「エヴァのデータを守り抜く」カラー・鈴木慎之介が語るエンジニアの仕事論
「エンジニアやテクノロジーが主役」という会社が増えつつある一方で、エンジニアリングは脇役で、IT活用やDXの浸透はまだまだという業界も多い。
アニメ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの制作を手掛ける株式会社カラーの鈴木慎之介さんもそんな環境で、課題解決に向き合っているエンジニアの一人だ。
鈴木さんは高校在学中の2000年からドワンゴへ入社し、約22年ドワンゴの技術畑や新規事業の担当として活躍。動画共有サイト『ニコニコ動画』を開発したことで知られるエンジニアだ。
カラーに入社してからは、アナログとデジタルによるアニメ制作の両立を検討している同社の現場でDX推進に取り組んできた。
その仕事がカラーの作品に与えた影響について聞くと、「私が作品に直接影響を与えた、なんて話はありません」ときっぱり言い切る。
「私はただ、マイナスだったものをゼロにしただけ。監督やクリエーターが主人公であるべきです」(鈴木さん)
あくまで「すべては作品の成功のため、裏方に徹する」という姿勢を貫く鈴木さん。彼が“裏方仕事”に向かう原動力とは一体何なのだろうか。鈴木慎之介の“エンジニア論”を聞いた。
作品データを一般ストレージに保存する時代を経て
鈴木さんが、「(うちの会社の)システムが大変でして」と、スタジオカラーでCGIを統括する小林浩康さんから相談を受けたのは2018年頃。
もともとドワンゴとカラーは、12年に『ニコニコ動画:Q』での映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』とのコラボ企画や、日本アニメ(ーター)見本市等で協力関係にあり、17年にクリエーターの育成・発掘のために共同で福岡に設立した映像制作スタジオ『株式会社プロジェクトスタジオQ』の設立に鈴木さんが関わっていたのだ。
小林浩康さんといえば、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ以降CGI監督を務める、日本を代表するクリエーターだ。
アニメーション制作時のインフラ、ネットワーク、サーバーなどクリエーティブの「基盤」となる部分を強くし、統制を取れるようにしたいと悩みを打ち明けられたのだという。
「当時のカラーにもエンジニアは所属していたのですが、開発がメインだったり、他の業務と兼任で、インフラやサーバーの専任者はいなかった。
そこで、『できることがあるなら協力しますよ』と言って関わっていくうち、いつの間にかカラーのシステムを作り直していました(笑)」
まず考えたのが、システムのビジョンだ。「作品の完成に貢献する」とビジョンを掲げ、ミッションの一つとして「これまで制作した作品のデータを、一つも欠けさせてはならない」ことを固めた。
蓋を開けてみると、当時のカラーのインフラ周りは「非常に煩雑だった」と鈴木さん。各作品のデータがどこに保存してあるかなどが明確化されておらず、エンジニアの観点からすると、あまりにも危険な状況に冷や汗をかいたという。
「制作当時の時代的な理由もあって、いわゆる一般的な量販店で購入できる、一般的なストレージを買い足して作品データを保存していたようです。一作品を制作する期間が長く、デジタル技術の進化をまたいでいるため、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』のデータはこちら、破のデータはこちら、という具合に保存場所もバラバラ。
しかも、クリエーターが日々データを閲覧したり、アップロードしたりするときも相当な時間がかかっていました」
鈴木さんは手始めに、3DCGデータやムービーのマスターデータ、アニメの設定資料や脚本など、アニメーション制作において絶対に消えてはならないデータを守るストレージを設計すると決めた。
そして次に手をつけたのは、ネットワークの安定化だ。アニメーションスタジオにとって、ネットワークは生命線。
映画館の大型スクリーンで放映するに足る画質を構成するための、3Dモデルデータ、各種動画ファイルなど、トラフィックの大きいデータを保存しておかなければならない。
いつどのクリエーターがアクセスしても、すばやくストレージにアクセスできるようすべてのネットワークを高速化しつつ、ストレージサーバーにかかる負荷も、ストレージそのもののスペックアップを行うことにより快適に使える環境を整備していった。
多拠点・多層構成による万全のバックアップ
また、データを確実に守るために、バックアップを厳重に整備も。
作業中のデータを格納する「アクティブストレージ」と、作業後のデータを格納する「アーカイブストレージ」、そして過去の作品を格納する「テープドライブ」という3段階のストレージをすべてオンプレで用意した。
驚きなのが、まったく同じ構成の三つのストレージを、もうワンセット用意していることだ。
この2セットのストレージは常に同期して同じ内容になるように設定されており、万全のバックアップ体制を敷いている。
「これはアニメーションスタジオではとても珍しい手厚さだと思います。でも、クリエーターが熱意と時間と才能をかけて制作した作品のデータを一つも欠けさせてはならない。
ならば、ストレージを東京に置いておくだけでは不十分です。統計上、比較的地震の少ない地域である福岡にも、バックアップをとっておくべきだと考えました」
クラウド一択の風潮が強まる今、なぜあえてオンプレなのか。
「もちろん、すべてオンプレで整備すれば、初期費用は大きくなります。対して、クラウドは初期投資が低く、利用頻度の低いデータのストレージとして採用されていることも理解しておりました。ただ、アニメスタジオが保有するデータは非常に膨大で、時にはペタバイトクラスに達することもあります
しかも、カラーのクリエーターの動きを見てみると、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』制作の際も、ストレージにアクセスして過去作品のデータを参照し確認する頻度が高い傾向にあります。
となると、データの出し入れが多くなるとクラウドの場合、アクセスのたびに費用がかかるプランもありますから。コストが跳ね上がってしまうリスクの方が大きいと考えたのです」
それらの前提から、損益分岐点をイメージし、オンプレの方がクラウドよりも費用を抑えられることを見据えての判断だった。
ロジックのない世界だから、「バットを振る回数をいかに多くできるか」を追求する
当たり前のことを、当たり前にできるようにするーー。言葉にすれば簡単だが、アニメ制作の現場でDXを進めていくには数々の苦労がともなうはずだ。
しかし、鈴木さんの信念はぶれない。自分たちの仕事において、目立ちたい、認められたい……そんな欲求よりも、「目の前の課題を解決したい」という方がずっと大きい。
「そもそもアニメーションスタジオはクリエーター達が中心となって構成されています。情報システム部門的な立ち位置の私たちの役割はあくまでも庵野(秀明)はじめ、クリエーターたちが本来集中すべき仕事に没頭できるように整えることなので、まずはクリエーターに光があたってほしいと考えています。
そもそも、エンジニアって物事がより良い方向に進むための手段として、課題解決が好きな人間が多い職業だと思うんですよ。私自身がまさにそうで。
問題が発生したり、困っている人がいれば、『どうしたどうした?』『次の面白いことは何だ?』ってその環境に身を置きたくなる。それはドワンゴ時代から変わらない性分です、もともと好奇心旺盛なほうなので、それに拍車が掛かっているかもしれません(笑)」
先のストレージの設計もまさに課題解決の好例で、「必要なことを、最適な方法でやる」方法を考える過程が難しくも「大変でしたが、非常に楽しく、新旧アーキテクチャに触れられるという点において、エンジニア的にも有意義な仕事でした」と振り返る。
「アニメ業界には、個人的には、成功の法則というか、“これをこうすればこうなる”みたいな決定的なロジックは究極的には無いのでは、と思うんです。
そんなロジックのない世界でアウトプットし続けなければならないクリエーターに、どうすればいかに余分な負担なく、時間と才能を思う存分使ってもらえるのか。
私はよく野球に例えて『バットを振る回数を増やす』と言うのですが、クリエーターが一振りでも多くバットを振れる環境を用意することが使命だと思っていて。反復的に創作活動を行うクリエーターにとって、作業環境の改善は、反復の速度を上げることにつながり、その結果、限られた時間の中で作品の質を最大化できるのではないかと考えています。そのために、技術で制作現場の作業効率を上げていきたいんですよね」
鈴木さんからすると、アニメ業界はDXが発展途上である業界だからこそ「解きがいのある課題」があふれていて、出会ったことのない課題に巡り会えるのが面白いのだという。
「“必要なことを、最適な方法でコストパフォーマンス高くやる”課題が山積しているので、課題解決が好きというエンジニアにはうってつけの業界です。
しかも、この技術を取り入れればこんなふうによくなるという根拠や未来図を提示するとクリエーターの人たちって興味津々で聞いてくれる場合が多い。そんな環境であれば、いわゆる現場とのハレーションというのも起こりづらいと思います」
日本らしいアニメ制作のあり方を模索していきたい
バーチャルオフィスなど新しいツールを導入するなど、リモートによる制作環境で、「スタッフみんなで一緒につくっている感覚」をいかにつくりだすのか、というのが鈴木さんが現在向き合っている課題だ。
「クリエーターから、リモートでは一人のアニメーターにベテランアニメーターがついて指導するという徒弟制のような仕組みや、その間で生まれる空気感をデジタル上で再現するのがなかなか難しいと聞く」と鈴木さんは言う。
「顔の表情とか声の雰囲気もそうですし、例えば隣に同僚がいて黙々と作業している姿、あるいはその隣で談笑している先輩たち、向こう岸では作品作りを熱心に話し込んでいる先輩たち……。
スタジオにいたら当たり前の光景や雰囲気、クリエーターたちの熱量みたいなものまでをデジタルで再現するのはほぼ不可能なんじゃないかとも思っていて。
五感でそれらを感じるためにはやっぱり目の前に人が居ないといけませんからね。コロナが収束することを心から望んでいます」
また、「今後アニメ業界のDXが進めば、業界全体が格段に働きやすくなる一方で、テクノロジーの活用が進むアメリカのアニメーションスタジオとは別の進化の道をたどるのでは」と語る鈴木さん。
日本のアニメ業界を発展させるエンジニアリングとは何だと考えているのだろうか。
「海外、例えば、ピクサー・アニメーション・スタジオやドリームワークスなどはテクノロジーベースで作品制作を行っているため、チームにエンジニアを多く抱えていると聞きます。
彼らは画づくりを技術で良くするノウハウも持っていますし、新しい技術を次々とR&Dしています。
ただ、これまでの日本の作り方を欧米流に変更することも少し違うのではと思います。まず、さまざまなセクションにおいてハレーションを起こす恐れがあり、作品制作のプロセスがままならなくなると考えています。
まずは、皆が課題と感じており、デジタル化することによって明らかに恩恵を受けるという点においてDXを進めていき、これまで蓄積してきた、日本ならではの、職人芸的、手工芸的ともいえるアニメ制作手法や風合いもミックスする新しい形も模索できればと思います。
これから先、日本のアニメの強みや特徴を生かしながら、さらに進化させていくための技術をまずはカラー、そしてスタジオQの仲間と一緒に考えていきます、そして他の業界の方も、もしご興味があれば、このとても面白い課題に一緒に考えられたら、よりすばらしい作品が生まれていくと思います」
取材・文/石川香苗子 撮影/桑原美樹 企画・構成・編集/玉城智子(編集部)
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