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日本初のLT、LLイベント…セミナーの歴史に見るITトレンドの移り変わり【法林浩之】

ITニュース

法林浩之@jusがお届け!

UNIXエンジニア温故知新

UNIXが生まれてから半世紀。脈々とソフトウエアの進化を支えてきた技術は、どのようにして今に至るのか? そこから学べるものとは? 日本UNIXユーザ会「jus」の法林浩之さんが、イベントレポートを中心に「UNIXの今」をお届けします!

日本UNIXユーザ会(jus)の法林です。

今回は、2021年10月に行いましたjus研究会より「平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座」の模様をお伝えします。レポートは、jus幹事の榎さんに書いていただきました。

イベント概要

・タイトル: 平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座
・講師: 法林浩之(日本UNIXユーザ会)、前田薫(元jus幹事)
・日時: 2021年10月23日(土) 16:00-16:45
・会場: オンライン

jusでは「平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座」と題し、jusの会報である『/etc/wall』の情報を元にして当時のIT状況をお伝えするセミナー・シリーズを開催しています。

今回の東京大会は、元jusの幹事である前田薫さんをお招きして、PerlやLLなどのプログラミング関連や入力関連についてのお話をオンラインで伺いました。

jus勉強会

発足当時、IT業界では高額なITセミナーしかなく、業務と関係なく技術を学ぶためにjus勉強会が生まれました。業務外の時間帯で定期開催され、誰でも参加しやすいよう安くしたため、価格破壊と言われたそうです。

1994年の第1回の講師が前田さんでした。内容は、Emacs入門「ヘルプ機能の使い方について」。最初の頃はスクール形式で、その後、近年の勉強会のようなやってみたことをお互いに発表する情報交換スタイルに変わっていったそうです。

前田さんは、jus勉強会でPerlについても何度も講師されています。2000年3月の第69回勉強会では、「正規表現マッチのメカニズム」でしたが、Unicodeをサポートしたという話が勉強会報告に書かれています。

Perl Conference Japan

1998年にPerl Conference Japanが行われ、前田さんや法林さんもスタッフとして参加されていました。基調講演のティム・オライリーの発表の中で「オープンソース」という言葉が日本のイベントでは初めて紹介されたそうです。

Perlの生みの親であり初来日だったラリー・ウォールの講演もありました。まつもとゆきひろさんのRubyの発表では、Railsのない時代で、キラーアプリケーションが課題だったそうです。

当時前田さんは、スクリプト言語の比較やPerlによる日本語処理のセッションで発表されています。当時Perlでの日本語処理は、jcode.plでバイナリとして処理するか、独自パッチをあてたJPerlという2つの流儀がありました。

JPerlはPerl5向けがなかなかリリースされず、日本でPerl5の普及が遅れたこともあったそう。その後Jcode.pmの登場やUnicodeのサポートで日本語が問題なく使えるようになりました。

YARPC 19101とライトニングトーク

2001年にはYARPC 19101がありました。PerlとRubyを対象とするカンファレンスで、jusの言語イベントとしては1998年のPerl Conference、1999年のRubyWorkshopに続くものでした。

19101は2000年問題に未対応のプログラムが2001年を迎えたときの表示で、今となっては分かりにくいものになっています。

イベントの最後に日本初のライトニングトークが行われました。ライトニングトークの1人目の発表者は前田さんで、企画自体も前田さんの提案です。

アメリカでは以前からショートトークの形式はPythonのイベントであったそうですが、ライトニングトークという名前がついたのはMark Jason DominusがアメリカのYAPCで行ったものです。

前田さんはそれをみていて真似しようと思い、Markが出張で来日した際に相談して、5分でやるものだと教わったそうです。また高橋征義さんによる高橋メソッドが初めて行われたのもこのイベントでした。

LLイベント

2003年から軽量言語が集まるLLイベントが始まりました。最初はPerl、PHP、Ruby、Pythonの4つでしたがLLがトレンドになって多くの言語が参加するようになったそうです。(LLがトレンドでなくなったため、2017年からは軽量言語に限らないLearn Languagesというイベント名になりました)

前田さんは第1回の頃は参加されていましたが、2004年から海外赴任されており、帰国されてから司会などで参加されるようになりました。

2010年のLanguage Updateや2014年の禁断のエディタ対決、2016年のキーボードセッションなども担当されています。

キーボードや文字入力関連の話題

入力関連では、1998年にPC-UNIX研究会で、前田さんはKinesisキーボードのお話をされています。まだ自作キーボードのブームはなく、エルゴノミクスキーボードが出始めた頃。使い勝手などを紹介されていました。

jusの日本語入力システムのワークショップは1996年に開催されました。

前田さんはかな漢字変換と直接入力というセッションでT-Codeを紹介。漢字を直接入力する方式で、無連想式2ストローク漢字入力というそうです。

大半の文字を2打鍵で入力できるので習熟すれば高速に入力できる一方、文字ごとに覚える必要があるため習熟が大変です。

当時日本に50人くらいしかいないT-Codeユーザのうち2人がjus幹事にいました。T-Codeは最近ではOSのバージョンアップに対して入力ドライバーの開発が追い付いてない状況になってきているそうです。

jusの会報「/etc/wall」の由来

『/etc/wall』について、名前の由来も前田さんから紹介がありました。

昔はテレビとキーボードと計算のできない端末を使い、RS232Cで同じビルにあるUNIXシステムにログインしていました。

全員が同じファイルシステムが見える状況で、ログインするユーザ全員向けにお知らせを書いておくテキストファイルが『/etc/wall』でした。そこから「みんなにお知らせする」という意味でこの名前になったそうです。

Perlのユーザグループ

また関連する話題として、ラリー・ウォール初来日の時にPerl Mongersというユーザグループを各都市ごとに作っていると聞いて、Tokyo.pmというユーザグループを作られたお話がありました。(主な活動は飲み会でした)

jusの勉強会やセミナーに詳しい人を講師として派遣したり、YARPC 19101などの企画の相談をしたりするのも、飲み会で行われていたそうです。そこで小飼弾さんが宮川達彦さんを連れてきて、宮川さんがみんなでノウハウ共有するスタイルの勉強会である『Shibuya.pm』を作られたそうです。

おわりに

今回、ライトニングトークなど歴史的に日本初などのお話がいくつかあり、その事情や経緯などはとても興味深いものでした。プログラミング言語の話題でも時代やトレンドの移り変わりを感じられます。何が歴史の主流になるかはその当時からは推測するのが難しいですね。

今後もjusでは「平成生まれのためのUNIX&IT歴史講座」を行う予定ですので、興味を持たれた方はぜひご参加ください。

プロフィール画像

法林浩之さん(@hourin

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIX ユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている

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