下、L社)の手伝いをするようになった。クライアントへの提案をめぐり、所属ベンダーの製品や企画に比べ、L社が極めて先進的な提案を行うのを目にして可能性を感じたのだ。

シリコンバレー在住のL社社長が「日本で成功するためには腕の良いSEを1人立てなくては」と話していることを聞きつけ、「だったら私にやらせてください」とすぐさま直談判したとのこと。救仁郷氏が言う“野望の人”の本領発揮だ。そして半年後には、正式にL社へ転籍。氏家氏はそこから約7年の間にさまざまな役割を担った。

「製品企画、開発、営業、SI、保守、契約、採用などなど、本当に会社にある業務のほとんどを経験したようなものでした。3年目くらいで役員になって、シリコンバレーへも行ったり来たりして忙しかったものの、今思えば貴重な体験を幅広くやらせてもらえたと思っています」(氏家氏)

氏家氏の転籍にあたり、救仁郷氏も仕事のウェイトを徐々に変えていった。フリーランスを貫く救仁郷氏ではあったが、2人のつながりが途切れることはなかったという。やがて機は熟し、氏家氏はいよいよ起業を決意。救仁郷氏と共に、2007年にインサイトを設立した。しかし、設立後すぐにリーマンショックが起き、受託開発案件を獲得しようにも難しい状況が続いた。

一方は「経営者」となる野望の実現へ、一方は「育成者」という新たな道へ

「私は学生時代から『いずれは経営者になりたい』という思いがありました。起業するまでの会社で働いている間も、そのためにさまざまな経験を積んで糧にしようと動いてきたつもりです。

株式会社インサイト氏家範昌氏

しかし、実際に起業してみると失敗の連続。ようやく案件を獲得しても、スキルのある人材を確保できず、不眠不休で自らシステム開発を手掛けたり。古巣やかつてのお客さまからのお声掛けもあって一定規模の案件で提案が通るようになると、いよいよ人員不足が致命的となり、採用に奔走したものの、無理がたたって炎上案件が続出したこともありました。

失敗して、反省して、経営をいちから学んで、というサイクルを10年繰り返し、ようやく今、それなりのことができるようになった気がしています」(氏家氏)

失敗とそのリカバリーを繰り返しながら、経営者として少しずつ前に進んできたのが氏家氏ならば、救仁郷氏は先頭に立って開発を回しつつ、経験の浅い若手エンジニアたちを戦力化するべく、育成していく道を切り拓いていった。

「人を育てるのは、簡単なことではありません。かつての私がそうだったように、何かの技術に触れて『面白い』と感じられさえすれば、自然とエンジンがかかって没頭していくものです。理想としては、全メンバーを『面白くて面白くて仕方ない!』という状態にしたい。スイッチが入る瞬間を見るのは、本当にうれしいですからね。

しかし、技術の領域は幅も広いし奥も深い。また、個々のエンジニアそれぞれで、興味のスイッチが入るポイントも異なる。オリジナルの研修テキストを作成してみたり、現場で一緒に仕事をしながら教えたり、常にスイッチ探しの連続ですよ。ロジックの面白さをうまく伝えきれないことに、ジレンマを感じる日々です(笑)」(救仁郷氏)

「こう見えて、彼は“仏の救仁郷”と呼ばれるほどに、若手の自主性を重んじるタイプなので(笑)。時にはもっと厳しくするべきなのか?と悩んだりもしているようです。でも、私たちのようなベンチャーは、人を育てていくことで初めて本当の成長が実現できる。試行錯誤しながら、これからも力を注いでいきますよ」(氏家氏)

「エンジニア出身の2人で引っ張っている会社ですから、若手エンジニアを引き上げていきたい気持ちが強い。私自身はロールモデルなんて柄ではないですが、後輩社員のロールモデルとなってくれるよう、先輩社員には期待します。そうして次の世代に紡いでいく。それがインサイトの文化であり伝統としていきたいと思っています」(救仁郷氏)

「エンジニアは3つのカテゴリーに分かれると思うんです。1つ目は、技術に夢中になって時間が経つのも忘れてしまうタイプ。2つ目は、チームをまとめていくことにやりがいを見いだすマネジャー志向のタイプ。そして3つ目が、技術力よりもクリエーティビティーを活かした企画業務で力を発揮するタイプ。今私が考えているのは、会社として、チームとして、この3つのカテゴリーを備えること。三位一体で力を発揮し、成長を続けられる組織をつくっていくつもりです」(氏家氏)

混沌期だった創業初期を乗り越え、この数年で着実に成長をものにしてきたインサイトは、近い将来の上場に向けても動き出しているとのこと。ここに至るまでの2人のストーリーからも分かるように、氏家氏は30歳を過ぎてから経営者への道を歩み出し、救仁郷氏はといえば30歳を迎える直前からエンジニアとしてのキャリアをスタートしている。俗に言われる35歳定年説など、2人からすると「現実味のないおとぎ話のようなもの」だ。

「経営者になるにせよ、エンジニアを続けるにせよ、30歳を迎えてから真の力が問われると思っています。40代になった今、私は真剣に“第4のリンゴ”を目指しています。社会に必要とされる、なくなったら困る会社に必ずなる。これからですよ。何せ、野望の人ですから(笑)」(氏家氏)

「私なんて30手前で初めてITに出会い、35でWebに出会って、どハマりしましたからね。定年どころか35歳デビューですよ(笑)。私は50代を迎えても、やっぱり技術が好きだし、大切なのは常に『面白い』と思えるかどうか。それがなくなった時が本当の定年です」(救仁郷氏)

年齢を重ねるごとに、向き合うテーマは変わっていく。カギになるのは、それを面白いと受け止めるみずみずしい感性をキープすること。2人が持つ「あり得ないほどポジティブ」という共通項こそが、満足度の高いエンジニア人生を全うする原動力になるのだろう。

株式会社インサイト氏家範昌氏、救仁郷 剛氏

取材・文/森川直樹 撮影/赤松洋太

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