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高性能=正義とは限らない。「弱いロボット」が教えてくれる、人の心を動かすモノづくり【連載:匠たちの視点・岡田美智男】
第87回米アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞したアニメ『ベイマックス』。
この作品に登場するロボット「ベイマックス」は、よくあるアクションムービーで主役を務めるロボットのように一撃必殺の兵器を内蔵しているわけでもなければ、素早い動きで敵を翻弄できるわけでもない。むしろ、“見せ場”であるはずのアクションシーンで、足がもつれて転んでしまうことすらある。
しかし、兄と死別して以来心を閉ざしてきた主人公ヒロは、ベイマックスに一方的に助けられるのではなく、むしろ自分が助ける側に回ることによって、次第に前向きに生きる力を取り戻していく。
この「弱いロボット」が持つ可能性について、かなり以前から研究を重ね、実際に開発してきたのが、豊橋技術科学大学の岡田美智男教授だ。2012年に上梓した、そのものズバリ『弱いロボット』と題された著書を通じて、その名を知る人も多いことだろう。
豊橋技術科学大学 教授
岡田 美智男氏
1960年生まれ。東北大学大学院工学研究科博士課程修了。NTT基礎研究所情報科学研究部にて音声認識、自然言語処理、プラン理解などを統合する音声言語システムの研究、生態心理学や状況論的なアプローチに基づいた非流暢さを伴う発話生成機構の研究を行う。95年より国際電気通信基礎技術研究所(ATR)に移り、ソーシャルなエージェント「トーキング・アイ」やソーシャルなロボット「む~」を開発。2006年より現職。 主な編著書に、『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』(講談社現代新書)、『弱いロボット』(医学書院)、『ロボットの悲しみ』(新曜社)
人と人のコミュニケーションの仕組みを探る目的で数々のロボットを世に送り出してきた岡田氏だが、そのいずれもが「一人では何もできない」。
例えば下の動画で紹介するごみ箱の形をしたロボット『Sociable Trash Box』は、自分一人では落ちているゴミを拾うことすらできない。しかし、その愛らしい動きに直面した人は、なぜかゴミを拾わないではいられない気持ちにさせられてしまうのだ。「ゴミを拾い集める」というミッションは、結果として達成されることになる。
東浩紀氏の『弱いつながり』、高橋源一郎氏と辻信一氏による『弱さの思想』などの著作が話題を集めたように、「弱さ」はここ数年の日本(あるいは世界)を語る上で一つのキーワードとなっている。
岡田氏はこうした状況を「成果主義、能力主義の名の下に頑張ってやってきたものの、結局誰も褒めてくれないので世の中が疲弊してきた。また、東日本大震災のような状況に直面し、個人の限界というものもあらためて思い知らされた。そうした流れの中で、『弱さ』の価値をもう一度見直してみようという機運が生まれているのではないか」と見ている。
「異邦人」であるロボットを通じて、人間を知る
岡田氏のこれまでの歩みは、音声認識や自然言語処理、生態心理学などさまざまな領域にまたがっている。その中で生まれたいくつもの疑問が、最終的に岡田氏を「弱いロボット」開発へと導いた。
例えば次のような例が分かりやすい。
「今から約30年前、自動販売機でジュースを買って去ろうとしたら、背後から『アリガトウゴザイマス』という声が聞こえてきた。最初は『ついにこういう時代が来たのか』と感動したのですが、次第に『お礼の気持ちとして伝わってこないのはなぜなのだろう』と考えるようになりました」
聞こえてきた言葉の意味は、人間が発する「ありがとうございます」と変わらない。にもかかわらず、感謝の気持ちは伝わってこない。では、ここに何が加われば、人の心を揺り動かす言葉になるのだろうか。
1990年代には、今でいうAppleの『Siri』のような対話システムの研究をしていた岡田氏。当時のコンピュータの性能では、質問してから回答が返ってくるまでに5秒ほどのタイムラグがあった。
「そうすると、どうしても『つながった感じ』がしない。一方で、人間同士の会話は言いよどんだり口ごもったりするのに、会話をしている感じがする。世の中はロボットやAIに対して高性能で分かりやすいものを求めるけれど、そうではないところに人らしさはあるのではないか」
その「足りない何か」を求めて行き着いたのが、「身体性」としてのロボットだった。ホンダが開発したASIMOにも刺激を受けて、以後、自らロボット開発に足を踏み入れていく。
機能は個体の「中」に備わっているという先入観
「ロボットを新しく開発しようと言うと、大抵の場合、『●●してくれるロボット』というように特定の機能とか目的を想定してしまう。でも、そういうものに囲まれた生活って、本当に幸せなんでしょうか? 特定の目的で作られたモノは、ちょっと条件がズレてしまうと、途端に役に立たないゴミになってしまう。役に立つモノを作ろうとして、結果的に役に立たないゴミをたくさん生み出してしまっているのが、今の世の中ではないでしょうか」
ならばいっそ、役に立たなくていい——。そんな大胆な発想の転換から、「弱いロボット」の構想は生まれた。
とはいえ、『Sociable Trash Box』の例からも分かるように、結果として役に立つのが「弱いロボット」の本領。その役割や機能は、かかわる人や場面に応じてオリジナルに決まるのだ。人と人との関係性がそうであるように。
「作ったロボットを展示会などに出すと、40歳くらいの技術者は大抵、手を後ろに組んだまま『このロボットは何ができるの?』、『モータはいくつ? センサはどんなもの?』って質問するんです。これは、能力や機能は『個体の中』に備わっているものという先入観にとらわれているといえるのではないでしょうか。その点、子供たちはとりあえずロボットと遊ぼうとする。かかわってみる中で、何ができるのかを一緒に探るという視点を持っています」
岡田氏と研究室の学生たちが開発するロボットの多くには、体を支える支柱にバネのような構造が組み込まれている。そのため、動くたびに体は不安定に左右へ揺れる。
安定した挙動が追求される一般的なロボットとは対象的に、むしろ歩き始めて間もない赤ん坊のような頼りなさ。人の心を揺り動かす「弱さ」は、こうしたところにも演出されている。
新しいパラダイムを理解してもらうための2つの方法
分かりやすいものを求めがちな世の中にあって、岡田氏の研究の意義をすぐに理解するのは難しいかもしれない。
実際、「学内でもロボット工学の人は『カッチリ』設計して作っている。僕らが作るロボットの明確な機能を持たない『フワっとした感じ』はなかなか理解されないし、おもちゃのように扱われることも多かった」と岡田氏は振り返る。
こうした苦労は、新たなパラダイムを提示しようとする多くの研究者や開発者が共感するところでもあるだろう。岡田氏はNTT研究所からATR、そして現在に至るまで、次の2つのことを実行して道を切り開いてきた。
「一つは、実際にモノを作って見せることです。理屈だとなかなか分かってもらえないことも、実際に動かして見せると理解が得られる場合が多い。ただし、1個作っただけでは『ああ、そうなの』で終わってしまう。いろんな事例をこれでもか!とたくさん並べることで、『こういう方向性で考えている人たちなのか』と分かってもらえる場合が多かったですね」
実際、岡田氏の研究室を訪れると、手のひらに傘を立てるゲームのように危ういバランスで立つだけの『ペラット』や、幼児のような言葉使いで言いよどみながらネットニュースを読み上げる『トーキング・アリー』など、いくつもの頼りないロボットたちであふれ返っている。
「もう一つ、外堀から埋めるということもポイントです。組織の中で決定権を持つ人たちというのは、いろいろな成功体験を経ている分、自分なりの見方に自信を持っていて、新しい見方を理解できない場合が多い。そこで、展示会などの機会を利用して外の人に触れてもらい、『面白い』と言ってもらう事例を積み上げることで、遠回しに理解を得るということをやっていました」
「弱さ」が生むレジリエンス
iRobot社のお掃除ロボット『ルンバ』の売りは、一般的には、留守の間に自動で部屋の掃除を済ませてくれる「一人でできる」能力にある。
だが、実際に利用している多くの人が身をもって経験しているように、『ルンバ』にはいくつかの“弱点”がある。
「ケーブルを巻き込んで動かなくなる、段差から落ちて袋小路にハマる……そういった弱さが分かると、僕らはどうするか。椅子を片付けてあげたり、段差をなくしたりして、『ルンバ』を助けようとしますよね? そうすると結果として部屋は整っていく。この場合、部屋を片付けたのは誰でしょうか? 僕だけの力でも『ルンバ』だけの力でもない。『弱さ』がお互いの力を引き出し、Win-Winの関係が生まれているのです」
研究のツールとして生まれた数々の「弱いロボット」が、副産物として『ルンバ』のように社会で活躍するのは喜ばしいこととしながらも、岡田氏がそれ以上に望んでいるのは、「弱いロボット」の思想が社会システムや人と人との関係構築に活かされることだ。
「今、介護現場にもロボットが入り込んでいますが、基本的に期待されているのは、お年寄りの弱った機能を補完するものとしての役割。そこでは、いつまで経っても『一人でできること』を良しとする考え方が前提となっています。でも、何かが変ではないですか? 『何かをしてあげる人』と『してもらう人』の間に明確に線を引くと、人は相手に対する要求水準を際限なく上げていってしまいます」
さきほどの『ルンバ』の例でいえば、『掃除をする』のはあくまで『ルンバ』の役割であると線を引いてしまうと、「もっと静かに掃除ができないのか」、「このほこりの取りこぼしは何だ!」といった具合に、人からはどんどん寛容さが失われていく。
職場にも1人や2人はいるだろう。個人として見れば決して仕事ができる人とはいえないのに、見るに見かねた周囲が手を貸すことで、結果として良い成果を生み出してしまう“困った人”が。
「そういう人は決して会社からいなくならない。どこか憎めないし、とてもしなやかですよね。まさに『弱さ』が生むレジリエンスといえるでしょう」
ローテクゆえに人を動かすモノづくり
こうした考え方は、すべてのサービスづくり、モノづくりに活かすことができるはずだ。もちろん、何か新しいモノを世に送り出すとなれば、人はそれをより完璧なものにしようとする。だが、「モノそのものをデザインする」のではなく、それを含んだ「関係性をデザインする」という視点があるかどうかで、生み出されるものは変わってくる。
「『弱いロボット』で実践しているのは『引き算のデザイン』です。内部構造は非常にシンプルなものですが、かといって何もできないわけじゃない。『一人でできない』からこそ関係性が引き出されて、成果を生み出すことができる。思うに、元気のなかった最近の日本のモノづくりというのは、これとは逆の『足し算のデザイン』だったような気がします。量販店に並ぶ製品には毎年、新しい機能が追加されている。パラダイムシフトのないまま競争を繰り返せば、疲弊してしまうのは当然の帰結です」
ローテクなのに何かを成し遂げるというのは、UI研究の第一人者である慶應義塾大学の増井俊之教授が提唱する「コロンブスの卵指数」(得られる感動や解決方法を、システムの複雑さで割ったもの)の考え方と通じるもの。「弱いロボット」の場合は、むしろローテクであるがゆえに何かを成し遂げられていると言うこともできる。
人と人との関係性を探る「弱いロボット」の取り組みは、同時に人とテクノロジーのより良い関係についても重要な示唆を与えているのではないだろうか。
取材・文・撮影/鈴木陸夫(編集部)
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