データ活用で伝統産業を変えた『獺祭』の旭酒造「明日を知る唯一の術は、昨日今日を正確に把握すること」【特集:New Order】
「日本酒が売れない時代」と言われる中、山口県岩国市の旭酒造が製造する純米大吟醸酒『獺祭』は、例外的に国内外で爆発的な人気を博している。
2014年度の売上高は46億円。アメリカ、フランスなど24カ国に輸出されており、同年4月に来日したアメリカのオバマ大統領に安倍晋三首相が贈ったのもこの『獺祭』だった。
その旭酒造の酒造りは独特だ。
従来、日本酒の製造は杜氏と呼ばれる専門家集団によって担われてきたが、旭酒造は職人の経験と勘に頼ったこうした伝統的な手法を廃止。代わりに発酵中の米の温度や水分含有率など、酒造りの全工程で詳細なデータを蓄積し、その分析から最適な「次の一手」を導き出すという全く新しい製造法を確立させた。
今回紹介するのは、ITによって業界の常識を打ち破った伝統産業のゲームチェンジャー、旭酒造3代目社長の桜井博志氏だ。
いまだ古くからの伝統を受け継ぐ酒蔵が多い中、旭酒造はなぜ、いち早く杜氏制度と決別する道を選んだのか? 「IT×リアルビジネス」の可能性に注目が集まる時代にあって、伝統産業の担い手側から見た、成功のためのポイントとは?
人里離れた山間部にそびえ立つ高層ビルのような酒蔵に、桜井氏を訪ねた。
自然が相手だからこそ、データが活きる
旭酒造が杜氏制度と決別し、データに基づいて社員だけで酒を造る体制へと切り替えたのは1999年。桜井氏が急逝した父親の跡を継いで社長に就任してから、15年目のことだった。
事業拡大を狙って始めた地ビール生産やレストラン経営に失敗し、「愛想を尽かした杜氏に逃げられた」ことが直接のきっかけだったという。
しかし、桜井氏はそれ以前から、杜氏の経験と勘に頼った旧来の酒造りに疑問を持ってもいた。
「冬の間だけ酒を造りに来る杜氏は、その年にできた酒のデキに一喜一憂するばかりで、原因を分析して翌年以降の酒造りに活かす姿勢に欠けていました。だから、私としては早くからデータを持ち込みたかったのですが、そうした細々とした仕事を杜氏はやってくれない」
それならいっそ、自分たちだけでやりたいように酒を造ろう――。そう考えた結果の決断だった。桜井氏の他は社員4人という小所帯。酒造りもデータの扱いもイチからという再出発だ。付き合いのある酒屋からは「無理だからやめておけ」と忠告された。
だが、酒造りも製造業の一種とすれば、成功や失敗の原因を詳細に分析するのは普通のこと。桜井氏にはそう思えた。むしろ、自然相手で正確に「明日」を予測できない分野だからこそ、その必要性はさらに高まると言う。
「酒造りにおいては全く同じ条件が二度そろうことはありませんから、明日のことを100%正確に予測することはできません。ただ一方で、昨日までの経過と今日の状態であれば、データを用いることで知ることができる。不確定な明日のことをより正確に知りたいと思ったら、昨日今日のことをきっちり把握する以外に方法はないでしょう」
実際、四季を通じて一定に保たれた空調管理や、現在では70人まで増えた製造部員の分業によるライン生産方式など、一般公開されている『獺祭』の製造工程は、一般的な製造業と何も変わらないような印象を与える。
機械にはできないことを知り、そこから逃げずに手間をかける
旭酒造の酒造りを支えるデータ解析。意外に思われるかもしれないが、その担い手はパートの女性たちだ。
「機械がどんどん進歩している今、データの解析自体はそれほど難しいことではない」という桜井氏。伝統産業に革新をもたらすポイントはむしろ、機械やデータにできないことを知り、その現実から逃げないことにあるという。
実際に酒造りの製造工程を見学すると、ある点に気付く。人の手を掛けることを重視して、アナログ化を進めている部分も多くあるのだ。
例えば、他の酒蔵であれば全自動洗米機を使って1時間程度で終える洗米の工程を、旭酒造では1回あたり15キロの小分けにして全て手洗いで行う。そのため、7人掛かりで丸1日を費やす大仕事になる。
これは、洗米後の米の水分含有率を0.1%刻みで調節するためだ。こうした微調整で、最終的な酒の味が大きく変わることはデータで証明されているという。
だから、多少効率は落ちても妥協はしない。
「杜氏による酒造りは全て人の手でやっているようなイメージがあるかもしれませんが、実際には変に機械に頼ってきたところがあります。機械を用いた洗米では、せいぜい1、2%単位でしか調整が効きません。そうした事実に目をつむってきたのです」
良いモノを造るという最終的な目標を達成する上で、困っていることがあれば、そこから逃げずに正面から取り組むこと。それが、業界内での自分たちのポジションを有利なものへと導いてくれると桜井氏は言う。
変化を拒む人間の本性に向き合え
『獺祭』は、酒造りに最も向く米とされる山田錦のみを使って生産されている。この山田錦、背丈が伸びやすく刈り取るタイミングが難しいなどの理由で、生産に需要が追い付いていない状況にあるという。
そこで旭酒造では、酒造りで培ったデータ分析の手法を活かし、山田錦栽培の「最適化」にも挑戦している。
契約農家と組んで富士通の農業向けクラウドシステム『Akisai』を導入し、気温や土壌の状態などのデータを蓄積、そこから刈り取りのタイミングなどのノウハウを抽出しようと試みている。
その年の米のデキに一喜一憂するにとどまっている農業の現状は酒造業界と似ており、多くの製造業に比べて非常に遅れていると桜井氏は言う。
「日本の先端企業であれば100メートルを10秒で走るところ、酒造業や農業は30秒もかけている。だから私らが15秒で走っただけで、業界内でダントツの1位になれるんです。データ分析と言っても、一般的な製造業から見たら特別なことをやっているわけではありません」
そうだとするならば、これまで酒造業や農業の革新を阻んできたものとは何だったのか。「それは、変化を拒む人間の本質ではないか」と桜井氏は言う。
「経営者として日々、社員と接する中で気付くことがあります。どんなに便利になろうとも、前日と違うことを要求すれば社員は文句を言い、逆に昨日と同じことの繰り返しであれば知らぬ間に負荷が上がっていようとも文句は出ないということです」
変化を拒むのは人間の本性であるから、あるのは仕方がない。まずはそうした弱点を正面から認識することが変革の第一歩になるというのが、桜井氏の主張だ。
「工夫と改善」こそが日本酒にしかないブランドストーリー
業界の常識に縛られない桜井氏の考え方のルーツは、歩んできたキャリアから読み取ることができる。
大学卒業後、灘の大手清酒メーカーで酒造りのイロハを学んだ後、家業である旭酒造を手伝うようになった桜井氏。が、しばらくして先代である父親から勘当される。そうして自ら立ち上げることになった石材の卸業での経験が、現在にまで通じる一つの信念を生んだという。
それは、「良いモノであれば売れる」という真理だ。
「製造業に携わる人からすれば当たり前に聞こえるでしょうが、私にとっては新鮮な驚きでした。というのも、大学を出て最初に入った灘のメーカーは大手でしたから、大量の宣伝広告と200人を超える営業部員で酒を売る。一方で、ウチのような小さな酒蔵は、販売員が一生懸命、酒屋さんにお願いして回ることで酒を売る。だから、『酒がうまいから売れる』という当たり前のような感覚がなかったんですね。ところが、自分で石材を売ってみると、良いモノであればその分だけ売れた」
旧来の酒造りの手法を見直してデータ分析を取り入れたのも、一方で人の手を掛けて0.1%刻みで数値にこだわるのも、全ては「良い酒を造る」という信念に基づいたもの。「我々の仕事は良い酒を造ることであって、日本の杜氏制度を守ることではない」という言葉は、ともすればポジショントークに終始しがちな、商売に関わる全ての人間が耳を傾けるべきものではないだろうか。
今、旭酒造は海外市場の開拓に力を注いでいる。昨夏にはフランス・パリに現地法人を設立した。ライバルはこれまでのような日本酒ではなく、ワインだ。
「世界を舞台に戦うためには、100メートル走るのをこれまでの15秒から12秒まで縮める必要があると社員には話しています。そのためには、ワインとは違う日本酒独自のブランドストーリーも必要になる。ワインは500年前から変わらない味であることを美徳としますが、日本酒は違います。米と水から造った酒であることは室町時代から同じなのに、今では全く違うフルーティーな味わいの酒に進化している。日本酒の歴史は、工夫と改善の歴史なのです」
工夫と改善。
それはまさに、旭酒造と桜井氏がこの30年で体現してきた歩みそのものだ。日本酒も『獺祭』も、変わり続けたからこそ今がある。
この先も変わらないのは、「良い酒を造り、それを求める人に届ける」という1点だけだ。
取材・文・撮影/鈴木陸夫(編集部)
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