「先輩、同期とのレベル差に愕然」プログラミング経験ゼロ・文系出身エンジニアの私がコンプレックスを克服できた理由
ここ数年で、プログラミング人口は飛躍的に増加。IT人材の不足なども加わり、文系出身エンジニアが活躍する機会が増えてきた。だが、文系出身エンジニアには、入社後に「壁」が立ちはだかることも少なくない。理系出身エンジニアとの知識レベルの差を感じて焦ったり、日々更新されていく技術情報を学ぶことにハードルの高さを感じたり……。“心が折れそうになる”シチュエーションを経験したことがある人も多いだろう。
「私も、入社当時は分からないことの多さに打ちのめされ、コンプレックスの塊でした」
そう話すのは、株式会社ウエディングパークでシステムエンジニアとして働く栗山茜さんだ。現在は、式場探しの決め手が見つかるクチコミサイト『ウエディングパーク』のシステム開発を担当しながら、マネジャーとして組織づくりも行っている。
3人いる同期の中で文系出身のエンジニアは栗山さん一人。先輩エンジニアも、理系出身者がほとんどという環境だ。入社直後は同期や先輩との知識・スキルレベルの圧倒的な差に悩んだという。
それでも、入社7年目でマネジャーまで任されるようになった彼女が、着実にエンジニアとしてキャリアアップしてこられた理由は、一体何だったのだろうか。
一人で学ぶより皆で学ぶ方がいい。
自分に合った勉強法を見つけてレベルアップできた
栗山さんが就職活動をしていたころ、Facebookの創設者マーク・サッカーバークの半生を描いた映画、『ソーシャル・ネットワーク』が話題になっていた。
「エンジニアになれば、自分のサービスで世界を変えられるんだ! って、映画を観てつい熱くなってしまって。学生時代は文系でしたが就職活動ではプログラミング未経験でもエンジニアとして働ける会社を探しました」
そして、偶然足を運んだウエディングパークの採用イベントで、彼女の決意は固まった。
「ウエディングパークの女性エンジニアが、すごく楽しそうに仕事の話をしていたのが強く印象に残ったんです。『私もここでなら、生き生きと働けそうだな』と感じたんです」
無事に内定は出たものの、入社直後は同期や先輩との知識・スキルレベルの差に打ちのめされることとなった。
「基本的なIT用語も知らないから、先輩や同期が話している内容がほとんど理解できなかったんです。自分が何を分かっていないのかすら分からないっていう状態(笑)。当時はそのつらい時期がずっと続くように感じてしまい、『自分にエンジニアの才能はないのでは?』と不安を感じていました」
開発チームの同僚とうまくコミュニケーションが取れず、仕事が思うように進まない。会社で涙してしまい、同期にそっと励まされることもあったと言う。
しかし、栗山さんはエンジニアの仕事を諦めようとはしなかった。周囲の優しさに支えられたことも大きいが、何より「技術が好き」という気持ちが彼女の原動力となっている。
「技術が好きなのは、できなかったことができるようになるという、分かりやすい変化があるから。思うように仕事ができなかったつらい時期も、その気持ちだけは揺らがなかったんです」
先輩からおすすめしてもらった本を読み、分からないところには線を引く。自分が理解できなかったポイントをクリアにしたら、先輩に質問しに行き、一つずつ理解する。地道に学び続けることで、できることを徐々に増やしていった。
「理系出身のエンジニアのようにはできない」そんなコンプレックスがあったからこそ、「しっかり勉強しようという気持ちは今でも強い」と栗山さん。学び続ける中で、自分に合った勉強法も見つけることができた。
「私は一人で勉強するのが向かないタイプ。さわりの部分を勉強する時は、誰かと一緒にやるのが一番効率的だと分かってきて。『基本情報技術者試験』などの資格も、同期と勉強して取得しました」
自分が楽しく学べる方法を理解して努力を続けた結果、入社3年目にはある程度の業務を一人でこなせるように。そこからさらに、開発の仕事が楽しくなっていったという。
視野を広げてくれた社外勉強会への参加
「自分も技術面で貢献したい」
入社4年目には、あるプロダクトの制作を担当として任せてもらえるレベルまで成長。この時から他部署との調整を重ねながら進める仕事も増えていき、新人時代とは違った「壁」にぶつかった。
「特に苦労したのは、非エンジニアとのコミュニケーション。企画者のやりたいことをプロダクトに落とし込むのが私の仕事なのですが、要望を実現するための翻訳作業がすごく難しかった。そして、技術的にも“今までにやったことがないこと”を自分主導でやらないといけないシチュエーションが増えてきて、上手く進まないことが増えていきました。この課題に関しては、周りの人たちが助けてくれて、自然と解決の方向へ向かいました」
その後、「新しい技術を学びたい」というモチベーションから社外のイベントに参加するようになり、新しいつながりを積極的に作っていった。また、エンジニア向けの勉強会やイベントへの参加を通し、登壇する講師たちの姿にも影響を受けたという。
「たとえ自分の利益にはならなくても、会社という枠を超えてエンジニア同士で助け合っていくコミュニティーはすばらしいなと感じて。自分も人に教えることで、技術面で何か貢献ができるようになりたいと考え始めました。だから入社5年目くらいからは自分でも勉強会を開催するようになったんです」
また、勉強会を通して知り合った社外エンジニアからアドバイスをもらうこともあると話す。
「当時、ウエディングパークではPHPで書かれたシステムを、 Go言語に変えて実装するという作業が発生していたんです。Go言語の知識がまったくなかったので、最初はどう設計したらいいのか分からなくて。でも、勉強会で知り合ったエンジニアの方にGo言語に精通した方がいて、相談させてもらったりしていました」
文系出身エンジニアは「周囲をもっと頼っていい」
入社5年目、栗山さんはウエディングパークの姉妹サイト『Ringraph』という結婚指輪のクチコミサイトの主担当エンジニアになった。さらに入社7年目となる2019年4月からは、ウエディングパーク・メディア開発本部のエンジニアメンバー二人をまとめるマネジャーへと昇格。開発チームのメンバーの一人は、栗山さんと同じ文系出身の女性エンジニアだ。
「『分からない人の気持ちが分かる』というのは、私のマネジャーとしての強み。文系出身エンジニアならではの悩みや不安も分かるから、自分の経験をもとに勉強法やコミュニケーションの取り方をアドバイスするようにしています」
ゼロからスタートし、今やチームを率いるマネジャーとして活躍する栗山さん。エンジニアの仕事に感じる面白さは、チームで協力する働き方にもあると考えている。
「学生時代はエンジニアってこつこつ一人で作業することが多いのかなと思っていたのですが、そういうケースはかなり稀ですね。基本的にはたくさんの人とコミュニケーションを重ね、チームで一緒にものづくりをしていくことがほとんどです。私は自分の力だけではできないものを、皆で制作していく過程がすごく好き。完成の喜びを他の人と分かち合えるのも、エンジニアの仕事の醍醐味だと思います」
これまでにいくつもの壁を乗り越えてきた栗山さん。同じ文系出身エンジニアに悩みを相談されることがあれば、「周囲をもっと頼っていい」と言葉を掛ける。
「私は社内の方々に支えていただいた部分が大きかったのですが、社内にそういう人がいなければ社外で見つけてもいい。エンジニアは会社の枠を越えて一緒に学び合う文化があるから、どんな人でも自分が成長できる場を見つけられるはず。そして、つらい時期ってそこにいるときは永遠に続くように感じちゃうんですが、振り返ってみると『あっという間だったな』ということが多いものです。エンジニアリングが好きという気持ちが少しでもあるなら、簡単に投げ出さない方がいいと思います」
暗闇はいつか終わる。経験者の言葉は強い。朗らかに笑う栗山さんの姿からは、“コンプレックスの塊”だった過去の面影はもうなかった。
取材・文/キャベトンコ 撮影/栗原千明(編集部)
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