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UXデザインの手法を「ゼロイチ」創出にどう活かす?~エスノグラフィを用いたリコー新規事業開発本部の取り組み
2013年10月の発売以来、リモデルを続けながら順調に売り上げを伸ばしてきたリコーの全天球カメラ『RICOH THETA』。発売当初は個人利用が主だったが、同社では最近、BtoB利用すなわち企業による導入・活用事例も増やしていこうとしている。
その取り組みの一つに、大手アパレル企業やサービス業と組んで進めている小売店舗での実験がある。
小売店はこれまで、客の入退店や売り上げのデータは取得できたものの、入店後の客の行動を分析する術がなかった。そこでリコーは、店舗内を『RICOH THETA』で広範囲に撮影し、映し出された客の行動をデータ化。クラウド上に蓄積~分析するという取り組みに挑戦している。
主導しているのは、同社新規事業開発本部のリーダー、望主雅子さんだ。HCD-Net認定の人間中心設計専門家であり、UXデザインの知見を活かして、これまでにも『インタラクティブホワイトボード』や『生産工程可視化システム オールラインレコグナイザー』などの新規プロダクトの立ち上げに携わってきた。
新規事業創出にUXデザインの手法はどのように活きるのか。望主さんが手掛けた過去のプロダクト開発秘話から、その利点と、実行する上でのポイントを探った。
現場のリアルなニーズを汲み取るエスノグラフィ
望主さんがリーダーを務めるリコーの新規事業開発本部は、文字通り「新規事業の探索・創出」をミッションとするチームであり、元は2011年にR&D部門で発足した。元・研究者である望主さんが得意としているのは、「エスノグラフィ」と呼ばれるユーザー観察の手法を用いることだ。
エスノグラフィとはもともと文化人類学にある手法で、異文化の人々の生活に調査者自ら入り込み、行動様式などを記録・理解することを指す。
これが、10年ほど前からビジネスシーンで応用されるようになった。実際に顧客が働く現場に入り込み、日常業務の観察を通じて顧客そのものを理解する。そうすることで、「潜在的なニーズを素早く把握することができる」(望主さん)という。
『インタラクティブホワイトボード』も、このエスノグラフィを用いることで生み出された。望主さんのチームと企画・開発チームは、自社・他社で行われる実際の会議に入り込み、プロジェクタやホワイトボードがどのように使われているのかを入念に観察。さらに、そこで見出した課題を基にプロトタイプを作り、再び実際の会議に持ち込んで使われ方を観察した。
そこで分かったのは、「電子情報ボードは誰でも簡単に、すぐに使えるものでなければ、会議の現場では役に立たない」ということだ。
「当たり前のことと思うかもしれませんが、当時の電子情報ボードは教育現場で使われることが多く、単独のユーザーが使用することを想定していたんです。そのため、先行する他社の製品は、あらかじめドライバを入れたPCでしか使えない仕様になっていました」
リコーの新製品はその点に着目し、どのPCでもつなげばすぐに使えるようにした。機能としては他社のものより少ないが、各社が見逃していたニーズを発見し、それを製品に反映させたことで、会議室向けに徹底した電子情報ボードとして差別化することができ、成功を収めつつある。
傍から見れば当然の帰結のように思える話も、開発やR&Dの世界にある「落とし穴」によって見逃されるケースも少なくないと望主さんは続ける。その落とし穴とは、機能価値の追求である。
「研究者や開発者が新規事業に携わると、どうしてもスペック競争に陥りがちです。でも本当に大切なのは、それがお客さまの仕事にどのように役立つのかという点。エスノグラフィは、それを知るための有効な手段なのです」
人間を知ることなしに、「正しい課題」は見つからない
望主さんのチームが企画提案して製品化に結び付いた別の例として、『生産工程可視化システム オールラインレコグナイザー』がある。工場の生産ラインを複数のカメラによって常時監視し、不具合を発見し次第すぐに通報・分析する。このアイデアも、エスノグラフィで見出したインサイトから生まれたものだという。
何カ月にもわたって新興国の工場に入り込んで観察したところ、カメラ自体はそろっているにもかかわらず、それが利用されていないことが分かった。生産工程は頻繁に変わる。その度にカメラを付け替えるためにラインを止めてしまっては、生産効率が落ちてしまう。問題はカメラの性能ではなく、取り付けの煩雑さにあった。
そこで、提案したシステムでは、カメラの解像度といったスペックよりも、取り付けの容易さを前面に押し出した。
こうした課題の置き換えを、デザイン思考の考え方では「リフレーミング」と呼ぶ。『生産工程可視化システム オールラインレコグナイザー』が成功した要因は、このリフレーミングがうまくいったところにあったと望主さんは振り返る。
このように、良いものを生むためにはまず「正しい課題」を見つけ、それを解くことに注力することが大切だ。だが、正しい課題を浮かび上がらせるというのは、言うほど簡単なことではない。
例えば、通常のインタビューにおいてユーザーの認識している課題が常に正しいとは限らない。ユーザーがその場の空気を読んで意図的に答えを変えているかもしれないし、そもそもユーザー自身が問題を正しく捉えられていないケースも多々あるからだ。
実際にタイの工場に行ってみると、お祭りの日になると普段より1時間早く仕事を終えてしまうなど、行ってみなければ分からない発見がたくさんあった。一見関係ないように見えることであっても、工場で働く人たちの意識、気持ち、それらをひっくるめて考えることで、初めて問題の本質が見えてきたと望主さんは言う。
「人間が使う製品を作るのに、人間を知ることは不可欠。正しい課題にたどり着くためには、目の前の事象一つ一つにすぐに飛び付くのではなく、その背景にある人間のあり方そのものを捉えなければならない。そこに、エスノグラフィを用いるメリットがあります」
現場発の声は部署を超えた共感を呼び、アイデアと推進力を生む
『生産工程可視化システム オールラインレコグナイザー』のアイデアは、当初リコー上層部から反対にあったそうだ。大企業であるリコーが取り組むプロダクトとしては「規模が小さ過ぎる」というのがその理由だった。
結果として、そうした反対を乗り越えて事業化まで漕ぎ付けることができたのは、リコー社内の工場から「やりたい」という声がたくさん挙がったからだ。そのことが望主さんらに自信をもたらし、プロジェクトを推進していく力になった。
さらに、現場発の声という揺るぎない事実に基づく発案は、UXに関する専門知識の有無にかかわらず、部署の壁を超えて共感を生んだ。『生産工程可視化システム』の開発は最初は小さなチームとして始まったが、こうしてさまざまな人を巻き込めたことも、事業化に向けて、大きな力になったという。
新規事業を生み出す上で、この「多くの人を巻き込めるかどうか」というのは重要なポイントだと望主さんは強調する。
「これだけモノがあふれる時代において、限られた人の限られた視点から、本当にユニークなものを生み出すのは難しい。多くの人を巻き込み、できるだけ多くの視点を組み合わせることが、新しい発想を生む近道になります」
新規事業を生み出すのには、最終的に、
・顧客
・提供価値
・ユニークさ・強み
・ビジネスとしてどう回すか
の4点がそろっている必要があるという。
出発点をどこに置くかは自由だが、「顧客」と「提供価値」からスタートする手法は、「桃太郎のように仲間を巻き込み、アイデアを生む多様な視点と、プロジェクトを推進する力をもたらす」というのが、望主さんの考えだ。
望主さんはもともとリコー中央研究所で、自然言語処理、音声対話や音声認識など、「どうやって機械と対話するのか」をテーマに研究・開発を続けてきた。扱うのは機械だが、突き詰めて考えれば考えるほど、人間を知ることなしには先へ進めないことに気付いたという。それが、人間中心設計を学ぶ動機になった。
今では新規事業開発を担う立場になったが、どんな商品も人が関わっているものである限り「人間を知ることなしにあり得ない」というスタンスは、ここでも一緒。冒頭で紹介した『RICOH THETA』による顧客行動の分析も、結局のところは人を知る試みと言える。
望主さんは「成功事例を積み重ねることが、自分の信じる手法が正しいということの何よりの証明にもなる。今後も試行錯誤を繰り返し、うまくいったもののポイントがどこにあったのかを抽出することで、UXのアプローチから新規事業を生み出す手法を今まで以上に確立していきたい」と話している。
HCD-Netが運営・認定している「人間中心設計専門家」は、ユーザビリティ設計の専門スキルを評価し認定する、日本で唯一の人間中心設計の資格認定制度として、年々注目度を高めている。
これまでは独学で実践してきたUX設計のノウハウを体系化して学びたい、認定資格の取得で仕事上の糧にしたいという人は、応募を検討してみては?
■応募期間は2016年11月25日(金)~2016年12月26日(月)。詳しい募集要項は以下。
取材・文/鈴木陸夫 撮影/伊藤健吾(編集部)
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