仕事にとことん没頭する人生もいいけれど、職場の外にも「夢中」がある人生は、もっといい。「偏愛」がエンジニアの仕事や人生に与えてくれるメリットについて、実践者たちに聞いてみた!
元世界6位のけん玉プレーヤーが『けん玉できた!VR』開発者にーー人生を懸けた偏愛が導いた天職
けん玉発祥の地である広島県廿日市市生まれの久保田悟さんは、全日本けん玉パフォーマンス大会3連覇をはじめ、数々の大会で華々しい成績を収めてきた日本を代表するけん玉プレーヤーの一人。
一般的なけん玉のほかに、糸のないけん玉のパフォーマンスも得意で、YouTubeには糸なしけん玉を自在に操るクールなパフォーマンス動画もアップされている。
そんな久保田さんの本業は、VR/XRエンジニア。VRやXRを使ったスポーツ・産業分野のトレーニングツールを手掛けるイマクリエイト株式会社で、VRけん玉などの開発に携わっている。
「ずっと、けん玉ありきの人生です」という久保田さんに、けん玉が人生に与えた影響や魅力を語ってもらった。
高校時代は1日12時間以上も練習! 「達成感」がやみつきに
久保田さんがけん玉と出会ったのは5歳の時。滑り台から落ちて腕を骨折し、しばらく外で遊べなくなってしまった時にふと手に取ったことが始まりだ。そこからけん玉の魅力に取りつかれ、1カ月後には小さな大会で準優勝を飾るほどに。中学に上がりバスケ部に入ったことで一時はけん玉から距離を置いていた時期もあったというが、ある日突然けん玉への思いが再燃し、部活を退部して本格的にのめり込んでいった。
「最も時間を費やしていたのは、間違いなく高校時代です。けん玉のためにジャグリング部を立ち上げたんですよ。平日は校門が開く朝6時に部室へ行って2時間自主練をしてから授業を受けて、もちろん放課後もひたすら練習。土日も部室が開いていたので、朝6時から夜8時まで練習していました。めちゃくちゃ楽しかったんですよね」
ジャグリング部の発足を申請した当初は、学校に認めてもらえず一度は却下となったそう。そこで久保田さんは大会で好成績を残し、実績を認めてもらう作戦に出た。その時出場したのが「全日本けん玉道パフォーマンス大会」。演技に使ったのは一般的なけん玉ではなく、糸なしけん玉だった。
「大道芸人が糸を切ったけん玉を使っているのを見ておもしろいと思ったんですよね。糸がない分、自由度が増して派手な動きができるんです。難しそうに見えますが、実は簡単な技も多いんですよ。お手玉ができる人なら、糸ありけん玉よりもやりやすいかもしれません」
当時、糸なしけん玉はまだジャンルとして確立されておらず、自分で技やパフォーマンスをゼロからつくり上げたという。大会では見事優勝し、ジャグリング部の発足も無事に許可された。その後、久保田さんはこの大会で3連覇。「前人未踏……なんてかっこいい感じで言われますけど」と照れたふうに笑う。
久保田さんは他にも、「もしかめ選手権大会」でも優勝している。こちらは「もしかめ」という、けん玉の大皿と小皿に交互に玉を乗せる技をひたすらやり続ける大会だ。久保田さんは制限時間の8時間いっぱいやり続けて優勝。かなり過酷な大会のようで「終わったら目の下半分が充血して真っ赤になっていた」というほど。
けん玉の魅力は「達成感」だと久保田さんは楽しげに言う。
「やっぱりけん先に玉が入った瞬間はすごく気持ちいいんですよ。それに、けん玉の技は5万種類以上あって段階が細かく分かれているので、ちょっとがんばればできる技も多く、すぐに達成感を得られるんです。例えば1回転させて何か動きを付け加える技があったとしたら、それを2回転、3回転させればそれぞれ別の技になります」
3回転を達成したら、次は4回転、5回転……と、どこまでも挑戦が続く。まるでフィギュアスケートの世界だ。5万種類以上の技のうち「おそらく2~3万種類の技はできる」という久保田さんでも「まだまだ練習中だし、達成感を味わえる瞬間がたくさんある」という。
「社会人になって高校生の頃ほどは時間を費やせなくなりましたが、1日1回はけん玉を触るようにしています。続けないと下手になるのもありますが、実はけん玉って全身運動なので、いい気分転換になるんですよ」
けん玉は脚や腰も使うこと、また場所を取らずにできることから、最近では医療現場でもリハビリなどに使われているそうだ。「リモートワーク中の運動不足解消にもおすすめですよ」と久保田さん。
けん玉が仕事になるなんて! VRけん玉の開発エンジニアへ
けん玉は単なる趣味の域を超えて、久保田さんの人生にも大きな影響を与えてきた。
「大学の入試面接もひたすらけん玉の話をして合格。新入生歓迎会でもけん玉をやって友だちがたくさんできました。大学の研究室ではけん玉の研究をして、今はけん玉を仕事にして……。人生ずっとけん玉です(笑)」
そんなけん玉がもたらした一番大きな転機といえば、やはり「この会社に入社したこと」だという。
「学生時代、あまり将来のことは考えていなかったんですよ。大道芸の道にも誘われましたが、収入が安定しないという話も聞いていたので、普通の会社に入ろうかなあと思っていたくらいで」
そんな時、参加していたけん玉大会で『けん玉できた!VR』の体験会を開催していたイマクリエイトのCTO川崎仁史さんと出会う。『けん玉できた!VR』とは、VR上でけん玉のスピードを調整しながらプロの動きを真似られるトレーニングツールだ。
「VR体験自体がほぼ初めてで、しかもそれがけん玉。それまで現実以外でけん玉をやるという発想がなかったので『何だこれは!?』と驚いて。しかも普通に練習するよりも早く技を習得できるようになっていて、実際に成果も出ていることに本当に感動したんです」
75才のVRけん玉ご体験者様が、けん玉のカッコいい連続技をマスター!! pic.twitter.com/sREMqOEOui
— VRけん玉師 川崎 (@VRkendama) January 11, 2019
大学でプログラミングを学んでいたこともあり、単純な楽しさだけでなく「どうやって作っているんだろう」と仕組みにも興味が湧いた。いろいろ話すうちに、川崎さんから「調整を手伝ってくれないか」と誘われ、二つ返事で「ぜひ」と応じ、インターンとして働くことに。
「パラメータを調整すると、どんどん本物のけん玉の動きに近づいていくのが本当に楽しかった」と振り返る。けん玉の動きを熟知している久保田さんにとっては、まさに天職だろう。自然な流れで、そのままイマクリエイトへ入社。現在は『けん玉できた!VR』のほかに、VRゴルフトレーニングツール『CanGolf』やVR溶接トレーニングツール『溶接VR』の開発もしている。
「現実と同じ動きでないと練習にならないので、できる限り完璧に動きを再現するようにしています。コードを書いて、実際に試してみて、ちょっと動きが違うなと思ったら、数字を0.1だけ変えて、また試して……ということをひたすらやっています」
けん玉なら動作確認も久保田さん自身でやれるが、VRゴルフやVR溶接の開発時は動きを熟知したゴルフのプロや溶接職人の協力が必要。それでも「けん玉の経験をVRゴルフやVR溶接の開発にも生かせている部分は多い」と久保田さんは感じている。
「けん玉の技には多くの物理要素が組み合わさっているのですが、それらを無意識に覚え込んでたので、動きをリアルに再現していく作業は得意です。けん玉以外の動きも何となく想像できますし、細かな動きの違いも感じやすい方だと思います」
動きに対する敏感な感覚に加えて、けん玉によって培われた集中力も仕事に役立っているという。
「大会では3分間の演技で全てを出し切る必要があります。そのためには切り替えが大事なので、自然と集中力が身に付きました。仕事のスイッチが入るとしっかり集中できます。逆に言えばマルチタスクが苦手で、雑談しながら仕事する、みたいなことは全くできないのですが(笑)」
けん玉で世界中の人とつながり、自分を支える柱ができた
けん玉をやってきて一番よかったと思うのは、けん玉が「人とのつながり」を生んでくれたことだという。久保田さんの場合、それは学校や職場など身近な人にとどまらない。
「糸なしけん玉を練習するときは、玉が飛んで行って危ないので近くの公園に行くんです。以前家の中で練習していたら、ディスプレイを割ってしまったことがあって。それで、公園で練習していると、『自分もけん玉を練習している』というおばあちゃんが話しかけてくれる、なんてこともあるんです」
今や「けん玉は、昔遊びというイメージも壊れつつある」と久保田さん。
「最近、海外では『KENDAMA』と呼ばれて人気があり、DJがいるクラブでパフォーマンスをするような大会もあるんですよ。ストリートけん玉という新しいジャンルも確立されてきていて、首にけん玉をぶら下げてファッションアイテムのようにしている人もいるんです」
SNSにけん玉の投稿をすると、海外の人からコメントが付くことも多いという。けん玉を通して、日常では絶対に知りあえないような人ともつながることもできるのだ。
「小学生の時にも、モンゴルへ行って現地の子どもたちにけん玉を教えた事があるんです。そうやって、けん玉を通じて世界中の人とコミュニケーションを取れることはすごく楽しいです」
約18年間けん玉に取り組んできた久保田さんは、「自分の中にけん玉という太い柱を1本立てることができた」と感じている。
「柱が仕事の1本だけだと、仕事でつまずいたきに自分自身までゆらいでかなり落ち込んでしまうかもしれませんが、僕は『もし仕事がダメでもけん玉がある』と思える。心の拠り所になっていますね」
そんな久保田さんの夢は「世界大会で優勝すること」。
「これまでは最高6位ですが、やっぱり世界一を目指したいです。海外は身体能力が高い人が多いんですよね。僕は玉の動きが完全に見えるわけではないので、リズムを体に覚え込ませている部分もあるのですが、外国人選手の中には『ただ見えたところに入れるだけ』という人もいます。あの人たちは玉の動きが見えてるんですよ。やばいです(笑)」
仕事においては、「けん玉に限らず、あらゆるVRコンテンツにおいて、現実と同じ動きをするものを作り上げていきたい」と力を込める。
「VRの動きを現実に近づければ近づけるほど、習熟速度も上がっていくはずなので、さらに精度を高めていきたいです」
趣味と仕事が絶妙にリンクし、けん玉に導かれるように人生を歩んできた久保田さん。
「けん玉のおかげで仕事以外でも達成感を得られたり、人とのつながりができたり、副産物として健康が得られたり……。いろいろなことが組み合わさって、結果的に人生が豊かになっていると感じますね」
取材・文/古屋江美子 撮影/桑原美樹 編集/河西ことみ(編集部)
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