長引くコロナ禍に加え、ウクライナ危機が日本の経済に暗い影を落としている。
特に深刻なのは、ロシアに対する経済制裁の影響を受けて、ロシアからエネルギー資源の輸入ができなくなったことだ。
「今、新しいエネルギー資源の確保に向けて、原子力関連や、省エネ技術の科学者、エンジニアの採用ニーズが世界的に増しつつあります」
そう話すのは、エコノミストの崔 真淑(さい・ますみ)さんだ。
今回のウクライナ危機は、日本の転職市場、エンジニア採用に一体どんな変化をもたらすのだろうか。詳しく話を聞いた。
崔 真淑(さい ますみ) さん
エコノミスト(MBA in Finance)/一橋大学大学院博士後期課程在籍/東証マザーズ カオナビ社外取締役/東京証券取引所 特任講師/日経CNBC 経済解説委員/昭和女子大学 現代ビジネス研究所 研究員
新卒で大和証券SMBC金融証券研究所(現:大和証券)に入社。アナリストとして資本市場分析に携わる。当時最年少の女性アナリストとして、NHKなどの主要メディアで経済解説者に抜擢される。債券トレーダーを経験したのち、日本の経済リテラシー向上に貢献したいとの思いから2012年に独立。経済学を軸に、経済ニュース解説、経済・資本市場分析を得意とするエコノミスト・コンサルタントとして活動 ■オフィシャルブログ ■Twitter ■NewsPicks
エネルギー資源の価格高騰で、製造業に大打撃。ボーナスカットやリストラも
――今回のウクライナ危機が日本の経済に与える影響や、私たちの暮らしに与える影響とは?
一番のキーワードは、エネルギーコストの上昇です。
ウクライナ情勢により、日本を含む西側諸国はロシアへの経済制裁をスタートしました。
しかし、ロシアはエネルギー資源大国なので、ロシアから資源を買わないとなると、他の国に残された少ない資源を世界各国が奪い合うことになる。
すると、原油や天然ガス、レアメタルといった製造業の基盤となる資源が軒並み値上がりしてしまいます。このようなエネルギー資源を大量に使う製造業には大打撃です。
――製造業の経営が特に悪化するのではないか、と。
はい。ダメージは避けられないと思います。
それに、代わりの新規事業をやろうにも、コストが高くて手をつけられない、やっても利益を出せない、なんていう会社も多いはずです。
それに、今どき電気を使わない会社なんてほとんどありませんから、製造業に限らずあらゆる企業に影響が出ます。
今後、製造業を中心に、ボーナスカットやリストラに乗り出す企業は増える可能性があります。製造コストが高騰する以上、削れる人件費は削ろうという動きが出ても不思議ではありません。
――かなりシビアな問題ですね。
はい。特に日本にとってはかなりシビアですよ。日本のエネルギー自給率は世界と比べて非常に低いので。
例えば、OECD諸国のエネルギー自給率は比較的高く、アメリカは約10割、イギリスは約7割、フランスで約6割となっています。比較的低いとされるドイツでも約4割ありますが、日本はわずか約1割。
この状況では、どれだけ高くても他国から資源を買わざるを得ませんから。
――もともと、エネルギーに関してはかなり脆弱な体制だったわけですね。
そうですね。ただ、政府もその課題には気付いていて、かつては「2030年までにエネルギー自給率を7割まで引き上げよう」という目標を掲げていました。
(出所:「エネルギー自給率、2030年に7割へ 基本計画案」)
そして、エネルギー自給率をどうやって上げるつもりだったかというと、主に原発です。
しかし、その矢先の2011年、東日本大震災が起こり原発事故を招いてしまった。民意は一気に「原発反対」に傾き、今も多くの原発が再稼働できていません。
ですから、今後どれだけ高い値段を提示されても、言われるがままにエネルギー資源を他国から買うしかない状態に追い込まれる可能性があります。
――家庭で使用する電気代も上がりそうですね。
そう思います。これを解決するには、どこかで妥協点を見つけなければいけません。
新たなエネルギー開発して浸透させるにはまだまだ時間帯がかかりますから、まずは原発を一部再稼働してエネルギーを生産することで、これまで通りの暮らし向きを維持するのか。
あるいは、多少の不便は我慢するとして、計画停電を受け入れたり、時間別に電気代を変動させるなどして国民みんなでエネルギー消費量を抑えるのか。
いずれにしても、エネルギーを自給自足できるようになることは、日本の最重要課題。そこで、エンジニアの力がますます必要とされています。
原発、省エネ…エネルギー関連業界でエンジニア採用が活発化
――製造業に限らず多くの企業が厳しい状況とのことですが、逆に今後需要が伸びる業界は?
戦時下では「国家防衛」の意識が高まりますから、軍事関連の企業は成長するでしょう。例えば、三菱重工業などは注目株。実際に株価も上がっています。
あとは、エネルギー関連の業界ですね。
今、欧米の一部の国では原子力関連の科学者やエンジニア、省エネ技術を扱う研究者やエンジニアへのニーズが高まりつつあります。
日本のエネルギー自給率の低さを考慮しても、今後そういった分野に詳しいエンジニアの価値はますます高まることが予想されます。
――輸入に頼らない体制を整えることが急務ということですね。
はい。実は、日本の省エネ技術は世界的に見て突出しています。過去2回のオイルショックからも分かるように、昔から資源不足に悩まされてきた国ですからね。
原発の再稼働ができずエネルギー不足を補えない以上、日本が今できるのは省エネ技術をさらに発達させること。もしくは、代用となるエネルギー資源を開発することですね。しかし、後者はかなり時間がかかります。
いずれにしても、これからますます「輸入に頼らない体制」の構築に国・企業が全力で乗り出すはずですから、エネルギー分野のスペシャリストはさらに売り手市場になるはずです。
――他にも、今後エンジニア採用が加速する業界はありますか?
IT関連企業は引き続き景気がいいので、デジタルテクノロジー関連のスペシャリストや、データ分析のスキルを持つエンジニアにとっては有利な状況が続くと思いますよ。
ジョブ型雇用が本格化。専門性を磨いて働き続ける力を養う
――エンジニアの採用ニーズが高騰している業界もありますが、全体としては不況に陥る傾向ですよね。今後、仕事を得るために意識しておきたいことは?
ジョブ型の働き方に対応できる専門性、つまり、自分のスペシャリティーを磨いておくことですね。
ご存知の方も多いかもしれませんが、ウクライナ危機以前から、日立製作所や富士通などを中心に日本の大手グローバル企業が「ジョブ型雇用」へのシフトを発表していました。
それが、今回の不況を機に、日本全体でジョブ型雇用が本格的に進み、エンジニア採用においてはジェネラリストよりスペシャリストタイプが重宝される時代が来るとみています。
――なぜ、日本企業のジョブ型シフトが加速するのでしょうか?
単純に言えば、企業に人を育てて定年まで養う余裕がなくなっていることも一因かもしれません。
例えば、日本の企業が社員の育成やスキルアップなどに投資する人的投資は、ここ10年間で低迷しています。裏を返せば、社員に自助努力で成長してくれ、という会社が増えているのかもしれません
そこで、岸田総理は企業の人的投資を進めようとして経済政策を発表するなど企業の背中を押そうとしています。
ですが、今や中小企業の約6割が赤字に陥っており、人に投資をするような余裕があるとは考えづらい。また、「せっかく投資した人が、学ぶだけ学んですぐに転職してしまったら、元も子もない」と考える経営者も少なくありません。
こうした状況を鑑みると、企業側の人的投資へのモチベーションはなかなか高まらないでしょう。
――先ほど、製造コスト増大の話がありましたが、ますます企業に余裕がなくなると、何かの分野ですぐに成果を上げてくれるスペシャリストが必要になる、と。
そうですね。かつての日本企業がジェネラリストを育成して長いこと社内で抱えていられたのは、好景気が続いていたからかもしれません。
でも、今の日本にはそのような余裕がないでしょう。だとすれば、自らスキルアップしてスペシャリストになり、ジョブ型雇用に適応できるようになる必要が増しています。
厳しい話かもしれませんが、「もはや会社が育ててくれる時代は終わったんだ」と考え、エンジニア一人一人がシビアな未来に備える方が人生のリスクヘッジになります。
ジョブ型時代は「交渉力」がモノを言う
――エンジニアにとって、ジョブ型雇用のメリット、デメリットとは?
エンジニアはもともと専門性の高い職業ですし、プロジェクトベースの働き方に慣れている人も多いので、ジョブ型の働き方には適応しやすい思います。
何か特定の分野の知識が豊富にあって、エンジニアリングの技術があるとなれば、高額報酬で雇ってもらえる可能性も高まります。
一方で、会社と約束した成果が出せなければ、簡単に解雇されてしまうリスクもある。短期的な収入は高くなるけれど、長期的に雇ってもらえる保証はない環境になるかもしれないので、それをどうとらえるかですね。
また、ジョブ型の働き方をするときには、労働者と企業で労働契約書を結び、何の仕事をどれくらいの期間でどんな成果を出すか、事前に決める必要があります。
ここをあやふやにしてしまうと労使トラブルが起こりやすくなるため、不安なら専門家の力を借りるなどして、交渉力を高めておくことが大切です。
エンジニアに限らず、日本は契約書文化が定着していないことからこのような交渉ごとが苦手な傾向にありますよね。ですから、弁護士など、専門知識のある頼れる味方を見つけておくことも交渉を優位に進める上でとても大事なことです。
――専門性と交渉力を磨きつつ、困った時にはプロに頼る選択肢を持っておくといいと。
その通りですね。どんな人であっても、いつ何時、会社都合で転職せざるを得ない状況に陥るか分からない時代です。
常にフットワーク軽く次の仕事をつかみとれるように、日頃から自分のスペシャリティーを磨きあげ、その専門性を証明する材料を揃えておくといいと思いますよ。私自身もそうした危機感も元に、専門性を磨くために学びを継続中です。
取材・文/夏野かおる