東京大学工学系研究科 准教授
松尾 豊氏
東京大学工学部電子情報工学科卒業。同大学院博士課程修了。博士(工学)。産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、07年10月より現職に。人工知能学会では2年間、編集委員長を務め、現在は倫理委員長。Webマイニング、ディープラーニング、人工知能を専門とする。著書に『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』など
大企業からスタートアップまで。BtoBサービスからエンターテインメントまで。日々取材をしていて、いまや人工知能という言葉を聞かない日はない。過去2度のブームと冬の時代を繰り返してきた人工知能研究に、3度目の春が訪れている。
その主役は「ディープラーニング」と呼ばれる新しい機械学習の手法だ。
2012年に行われた画像認識技術を競う世界的なコンペティション「ILSVRC」で、トロント大学の研究チームがこの技術を用いて、それまでの常識を覆す圧勝を記録。同じ年に発表された有名な「Googleのネコ認識」と呼ばれる研究も、ディープラーニングを用いたものだった。
東京大学大学院工学系研究科・准教授の松尾豊氏も、まだ「ディープラーニング」という名前がなかったころからこの技術に注目し、研究を続けてきていた。松尾氏は著書『人工知能は人間を超えるか』の中で、ディープラーニングを「人工知能研究における50年来のブレークスルー」と位置付けている。
その松尾氏に今回、次の2つの視点からインタビューを行った。
【1】松尾氏が長く研究に従事してきたディープラーニングは、なぜ「50年来のブレークスルー」と言えるのか。そのことはこの先、エンジニアの働き方にどのような影響を与えうるのか。
【2】ブームと冬の時代を繰り返してきた人工知能研究の領域で、松尾氏はなぜ、第一線を歩み続けることができているのか。同じく流行り廃りの激しいエンジニアのキャリアにも通じる仕事哲学とは。
結論から言って、松尾氏は日本の開発現場にいるエンジニアに大きな期待を寄せている。エンジニアとディープラーニングが結び付くことが、情報技術の分野でシリコンバレーに圧倒的な遅れをとってきた日本が捲土重来する、重要なカギになると考えているのだ。
東京大学工学系研究科 准教授
松尾 豊氏
東京大学工学部電子情報工学科卒業。同大学院博士課程修了。博士(工学)。産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、07年10月より現職に。人工知能学会では2年間、編集委員長を務め、現在は倫理委員長。Webマイニング、ディープラーニング、人工知能を専門とする。著書に『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』など
ディープラーニングはなぜ「50年来のブレークスルー」と言えるのか。それは、これまで人間にしかできなかった画像の特徴量の抽出を、コンピュータに行わせることに成功したからだ。
「全ての数学的モデルはこれまで、一番大事な『モデルを作る』段階で必ず人間が介在していました。例えば中学生くらいで習う『つるかめ算』にしてもそう。鶴の数をx、亀の数をyと置いてしまえばその後に続く計算はコンピュータにもできますが、なぜ鶴をx、亀をyと置くかはコンピュータには分からなかった。
人工知能についても同じで、画像認識における特徴量の抽出や、機械学習における変数の設定などは、人間がやるしかなかった。しかしディープラーニングを用いれば、少なくとも画像に関しては、特徴量の抽出をコンピュータが担うことができると証明したのです」
この技術がさらに進み、現実世界から何を変数や特徴量として取り出せば良いかをコンピュータが自ら判断できるようになれば、あたかも人間の知能がやっているように現実世界をモデル化し、高度な予測をすることも可能になると松尾氏は言う。
つまり、いまだ完成を見ない人工知能が、その実現に向けて大きく踏み出すことになるのだ。
「ただし、研究としての一番の山場はまだ先にあると思っています。現状はまだ、画像から特徴量を抽出することに成功したに過ぎません。いずれは現実世界からも特徴量を抽出することができるように、行動と結び付き、言葉と結び付くと予想されます。
人間が他の動物と比べて圧倒的に賢くなったのは、言葉があるからです。だからこの『言葉と行動』のフェーズが、人工知能研究の『関ケ原』になるだろうと踏んでいるんです」
松尾氏は、日本のエンジニアはこのディープラーニングの知識を身に付けることで、自分の市場価値を一気に世界レベルにまで高めることができるだろうと話す。
今後、今以上にさまざまな産業の中で人工知能が使われることは必至であり、その際に肝となるのが機械学習やディープラーニングであることも明らかだという。だが、チャンスが「エンジニアにこそ大きい」のには、さらなる理由がある。
「ディープラーニングは特に実装の部分が難しい技術。そこは研究者にはかなりハードルが高い。むしろ実装スキルの高いエンジニアの需要が高い分野なのです」
ディープラーニングは研究としては現在の機械学習よりも先を行くものだが、だからといって学ぶのが難しいかというと、そうではないと松尾氏は続ける。
「私の研究室の学生らが作った『グノシー』などで使われている機械学習は、たくさんの理論モデルを知っていて初めて実現できるものですが、ディープラーニングは現時点でそこまで多くの理論があるわけではなく、試行錯誤を繰り返すチューニングの要素が強い」
並列処理をする時にどこがボトルネックになるかを知っていたり、GPUを組み合わせてパフォーマンスを良くするように組み上げることができたりといった、実践的なスキルがそこでは試される。
松尾氏はさらに、ディープラーニングは「非常に日本人向き」でもあると言う。
「ディープラーニングはコツコツとパラメータを調整したり、ノウハウを蓄積したりする必要がある『マジメ』な技術。それは、日本のメーカーの技術者に必要とされてきた素養とすごく似ています。
流行りのスタートアップのように全く新しい価値観を持ち込んで市場原理を一気にひっくり返すというより、既存の価値観の中でマジメに精度を上げていく作業は、日本人にすごく向いていると思います」
加えてディープラーニングには、いくつもの日本発のサービスがぶつかってきた言葉の壁もない。
「今はブームに流されやすいという日本人の悪い面が表れているところもありますが、ちょうどアニメがそうであるように、うまく方向を導くことで日本独自の進化を遂げる可能性があります。今一度、日本が世界で戦うための競争力になり得るのではないかと期待しているのです」
松尾氏が東大研究室の門を叩き、人工知能研究の世界に足を踏み入れたのは、1997年のこと。2回目のブームが去り、再び冬の時代に入ったタイミングだった。
「高校生のころから『自分とは何か』とか『人間の認知の仕組み』とかに興味があって、いろいろと調べていました。そんな折に人工知能という、知能をコンピュータで実現しようという研究分野があることを知ったんです。しかも人工知能は、いまだに実現できていないというじゃないですか。こんなに大事なことなのにまだできていないというのは、すごいチャンスだ。そう思ったのが、人工知能を専攻するに至った経緯です」
松尾氏はこの時抱いた自分の内なる問題意識と常に向き合い、そこから論理的に考えて研究対象や手法を導き出している。
その姿勢は、途中「冬」が来ても「春」が来ても、今日に至るまで一貫していて変わりがない。
「最初は人工知能研究の伝統的な分野である推論を扱っていたのですが、このままやっていても人間の知能の実現には至らないと考えて、もう少し多くのデータを扱う方向へと舵を切りました。
自分は新参者でしたから、すでに誰かがやっていることを真似しても意味がない。そこで、当時はまだほとんど扱われていなかったWebのデータを対象とすることにしました。後にWebマイニングとして一般的になる研究を先駆けて行ったことで、注目を集めることができました」
2003年ごろには、人間同士の「関係性」に着目して『あの人検索SPYSEE(スパイシー)』という実験的な試みを行った。ソーシャルネットワークの先駆けとも見なせるこの試みも、「知能を実現するためにはどうすればいいか」という最初の問いに忠実にしたがった結果だ。ブームはいつも、後からやってくる。
その少し前の2002年ごろからは、「人間は気付けるが、コンピュータは気付けない」という違いについても考え始めていた。この観点から考えを掘り下げていくと、自然とネットワーク構造、オートエンコーダの重要性に行き着いたという。
ここでいう「気付き」という言葉は、「特徴表現の抽出」と言い換えることもできる。つまり、後に「ディープラーニング」と名付けられる技術を研究対象とするのも、松尾氏にとっては内なる疑問に向き合い続けた末の、必然の帰結だったのだ。
とはいえ社会環境の変化が研究にもたらす影響は小さくない。日本の競争力が落ち、経済が停滞すると、国の予算で最初に削られるのは研究開発費。それは業績の落ちた企業が採る選択と全く同じだ。
まして年功序列で研究費が割り当てられるとしたら、若い松尾氏は最も不利な立場にあるといえた。
「でも、そうした環境を嘆いてばかりいても仕方がないですよね。国外に目を向ければ、スタンフォードなどは企業から支援を受けて、リッチな研究者がどんどん規模を拡大していた。そこで2009年ごろからは国の予算に頼るのを辞め、企業にスポンサードしてもらう方針に切り替えることにしました」
相手が国であれば報告書を出しさえすれば研究の成果として認められるのに対して、明確な成果を求める企業の判断は10倍シビアだと感じたという。
次に取り組むべき課題は、支援額をどう引き上げるかだった。
「研究者は自分のやりたい最新の方法で課題を解決しようとしがちですが、企業が求めているのはそこではない。最先端の研究は一方でやるとして、共同研究は企業にいかに役立ててもらうかという観点で考えなければなりません」
そこで、最初にコンサルティングファームに入ってもらい、企業の持つ課題を聞き出すというプロセスを採り入れた。どんなテクノロジーを使うかは、解決すべき課題に従って決まるという考え方だ。こうしたやり方に切り替えることで、2009年当時米国の研究機関と30倍近い差があった研究資金の規模は、今では5、6倍の差まで縮まっているという。
現在、松尾研究室では7つの企業との共同プロジェクトを並行して進めている。「今後は学生を確保し、いかにスケールするかが新たな課題になっていくでしょう」と松尾氏は話している。
人工知能3度目の春を一時的なブームで終わらせないためのカギは、人材にあると松尾氏は言う。この秋には、東大にディープラーニングの教育プログラムを設ける構想もある。
「先ほども言ったように、最新理論を知る研究者と実装能力の高いエンジニアが組むことが、研究を一気に加速させると考えています。新しく設けるプログラムは、エンジニアの方や企業の人も参加して、理論を習得してもらえるような場にしたいですね」
最先端の研究を進める一方で、メタ的な視点を持って環境を整えることも怠らない。そのどちらにも通じるのはやはり、初めて人工知能研究の扉を開いた20年前と少しも変わらない、「自分を知り、人間の認知を知りたい」という内なる欲求だ。
そんな松尾氏が思い描く、人工知能が完成した後の世界とはどんなものだろうか。
「自分からは一つの見え方をしている世界でも、立場を変えれば実はそうではない見え方も同時に存在しているかもしれない。でも、脳の構造に縛られて、『そうではない見え方』に決してたどり着けないのが人間です。
ですがもし、人間よりももっと賢い知能があるとしたら、どうでしょうか。人間が行っているのとは全然違うやり方で認識し、人間には分からない予知をして、人間をひときわ高いところに導いてくれるかもしれない。私が完成を目指す人工知能とは、そういうものです」
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取材・文/鈴木陸夫(編集部) 撮影/小林正
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