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和田卓人、倉貫義人、萩本順三「会社に頼れない時代」の技術屋が知るべき6つのこと

働き方

    「どこでも必要とされる技術屋」になるのに、立場や境遇は関係ない

    社内起業、独立と、技術力を武器に自立した人生を歩む倉貫氏。だが新人時代は悩みも

    社内起業、独立と、技術力を武器に自立した人生を歩む倉貫氏。だが新人時代は悩みも

    おりしも、当時(2000年代初頭)はSI企業がこぞって「技術会社」から「ソリューション企業」への転換を模索し始めた時期。SI市場の拡大を受けて、元請け会社のSEは開発業務よりプロジェクトマネジメントを任されることが増えていった時期だ。

    しかし、倉貫氏はいろいろ考えた結果、会社に残る道を選択。

    「会社を辞めたとして、フリーランスで100%元の会社からの仕事を受けてる限り、ただの会社員と違わないし、不安定さが増すだけ。フリーランスになったつもりで会社員を続けて、どこからも必要とされる人材になる方が得策だな、と考えるようになったんです」

    そしてこの時期を境に、自身が疑問に感じるところや、もっと変えていけると思う部分を積極的に提案するようになっていく。同社の基盤技術センターの立ち上げや、社内ベンチャー「SonicGarden」の立ち上げを実現し、自分自身で環境を変えてこれた背景には何があったのか。

    【Advice 3】
    「自分にとっての顧客は誰か?」を知ろう

    倉貫氏が新卒当時の先輩に教えられ、起業した今でも心に残っている教訓の一つに、「SIerはモノづくりを行うだけではなく、課題解決を実現する企業である」という言葉がある。この大原則に則れば、立場がプログラマーであれSEであれ、フリーランスでも会社員でも、自分自身が何に取り組むべきかが見えてくると倉貫氏は言う。

    「一番シンプルなのは、『自分が今やっていることが顧客の課題解決になるかどうか?』ということです。それには、『自分にとっての顧客は誰か?』を考えてみること。よく、それは発注先だという人がいますけど、会社は顧客から得た報酬を社員に給料として支払うわけですから、フリーランスになった気持ちになれば、自分の会社も自分にとっては『お客さま』みたいなものなんですよ」

    そう考えれば、会社や開発の現場がおかしいと感じたら、どうすれば良くなるか改善案を考えて提案するのが、「自分にとっても会社にとっても良い結果を生む」と示唆する。

    事実、倉貫氏自身も、あるプロジェクトがうまく進まず悩んでいたのを機にアジャイル開発の勉強を始め、社内に導入の提案をして採用されたことがあるという。こうした働きかけが評価を高め、後の企業内起業へと結び付いていったのは言うまでもない。

    では、現在でもまだ一部にしか普及していないとされるアジャイル開発に、数年前から注目できた理由はどこにあったのか。その答えが、続くアドバイスとなる「社外交流」だ。

    【Advice 4】
    半径3mより外の人と、意識的に会おう
    現在も積極的に「社外交流」を行う倉貫氏は、自身のブログ『Social Change!』で学びの成果を発信している

    現在も積極的に「社外交流」を行う倉貫氏は、自身のブログ『Social Change!』で学びの成果を発信している

    「僕自身が早くから『日本XPユーザグループ』や『オブジェクト倶楽部(通称オブラブ)』に参加して、そこからほかの勉強会やエンジニアを知って人脈が広がっていったからこそ、早い段階でアジャイルの優位性に気付くことができたんです」

    同じ会社にい続けて、しかも配属が2年以上続くような長期プロジェクトになったりすると、次第に「おかしな状態」に疑問すら抱かなく危険性がある。それを防ぐ意味でも、「半径3mより外の人、つまり外部のコミュニティーや勉強会に参加する」(倉貫氏)ことを強く勧める。

    「今はFacebookやTwitterなどSNSが普及しているので、自分が興味を持つ技術分野で、どんな人がどんな情報発信をしているのかがすぐ分かります。だけど、社内や担当プロジェクトで行われていることが本当に正しいのか? を確かめるためには、外の世界を覗いてみるのも必要だと思いますね」

    実は、先ほど例に挙げたアジャイル開発の提案を行っていた前後、倉貫氏は「本当に開発現場で使えるのか?」という不安を持っていたという。だが、ある勉強会に参加した際、とあるメーカー系SIに勤めるエンジニアがアジャイル開発の事例発表をしていたのを聞いて、確信を得たのだそうだ。

    それだけでなく、「SI企業のプロジェクトは守秘義務があるから、社外で話してはいけないのでは?」という思い込みも、この発表を聞いて払拭された。

    「僕らはプロなわけですから、本当に話しちゃいけない部分まで口外することってそうそうないはず。過度に気にして何もしないより、社外で発信してみる方が、絶対にたくさんの知見を得られます」

    さらに、立場や置かれた状況の異なるエンジニアと接していくうち、ある気付きも得ることができた。それは、「結局このビジネスで一番価値があるのはソースコードだ」という結論だ。

    「もし、今の勤め先でプログラミングの仕事から離されそうになっているなら、『良いソースコード』、『後々修正もしやすい価値のあるソースコード』とは何か?ということを客観的に知るためにも、早いうちに社外の人たちから学ぶ機会を持つべきだと思います」

    地方にいる、プロジェクトが忙しいなどといった理由で、なかなか勉強会や交流会に参加する余裕を持てないのであれば、「githubなどでソースコード交流を図る方法もある」と話す。ここでも、担当プロジェクトの都合で公開できるコードがないという人は、自習内容をアップしてみるという手があるだろう。

    こうして、在籍する企業の規模や環境にかかわらず、エンジニアとしての「個のチカラ」をどう磨いていくかが成長のカギ、というのが倉貫氏流の自己研鑽法だ。

    第3章:数年後、「余剰SE」にならないためのアドバイス

    プロフィール画像

    株式会社匠BusinessPlace 代表取締役社長
    萩本順三氏(@haggy335

    2000年にオブジェクト指向技術の企業、豆蔵を立ち上げ、以降ITアーキテクト、メソドロジストとして活躍してきた大ベテラン。2009年7月、匠BusinessPlaceを設立。現在は、ビジネスとITの可視化を行うための要求開発をさらに洗練・拡張させた手法「匠Method」を開発。自らユーザー企業で実践している

    オブジェクト指向技術を専門とする豆蔵を立ち上げ、現在は独自の「匠Method(リンク:オープンコミュニティ『要求開発アライアンス』の2012年4月定例会発表資料より。15P以降が匠Methodの解説)」を通じて、ビジネスとITの”見える化”を推進する萩本順三氏。自身がSEとしてのキャリアをスタートしたのは、27歳の時だった。

    事業会社の経理担当者からIT業界へ転身した当時はMS-DOSが出始めたころ。「なのに、わたしは前職の仕事を通して少しだけ触ったことのあったCOBOLや簡易言語、そして情報処理技術者の知識くらいしか持っていなかった」と振り返る。

    同年代のほとんどが自分より多くの開発経験を持ち、プログラミングに勤しむ現場で、一人ゼロからスキルを積み上げながらスキルアップを実現してきた。

    自らを「落ちこぼれプログラマー」だったと話すが、2000年には前述のように豆蔵を共同設立。現在の会社「匠Lab」を創業する前後の2009年3月までは、内閣官房IT室GPMO補佐官として政府のIT化戦略・実施マネジメント(e-japan)にも携わるなど、業界内でも屈指の戦略家として名を馳せるようになる。

    萩本氏がプロジェクト構築・推進のエキスパートになれた理由はどこにあったのか。その答えは、IT業界に入った当時から意識してきたという独自のノウハウにあった。

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