【NERV防災】全員アプリ開発未経験のチームが生んだ異例の“初日10万DL”の裏側(ゲヒルン石森×糠谷)
情報セキュリティ事業などを手掛ける創業10年のベンチャー・ゲヒルンが作った防災アプリ『特務機関NERV防災』は、2019年9月のリリース初日にiOS版が10万ダウンロードを記録。人気アニメ『エヴァンゲリオン』の世界観を踏襲していることや、2010年から運用している人気Twitterアカウント「特務機関NERV(@UN_NERV)」というベースはあったにせよ、異例の大ヒットと言っていいだろう。
驚くべきことに、代表の石森大貴さん以下、開発チーム8人にアプリ開発の経験者は一人もいなかった。文字通り人生で初めて作ったアプリで、いきなり大成功を収めたことになる。そして、さらに衝撃的なのは、続いて12月にリリースされたAndroid版の開発経緯だ。
メンバー全員がiPhoneユーザーだったため、まずはAndroid端末を購入してくるところからスタートした。11月初旬に経営陣が進捗を尋ねると、開発担当者から返ってきた答えは「今、本を読んでます」。手には読みかけのAndroid開発の初心者本があった。
その時点でコードは1行も書いていなかったが、石森さんらはそれを聞いて「順調」と解釈したという。事実、その1カ月半後にアプリは無事リリースされ、取材を行った2020年6月末時点で、iOSとあわせた累計ダウンロード数は70万を超えた。
化け物じみた開発力はどこから来ているのか。石森さんと、創業メンバーで専務取締役の糠谷崇志さんに話を聞いた。
アプリ化に反対だった代表。「でもデザインがあまりに素晴らしくて」
『NERV防災』は明確なコンセプトの下に作られている。キーワードは「アクセシビリティー」。正確な情報を迅速に伝えること、あまねく人にあらゆる情報を届けることがテーマだ。
UI/UXもこのテーマに基づいて設計されているから、「NERV」というエヴァの世界観を語ってはいても、全てが極太明朝体といった作品世界をまるまる踏襲するようなUIにはなっていない。ディスプレイに載ったときに読みやすいフォント・文字サイズ・配色であることが貫かれている。
ベースにあるのはビジョンであり、コンセプト。だが、全てがトップダウンで決まるのかと言えば、そうではない。
石森:アプリ開発はチームでなければ実現できないものだと思っています。僕らはたしかに理念でありコンセプトの下にアプリを作っていますが、どれだけ崇高な理念も、それを基にデザイナーがUIを考え、エンジニアが実装できなければ形あるものにはなりません。デザイナーがいくらすごいデザインを作ってきても実装できなければダメ。かと言って実装しやすいからという理由で選ぶと理念に反するものができてしまう。だから僕らはチームで作ることを強く意識している。そこに上下関係や優劣はないと思っています。
こうした考え方は意思決定の仕方に象徴的に表れている。『NERV防災』のプロダクトオーナーである石森さんは当初、アプリ化に前のめりなメンバーの中にあって一人、反対の立場を取っていた。
石森:防災アプリはヤフーもNHKもやっていますし、国民はそれを信じている。そこに今さらうちが出て行ってどうするのか、と。受け取れる情報は結局のところ一緒ですから。こうした考えが変わったのは、デザイナーから上がってきたデザインがあまりに素晴らしかったからでした。今までに見たことのない、「これが本当に防災アプリなの?」と驚くようなものだったんです。
糠谷:地図を使ったインタラクティブなデザインがいいとか、ユーザーの現在地に合わせて自動でフィルタリングして情報を出すとか、いくつかのコンセプトは伝えてありました。その要件に合わせて「一回作ってよ」と社内のデザイナーにお願いしたら、上がってきたデザインがめっちゃエヴァだった。初号機の紫、弐号機の赤みたいな感じで、画面いっぱいにエヴァカラーが散りばめられていて。
そこから「正確に情報を伝える」というテーマに則って修正を重ね、最終的には当初案より“エヴァ色”を抑えた現在のデザインに落ち着いた。だが、石森さんにGOサインを出させたのは紛れもなくデザイナーの仕事の素晴らしさ。それがなければ現在の『NERV防災』はなかった。
糠谷:このアプリの一番のユーザーは僕ら自身。自分たちが「ウザい」と思うような体験はユーザーにもさせたくない。例えば、緊急地震速報を受けてアプリを開いたら、必要な情報の前にポップアップで広告が出るというのは最悪の体験です。防災アプリは何か災害があるたびにアクセスが伸びるから、そこに広告を貼れば儲けることもできる。でも、それでは「誰か困る人が出るたびに儲けている会社」という心象になってしまう。それは絶対にやりたくない。そのため、今のところは投資フェーズということにして、当面はこのアプリを通じて一切のお金を受け取らないことにしました。
こうした経営レベルの判断についてもチームで相談して決めるのが彼らのやり方だという。
採用要件は「エヴァが好き」。非言語感覚まで共有したチーム
スピード感を持って開発を進めるにはメンバー一人一人が自律的に動ける必要がある。だが、一人一人が自律的に動いた結果、進む方向がバラバラになってしまっては元も子もない。そこでビジョン、あるいは行動規範といったものが大切とされるわけだが、ゲヒルンの開発チームにはこうしたものに加えて、さまざまな非言語的な感覚を共有している強さがある。
石森:『NERV防災』は視覚や聴覚に障害のある人のアクセシビリティーにも配慮して作っています。実は僕自身にも色覚異常があるので、僕が間違えないアプリであることも条件になるわけです。デザイナーが健常者目線で上げてきた色に対して「ここはこうして」と僕から細かく注文し、調整することをやってきました。ですが最近はこちらから注文しなくても「これはisidai先生(石森さんの愛称)の見づらい色だよね」と配慮してくれるようになりました。デザイナーが色覚異常の目に慣れてきたことで、以前より仕事がしやすくなっています。
糠谷:会社を立ち上げたばかりの頃は、プログラムを書くのが石森の役割で、デザインは僕の担当でした。最近では現場からやや離れて経営の仕事をすることも増えたのですが、僕や石森がいいと思うデザインの感覚をデザイナーが分かってくれているなと感じます。ちゃんとDNAを受け継いでくれている感覚がありますね。
石森:言わずとも伝わるのはエンジニアも同じです。ユーザーにどう体験させるかという意味では触り心地も重要なポイントですが、『NERV防災』のハプティックはデザインから意図を汲み取ったエンジニアが勝手に「いい感じ」に実装してくれたもの。おそらくは何を美しいと思うかの感覚がみんな似ているのだと思います。
彼らがこうした非言語的な感覚を共有しているのはもちろん偶然ではない。「意図的にそういう人を集めている」のだと石森さんは続ける。
石森:今回の防災チームも僕がスカウトしてきているんです。例えばメンバーの一人は個人の趣味としてこのようなウインドマップを作り、ツイッターに上げていました。
石森:見てもらえれば分かるように、僕らのプロダクトとビジュアルが非常に似ています。つまり美しいと思う観点が似ているんです。それを僕が見つけて「特務機関NERVの者ですが」とDMを送って口説き落としてジョインしてもらいました。他の人もだいたいそんな感じで集まってくれています。
新しくアプリを作るとなったら「iOSエンジニア募集」などと求人を出し、経験者を集めるのが一般的なやり方だろう。ところが前述したように、彼らが今回新たにスカウトしたメンバーは全員アプリ開発未経験だった。
つまり彼らが共に働く仲間を選ぶ際には、過去の経験よりも大切なことが別にあると考えている。例えばどんなものを美しいと思うのか。あるいはどんなことになら情熱を注げるのか。もちろん基礎的な技術レベルの高さは不可欠だが、それはポートフォリオを見れば一目瞭然だ。
ゲヒルンの求人ページの募集要項を見ると、「エヴァンゲリオンや攻殻機動隊について知識や見解がある方またはなくても会話を楽しめる方」とある。冗談のように見えてこれにも意味があるという。
糠谷:知らなくてもいいけれど、楽しんでくれるかどうかは大事。その価値観があると「エヴァのこういうときのイメージがいいよね」「何話のあそこですね」という会話が成り立つじゃないですか。
石森:一方で、企業理念に共感できることももちろん大事です。例えば僕らは技術力と同じくらいに「正しくあること」を大切にしている。「公正への価値観」という形でWebサイトにも掲載していますが、こうした理念をウザい、面倒くさいと思う人は絶対に合わないはず。だから入社前には必ず就業規則とか、こういった文章を全部送りつけるんです。全部読んで納得してから雇用契約書にサインしてくれ、と。なおかつ直したいところがあったら言ってくれとも伝えています。対等に、お互い納得して契約して、あとはミッションに取り組むぞということです。一般的には入社しないと就業規則が見られない会社も多いようですが、僕からするとあれは意味が分からない。
水面下に失敗の山。技術研究なくして会社の成長はあり得ない
前述したように『NERV防災』はさまざまな障害を持った人のアクセシビリティーを意識して作られている。その中の一つに視覚障害者向けの音声読み上げ機能がある。その開発経緯がまた面白い。
石森:実はこのプロジェクトが始まったのは、アプリ開発を始めるよりも前の昨年5月。NHKのコンクールで入賞経験のある一般の主婦の方にご協力いただき、TBSのスタジオを借りて3000パターンほどの音声データを収録しました。このデータをもとに自動で音声を合成し、地震情報の受信から1秒以内に音声合成をするシステムとして作ったのが音声読み上げ機能です。それなりにお金も掛かっていますし、全て自前で組み上げることが経営判断として正しいのか? という向きもあると思うのですが、すみません、僕らがやってみたかったので……。それに最初に送ってもらった彼女のデモ音声がとにかく素晴らしかったんですよ。それで全員一致で「これは必要だよね!」となって。
糠谷:このアプリに限らず、うちはエンジニアが実験的・研究的に「こういう機能を作ってみた」というところからスタートすることが多いんです。パーツを見て「これいいじゃん」みたいなところから実際のプロダクトに落とし込んでいくところがあって。
全国10箇所に自作のお天気カメラを設置する「お天気カメラプロジェクト」も、社員の一人が突発的にカメラの機材を集めてきて、「作ってみました」というところから始まった。
石森:「激安で作ってみよう」がコンセプトの一つだったので、開発そのものというより、安いカメラ、安い機材を探すのが大変でしたね。今ではそこに震度計もついているので、地震が来るたびに揺れのピーク前後15秒間の動画を自動で切り出し、配信することもできるようになっています。
誰に言われるのを待つでもなく、好奇心の赴くままに手を動かしてみる。こうしたエンジニアらしい姿勢を持った集団であることが、今回の『NERV防災』の成功にもつながっていると糠谷さんは言う。
糠谷:『NERV防災』がうまくいったのは僕らが特別だったからではないと思っています。技術的には誰にだって同じものは作れたはず。ですが、誰よりも圧倒的にアウトプットの数が多かったのは僕らだ、とは言えると思う。最初はヘタクソなコードを書いて全然動かないみたいなことから始まって、そこから作り直して、ということを何回も繰り返しています。デザイナーにしてもそう。今のデザインになるまでには30〜40回はボツ作を作っている。それこそお天気カメラの選定だって失敗しました。数をこなした上に今の形ができているんです。
実験することが大事。そう分かっていても営利企業でそれをやり抜くことには難しさもある。まして『NERV防災』は現時点でなんの利益も生んでいない。なぜそれができるのか。
糠谷:会社としての収益は現状、情報セキュリティ事業が担っています。その基盤があるから出来ることなのは確かです。ですが、どれだけ経営がまずくなったとしても、絶対に受託開発はしないことをポリシーにしてきました。受託開発をしていたらおそらくはそちらに追われて、実験をしている余裕はなくなっていたでしょう。株式会社として食っていくためにはどうしてもお金が必要。となると多くの会社はそちらに走る。でもうちはそうしないと最初から決めていました。だから今のところは社内のプロダクトを作ることだけに集中できています。
石森:テクノロジーこそが生命線。だとすれば、会社の価値を最大化するためには技術研究は不可欠です。公正な競争と成長をもたらすのは技術力であり、むしろ研究をやっていない人は会社の成長に貢献していないというのが僕らの考え方なんです。
「付いていける」と思わせる、エンジニア社長のプレイヤーとしての熱量
代表の石森さんが防災事業に取り組むのには、宮城県石巻市にある実家が2011年の東日本大震災で被災したことが大きなきっかけとなっている。そのエピソードはさまざまなメディアですでに語られているので、ここでは詳しく触れない。だが、メンバー一人一人が防災、あるいはゲヒルンという会社にここまでのめり込めるのにも結局はこの話が関係している。「石森の存在が大きい」と中学以来の関係にある糠谷さんが語る。
糠谷:僕の目線から言うと、防災に対して石森以上の熱量を持った人間は他にいない。そこにみんな付いてくるのではないでしょうか。それに加えて、なんだかんだ言っていても最終的に成功させてしまう力が石森にはある。それがなければ、誰もアプリを作ったことのない中で「やってみよう」とは思えないのでは。石森となら次も何か面白いことがやれそうだ。少なくとも僕はそう思っています。
石森さんの熱量高い行動が残りのメンバーを巻き込み、組織に大きな渦を生み出している。例えば次のようなエピソードからもその様子をうかがい知ることができる。
石森:今回の『NERV防災』、当初の構想では『ゲヒルン防災』アプリだったんです。それが雑談の中で「NERVの名前にできないか?」という話が持ち上がって。それで版権元へ走ったところ、僕らの想いを汲んでくださり許可をもらえることになったんです。その時はチーム全員で盛り上がりましたね。すると今度はAndroidだとフォントが綺麗に出ない機種があるということが分かり、アクシスフォントに統一すべく、フォントメーカーへ。もうこの繰り返しです。緊急地震速報を出すのにも気象庁から予報業務の許可を得る必要があるんですが、この時も山ほどある審査書類を一人で書いて、送って、許可を得て。割と調整とか準備みたいな仕事が多いんですよ。
糠谷:経営者である石森が誰よりも熱量を持って行動している。それに加えて石森はエンジニアとしても一流です。さっきの音声合成システムにしたって、音声処理なんてそれまで一度もしたことがないのに、収録を終えて2日くらいで一人でコードを書いてきた。ゼロからイチにするところはだいたい石森がやっています。そのプロトタイプを見て「クソコードだから」と言って周りが直す部分もあるんですけどね(笑)。代表だけどプレイヤー。そこがあるからみんな付いていっていると感じます。
採用してきたエンジニアは全員アプリ開発未経験。目論見通り完成できる保証はどこにもない。「でも、無理だったらその時は僕が作ればいいと思っていたから」と言えるところが石森さんの強みであり、ゲヒルンの組織としての強みでもある。そして、その傍らには糠谷さんがいる。
糠谷:エンジニア社長はどこかのタイミングでコードを書くことを手放さないといけないとよく聞きます。でも「そこは書き続けて」と思っちゃう。その代わりに経営は僕が見るよ、と。理念とか考え方とか、一緒に考えていかないといけない部分もあるけれど、それ以外だったら僕がやれることも少なくない。一方で僕自身もデザインすることをやめたわけではなくて、必要に応じてプレイヤーにだってなる。そうやってお互いに支え合えるのもゲヒルンなんじゃないかと思います。
取材・文/鈴木陸夫 撮影/竹井俊晴 編集/河西ことみ(編集部)
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