450万ユーザーが利用するマッチングサービス『pairs』、380万ダウンロードのカップル専用コミュニケーションアプリ『Couples』を展開するエウレカ。今年7月には創業者である赤坂優氏が代表を退き、取締役COO兼CTOであった石橋準也氏が代表取締役CEOに就任した。そして10月24日、石橋氏が担当していたCTOのポジションに、新たに金子慎太郎氏が就任することが発表された。
新しい体制となり、さらに勢いを増すエウレカ。今回、弊誌では、新CEOの石橋氏に話を聞くことができた。彼は、1987年生まれの現在29歳(CEO就任時は28歳)。学生時代のアルバイトから一貫して技術畑で活躍し、若くしてCTOにまで上り詰めた人物だ。そんな彼が、一転して同社の経営者としてビジネスを率いる立場に転身した。
そんな石橋氏へのインタビューを通して、「エンジニア出身者がビジネスシーンの最前線で活躍する」ための秘訣が見えてきた。
株式会社エウレカ 代表取締役CEO
石橋準也氏
大学入学と同時に、Web受託会社にWebエンジニアとして入社。後に大学を中退しエンジニアリングに専念することに。多くの案件でリードエンジニア、PMを務めた後、転職しIT・物流・CSの統括マネージャー 兼 自社サービスのWebプロデューサーとして幅広い業務を経験した。2013年、エウレカに入社。現場のいちエンジニアから『pairs』の技術責任者を経て、14年7月からは執行役員CTO、16年1月から取締役COO兼CTOとして活躍。16年7月から同社代表取締役CEOに就任した
エンジニアリングは「手段のひとつ」と捉える
2015年、米国ニューヨークを拠点に『Match』、『Tinder』、『Vimeo』などの有力インターネットサービスを運営するIAC(InterActiveCorp)にクロスボーダーM&Aでジョインしたエウレカ。そんなニュースが騒がれて間もなく、創業者であり代表を務めていた赤坂氏からのバトンタッチという形で石橋氏はCEOに就任した。
もともとエンジニアとしてエウレカに入社した石橋氏は、経営のトップであるCEOという要職を任されることに違和感を感じることはなかったのだろうか。過去には大学を中退してまでエンジニアリングにのめり込んだ、というほど根っからの技術者だった彼からは、意外な答えが返ってきた。
「僕はエウレカで、『会社にとって今最も必要なことが、自分にとっての最重要事項である』という信条のもとで仕事をしてきました。CTOに就任した時も、まず会社全体のエンジニアリング力を圧倒的に引き上げることが、今後のサービスの成長、ひいては会社の成長を見越し何よりも重要だと考えています。
ただ、それにはエウレカのスタートアップ界隈での技術的な知名度があまりに低かったんです。実際に良いエンジニアは在籍していましたが、それでも相対的に見るとジュニアクラスのエンジニア比率が高かった。だから、プロダクティビティ改善の観点と、より優れたエンジニアを採用するための技術PR観点の双方を持って技術戦略を立案し実行しました。
その結果、今では名実ともに技術力の高い企業の一員となりました。会社が伸びていくことでしか自分の成長は無いし、だからこそ僕が会社を伸ばしていく、という気持ちでエウレカに入社したので、CTOとしての仕事は、自分が成長するための手段にすぎなかったんです」
エンジニア出身だからこそ、「技術をおざなりにしているわけではなくて、自分でコードを書くことはもちろん大好きですよ。プログラミングに夢中になって大学を中退しているくらいですからね(笑)」と語る石橋氏。CEOになった今でも、自身の作業簡略化のために簡単なプログラムを書いたり、新しい技術に触れたりすることもあるのだという。
しかし、「会社の成長=自分の成長」という観点からビジネスを見た時に、エンジニアリングだけでは解決できない、技術の範囲を超えた仕事ができたことが、彼が今のポジションまで上り詰めた所以だったのだろう。
「生き抜くために、自分にとっての脅威を潰したい」が原動力に
プログラミングが大好きだと語る彼が、なぜ技術を「手段のひとつ」と割り切れることができたのだろうか。そのような考えに至った背景には、石橋氏特有の、仕事への原動力があるのだという。
「僕は、自分の力ではどうにもならないような外部環境に、決して左右されたくないという気持ちが人一倍強いんです。そういった、自分にとって脅威となるものはできるだけ潰していきたい。だからこそ、会社にとって『成長の脅威』になりえる弱い部分は、全て克服していきたいんです。それが、ビジネスをする上でのモチベーションになっています」
このような、ある種の恐怖に駆られているような発想は、自身の生い立ちも関係しているのではないかと、石橋氏は過去を振り返る。
「僕自身、8人兄弟で貧しい家庭に育ったので、幼い頃から毎日が戦争で(笑)。小さい頃から生きていくために必死だったんですよ。そういった幼少時代を過ごしたからこそ、脅威を潰していきたいという発想になったのかもしれません」
そういってほほ笑む石橋氏だが、大学入学後すぐにエンジニアとしてのキャリアをスタートさせた彼の価値観は、前職やエウレカ入社当時の経験によって培った部分も大きいのだという。
というのも、石橋氏が入社した2013年は、エウレカでは『pairs』や『Couples』の他に受託案件をいくつか抱えていた。特に転職した当初は、pairs事業の配属ではあったが受託案件の作業にも追われている時期。いちエンジニアであった彼は、いくつもの案件で活躍していたというが、創業者である前CEOの赤坂氏に評価されることはなかったという。
「当時は受託案件の対応に追われていたので、pairsのことを考えたり動いたりすることができていませんでした。その時赤坂に、『受託案件で精一杯になっている場合じゃないだろ。どんなに忙しくてもpairs事業を見ろ』と言われたんです。そんな時間なんて全くないのにですよ(笑)。
『そもそも赤坂さんが自分で僕を受託案件にアサインしたのに(笑)』とも一瞬思いました。ですが落ち着いて考えると、当時のエウレカはpairs事業を伸ばさないとその先もずっと受託だけをやり続ける会社になってしまう。このままだと思い描いている成長とは大きくかけ離れる状態だということに気付き、その言葉の真意をしっかり受け止めることができました。
今振り返ると、その時に『会社にとって今最も必要なことが、自分にとっての最重要事項である』という考えが醸成されたのだと思います」
通常なら、「そうは言ったって現場が回らない」と、経営層からの言葉に反感を抱きそうなもの。しかし石橋氏はこの指摘をポジティブにとらえることができたようだ。
「前代表の赤坂は、現場で『こんな納期で出来ない、無理だ』と反発を食らうようなプロジェクトでも『やれるやれないという問題ではない、やらなきゃいけないんだ』というタイプの人でした。実際に、スケジュールが厳しそうなプロジェクトで『なぜムリだと思ったのか』を考察していくといくつかの問題が見えてくる。そうすると、『その問題を何らかの手段で潰せばムリではなくなる』という考え方ができてくるんです」
厳しい制約条件があるからこそ気付けた「やらなければいけないこと」を効率化しながら、愚直に取り組み続けたことが、石橋氏の価値観を作り上げた。
「アンビシャスターゲットツリーのような目標達成フレームワークの考え方と似ていますが、不可能な理由って可能な理由に転換可能なんだと気付かされましたね」
自分自身への期待を高く持つことが大事
では、赤坂氏に代わって、CEOとして石橋氏が目指しているのはどのような未来なのか。エウレカが全社で掲げているビジョン「世界中の人々の人生を豊かにするものを、自分たちの手で作り出す」を実現するために必要な要素を聞いた。
「僕がエウレカにおいて個人的に叶えたいこと、というのは特に無いんです。まずは、今掲げているビジョンを実現すること。そしてミッションを体現する会社であり続けられるようにすることしか考えていなくて、その先のことやその過程で自分がどういう成長をしていたい、何を成し遂げていたいといったことは一切考えていません。
しかし、ビジョンを実現する上で強く意識していることがあって、それは”非連続的な成長”です。連続的な成長に決して安心せず、日々プロダクトや会社がどうあるべきなのかを考えて高い目標を掲げる。そしてそれを実現するためにいかにして”非連続な成長”をしていくかを常に考えています」
単純に連続的な成長をするのだけではつまらないですから、と笑って話す石橋氏だが、その「単純な成長」ですら、一般的にはかなり難易度は高い。「非連続成長」という厳しい目標を実現するために、具体的にはどのような姿勢で取り組むべきなのだろうか。
「メンバーにもよく言っていることなのですが、『自分なら出来る』という自分自身への期待って実はすごく重要な要素だと思っています。僕の場合だと、自分に期待しているからこそ、常により困難だと思う道を選択して、成長を続けることができています。
また困難な道で結果を出すためには、変なこだわりやプライドを持たずに、自分の期待に応えるために自分を変化させ続けることが重要だと考えています。結果を出せない時、問題が起きた時にどんな要因があったとしても、自分を擁護せずすべて自分のせいだと思えるか。
僕、ちょっとビジネスではドM的なところがあるので(笑)。困難な道を選ぶことやすべて自分の責任だと考えることに対してそれほどストレスは感じませんし、結果が出ればそのストレスなんて吹っ飛びます。
今回僕の後任でCTOに就任した金子も同じタイプ。常に安全側に倒して何のリスクも取らずにいたら過去の遺産で連続的成長はできるかもしれないが、非連続な成長はできないと理解している。CTOになってもそのスタンスでエウレカのテクノロジーとエンジニアリングを革新し続けることを期待しています」
石橋氏が重要視する、「自分自身に期待をかけることで成長する」という方法。彼自身が元からそういった素質を持っていたのか、と聞くとそうではないという。石橋氏いわく、そのようなマインドは、生まれ持ったキャラクターや素質、18歳までの育ち方などにもあると思うが、それだけではなく、社会に出てから後天的に鍛えることができるスキルだと考えているのだそう。
「一緒に仕事をしているメンバーを見ていると、何か挫折経験がある人はそういう向上心が強い傾向があるような気がします。会社が潰れそうになるだとか、何かしらの恐怖を味わっていたり、失敗したという挫折経験が大事だと思います。そういった人たちは、挫折を克服し成長した今の自分に自信を持っていたとしても、常に『自分は一度挫折しているできないやつだ』という前提でまだまだ成長できると考えているからです」
そして、石橋氏自身もそんな挫折経験を味わったうちの一人だという。
「実は僕自身も、前職で事業責任者として運用していたプロダクトが上手く収支化しなかったという挫折を味わいました。当時22歳ぐらいだった僕は、そこそこ仕事が出来て稼いでいる自分にもう自信満々でしたから(笑)
結局、その延長線上ですぐに自分自身を省みることができず、プロダクトのビジネスモデルに問題があるのではと考えたんです。そして、より優れたビジネスモデルを構築し、そのプロダクトを成長させられる会社に入社することで、その知見を盗もうと考えて退職をしました。
その時の選択肢が間違っていたとは今も思いません。ですが、だからこそ、次こそは逃げるわけにはいかないという気持ちは強かった。そうしたら自然と、自分の中で勝手に高いハードルを課して、そのハードルを乗り越えるために自分自身を変革していく姿勢を身に付けることができました。今でも常に、本当に自分はできないやつだと思っていますし、そんな自分だからこそどんなハードルでも乗り越えられると思っています」
自分の成長とシンクロできる会社に入り、やるべきことに愚直に取り組んでみる。やれる、やれない、の判断軸ではなく、自分自身で期待値を上げ困難な道を選び自分への期待に応えるために自分自身を変革し続ける。そうして身に付けたビジネスマインドこそが、石橋氏が若くして幅広いフィールドで活躍できている理由なのだろう。
エンジニアのポジションだけにとらわれず、「どんなフィールドでも活躍できる人」を目指すのであれば、理想的なロールモデルとなりえるキャリアの描き方なのではないだろうか。
取材・文/大室倫子 撮影/伊藤健吾(ともに編集部)