Web系を中心に、各企業のCTOが集まって2019年に設立された日本CTO協会。今回、設立から関わる代表理事の松岡剛志さん、理事の広木大地さんに三つのテーマでお話を伺った。
一つ目のテーマは、デジタルトランスフォーメーション(DX)だ。
同協会はCTOコミュニティー運営の他、DXに関する基準策定や政策提言なども行っている。日本におけるデジタルビジネスの牽引者である彼らに、DXの現状はどう映っているのか。
株式会社レクター 代表取締役/日本CTO協会 代表理事
松岡剛志さん(@matsutakegohan1)
ヤフー株式会社の新卒第一期生エンジニアとして複数プロダクトやセキュリティーに関わる。その後、株式会社ミクシィで複数のプロダクトを作成したのち、取締役CTO兼人事部長へ。BtoBスタートアップ1社を経て、技術と経営の課題解決を行う株式会社レクターをCTO経験者4名で設立し、代表取締役に就任。2018年、株式会社うるる 社外取締役に就任。19年9月より「日本を世界最高水準の技術力国家にする」ことを目標とした一般社団法人日本 CTO協会を設立し、代表理事を務める。経済産業省 Society5.0時代、デジタル・ガバナンス検討会委員
株式会社レクター 取締役/日本CTO協会 理事
広木大地さん(@hiroki_daichi)
新卒第一期生として株式会社ミクシィに入社。同社メディア統括部部長、開発部部長、サービス本部長執行役員などを歴任。2015年同社を退社。現在は株式会社レクターの取締役、一般社団法人日本CTO協会の理事を務めながら、技術組織顧問として複数社のCTO支援を行なっている。著書に『エンジニアリング組織論への招待』(技術評論社)
DXという言葉が一人歩きし、技術者が置いてきぼりになっていた
――CTO協会は、そもそもどのような経緯で設立に至ったのですか?
松岡:前身時代からお話しすると、私がミクシィでCTOに就任したのが、2013年。当時、日本にはCTOに関して参照できる先行事例や資料がほとんどありませんでした。海外の本も2、3冊だけ、論文も20本もないという状況。CTOになったはいいけれど、何をやったらいいのかよく分からないというのが正直なところでした。
周りのCTOに相談してみたところ、彼らも同じように困っている。であれば、勉強会を立ち上げて、悩みやノウハウをCTO同士でシェアし合おうということになりました。
この勉強会は当初、十数人でスタートしました。数カ月に1回、テーマを決めて集まり、「こんな学びを得た」「こんなことをしてみたらうまくいったよ」と、非常に濃密な会話で盛り上がりました。今でも「ああいう場があって救われた」と言ってくれる人がたくさんいます。
しばらく続けていると次第に規模が大きくなり、Facebookグループの登録者数は400人以上、イベントを開催すると100人以上が集まるようになりました。
そうした活動の中で、「社会に対して返していけるものがあるのではないか」というムードが高まっていき、組織化することに。特定の企業の色を付けずにさまざまな活動ができるよう、2019年に一般社団法人として設立したのが、日本CTO協会という組織です。
――活動内容として、DXの基準策定や提言を行っているのはなぜですか?
広木:日本CTO協会を設立した頃、世の中では時を同じくして「DX」という言葉が聞かれるようになっていました。今でこそ連日聞くようになりましたが、徐々にその波がきていたんです。
けれども、技術者の集団であるわれわれからすると、どうも技術者を置き去りにして、DXという言葉だけが一人歩きしていっているように映ったのです。
――どういうことでしょうか?
広木:われわれは「二つのDX」という言葉で打ち出しているのですが、自分たち技術者がDXと聞いて、まず思い浮かべるのはデジタルトランスフォーメーションではなく、デベロッパー・エクスペリエンス(Developer Experience=開発者体験)の方です。
実際にデジタル化を進めるべく切磋琢磨している人たちは、開発者体験を高める、つまりは高速に仮説検証できるソフトウエア開発の環境をいかに整えるかといったことに日々、腐心しています。そのことが、デジタルテクノロジーを用いてビジネスをつくる上では非常に重要だと考え、そのノウハウを共有してきたのが日本CTO協会という集団です。
そして、そのノウハウをコミュニティーの中にとどめておくのではなく、外に対して広げていくことで、社会に貢献できる時代がきているのではないか。そう考え、内々の勉強会やコミュニティーの運営と並行して、このようなアクションをとることを旗として掲げることにしました。
もう一つのDX(開発者体験)向上抜きにDXは成し得ない
――どのような方法でそのアクションを行ってきたのですか?
松岡:DXという言葉はよく聞くものの、結局何のことを言っているのかよく分からないというのが、当初の課題だったように思います。人によって言うことがバラバラだし、抽象度が高過ぎて、「じゃあ具体的にどうすればいいの?」ということが見えていませんでした。
そこでCTO協会としてはまず、「DXをやり切った会社とはこういうものである」という、極めて具体的な基準を作りました。それが『DX Criteria』です。
松岡:DX Criteriaには320項目もあります。また、その一つ一つが非常に具体的です。それこそ、まずパスワード付きのzipファイルを送って、次にパスワードを送る……といった『パスワード付きZip問題』の例なども含まれています。それくらい具体的でないと、人は行動できないもの。だから、まずは基準をつくったということです。
次に、周りの進捗具合がどうかというのはやはり気になるポイントのはずなので、人と出会い、情報を交換できる場所としてのコミュニティーの運営をやってきました。
基準となるものがあり、外部の人と会って具体的な話を聞いて納得したら、最後に必要なのは社内の説得でしょう。社内を説得する際に必要となるものの一つは、情報でありファクトです。
そこで、団体内外のさまざまな人を対象にアンケートを取り、調査レポートというかたちで、コミュニティーに届けたり、中国をはじめとしたデジタル先端国家のレポートを翻訳して公開したりするなどの活動も行っています。
さらに、こうした知見を集約し、広く社会へ還元できるよう、政府に対する政策提言も行っています。
「DX企業の基準策定」「コミュニティー運営」「調査・レポート」「政策提言」の四つを柱として、この1年半活動を続けてきました。
――改めて、CTO協会が定義する「DX」とは何か、ご説明いただけますか?
広木:これは話すと非常に長くなるので、概要については私の書いたnoteを読んでいただくとして。ここでは出来るだけかいつまんでお話ししますが、私はDXを「デジタル技術の進化で急速に取引コストが大きく変わる中で、その企業が10年後も20年後も生き残れるのかという問い」であると定義しています。
多くの大企業にとってITはこれまで、備品などと同じ認識で、どこか外から買ってくるものだったように思います。自分たちのビジネスのコアではなかったため、外注していたわけです。
けれども、近年さまざまな領域でデジタルが重視されるようになり、自社のサービスにもコアとして取り入れる必要が出てきたのです。業務プロセスそのものをプログラムに落とし込むことが必要となり、ソフトウエアの中身もどんどん高度化・複雑化されてきました。
そうすると、業務プロセスに精通していない外の人にいちいち頼んでいては、スピードもクオリティーも上がらないし、かゆいところにも手が届かない。継続的に顧客とつながってアップデートし続けるという、ソフトウエア的な発想も必要になってきます。
時代が変化したことを受けて、皆さん「自社でデジタルビジネスをやろう」という話になる。ですが、いざやろうと思ったら、これまでずっと外にお願いしてきた分、それができる組織としての能力が全然なかった。これが今起きていることだと思います。
ですから、まずは自社でデジタルビジネスができる組織としての基礎体力、筋力みたいなものを付けなくてはいけない。その上で、この先社会がどのように変化したとしても、10年後、20年後まで生き残っていける会社になるというのが、DXという言葉の意味ではないでしょうか。
――10年後、20年後にも生き残れる会社へと変貌するのがDX。それは単に新たな飯の種としてデジタルビジネスをつくるという話ではなく、そもそもデジタルビジネスをつくれる体制を整えることから始めなければならない、と。
広木:そうです。DXについて最初に起きていた誤解も、まさにその点に関するものだったように思います。
「10年後、20年後も生き残るために、いち早くデジタルビジネスをつくらないと!」と思って一生懸命にビジネスアイデアを考えたりするのですが、それは一足飛びであるということ。まずはソフトウエア開発を事業化していくことを自分ごとにできるような、基礎体力をつけないといけない。
私たちが『DX Criteria』を通じて「Developer Experienceも大事にしなければ」と訴え掛けているのは、まさにそういうことなのです。
320ある『DX Criteria』の項目を一つ一つクリアしていくことにより、「いやいや、自分たちってここに書いてある言葉の意味も分かんないよ」という状態だった企業が、組織内にエンジニアがいて、それをサポートするマネジャーやプロダクトマネジャーがいて……という状態に変わり、極めてスピーディーに物事を解決する体力をつけることができます。
「コロナ禍でDXが進んだ」という言説は正しいのか?
――CTO協会としてそのような活動を始めて1年半。世の中のDXはどこまで進んだと言えますか? 例えば『DX Criteria』の平均点がここまで伸びた、とか。
広木:個別でデータが上がってきている会社は30、40社ほどありますが、まだ「平均点がこれだけ上がった」と言える段階ではありません。
私たちとしてはそれ以上に、世の中のDXへの認識が、ここまでお話したようなかたちに変わりつつあることに手応えを感じています。その変わっていったことの一因には、もしかしたら私たちの出した『DX Criteria』も含まれるかもしれません。
――「コロナ禍でDXが進んだ」という言い方がされることもありますが、その点については?
広木:正しくないと思っています。なぜなら「DXとは10年後、20年後にも生き残れること」と定義しているので、本当にそうなったかは10年後、20年後にならなければ分からないわけで。
松岡:一般論みたいな話になりますが、デジタルトランスフォーメーションに至るまでには必要なステップがあると言われています。
まずはデジタル化。次にデジタル化したものがつながっていくプラットフォーム化。そして最後に、ビジネスモデルだったり企業の風土だったりも変えていく……というステップを描くものだと言われています。これが本当に正しいのかには、また諸説あるのですが。
そうした中で「コロナ禍でDX進んだか?」と言えば、デジタル化は進んだのでしょう。「リモートで仕事ができなかった会社ができるようになった」とか「ペーパーレス化が進んだ」とか。そういう意味を持って「DXは進んだ」と言うのであれば、DXに対して一歩進んだのは間違いないと思います。
ですが、目指すところを考えれば、それはものすごく小さな一歩に過ぎません。
――やるべきことはまだまだ山ほどあると。
広木:誤解のないように付け加えておくと、DXを進めようと頑張っているのは、当然ですが、われわれだけではありません。私たちの働き掛けというのは、数ある動きの中の一つでしかない。
ただ、2000年代に現れたわれわれデジタル企業は、ソフトウエアの内製化はもちろんですが、ビジネス部門とエンジニアが一体となって、スピーディーに仮説検証しながら事業を開発していくということに取り組み続けてきました。それをしなければライバル企業に負けてしまうという状況の中で戦ってきたのです。
そういう人たちがたくさん集まっているのが、この日本CTO協会という組織。そんな私たちだからこそできることも少なからずあると思っています。ですので、私たちとしても引き続き、日本企業のDXをちょっとずつでも進めるお手伝いができればと思っています。
取材・文/鈴木陸夫 編集/大室倫子(編集部)