本連載では、「世の中で活躍するエンジニアの過去の失敗」にフォーカス。どのような失敗をし、どう対処し、そこから何を学んだのか。仕事で失敗してしまった時の対処法や心構えを先輩エンジニアから学ぼう!
Rubyの父、まつもとゆきひろもマネジメントで大失敗!?そこから学んだ“苦手をあえて克服しない”戦略
本連載、第2回目となるゲストは、オブジェクト指向スクリプト言語「Ruby」の生みの親として知られる、まつもとゆきひろさん。世界中のプログラマーから尊敬を集めるまつもとさんは、過去の「失敗」や「挫折」から何を学び、どうやって優れた仕事に昇華してきたのだろうか。これまでの開発者人生を振り返ってもらいながら紐解いていく。
まつもとゆきひろがマネジャー職を固辞するようになった、20年前の失敗
どうしてもプログラミングが頭をよぎります。プログラマーの仕事は「プログラムを書く」ことだけにフォーカスしているわけではなくて、実際の仕事の半分以上は「自分が書いたプログラムを直す」ことに費やしているのが実情です。ですからプログラマーにとって自分の失敗と向き合うのは日常ですし、失敗はいくら避けようと思っても起こってしまうもの。プログラマーは、日々自分の至らなさに直面しているんです。
うーん。思った通りにプログラムが動作しなかったり、事前の見積りが甘くて、できると思っていたことができなかったりという小さな失敗には事欠かないのですが、骨身に染みるような失敗や挫折の経験があるかといわれると……。正直、あまり思い浮かばないですね。
確かに景気が落ち込んで会社の経営に不安を感じたり、東京転勤を断って会社を辞めたりしたこともありました。でも、幸い上司や同僚には恵まれていたので、あまり失敗や挫折につながるような経験はなかったですね。強いていえば、自分の力不足でお客さんやメンバーに迷惑を掛けてしまったことはありました。
もう20年程前のことになりますが、実は一度だけマネジャーを経験したことがあるんです。もともとヒューマンマネジメントは不得意だという自覚があったのですが、担当するメンバーは一人だけでしたし、作業の進捗を管理するだけなので、大丈夫だろうと思って引き受けました。実際、週1回のミーティングでは、万事問題なく順調だという話だったので、安心して任せていたんです。でも……。
ええ。納期の数週間前になって「実は作業が全くはかどっておらず、納期に間に合いそうにない」と言われて驚きました。それで状況を確認したところ、内情はかなりボロボロで、納期までに巻き返せるような状況ではなかった。結局、納期を延ばしてもらうためにクライアントに頭を下げにいきました。
そうなんです。ただ、彼にしてみれば何とか挽回しようと必死だったんだと思います。でも、ギリギリまで言い出せなかった。そういう状況をつくってしまったのは、明らかにマネジャーである私の責任です。もし私がマネジャーとして、もっとやるべきことをやっていたら状況は変えられたと思います。そういう意味では、これは明らかに私の失敗でしょう。
仕事の上で密な人間関係をつくるのが得意じゃない人間は、ヒューマンマネジメントに携わるべきではないということですね。それ以来、マネジャー職は固辞するようになりました。
価値観は多様で、仕事の評価に上限はない。だからこそ得意なことで生きられる
ええ、それは考えませんでした。これがもし学校の勉強なら不得意科目を克服するのは正しい戦略といえます。でも学校の勉強と仕事とはまた違いますからね。
仮に、数学の成績がいつも95点前後取れるのに、社会のテストは60点しか取れない人がいたとします。その子がもし5教科の総合点を上げようと思ったら、得意な数学より、不得意な社会に力を入れるべきなのは明らかです。だって、数学をいくら頑張っても5点しか伸ばせませんが、社会なら40点も上げられる可能性がありますからね。でもテストと違って、仕事の成果に満点はありません。たとえ不得意な分野があっても、得意分野で人より10倍のパフォーマンスを出せば評価されるんです。
そう思います。私は子どものころから場の空気を読むことが苦手で、ずっと居心地の悪さを感じてきましたが、大学に入ったころから徐々に気にならなくなくなりました。それは成長するにつれて能力で評価される場面が増えたことと、他人の価値観に左右されなくなったからです。
大学時代、2年間休学してキリスト教の宣教師として活動したことが自分の中では大きかったですね。
宣教活動はだいたいたアメリカ人と2人1組で行っていました。彼らは一般的な日本人と違い、言葉にしない限り相手に伝わらないと考える文化ですから、「空気を読め」なんて言いません。言外の意図を汲んだり、理解したりしなくても非難されない世界があることを知ったのは、自分にとって大きな出来事でしたね。もちろんネイティブである彼らと常に一緒に行動するので、英語によるコミュニケーション力が身に付いたのも良い経験になりましたが、学んだのはそれだけではありませんでした。
人の価値観は多様で、他人が思い通りにコントロールすることはできないということを体感したのです。
宣教師は、そもそも宗教に関心がない人に対して宗教を勧めるわけですから、売れないセールスマン以上に話を聞いてもらえません。しかもそういう状況がひたすら続きます。それ自体は、悲しく、つらい経験なのですが、世の中にはたくさんの価値観があるので、仕方ありません。無理強いはできませんしね。だからできることを少しずつやるしかないと考えるようになるんです。
100年後にあなたの失敗を覚えている人はいない
そうですね。たとえばRubyを発表したのは1995年ですが、リリースから10年ほどは鳴かず飛ばず。今ほど知られた存在ではありませんでした。それでも開発を続けてこられたのは、人の気持ちと同じように、技術の人気もコントロールできないことが分かっていたからです。ですから、がっかりすることはあっても落ち込むことはありませんでした。成功も失敗も裏腹だという考えを持っていたのも大きかったかもしれません。
ええ。「人間万事塞翁が馬」ってことわざがあります。「ある日、ある老人が大切に世話をしていた馬が逃げ出してしまって落胆していたら、後日逃げた馬が別の名馬を伴って帰ってくる。老人は喜びますが、今度は彼の子がその馬から落ちて怪我してしまいます。でもそのおかげで、戦争に行かずに済んだ」ということわざです。要は、思い通りにならないことが失敗かどうかなんて、すぐには分からないものなんですよ。
その時は「失敗したな」と思っても、長い目で見れば良い経験になっていることってありますよね。それに最初から成功すると考えるなんて、そもそも見積もりが甘過ぎます(笑)。たいていの失敗はあとからいくらでも挽回できますから、小さなつまずきを重く受け止め過ぎないことは大事だと思いますね。
確かに(笑)。ただ、心や体を壊してしまうような失敗は、のちのちの行動を制約するので、判断を人任せにせず注意深く避ける必要があるでしょうね。でも、それさえ気を付けていれば、大抵の失敗は「かすり傷」程度の怪我だと思ってもいいかもしれません。
「嫌なことは嫌」と言える勇気を持つことだと思います。日本の社会は、ある程度年齢を重ねても子どものように振る舞うことを許容する社会なので、多くの若者は、親や上司のような年上の言葉や、成功者の意見に左右されがちなところがあります。年長者の言葉をもとに自分なりに法則やパターンを見い出して成長の糧にするのは素晴らしいことですが、彼らの語る体験談やアドバイスをそのままなぞっても、そもそも違う人間ですし生きてきた環境も違うわけですから、うまくいかないでしょう。
そう思います。若者が子どもでいられる社会には良い面もあるのであまり否定したくないのですが、人生の大事な局面においては判断を他人に委ねず、自分の意思で決められるよう日頃から頭を働かせて考えることは必要でしょうね。他人は誰も結果に対して責任はとってくれませんから。
以前、自分の家系を調べてみたことがあります。4代、5代も遡ると、分かるのは名前くらいで、どんな人生を歩んだ人なのか全く分かりませんでした。直系の先祖ですらそうなのですから、100年も経ったらあなたのどんな失敗だって覚えている人はいないってことです(笑)
予測した通りに事が運ばなくて落ち込むことがあったとしても、物事をいろいろな角度から眺められるようになれば、いずれ、失敗も一つの側面に過ぎないってことが分かるでしょう。ほとんどの失敗はたいしたことはないですし、大半は乗り越えられます。だから失敗を避けようなんて思わず、どんどん挑戦して経験を積むべきだと思いますね。
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/桑原美樹
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