58歳の元NHKプロデューサーと20代のヤフー社員が「戦争アーカイブ」制作で学んだこと
今年は第二次世界大戦終結から71年目を迎える。厳しい戦禍を生き抜いてきた世代が減っていく中、その記憶と記録を、未来に伝えていくデジタルアーカイブ『未来に残す 戦争の記憶』が、2016年8月4日にヤフー株式会社からリリースされた。
同社が2015年より戦争に関する情報をアーカイブするプロジェクトを始めたのは、戦後70年という節目を迎えたという以外の理由があった。実際に戦争を経験した人々は高齢になり、その戦争体験を直接「聞く」ことのできる機会は徐々にだが確実に失われようとしているからだ。第二次世界大戦に出征した人たちはもう90代以上となっており、すでに天寿を全うした方もいる。
そこで今年のプロジェクト「空襲の記憶と記録」は、当時まだ少年少女だった国内の戦争体験者たちに「空襲」をテーマにインタビューを行い、デジタルアーカイブとしてまとめたという。
他にも同アーカイブは、できるだけ多くの地域の出来事を伝えるため、空襲に関する番組を各地のケーブルテレビ局からもらい受けて掲載し、時事通信社から提供を受けた空襲被害についての定量データもまとまっている。
この空襲に関するアーカイブプロジェクトを中心となって進めたのは、NHKを退職した58歳の元プロデューサー宮本聖二氏だ。特徴的なのは、同氏は今回、30歳前後のエンジニアやデザイナーたちと共に働くことでアーカイブを作成していたこと。約30歳もの年の差チームが一つのプロジェクトを担当するのは、歴史の浅いWeb業界では珍しい光景だろう。
親子ほど年の離れたメンバーで、スキルレベルも専門知識も異なる彼らの働き方を紐解くことで、プロジェクトを進行する上で大切なことが見えてきた。
互いに「年の差」を前向きに捉えてアーカイブを作成
宮本聖二氏はNHKのプロデューサー職を退職して以降、若手教育の立場に移ったものの、「作りたい」という気持ちを抑え切れず2015年12月にヤフーへ転職した。
NHKに勤務していた当時から戦争や震災のデジタルアーカイブ制作に携わっていたことから、「これからは貴重な戦争体験の声をインターネットに移行させないと、次世代に伝わっていかない」と考えたことがきっかけだという。
そして任された「空襲の記憶と記録」プロジェクトのチームメンバーは、新卒入社3年目・24歳のデザイナーと、30歳・28歳のエンジニア。いずれも、宮本氏の子どもたちと同じくらいの年齢だった。
とはいえ、最年少メンバーであるデザイナーの河野歩凡矢氏(24歳)は、世代間ギャップによるデメリットはほとんど感じなかった。
「僕はメンバーの中で一番若いからこそ、若者の感覚として自由に発言させてもらいました。例えば『若い人たちは東京大空襲と言われてもピンと来ないかもしれないので、どんな空襲なのか一言で説明するキャッチを入れましょう』とか」(河野氏)
一方で、扱うテーマが戦争というナイーブなものゆえ、「アーカイブのデザインや一語一句を見た時にどんな人が嫌な思いをするか分からないから」と、宮本さんに助言を仰ぐことも少なくなかったと話す。
こうして「世代の差」をうまく活用しながら、アーカイブ作成は始まった。
年齢もスキルも異なるが、「むしろそれが必要だった」
前述のようにWeb業界の歴史は浅く、宮本氏ほどのベテランと共に仕事をする機会はそうないというのが事実だ。年齢もスキルもバラバラのメンバーが集まれば、プロジェクトがスムーズに進まないのではないかと勘ぐりたくなるものである。
今回のプロジェクトで、意見の不一致やチームが機能不全に陥ることはなかったのか。
河野氏は、「宮本さんはあまり年齢を感じさせないタイプなので」と前置きしつつ、異なるバックグラウンドの人たちが集まるプロジェクトをうまく進める方法をこう語る。
「企画とデザイン、エンジニアリングの3つを完全に分業するやり方を採ったので、担当が違う人の意見の押し付けがなかったんです。もちろんお互いに意見を交換することはしましたが、基本的には担当者が主体となって進められました」(河野氏)
こうしたプロジェクト進行の背景には、「せっかく集めた戦争体験者の映像を、Webページに載せるだけでは、若い世代に見てもらえない」という宮本氏の意向が大きかったという。こうした方が見てもらえる、伝わりやすい、という部分については、「Webやスマホでの魅せ方」のプロフェッショナルである各担当者に裁量を持たせた。それぞれが持つスキルや経験を存分に発揮できる体制を整えていたというわけだ。
「もちろん、企画者である宮本さんから途中で『こういう機能を足したいんだけど……』と言われるようなシチュエーションもなくはなかったですよ(笑)。でもそこに関しては、きちんとWebの構造を説明しつつ、僕らが主体となって一つ一つ問題を解決していくようにしていました」(河野氏)
また、当プロジェクトは去年まで別チームが運営しており、主に静的ページで構成されていたため、何かコンテンツを作る時にはエンジニア・デザイナーが手を動かす必要があった。
そこでこのプロジェクトにエンジニアとして参加した関野諒佑氏(30歳)は、このようなチーム構成だからこそ「誰でも使えるように動的なページづくり」を意識したという。
「具体的には、記事入稿に特化したプラットフォームを独自に作っています。アーカイブと言うサービスの特性上、『こういう構造にしたら、エンジニアがいなくてもコンテンツを足していける』という観点を大切にしていたというのも大きいかもしれません」(関野氏)
プロジェクトの成功は「尊重と共有」にあり
宮本氏は過去の経験から、「何もかも自分でやらなければ気が済まないという人と組んでしまうとプロジェクトが前に進まなくなる」と身に染みて理解していたそうだ。だからこそ、「得意なところは得意な人に任せるのが大切だと考えていた」と振り返る。
そんな宮本氏の経験則からフラットなチームができたことで、異職種の人同士の不毛なやり取りがなくなり、デザイン・開発スピードも格段に上がったそうだ。
さらにこのような進め方は、若い世代の多いWeb系の企業だからこそ可能だったのではないかと、宮本氏は語る。
「仕事が縦系列ではなく、横で仕事をする、というのがヤフーの良いところ。お互いの知見を尊重しあうというか。今までの番組制作の現場では、プロデューサーがいて、デスクが2人いて、その下にディレクターがいて……という座組みで動くことが多かったので、上の一声で番組がガラっと変わったりもしていました。それはそれで、徹底的にクオリティを磨いていけるのですが、どうしてもスピードが遅くなってしまいます」(宮本氏)
さらに、スピードを重視した完全分業制でもクオリティを損なわないために重視したのが、共有・報告を徹底することだった。エンジニアの関野氏はこう言う。
「定例ミーティングの他に、社内のチャットツールを使ってけっこう細かく共有し合っていました。さらに最近は、このプロジェクトのために席替えをしたので、物理的に席が近くなったのも大きいですね。席にいると、宮本と河野の会話を小耳にはさむ機会も増えるので、ちょっと議論しているのを見たら、『それはこうじゃない?』と話に入ってその場で解決することも多いです」(関野氏)
相手のスキルや経験を受け入れ尊重し、担当者に任せてみる。そして、共通事項に関してはきちんと共有し、お互いが把握する。スキルも共通言語も異なる者たちが集まるプロジェクトチームには、そんな姿勢が必要なのだろう。
取材・撮影・文/大室倫子 取材/伊藤健吾(ともに編集部)
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