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日米で半年ニートをするまで気付かなかった、「お金・理念・コード」より大切なこと【上杉周作】

働き方

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    上杉周作の「From Silicon Valley」 ~IT最先端の”今”に学ぶ~
    エンジニア / デザイナー 上杉周作

    1988年生まれ。小学校卒業と同時に渡米し、カーネギーメロン大学でコンピューターサイエンスを学ぶ。米Apple、米Facebookにて、エンジニアとしてインターンを経験した後、実名Q&Aサイト『Quora』のプロダクトデザイナーに。2011年7月に慶應義塾大学で行われた講演が好評を博し、日本のIT・Web業界でも名を知られるように。2012年3月にQuoraを退職。現在はシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeでGrowth Hackerとして活躍

    シリコンバレーの自宅から運転して15分もすれば、Googleのお膝元であるマウンテンビューにたどり着く。この街で一番大きいビルの7階にシェアオフィスがあり、仕事がなかった昨年の夏にはよく立ち寄っていた。

    ニート生活も板についてきたある日のこと。朝早くオフィスについてデール・カーネギーの『道は開ける』を読んでいると、こんな会話が聞こえてきた。

    — 仕事見つかった?
    — 全然。もう少しフラフラしてみるよ。

    — そっか。親とか心配してない?
    — 今のところは。

    — そうなんだ。韓国人の親はみんな厳しい印象があるけど。
    — そうかもね。カリフォルニア大卒で韓国人のJ君って友達がいるんだけど、彼のご両親は厳しいみたい。内定がないまま卒業してニートになったらしいんだけど、肩身が狭いって言ってた。
    — うんうん。

    — ご両親は韓国で農家を営んでいて、年間500万円するJ君の学費を賄うために土地を少しずつ売っていたの。夏休みに実家に帰るたびに畑が小さくなっていたらしいのよ。その畑を見ながら親御さんはいつもこう言ってたそう。「そこからあそこまでは去年の分で売っちまった。どうだ、良い成績はとれたか」って。
    — それはきついなぁ。

    ニートになると世の中が違って見える。聞き耳を立てながら、わたしはまるで針のむしろに座す心境だったが、仕事があったころなら他人事だと見下していただろう。

    というわけで今回は、ニート生活を通してわたしが得ることができた視点をいくらか共有したい。

    はじめに、事の成り行きについて箇条書きで示しておく。

    ・ 2012年3月に、デザイナーとして勤めていたシリコンバレーのQuora社を退職した。

    ・ その理由は4つ。第一に、デザイナーという職種に未来を見出だせなかったから。第二に、日本に住む家族のそばにしばらくいてあげたかったから。第三に、大学一年の時から六年間、長期休暇に縁がなく、燃え尽き症候群になっていたから。第四に、執筆や講演などを通じて、日本のIT業界に興味を持ったからである。

    ・ 貯金も少しあったので、「果報は寝て待て」のことわざに倣って、とりあえず日本に渡って次の一手を考えることにした。ただ、事務処理などでシリコンバレーに3回戻る必要があったため、最終的には日米を行ったり来たりしていた。

    ・ 日本では、横浜の実家から渋谷のとあるシェアオフィスに通っていた。

    ・ 人と会う、本を読む、会社を訪問する、大切な人と過ごす悠々自適な日々だった。

    ・ その後、シリコンバレーのEdSurge社での非正規雇用が2012年9月に決まり、現在にいたる。

    では本題に入ろう。ニートになってわたしが学んだことは次の3つである。

    1. “有り金”より“甘さ”
    2. “理念”より“理念的”
    3. “コード”より“コンテンツ”

    “有り金”の心配より、“甘くなる自分”への不安

    自宅警備員になりたてのころは、減りゆく貯金の残高が心配の種だった。しかし、有り金のことは二の次でよかったと今は思う。それよりも、自分の甘さに歯止めを掛けるべきだった。

    仕事を辞めるとメンターを失う。メンターを失うと、誰もが自分に対して甘くなる。

    Quora時代、Facebookの元リードデザイナーだったRebekah Coxがわたしを鍛えてくれた。RebekahはForbes誌の「最もクリエイティブな100人」にも選ばれた天才デザイナーである。

    Rebekahは、わたしの成長についてわたし以上に考えてくれていた。彼女との個人面談は週一回あり、「お前のデザインはバグに見える」、「ひどいアイデアでも途中でデザインを止めるな」、「コードが書けるデザイナーだからこそ自惚れるな」と口を酸っぱくして教えてくれた。

    まるで未来の自分と対話しているようだった。

    彼女から離れ、徐々にわたしは自分に甘くなった。仕事を辞めて2カ月後に話したTEDxでは失敗し、4カ月後にはGitHub社と面接するも撃沈。6カ月後には、Quoraで学んだことのほとんどを忘れかけていた。

    自分に厳しいと思う人ほど、その厳しさの源泉が他人であることに気付かないものである。銀行の残高をチェックするMoney Fowardのようなアプリはあるが、甘さの残高は確認できない。

    また、尊敬する人の発信を追っても、メンタリングの効用は得られない。メンタリングもネット選挙も双方向だからこそ価値がある。あなたが尊敬するような優秀な人は、あなた以外の誰かのメンターになっている。その誰かとあなたは勝負にならない。

    どのようなキャリアを選択するにしても、「未来の自分」になってくれるメンターを確保しておくべきだ。著名RubyistのJosh Susserも、Railsの開発に参加する際に、コアコミッターのRick Olsonに「僕のメンターになって」とメールを送ったらしい。

    Fabを含む4つの会社を作った、わたしが一番尊敬する起業家のJason Goldberg氏ですら、Allen Morgan氏とJeff Jordan氏という2人のメンターを崇拝している。

    減る有り金より、増える甘さ。Y Combinatorの投資プログラムも2カ月前、投資額を半分、メンターの数を倍にした。2013年、わたしも身の程をわきまえて精進したい。

    “理念”のある会社より、“理念的”な創業メンバーのいる会社

    「雨が降れば傘をさす」、「企業は社会の公器」、「ガラス張り経営」といえば誰だろうか。そう、松下幸之助である。昔のパナソニックのように、次から次へと成功する会社は経営理念が突出して優れている。

    海外のソフトウエア界なら、GitHubや37Signalsが有名だろう。人が辞めないことで有名なGitHubは、「幸せに最適化しろ」、「熱狂的なファンを作れ」などの理念を掲げている。それに対して、Railsの生みの親の37Signalsは「失敗から学ぶな」、「競合相手以下のことしかしない」といった理念をベストセラー本にまとめた。

    国内だと、クックパッドの経営理念は素晴らしい。札幌Ruby会議でクックパッドの技術部長、井原正博氏の講義を聞いたが圧巻だった。「問題を解決させてくれるユーザーに感謝する」、「一行のログの向こうには一人のユーザーがいる」とはけだし至言である。

    こうしたあこがれから、「日米問わず、経営理念の良しあしで次に働く会社を選ぼう」と思っていた。

    しかし、それは間違いだった。30人の社員がいたQuoraよりも小さい職場を探していたため、わたしが声を掛けた会社の多くは創業1年以下だった。それらの会社の中で、聞こえの良いスローガンはあっても、しっかりと理念が根付いている会社は、創業1年以下だと珍しいのである。

    例えば、GitHubも一年目は理念などなかったという。37Signalsによるインタビューで、GitHubの創業者たちはこう語っている。

    「会社の1年目は思春期のような自分探しの時代だったね。プライベート開発からGitHubは生まれたので、大きなビジョンや夢や大志はなかった。とにかくクールなものを作りたい。しかし、それだけではダメで、ビジョンと哲学が必要なことにいずれ気付いたんだ」

    GitHubの理念は、理念的だった創業者と初期社員が作ったのだ。以下に挙げた彼らの記事から、それは伝わってくる。

    ■リードエンジニア・Ryan Tomayko氏「全エンジニアをマネジャーに」
    ■リードデザイナー・Kyle Neath氏「全エンジニアをデザイナーに」
    ■エンジニア・Zach Holman氏「非同期で開発する」

    したがってわたしも、会社を選ぶ基準を「理念があるか?」から「創業メンバーは理念的か?」に切り替えた。

    今の会社の創業メンバーはとても理念的で、場数を踏めば百戦錬磨の理念が生まれるだろう。

    “コード”より、“コンテンツ”を生み出す

    エンジニアにとって、「コードを書くか、もしくは記事やスライドなどのコンテンツを作るか」は永遠の二択問題だ。

    ニートだったわたしも、そう自問自答していた。最近はGitHubプロフィールが採用基準になることが多いから、就活のためにはコードを書くべきかもしれない。

    しかし、コンテンツを作れば村上福之氏のようにブログ本を出版できたり、良いことが起こるかもしれない。はたしてどちらを選ぶべきか。

    この問題の解き方については、Steve Yegge氏の記事が委曲を尽くしている。

    「あなたには(会ったことがない)あこがれのエンジニアがいますか? わたしにはいます。しかし面白いことに、彼や彼女らが書いたコードはあまり読んでないのです。有名と呼ばれるようなエンジニアは、主に文章を通じてわたしに影響を与えました」

    Steve氏もまた、自身のブログ“Stevey’s Blog Rants”で有名になったエンジニアだ。コンテンツに影響されたから、コンテンツを作る道を彼は選んだのである。

    つまり、「コードを書くかコンテンツを作るか」という質問には、「自分がされてうれしいことをする」という、小学生でも分かる方法で答えることができる。次の3ステップを踏めばいい。


    1. 自分に影響を与えたエンジニアを何人か思い浮かべる。
    2. どのようにして自分がその人から影響を受けたかを考える。
    3. その人の素晴らしいコードに影響されたならコードを書く。反対に、その人の素晴らしいコンテンツに影響されたならコンテンツを作ればいい。

    わたしの場合、ニートになってから影響を受けたエンジニアはDestroy All Softwareを運営するGary Bernhardt氏と、Practicing Rubyを運営するGregory Brown氏である。彼らのコンテンツを通じて、APIデザインの何たるかを学ばせてもらった。

    コンテンツに影響されたから、コンテンツを作れるエンジニアにわたしもなりたいと考えたのだ。その第一歩として、8月にこの連載を始めさせてもらった。不慣れな日本語も野内良三氏の本を読んで勉強した。

    すると幸運が巡ってきた。連載第一回目に今の会社のEdSurgeについて書いたところ、かなりのトラフィックをEdSurgeのサイトに呼んだのだ。それに気付いてもらい、面接にこぎつけることができ、最終的に採用された。

    棚ぼた的にニートを脱出できたわけである。

    コードよりコンテンツに舵を切って良かったと同時に、記事を読んでくれたエンジニアtype読者の皆さまと、担当編集者の小禄さんに感謝したい。

    最後に: “仕事”より“人生”

    小学生時代を横浜のハマっ子として過ごし、高校まで水泳部だったわたしは、水辺で遊ぶのが大好きだ。シリコンバレーだとShoreline Parkという、湖が綺麗な公園をわたしはよく訪れる。

    この公園はGoogle本社の真裏にあり、平日の昼には、Google社員がカヤックで汗を流している。休日の昼なら、家族連れで散歩をする人々を見掛けることができるだろう。

    シリコンバレーには素敵な会社もあるが、それ以上に素敵な人生を送るための環境がある。

    それは日本にあまり知られていない。Google本社を見学しても、この公園を見学する研修プログラムは聞いたことがない。

    だから、わたしはよく、日本の若い人たちをここに連れていく。成功に呪われたシリコンバレーにもこんな場所がある。わたしたち個人だって、成功する道を選ぶより、自分が正しいと決めた道を選べるはず。そう気付いてもらえることを願いつつ、若い人たちを連れていく。

    「仕事 < 人生」である。その不等号が逆になっていたら、しばらくニートをしてみてもいいかもしれない。新しい物の見方ができるようになることは、少なくとも間違いないだろう。

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