優れた技術者たちは何を目指すのか?各社の「匠」の視点を覗こう
世界最速を勝ち取った「京」の頭脳『SPARC64 VIIIfx』に秘められた、制約を乗り越える設計屋魂【匠たちの視点】
富士通株式会社 次世代テクニカルコンピューティング開発本部
LSI開発統括部 第一技術部 部長
本車田 強(もとくるまだ つよし)氏
1984年、鹿屋工業高等学校電子工学科を卒業後、富士通に入社。メインフレームを開発する部署に配属され、システムコントローラの設計を経験。1990年、メインフレームのプロセッサ開発に参加し、その後「京」のメインプロセッサ『SPARC64TM VIIIfx』の基礎になる制御方式を開発。以降メインフレーム、UNIX、スーパーコンピュータ向けの各種プロセッサの設計を行う。2011年6月と11月の2期にわたって世界最速のスーパーコンピュータの栄誉に輝いた「京」にも、プロセッサの設計マネジャーとして携わる
「完成した筐体は神戸の理化学研究所にあるんですが、実はまだ一度も稼働しているのを見たことがないんです」
日本が誇るスーパーコンピュータ「京(けい)」に採用されているプロセッサ、『SPARC64TM VIIIfx』の開発に尽力した富士通の本車田強氏は、少し照れくさそうに話す。
「われわれ設計屋は試作したチップの性能評価を終えると、すぐに次の新しいプロセッサの仕様検討や論理設計に入ります。ですからなかなか現地に足を運ぶ機会がなかったんですよ」
「京」は現在、神戸ポートアイランドにある独立行政法人理化学研究所・計算科学研究機構内に設けられた巨大な専用建屋に収められ、2012年9月末からの本格運用を控えている。
富士通はシステム全般の開発を請け負うベンダーとして「京」プロジェクトに参加。理化学研究所とともに、創薬や新物質の創成、宇宙科学、ものづくり、防災分野の戦略的重点5分野の進歩に貢献する使命を負う。
無論、課せられた使命の大きさと比例して、「京」にはずば抜けたスペックが与えられる。2011年6月、8コア、6Mバイトのレベル2キャッシュ、動作周波数2GHzという性能を持つ『SPARC64TM VIIIfx』を1台あたり102個搭載したラックを672台つなげ、8.162ペタフロップス(毎秒8162兆回)という結果を叩き出す。
これが「京」の名を世に知らしめるきっかけとなった。この結果で「京」は、スーパーコンピュータランキング「TOP500」において世界一の座を獲得することになる(※編集部注:2012年6月に米エネルギー省の『Sequoia』に首位を奪還され、9月時点では世界2位)。
驚くのは、この時点で、「京」は持てるポテンシャルをすべて発揮したわけではなかったことだろう。
この時の計測値は「京」の筐体設置期間中に行われたものであり、すべてのラックの据付が終わった同年10月、当初の計画通り全864ラックの据付を終えた段階で実施した動作検証において、ついに10.510ペタフロップス(毎秒1京510兆回)を達成。
「京」は、名実ともに10ペタフロップス(毎秒1京回)を現実のものとした世界初のコンピュータとなったのだった。
世界一の称号を得た裏側にあった、被災地宮城での逸話
2011年6月、11月の2期にわたって「TOP500」の1位にランクインした「京」。さらに同時期、「HPCチャレンジ賞」と「ゴードン・ベル賞」の受賞の栄誉にも浴したが、ここに至るまでの道程は決して平坦なものではなかった。
2009年5月、当初共同開発を行う予定だった大手電機メーカー2社が、膨大な製造費負担を理由にプロジェクトからの離脱を表明。さらに11月に行われた「事業仕分け」では、「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定される。
「関係者の努力と国民の声によってなんとか凍結こそ免れましたが、それでも予算は大きく減額されてしまいました」
ただ、インテルやIBMといったCPUベンダーのメインプレーヤーと伍して開発し続けているのは、国内では富士通をおいてほかにはない。彼らはその責任をまっとうするため、設計部門はもとより、全社を挙げてプロジェクトの成功に心血を注ぐ。
その覚悟は、東日本大震災に直面した時も揺るがなかった。
「プロセッサのパッケージングやケーブル製造など、組み立てにかかわる工場の多くが宮城県にありました。被災直後の数日間は連絡も取れない状況だったにもかかわらず、工場の皆さんが自宅の復旧よりも工場の立ち上げを優先してくれたことで、京は当初の計画を変更することなく組み立てることができたんです」
これらの努力が6月の「TOP500」における成果を後押しする結果となった。
「あの時ほど東北の人たちに感謝したことはありませんでした。京が世界一を取れたのは、彼らの努力が大きく貢献しているんです」
課題に直面した時にこそ感じる「謎解き」の面白さ
本車田氏が初めて本格的にプロセッサの論理設計に携わったのは、1995年発表のメインフレーム『GS8400』向けのCMOS汎用プロセッサだった。90年ごろ、それまでメモリー制御回路「システムコントローラ」の設計に従事していた本車田氏のもとに、新プロセッサ開発チームへの参加を命じる辞令が届く。いわゆる抜擢人事だった。
「今思うと無謀だと思いますよ。だってわたし自身、プロセッサの論理設計の経験はありませんでしたから。たぶん人手が足りなかったのでしょうね(笑)」
90年代前半は、メインフレームのプロセッサにも大きな変化が訪れていた時代。半導体素子もECLから、より消費電力が小さく、高速化・高集積化に優れたCMOSへの移行期にあたる。
本人は謙遜するが、CMOSによる新たな汎用プロセッサを開発するにあたって、若くして論理設計の才を見出されていた本車田氏に白羽の矢が立ったのは、ごく自然なことだった。
「異動当初は課長とわたしの2人だけの組織でした。最初の半年ほどは知識をつけるための準備期間に充てるため、当時、プロセッサ開発を行っていた部署を一つ一つ回って過去の優れた設計図面を集めることから始めました」
当初の目的はプロセッサ設計の基本を学ぶためだったが、古い回路方式をそのまま真似たところで技術的なブレークスルーは生まれない。
ただ、過去の図面から自分なりに仕様を起し直していく過程で、富士通が長年にわたって大切にしてきた、高信頼性・高可用性を基本とするものづくりのDNAを感じることができたのは大きな収穫だった。
「この時の開発目標は、従来ワンチップあたり1万5000ゲートのLSIを144個使って構成していたプロセッサを、一つのチップに800万個のトランジスタを詰め込み、かつ5つのチップでプロセッサを構成するというものでした。
ポイントはいかに回路の無駄をなくすかということになるのですが、それと同時に、先輩方が設計した図面の多くに、たとえ一部が壊れてもダウンさせずに動き続けるための仕組みが埋め込まれていることに気付いたんです。この経験で、お客さまに致命的なご迷惑をかけないものを作ることの大切さを理解できたように感じました」
無論、今日のプロセッサは当時とは比べ物にならないほどのトランジスタが集積されている。「京」に使われた『SPARC64TM VIIIfx』の場合、数にして約7億6000万個のトランジスタが1チップに収められていることを考えれば、当時の集積度は牧歌的にさえ見えるかもしれない。
しかし、いつの時代も制約に満ちた状況をいかに打開するかを考えることこそ、設計屋の醍醐味だと本車田氏は言う。
「当たり前のことですが、どんな回路も開発者が設計した通りにしか動かないものです。でも、テストしてみると期待値とまったく違う結果が出ることがあります。じゃあその違いはどこから来るのか。そんな風に考えを巡らせ、原因を追求する過程は、まるで推理小説の謎解きのような面白さがあるんです」
もちろん、要求されるスペックや開発条件は年々厳しくなっていく。
「でも、わたしにとってはプレッシャーより、面白い仕事を任せてもらえる喜びの方が、はるかに大きいんです」
「上司の指示を満たすのではなく、自ら正しいと思うスペックで開発せよ」
「京」開発プロジェクトにおいては、マネジャーとして設計の統括を行う傍ら、自らも設計者として『SPARC64TM VIIIfx』のキャッシュ制御を担当し、省電力化の実現に力を注いだ本車田氏。
最初のプロセッサ開発からおよそ20年。派生品を含めると10種のプロセッサ開発に携わってきた彼は今、富士通のプロセッサ開発を引き受ける次世代テクニカルコンピューティング開発本部の部長として辣腕を振るう。
「プロセッサの開発には莫大な開発費が必要です。『京』のような国家プロジェクト規模の開発といえども、その開発費の負担は非常に大きいものです。企業にとって、ビジネスとしての成功がなければ存続することはできません。そのため、ハイエンドな領域で培った技術力をUNIXやメインフレームビジネスに活かし、ビジネスを成功させることが大変重要です。ですからわれわれは、UNIX、メインフレーム、スーパーコンピュータ用のプロセッサを一つの部署で設計するという特色を持っているんです」
とりわけ「京」と互換性のある商用機は、国内の大学、研究機関はもちろん、オーストラリア、台湾をはじめとする海外への輸出も始まっている。
「TOP500で1位を勝ち取った際、京は29時間28分にわたって安定的に計算をし続けました。競合するコンピュータの多くが3~6時間程度だったことを考えると、京の信頼性は飛び抜けて高いと考えています。もし”記録樹立ありき”であれば、計算時間が短くても問題はないのでしょうが、実際の科学シミュレーションには膨大かつ長時間にわたる計算は必要です。”使える”スーパーコンピュータであるには、速度だけでなく安定性や信頼性も大事なんです」
もちろん、ビジネス上の成功の先にあるのは、再び「世界最速」の称号を手にすることにほかならない。2012年6月、首位陥落後の株主総会で山本正已社長も明言した通り、彼らが次に目指す高みは「エクサフロップス」(毎秒100京)クラスのスーパーコンピュータの実現にある。
「プロセッサの設計というのは面白いもので、設計を終えた段階では”やり切った”と思っても、少し時間が経つと『もっと小さくできたんじゃないか』とか『まだまだ無駄が削れた』と思うものなんですよ。それに、われわれ設計部隊には『上司の指示を満たすのではなく、自ら正しいと思うスペックで開発せよ』という、設計者自身の自主性と向上心を認める風土があります。裁量を与えてもらいながら世界のトッププレーヤーと渡り合える。設計屋にとってこんなに幸せな環境はありません。当然、今後も世界一を目指していきます」
エクサフロップスを目指すとなれば、信頼性、省電力性についても桁違いの要求が課せられることになる。おそらくプロセッサ設計のパラダイムも変わるだろう。
ムーアの法則をベースにした予想では、エクサフロップス級のスーパーコンピュータが世に出るのは2018年前後だといわれている。どんな解決策で事にあたるのか。首位奪還に向けた彼らの挑戦はこれから正念場を迎える。
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴
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