音楽の夢を奪われた男が絶望の淵でプログラミングと出会い、ジーズアカデミーを好成績で卒業するまで
ジーズアカデミーTOKYOは、デジタルハリウッドがこの4月に開講した社会人、大学生の就職希望者、起業希望者を対象にしたエンジニア養成学校である。
約半年のカリキュラムは、プログラミングの基礎を学ぶところから始まり、最終的にはオリジナルのWebサービス・アプリを完成させて卒業となる。メンターは弊誌連載でもおなじみのえふしん氏ら、現役の一流エンジニアが務める。
11月、その1期生が卒業を迎えた。中でもトップクラスの成績で卒業した栗林緒氏は37歳。全くのプログラミング初心者で、それまではアルバイトや派遣社員として食いつなぎつつ、ジャズ・ギタリストとして身を立てる夢を追い続けてきたという。
多くの夢追い人がそうであるように、栗林氏も生活という現実を前に、道半ばにして音楽の夢をあきらめざるを得なかった。しかし夢を追うことを止めた後には、栗林氏が想像していた以上に厳しい人生が待っていた。
歩んできたキャリアや年齢がネックとなって仕事は見つからず、仮に見つかっても長続きしなかった。次第に自尊心は失われ、一時は「絶望とは何かを知り、生きる意味を失った」と言うまでの状態に陥ったという。
そんな「人生詰んだ」状態から再起し、生きることに前向きになることができたのは、「プログラミングと出会ったから」だと栗林氏は言う。プログラミングは彼に何をもたらしたのか。
夢を失った男が絶望の淵から生還するまでの軌跡を追った。
「やりたいこと」をかき集めてできた卒業制作
栗林氏の半生を振り返る前に、今回高評価を受けた彼の卒業制作作品『Spaaaace』を紹介したい(編集部注:現時点でChrome以外のブラウザでの動作確認は取れていないとのこと)。
この作品からは、彼の技術レベルの確かさだけでなく、プログラミングへのスタンス、ひいては人生へのスタンスを窺い知ることができる。
栗林氏がこの作品で挑戦したのは、距離判定複数音声チャット接続。現実世界と同様に、接続手続きを必要とせず、声が届く距離まで近づいたら自動でチャットが接続し、離れたら切断される世界観をプログラムで再現することを目指した。
制作期間は約2カ月。Webデザイナーとして働くかたわら、週末の空き時間を利用して開発を進めた。
全てが構想通りだったわけではなく、期間内に完成させることを優先して断念したこともある。
当初は人数制限のないチャット接続を構想したが、socket.ioによる音声mixの方法が見つからず断念し、webRTCにより最大4つのクライアント同士を直接peer to peerで接続させる仕組みを採用している。
また、3D空間内の座標情報の共有は、リアルタイムを目指して当初はクライアントから1秒間に60回サーバへと送信し、アクセス中の他の全クライアントへブロードキャスト送信していたが、複数人がアクセスした際に動作が重くなってしまう問題があった。最終的にはクライアント側からは1秒間に4回の送信に抑え、サーバからの送信を200ms毎に修正。擬似的にリアルタイムに座標が移動して見えるよう、クライアント側で処理をした。
他の卒業生の作品は何らかの課題解決に端を発したものが多かったのに対し、栗林氏の作品は「技術ありき」で作られていることにその特徴がある。
「周りの方々と比べてレベルの低い話で恐縮なのですが、発表会で話したもっともらしいストーリーは実は後付けで、本当は音声チャットをやりたい、リアルタイム通信がやりたい、サーバサイドでNode.jsを使ってみたいといった、自分が今技術的にやりたいことをかき集めて作ったのがこの作品なんです」
一つの機能を実装する過程で新たな技術への関心が芽生え、今度はその技術を使って新たな機能を実装する。その過程でまた新たな技術を知り……という繰り返しを期間ギリギリまで続けてできたのが、『Spaaaace』という作品なのだという。
技術との向き合い方は人それぞれだろうが、ビジネスの最前線で活躍するエンジニアに話を聞くと、「目的は課題解決であって、技術はそのための手段に過ぎない」という考えを是とする人と多く出会う。栗林氏のスタンスは(少なくとも現時点では)それとは異なるもののようだ。
尽きることのない技術への好奇心に突き動かされている、純粋なまでの「技術ドリブン」と言えるだろう。
夢を失った夢追い人はどうやって生きればいいのか
栗林氏がジャズ・ギタリストを志すようになったのは、大学時代の偶然の出会いがきっかけだった。
軽い気持ちで門を叩いた軽音サークルの一つ上の先輩に、プロとして活動しているギタリストがいた。ジャズ理論をロックに応用しているような人で、せっかくだからと思って教えてくれるように頼んだところから、栗林氏自身も奥深いジャズの世界にのめり込んでいった。
結局、大学は中退。ギタリストとして食べていくことを夢見て、アルバイトをしながら音楽活動を続けた。少しずつだが演奏依頼の声も掛かるようになり、27歳で本場ニューヨークに渡ってコロンビア大学のカフェテリアで演奏したりもした。ジュリアード音楽院の学生たちとも交流し、大いに刺激を受けた。
帰国後、「音楽のための時間を多く取れるように」と、あえて正社員にはならずに派遣社員として20代を過ごした。だが、経済的な事情から徐々に仕事にあてる時間が増えていき、その分当然、音楽に割ける時間は減っていく。
費やす時間が減ると、それと歩調を合わせるように音楽に対する情熱も減っていくのが感じられた。そんな折、人生観を大きく揺さぶる東日本大震災が発生。気付けば音楽よりも生活を第一に考える自分がいた。
30代も半ばに差し掛かっていた。音楽はもうあきらめて、一生を懸けてやっていく仕事に就こう。そう決心したが、一生を懸けてやろうと思えるだけの理由も覚悟もないから、結局どの仕事も長続きしなかった。
生活は多少楽になっても、音楽という夢を手放した今、自分を肯定できるものが何もないと感じていた。仕事の選択肢も徐々に限られていき、昨年9月からは3カ月間で160社に応募したが全て不採用に終わり、愕然とした。
自分にはもう価値がない。このままホームレスにでもなっていくんだろうな。人ごとのように、そんなことを考えていた。
プログラミングはどん底で出会った最高の遊び道具
ハローワークで職探しをする中で、求職者支援訓練の制度を知った。就職するための最後の道と考え、特にやりたいわけではなかったが「修了後の就職率が良い」と聞いてWebデザイナーコースを選んだ。この決断が運命を変えた。
HTML、CSSと学んでいくうちに、たった4日間だがjQueryのカリキュラムがあった。これがプログラミングとの出会いだった。それまでは静的だった世界が動きを持つことに感動を覚え、興味の種が一気にふくらみ始めた。
何より決定的だったのは、人生で初めて接したプログラマーであるjQuery学習コースの講師が、あまりに魅力的な人物に映ったことだ。
自分の要領を得ない質問も即座に頭の中で整理し、レベルに合わせて分かりやすく教えてくれる。ある種の「すり込み」を受けた栗林氏は、いつしか「自分もプログラマーになりたい」と強く思うようになっていた。
授業だけでは飽き足らず、ドットインストールのサンプルをひたすら書き写し、徐々にカスタマイズするなどして技術を習得していった。職業訓練を終え、今はWebデザイナーとして働く栗林氏だが、空き時間を使ってのプログラミング学習は完全に習慣化している。
音楽を奪われ、一度は生きる意味を失った。この先音楽と同じくらい情熱を注げるものなんて見つかるはずがないと思っていた。
そんな絶望の淵で奇跡的に出会ったプログラミングを、栗林氏は「最高の遊び道具」と表現する。
「プログラムはただの道具に過ぎないかもしれません。でも、そのポテンシャルが凄すぎる。業務システムも、ゲームも、アート作品だって作れる、あらゆる問題を解決できる凄いツールです。しかもそれが進化し続けている。今はできないことも、いずれはできるようになるかもしれないってことです。この先その過程をずっと経験していけると思ったら、夢中にならないではいられないんです」
見えない壁を自分で作っていないか?
ギタリストを志していた時期、栗林氏がハマっていたのはジャズそのもの以上に、「ジャズ理論」というツールに対してだったという。
栗林氏によれば、理論を知っているのと知らないのとでは、ジャズの演奏における表現の幅は大きく変わってくる。そんな可能性を持った理論を研究し、開発していくのが何より好きだった。
これは、現在の栗林氏がプログラミングに対して示しているスタンスと酷似している。
その意味では、栗林氏はおそらくもともとプログラマーに非常に向いていたのではないだろうか。だから、プログラミングが情熱を注ぐにふさわしいツールだったとしても、同じような境遇にいる全ての人にとって「最高の遊び道具」になるとは限らない。
それを認めた上でなお、栗林氏は「自分と同じようにくすぶっている人がいるのなら、ぜひプログラミングに触れてみてほしい」と呼びかける。
栗林氏自身、以前はプログラミングは一部の天才たちのためのものだと思っていた。ジーズアカデミーで学んだのは、それが間違いだったということだ。
「一見複雑そうに見えるものも、いくつもの問題が絡み合っているからそう見えるのであって、順番さえ間違わずに学べば一つ一つの難易度はそれほど高くない」
栗林氏は実感を込めて言う。
「できるはずがない」という見えない壁を自ら作り出していた。ジーズアカデミーでの数カ月は、そうした見えない壁をすごい勢いで何枚も突破する毎日だった。こうした経験ができたからこそ、今後より深く足を踏み入れることでぶつかるであろうさらなる壁も、必ず乗り越えられると信じられる心境という。
一般的に、手段の目的化はネガティブな文脈で語られるものだ。しかし、確たる目的もないまま、覚えたてのスキルを誇るようにただ歩き回る赤ん坊以上に、幸せそうに歩く生き物がいるだろうか。そして大人はいつも、そうした子供たちの振る舞いにはたと気付かされる。
「技術ドリブン」でなければたどり着かない未来もあるような気がするのだ。
取材・文・撮影/鈴木陸夫(編集部)
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