没頭できるのは特別な人だけ?
仕事の「夢中」の見つけ方幼少期、学生時代……誰しも時間を忘れて何かに没頭した経験があるはず。仕事にも同じくらい夢中になれたら、すごい力を発揮できそうなのに。そんなエンジニアたちのモヤモヤした気持ちを解消するべく、業界内外の「夢中人」から研究者まで、幅広い取材で特集する。
没頭できるのは特別な人だけ?
仕事の「夢中」の見つけ方幼少期、学生時代……誰しも時間を忘れて何かに没頭した経験があるはず。仕事にも同じくらい夢中になれたら、すごい力を発揮できそうなのに。そんなエンジニアたちのモヤモヤした気持ちを解消するべく、業界内外の「夢中人」から研究者まで、幅広い取材で特集する。
人生100年時代、“定年消滅”が囁かれる中、生涯現役で働き続けるエンジニアは今後ますます増えていくだろう。だが、「ずっと働き続ける未来」を肯定的に捉えられる人は少ないかもしれない。環境や立場、ライフステージが変わっていく中で、仕事に夢中で向かい続ける自信が持てない人も多いはずだ。
しかし、法人向けにクラウド型『Akerun入退室管理システム』を提供するスタートアップPhotosynth(フォトシンス)で働く 「80代現役エンジニア」の深谷ヒロカズさんのキャリアが、私たちの人生100年時代への不安を軽やかに吹き飛ばしてくれる。
約60年エンジニアとして働き続けてきた深谷さんは、今なお「仕事が大好きでたまらない」というのだ。過去を振り返っても、「仕事が嫌いになったこと」や「仕事に冷めたことはない」と話す。なぜ深谷さんは生涯夢中を貫けるのか、その秘訣を聞いた。
株式会社フォトシンス エンジニア 深谷ヒロカズさん
1941年生まれ。大学卒業後、大手通信機メーカーへ就職し、CRTディスプレイ開発、アナログICの設計などに携わる。海外駐在、海外出張も多数こなし、中国の合弁会社立ち上げにも尽力。定年退職後は、マレーシアのセランゴール州政府の技術者育成プロジェクトに約10年間参画。2014年秋フォトシンスに入社。現在は回路技術コンサルタント(アドバイザー)業務とエンジニア技術実務(回路設計、回路基板評価、回路や部品の信頼性評価)を担っている
とにかく技術が好きで、ずっと技術畑にいますね。
大学卒業後は大手通信機メーカーに就職。テレビ関連の技術部門に配属され5年ほど勤務したのち、半導体分野への関心が深まったことを機に転職し、アナログIC(集積回路)の設計を約17年間担当しました。1ドル360円の時代のアメリカ駐在も経験し、カルチャーショックもたくさん受けました。
その後、ICの応用部門へ異動。最後の10年間は中国の合弁会社の技術者育成や市場開拓などの実務に携わり、中国国内の主要電機電子メーカーや理工科系の大学、中小企業に幅広く拡販活動を展開しましたね。おそらく私ほど濃く中国電子部品市場開拓の経験をしたエンジニアはいないのではないかと思います。
2000年の定年退職後は、現役時代の同僚の誘いで、マレーシアのセランゴール州政府の技術者育成プロジェクトにコンサルタント兼講師として携わり、約10年間マレーシアと日本を行ったり来たり。時には年間の滞在が延べ10か月を超えることもありました。ハードな日々でしたが、若手の技術者がぐんぐん成長していくことにやりがいを覚えたものです。
マレーシアのプロジェクトが終わった時は70歳を超えていたので、少し休養することに。ただ、技術から完全には離れられず、趣味と実益を兼ねてWeb技術を学び、ホームページ制作やネットショップ運営などの仕事を請負っていました。
でも3年ほど経つと、そんな状況に物足りなさを感じるようになって。これまでずっと積み上げてきたアナログ技術や国内外での貴重な経験を活かさないのはもったいない。大げさに言えば社会の損失じゃないか、なんてかっこつけたことを思ったりしてね。
それで真剣に仕事を探し始めて、シニア向けの求人サイト『シニアモード』でピンときたのが、フォトシンスでした。応募内容に「若い会社で経験が不足している」とあったので自分の実務経験を活かせると思ったし、マレーシアで若い人と仕事をした経験から、若くて元気のある会社で働きたかったんですよ。
当時のフォトシンスは創業直後で、五反田のマンションの事務所を訪ねると、若手のエンジニアが思いを一つにして新たな市場の開拓に果敢にチャレンジしている姿がありました。その意気込みや創業メンバーの人柄に惹かれて入社を希望、技術アドバイザーとして採用となったのが2014年秋のことです。
現在は、回路技術のアドバイザー業務に加えて、回路設計や評価、トラブルシューティングなど、関連技術の実務全般も担っています。若い技術者とあれこれと討論したり、技術を使ってさまざまな課題を解決したりするのは面白いですね。この取材の後もはんだ付けや測定器を使った簡単な実験をする予定です。
エンジニアとして働き始めて約60年が経ちましたが、仕事はますます楽しいね。
それに、私はこれまでの仕事人生を振り返った時に、「つまらないな」とか「飽きたな」って思ったことは一度もないんですよ。ずっと楽しくて、夢中なんです。そういうと、驚かれるんですけどね。
どうしてそんなふうにいられるのかっていったら、やっぱり好きなこと、得意なことを仕事にしたからでしょうね。とにかく技術、中でもアナログ技術が好きなんです。
それに、仕事の中で好きなことができるように、成果を上げることにはこだわってきました。他の人があまりやらない仕事、例えば特許出願や技術契約といった仕事にも積極的にチャレンジしてきました。
顧客訪問も、実務担当者の時から積極的にやっていましたね。
当時、営業担当に頼まれて客先へ同行する技術者はいても、技術者から「お客さんとこういう話がしたい」と言い出すことはあまりなかったんです。でも直接ヒアリングをすると、顧客のニーズと自分がやりたいことが結び付く部分が必ず見つかるんですよ。
それをベースに新プロジェクトを考え、社内で提案することもありましたよ。顧客のニーズに基づく提案なら、会社もNOとは言いません。それに、他の人がやっていないことを提案すると自分が主体となって活躍できます。
もちろんやるといった以上は、ベストを尽くすし、途中で投げ出すことは絶対にしません。何が何でもやり遂げるという覚悟でやっていましたね。
私は仕事の周期を大体3年くらいで考えているんですよ。自分が始めたことを3年くらいかけてある程度軌道に乗せたら後輩に任せる。そして、自分はその先に見える新しい仕事にチャレンジ。それを繰り返してきました。
そういう仕事のやり方をしていたせいか、会社から望まない仕事の打診を受けた記憶もほとんどありません。
ただ一度だけ、「(同じ部署にいるのが)長すぎるんじゃない?」という周囲の雰囲気に流されて、ICの開発技術部門から応用技術部門への異動に応じたのですが、それは自分としては失敗でした。業務内容に思ったより興味が持てなくてね。でも異動してしまったからにはジタバタしても仕方ない。自分なりに一生懸命仕事をしていたところ、たまたま中国に合弁会社をつくるという話が耳に入ってきて。
ちょうど天安門事件のころでしたが、直観的にこれはおもしろくなりそうだなと。自分とは関わりが少ない仕事だったのですが、合弁会社の技術者育成や中国の市場開拓のアイデアなどを提案することで、半ば強引にプロジェクトに入り込みました(笑)
この時は管理職だったので、仕事の分担や時間を比較的コントロールしやすく、中国の仕事も並行して進められたんです。管理職の仕事自体はあまり好きではなかったんですが、今思えばその立場だったからできたことですね。当時は中国に目を向ける技術者が少なく、自分のアイデアを比較的容易に推進できました。
フォトシンスに入社した今も、スタンスは同じです。もともとこの会社には技術アドバイザーとして入社したのですが、「技術が好きなこと」や「エンジニアリングのプレイヤーとして仕事を手伝える」ことを以前から伝えていたので、会社が必要としたタイミングで技術の現場で働かないかと声を掛けてもらえました。
「やりたいことで役立てること」を、自分からちゃんと伝えていくことが大事ですよ。
そうやって「好きなこと」を仕事にできる環境を自分の力でつくったら、あともう一つ大事なのは、成功体験ですね。
私が考える成功体験っていうのは、儲かった・儲からなかったみたいな話じゃなくて、エンジニア本人が「やりきった」という達成感や満足感を得られるような仕事ができたかどうか、ということ。そういうものがないと、仕事は長続きしないでしょう。
自分の成長意欲が自然とくすぐられるような成功体験をいち早く得たいなら、やっぱり自分から提案するのが手っ取り早いんじゃないかな。声を上げないと、チャンスすら巡ってこないかもしれませんからね。
私自身、自己PRは得意な方ではありませんが、会社としてやるべきことと自分がやりたいことの整合性をとりながら黙々と仕事を続けてきた結果、やりたい仕事が周囲に認知され、望まない仕事を最小限にできたように思います。
夢中になれない環境で働くデメリットは大きいですよ。やる気がなければ、仕事も充実しないし、キャリアの見通しも立ちません。会社や上司と率直に話し合いをすべきだと思いますし、もし打開策がない環境であることが決定的なら、会社の外へ出るという選択肢もありでしょう。
一方で、自分が管理職を経験したからよく分かるのですが、希望の業務に就けていない場合でも、会社や上司から見ると適材適所ということもあるんですよね。本人が気付いていないだけで。
ですから、安易に希望の業務に就けないと落胆するのではなく、与えられたチャンスの中で成功体験を目指すことが必要な場合もあると思います。職場の人間関係が好ましい状態であれば、コミュニケーションによってこれを的確に判断できるのではないでしょうか。
80歳を過ぎた今、いつまで働けるかということもたまに考えますね。一つ目安として考えているのが、運転免許証更新時の認知症テスト。今は90点台半ばですが、80点台を切るようになったら、老害にならないうちに引退することも考えるかもしれません。
ただ、仕事は楽しいから続けていると欲が出て、目安が甘くなる可能性もあるかもしれませんが(笑)。これからも無理なくベストを尽くしながら、仕事を夢中で楽しんでいきたいと思います。
取材・文/古屋江美子 編集/河西ことみ(編集部)
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