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心を病んでSEを辞めた僕が“世界を旅するエンジニア”になって気付いた、新しいキャリアアップのカタチ

働き方

    転職や転勤、プロジェクトの異動など、エンジニアにとって環境の変化は付き物だ。慣れ親しんだ環境を離れ、新しい文化や人間関係に飛び込むことに煩わしさを感じる人も少なくないだろう。

    一方で、自ら大きく環境を変えるエンジニアがいるのも事実だ。大手企業を離れてスピード感のあるスタートアップに転職したり、あえて組織に属せずフリーランスとして、さまざまなプロジェクトを渡り歩いたり。

    世界を旅しながらフルリモートワーカーとして働いた後、国内のスタートアップ企業のCTOに就任したエンジニア、三浦信二さんもその一人。アメリカや中国といった都市を中心に、短期スパンで働く環境を変えてきたという。

    世界を旅しながら働いた経験が、新たなキャリアアップにつながった」と語る三浦さんに、これまでの経験で得たことや彼が選んだ選択肢について聞いた。

    株式会社DRIPS CTO 三浦信二さん

    株式会社DRIPS CTO 三浦信二さん(@40balmung

    1980年生まれ。愛知県出身。学生の頃からさまざまな職を経て2007年からプログラマーになる。大手企業へ常駐する業務系SEを経て、16年よりフリーランスのWebアプリケーションエンジニアへ。その後、1年半ほど世界を旅しながらフリーランスエンジニアとして働き、19年に歯科矯正サブスクリプションサービス『Hanaravi』を提供するDRIPSにCTOとしてジョイン。個人の活動で『ギークハウス大倉山』を立ち上げ、オーナーを務める
    Hanaravi
    ギークハウス大倉山

    ーーーー三浦さんの旅遍歴ーーーー
    2016年4月:SESを退職
    5月:新丸子のギークハウスに入居。フリーランスエンジニアへ
    9月:台湾(台北、台南)Web系受託開発会社へ入社
    11月:中国(上海)ギークハウス元住吉に入居
    2017年9月:アメリカ(ロサンゼルス、ラスベガス)
    10月:アメリカ(ロサンゼルス、サンフランシスコ)
    11月:アメリカ(サンフランシスコ、ニューヨーク)
    12月:アメリカ(ニューヨーク)
    2018年1月:ギークハウス四谷に入居
    2月:インド(デリー、アレッピー、ハンピ バンガロール)
    4月~5月:中国(深セン)
    7月~9月:北海道
    11月:ベトナム(ハノイ、サイゴン)タイ(バンコク、チェンマイ)
    2019年3月:沖縄、台湾(台北)
    5月:中国(深セン)

    ギークハウスへの入居を機に、海外フルリモートワーカーへ

    三浦さんが訪れた中国・深センの町並み

    三浦さんが訪れた中国・深センの町並み

    ーー「旅するエンジニア」になるまでは、三浦さんはどのような働き方をされていましたか?

    アプリ開発会社のSES部隊に勤務して一通りのスキルを身に付けた後、知人と一緒に会社を立ち上げて、しばらくは開発責任者として働いていました。毎日同じことの繰り返しで、1年があっという間に過ぎていくような感覚がありましたね。そこでメンタルを壊してしまったことを機に退職して、ちょっとした休憩感覚で住まいを新丸子のギークハウスに移しました。初期投資や家賃が安く、友人が管理人をしていたので。

    最初は1カ月だけ滞在して地元に戻るつもりだったのですが、ギークハウスでの生活やここで開催されるITイベントが楽しすぎて、1カ月、もう1カ月と滞在が長引いて……。

    そのうち同居人の一人と意気投合し、彼の会社に入社して1年ほど働いていたのですが、あるとき同居人やフリーランスの友人との間で「アメリカに長く滞在してみたいね」という話が出て。それを機に退職し、フリーランスエンジニアとして仕事を請け負うようになりました。それが、旅するエンジニアの始まりです。このギークハウスの住人は旅人や海外留学を経験している人が多く、彼らに感化されたんですよね。

    ーーギークハウスでの出会いが、ワークスタイルを大きく変えるきっかけになったんですね。これも一種の環境の変化だと言えそうですね。

    そうですね。それまでは英語が大の苦手だったので「海外でリモートワークをする」なんて考えたこともなかったんですが、ギークハウスの住人たちのおかげで一気に視野が広がりました。

    ーー三浦さんは、アメリカ以外にも中国、インド、ベトナムなど世界を転々とされたそうですが、当時はどのようなスタイルでお仕事をされていましたか?

    先進国はWi-Fiや電源など、リモートワークに必要な設備の整ったカフェが多いので、気分に合わせて好みのカフェを選びながら仕事をしていました。海外のカフェは日本よりもノマドワーカーにやさしくて、滞在時間の制限も特にありませんし、延長コードを貸してもらったこともありますよ。中国やベトナムでは、現地のコワーキングスペースも利用しました。 

    ベトナム・ホーチミンのコワーキングスペース

    ベトナム・ホーチミンのコワーキングスペース

    働く時間は、自分の集中力が高まったタイミングを優先しているのでバラバラですね。その分、トラブルが起きないように出国前にクライアントさんと厚めにコミュニケーションを取って、信頼関係を築くことを心掛けました。

    仕事をこなしていく中で、柔軟な勤務スケジュール、かつ顔が見えないコミュニケーションが中心になる場合は、それ以前の信頼関係が成功の肝になるのだと実感しましたね。

    大胆に環境を変えたことで起きた「マインドの変化」とは?

    ーートータル1年半ほど海外でフルリモートワークをしていた期間に、三浦さんの住環境やワークスタイルは大きく変化されていますよね。特に海外ともなれば言葉や文化の壁にもぶつかったと思いますが、前向きな変化につながったエピソードはありますか?

    アメリカ、中国、台湾などで現地のミートアップに参加した経験はとてもエキサイティングで、大きな収穫もありました。参加者は英語で情報収集をして、世界各国のエンジニアと英語でコミュニケーションをとっているようなエンジニアが中心で、皆さん感度が高くて刺激を受けました。現地のリアルな情報を得ることができたのも良い経験でしたね。

    各国の技術トレンドの違いが知れたのも面白かったですね。例えば去年(2019年)時点で、台湾ではLaravel/Vueが流行っている印象を受けました。Vueは開発者が中国人で参照する一次リソースが中国語なので、翻訳の手間が不用で参入しやすいそう。

    また、アメリカやその他の国ではReactと同じぐらいAngularが流行っていました。日本ではフロントエンドというとReact/Vueの二択が多いと思いますが、日本ではAngularJSからの移行でツライ思いをしたエンジニアがアレルギー反応を起こしていたので、感覚の違いがあるのだろうなと。

    働き方に関しては、アメリカでは仕事よりプライベートを優先する傾向がありつつ、退勤後にバーやミートアップでエンジニア同士がラフに交流できる文化が浸透していて、すごく働きやすそうだなと感じました。

    一方、中国や台湾は朝から晩までの長時間労働で土日も出勤する、といった一昔前の日本のような働き方がザラに見られるそう。特に高度成長期の中国では、こういった傾向が強いようです。

    アメリカ・サンフランシスコで参加したGoogle主催のイベントにて

    アメリカ・サンフランシスコで参加したGoogle主催のイベントにて

    ーー各国の技術トレンドや働き方の傾向を知ることで、グローバル展開を考えるときの参考にしたり、より良い働き方を追求したり、可能性が広がりそうですね。三浦さんは英語が苦手だったとのことでしたが、言語の壁についてはいかがでしたか?

    海外に行ったばかりの頃はかなり苦労したのですが「英語を話せないと生きていけない」というスパルタな環境に身を置いたことで、海外のエンジニアに臆せず質問できるぐらいまで、話せるようにはなりました。

    もちろん、完璧な英語は今も話せませんし文法も間違っているだろうけど、単語だけでも言いたいことを汲み取ってもらえますし、細かいことを気にせずラフなコミュニケーションができるようなマインドを得られたことは前向きな変化だったと思います。

    完璧主義の傾向が強い日本人って、どうしても「間違えちゃいけない」とか「知らないことには触れない」みたいな感じで、コミュニケーションを制限してしまいがちですが、そういうことを気にせず、何でも話せるようになりましたね。

    ーー英語を実践で習得できたこともメリットだったけれど、それ以上にマインドにも良い変化があったということですね。

    はい。コミュニケーション以外にも、大きく環境を変えたことによって、トラブル回避能力や冷静さを身に付けることができたと思います。知らない土地に行くと「想定外のことが起きる可能性」がグンと上がるので、事前リサーチを怠らなくなるし、とにかく度胸が付くんですよね。

    僕のように高額の電子貴重品を抱えて知らない街を歩くとなると、自分の身を自分で守らないといけないわけで、どんなときも冷静に物事を判断できるようになるし、大小さまざまなトラブルを乗り越えるうちに、「なんとかなる」と思えるようになってくる。

    アメリカにいたとき、レンタカーで運転していたら、後ろを走っていた車が故意にぶつかってきたことがあって、抗議したのですが相手はまったく応じてくれず……。警察も頼りにならないし、抗議を続けるより身の安全を優先しようと判断して、やむを得ず修理代を支払いました。痛い出費でしたが、これも勉強代かなと。また、インドでは乗る予定の電車が13時間遅れる、なんてこともありました。

    新しい環境、新しい出会いのある日々はエネルギーを消耗しますが、その分、確実に自分の視野が広がっているし、「とにかくやってみよう。失敗してもリカバリーできる」という思い切りの良い精神が身に付きました。

    環境の変化は「技術力プラスαの武器」をもたらしてくれる

    インドで宿泊したAirbnbのホストファミリーと

    インドで宿泊したAirbnbのホストファミリーと

    ーー三浦さんは、旅をしながら働いた経験を経て国内スタートアップのCTOに就任されていますが、なぜこのようなキャリアを選択したのですか?

    それまではフルリモートワークで単発のプロジェクトなど、割り当てられた一部の仕事だけを担っていたのですが、自分自身の成長のためにも、責任のあるポジションで事業を一から作り上げる経験をしたいと思いました。

    ーーなるほど。海外を拠点に働いていた期間は、三浦さんのキャリアにどのような影響をもたらしていますか?

    旅の経験から得られたリモートワークスキル、コミュニケーションスキル、度胸など、エンジニアとして技術力以外の「武器」を増やすことができて、トータル的に自分の価値を高められたと思っています。「旅をしながら働く」というワークスタイルの経験を1冊の本にまとめて、技術書典で発売することもできました。

    また、ギークハウスでの出会いが人生の転機になったことから、現在はCTOの業務に加えて、ギークハウスのオーナーもしています。ここで出会ったエンジニアたちから進路相談を受けることも多いのですが、いくつもの働き方を経験してきたので、その分、人生の選択肢を提供できているかなって。

    自称ですが「退職エバンジェリスト」と名乗っていて、会社になじめずに苦しんでいる人には積極的に退社を進めて、そこで働き続ける以外に新しい道はいくらでもあることを伝えています。

    経済的な問題や周囲からの見え方を気にして、苦しいままやむを得ず今の仕事を続けている人も多くいるので、フリーランスや海外フルリモートワーカーをはじめとした働く選択肢を増やすことにより、彼らの行動を後押しすることにすごくやりがいを感じています。時には背中を押すだけじゃなくて、一緒に飛び降りることも。

    例えば、海外に行ってみたいけど、あと一歩が踏み出せない……みたいな人に「一緒に行くから今すぐチケットを取ろう!」と提案し、やや強引に行動を促したり(笑)

    エンジニアは技術力を重視されることが多いのですが、さまざまな経験を通して「エンジニア×旅」「エンジニア×英語」など、「技術力プラスαの武器」を作ることも立派なキャリアアップだと僕は思います。

    インド・カルナータカ州の様子

    インド・カルナータカ州の様子

    ーー確かに、ギークハウスや海外フルリモートワーカーの経験を通じて、三浦さんのキャリアに大きな広がりが生まれていますね。

    僕自身は飽き性なので、単純に新しい刺激が多い方が楽しく働けるということはありますが、海外フルリモートワーカーの経験を経て、定期的に環境を変えて自分自身の視野をアップデートすることで成長速度を速めることができたと思います。

    ーー最後に、三浦さんが描くビジョンや達成したい目標があったら教えてください。

    現在、CTOとして取り組んでいるスタートアップの事業が成功して投資ができるぐらいになったら、くだらなくても自分が心底おもしろいと思うことを仲間と一緒に追い求めていきたいですね。

    僕の好きな『王様達のヴァイキング』というマンガがあって、これは孤独な天才ハッカーとエンジェル投資家がIT業界で「世界征服」を目指す話なんですが、このエンジェル投資家のように、とことん好きなことにお金と時間を捧げたいなって。そして、自分が得た経験を多くの人にシェアすることで誰かの人生に前向きな変化を起こせたら、と願っています。

    取材・文/小林 香織 写真/ご本人提供

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