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痴漢レーダーは“平和な日本”の見えざる問題をあぶり出す。イノベーションの始まりは「身近な課題の解決」【キュカ禹ナリ】

働き方

    本特集では、テクノロジーの力で社会課題の解決に取り組む「未来の創り手」たちの仕事にフォーカス。彼らが描くビジョン、挑戦の原動力、エンジニアがイノベーターへの一歩を踏み出すためのヒントを聞いた

    痴漢、盗撮、付きまとい、露出、ぶつかり……。

    こうした迷惑行為の発生情報をワンクリックで共有できるアプリ『痴漢レーダー』が、2019年8月のリリース以来、大きな話題を呼んでいる。

    痴漢などの被害に遭ったり、それを見掛けたりしたら、場所と被害状況を選択して投稿。集まったデータは警察や鉄道会社などに届けられ、今後再発防止に活用される見込みだ。

    これまでは被害者の多くが性的被害を誰にも相談できずにいた。しかし顕在化していない問題は世の中に認識されず、一向に解決されないままーー。そんな状況に一石を投じたのが、『痴漢レーダー』を開発した株式会社キュカの代表、禹(う)ナリさんだ。

    もともとヤフーでエンジニアとして働いていた禹さんはなぜ、迷惑行為を可視化する画期的なサービスを開発することができたのだろう。

    悩みを発信する方法をちょっと変えただけなんです」と言う禹さんに『痴漢レーダー』の開発秘話を聞くと、イノベーションを生むための思考プロセスが見えてきた。

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    2004年、Yahoo! JAPANに入社し『Yahoo! 知恵袋』の立ち上げに携わる。その後データサイエンス部門、デザイン部門の部長を務める。17年、Yahoo! JAPANを退職し、株式会社 NeoEduで体験学習情報のプラットフォーム『マカデミア』をリリース。18年、キュカを立ち上げCEOに就任。悩み共有コミュニティ『QCCCA』や『痴漢レーダー』などのサービスを開発している

    「ハラスメントなんて、当たり前でしょ?」

    韓国で生まれ育った私は、日本で就職し、その後ヤフーに転職しました。運良く『Yahoo! 知恵袋』を立ち上げるプロジェクトに加わることになり、そこですごく感動的な体験をしたんです。

    『Yahoo!知恵袋』を開発したと言っても、私たちは質問と回答を投稿できる仕組みを作っただけ。それなのにサービスができた途端、全く知らない人たち同士が、何千、何万、何百万もの助け合いをし始めたんですよ。

    テクノロジーの力で人の行動が変わる」。鳥肌が立つほど心を動かされた私は、エンジニアという職業に大きな夢を持つようになりました。

    その後はパフォーマンス広告の立ち上げプロジェクトに加わり、データサイエンス部の部長も経験しましたが、管理職として上にいくよりも、サービスづくりがやりたいと考え、起業を見据えて2017年に退職します。

    当時から私は、辛い場面で声を上げにくい状況の人たちが、生きやすくなるようなソリューションをつくりたいと思っていました。

    その経緯は、ヤフーで昇進し、部下を持ち始めた時期にさかのぼります。

    管理職になると、部下から「◯◯さんからハラスメントを受けた……」と相談されることが増えたのです。

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    当時、私は会社が大好きだっただけに、自分の周りでハラスメントが起きている事実が非常にショックで、解決しようと精一杯対応しました。しかし、周りの理解を得ることは非常に難しくて。

    そこで、他の会社の女性管理職にも相談してみました。すると「何言ってるの、ハラスメントなんて当たり前でしょ?」と。「どうしてみんな、嫌だと言えないのか」と聞くと、彼女の答えはこうでした。

    仕事を続けたいのに、『被害を受けた』と言ってしまったら、その後のキャリアがどうなるか分からないでしょ?

    さらに問題だと感じたのは、周りの意識です。「女の方から誘ったんじゃないの?」「よく一緒に飲みに行ってたじゃん」といった、被害者を追い詰めるような噂が立つこともありました。

    問題が解決されないばかりか、周囲のメンバーも理解を示してくれない……。被害を受けた人だけが辛い思いをする状況は、改善されなくてはならないと、ずっと思い続けていました。

    痴漢レーダーは、コミュニティサイトの“失敗”から生まれた

    そうした経緯から、会社を立ち上げて最初に作ったのが、『Yahoo! 知恵袋』よりも深い悩みを相談できるコミュニティーサイト『QCCCA(キュカ)』です。「専門スタッフによる代理投稿」という仕組みを導入することで、バッシングのない安全な場所を作ろうとしました。

    ところが、蓋を開けてみると、「悩みに答えたい、助けたい」というユーザーはたくさん集まったものの、「悩みを相談したい」というユーザーがあまり集まらなかったんです。

    これはあくまで想像ですが、QCCCAのシステムでは多くのユーザーが深い悩みを相談する心理的ハードルを越えられなかったのだと思います。そこで私たちは、悩みを発信するハードルを下げるアプローチを取ることにしました。

    悩みを文章で書くのではなく、まずは印を付けるだけ。「ここでこんな被害に遭った」ということだけをシンプルに伝えられる仕組みを作りました。

    『痴漢レーダー』のアプリ画面。

    『痴漢レーダー』のアプリ画面。リリース当初は被害情報を登録するものだった(画像左)。2020年2月現在は被害状況の詳細が書き込めるようにアップデートされている(画像右)

    また、ちょうどその時期、「安全ピンで痴漢を撃退するのは正当防衛か?」という話題が盛り上がっていて。気になって調べているうちに、痴漢被害者の9割が人に相談できていないという事実を知ったのです。

    痴漢を経験した人の多くが、悩みを言えていない。それならばと、企画から約1週間で作り上げたのが、『痴漢レーダー』です。

    リリース後、想像を超える勢いでユーザー数は伸び、多くの方が被害を投稿してくれました。反響がうれしい反面、「今までどれだけ多くの人が、辛い気持ちを言えなかったんだろう」と、問題の根深さを痛感しました。

    これまで言えなかった被害が言えるようになり、社会から認識されていなかった問題が可視化された。『痴漢レーダー』は、そんな役割が評価されています。

    でも、考えてみてください。私たちがやったことって、悩みを言う方法をほんの少し工夫しただけなんです。

    テクノロジーによって生まれた新しい仕組みが、人の行動を変える。そんな感動的な瞬間に、再び出会うことができました。

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    「ちょっとした仕組み」があれば、人は助け合える

    今私が最も実現したいのは、ビッグデータやインターネットの力を使って、顕在化していない問題を可視化し、解決に向けて働き掛けること。

    日本人は小さな頃から「人に迷惑を掛けてはいけない」という教育を受けているためか、外国人と比べても、悩みを人に言えない傾向があるように感じます。一見平和に思えていても、実は辛い思いをしている人や、メンタルがやられている人が多かったり……。

    そうした問題を解決するには、データの力が有効です。1人が「こんな被害に遭った」と声を上げても社会はなかなか変わりませんが、「この場所で、100人もの人がこんな被害を受けている」というデータがあれば、国や企業は動き出します。

    ビッグデータを扱うテクノロジーが発達した今だからこそ、解決できる問題も多いはず。痴漢だけでなく、いじめや暴力といったさまざまな問題の解決にも、『痴漢レーダー』の技術は応用できると考えています。

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    もう一つやりたいのが、迷惑行為を起きづらくするために、第三者を巻き込むこと。特に痴漢はそうですが、問題が発生するとき、当事者の周辺には大抵第三者がいます。第三者が周りを見渡すことによって、被害を未然に防ぐこともできるのではないでしょうか。

    また、もしかしたら日本人には「困っている人を助けてあげたいけれど、どうしたらいいか分からない」という人が多いのかもしれません。

    でも私は、人を助けたい気持ちはみんなの中にあると思っています。知恵袋を始めた時も、「報酬が発生するわけでもないのに回答する人なんているの?」と社内で議論になりましたが、実際は多くの人が手を差し伸べました。

    今までは、助けたい気持ちを後押しする仕組みがなかったから、行動に移せなかっただけのこと。ちょっとした仕掛けさえあれば、誰もが困っている人を助けられるんです。

    『痴漢レーダー』のアプリ画面。

    現在は、被害の声に寄り添うリアクション機能が追加されている。「痴漢撲滅運動」に参加表明をすると、同車両内程度の近距離で被害者が被害報告をした際に通知が飛び、リアルタイムで助けに行く、といったことがしやすくなる(画像左)。被害の報告数が多い駅をランキング形式で掲載。当該駅で周囲に気を配る人が増えれば、被害を未然に防ぐことにつながるかもしれない(画像右)

    問題の当事者こそが、最適なソリューションを考えられる

    今までになかった新しい仕組み、という意味で『痴漢レーダー』はイノベーションかもしれません。

    もし、イノベーションを起こすために必要なことは何かと聞かれたら、その答えはたった一つ。「身近な課題を解決すること」です。

    ソリューションを一番考えやすいのは、問題の当事者です。「これまで経験したことの中で、最も嫌だったことは何か? 解決するにはどうしたら良いか?」、それを考えるのが、イノベーションの始まりだと思います。

    GoogleもFacebookもそう。近年社会を大きく変えたイノベーションは、みんなそうやって生まれました。

    株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん

    特にエンジニアには、こうした思考が得意な人が多いのではないでしょうか。エンジニアって、「面倒くさいな」と思うことがあったら、それをやらずに済む方法を考える癖が染み付いている、“面倒くさがり”ですから(笑)

    そして最初の一歩を踏み出す上で大切なのは、アイデアだけに留まらず、実際にそれを“作ってみること”です。

    エンジニアでない人は、問題を解決するサービスを思い付いたとしても、作ることができませんよね。でも、エンジニアには作れるし、それが本当に良いソリューションなのかは、実践してみないと分かりません。

    だからエンジニアにはもっと、自分に自信を持ってほしいと思います。実践する力を持っているということは、世の中を変える力を持っているということですから。

    アイデアを考える人が素晴らしいのではありません。実践する人が、素晴らしいのです。

    取材・文/一本麻衣 撮影/赤松洋太 編集/河西ことみ(編集部)

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