*河田はジョン万次郎が米国から帰国した際に聞き取り調査を担当した人物で、外国の事情に精通していた。
向いていない仕事は“即やめる”が正解!? 坂本龍馬の「再出発」に学ぶ、決断の仕方 【歴史作家・河合敦が解説】
仕事やキャリアで悩みがあれば、上司や先輩に相談したり、書籍を読んだりするエンジニアは多いだろう。
本記事ではそれに加えて、「歴史上の人物からの学び」も提案したい。
世の中を変えるほどの大きな仕事を成し遂げた偉人たちも、その過程では多くの困難に直面したり、不遇な時代を経験したりと、決して順風満帆な人生を歩んだわけではない。彼らが何を考え、どう行動したかを知ることは、現代の私たちにも大きな学びを与えてくれるはずだ。
そこで『歴史探偵』(NHK総合)を始め、多数のテレビ番組や著書を通じて日本史を分かりやすく教えている歴史作家の河合敦さんに、「エンジニアのお悩み解決のヒントになる偉人たちの生き方」を紹介してもらった。
今回取り上げるお悩み
新卒でSESに就職して以来、エンジニアとして2年間働いてきましたが、上から飛んでくる仕事を流れ作業のようにこなすだけの日々に疑問を感じるようになりました。
できれば自社開発に携われる会社に転職したいと思う反面、経験の浅い自分が外の世界でやっていけるのか不安もあります。思い切って転職すべきでしょうか?
「その悩みを抱える人なら、坂本龍馬の再出発エピソードが参考になるかもしれません」と教えてくれる河合さんに詳しく伺った。
坂本龍馬は、今いる場所にしがみつかなかった
「今の仕事や組織、あるいはポジションが自分には向いていない」と感じたら、すぐに見切りをつけて別の世界へ飛び出していく。実は、歴史に名を残す偉業を果たした人たちの多くがこのパターンです。幕末の志士である坂本龍馬もその一人でした。
龍馬は20代半ばの頃、生まれ故郷の土佐藩で結成された土佐勤王党に加わります。これは土佐藩全体が尊王攘夷にまとまり、日本から外国勢力を追い払うことを目的に活動した政治組織です。
土佐勤王党のリーダーだった武市半平太は龍馬にとって幼馴染かつ遠縁に当たる人物でしたから、「友の誘いならば」と土佐勤王党に参加したんですね。
しかし、しばらくすると「このグループの活動と自分がやりたいことは違う」と龍馬は感じます。結果、土佐藩を脱藩し、外の世界へと飛び出していったのです。
というのも、もともと龍馬には大きな夢がありました。それは「日本に海軍をつくりたい」というものです。
彼は20歳の時、剣術修行のため初めて江戸に上るわけですが、その直後にかの有名な米国のペリー総督率いる黒船が浦賀沖に来航。うち一隻が品川沖にやって来ます。
このとき龍馬も品川の沿岸警備に駆り出されたのですが、田舎から出てきたばかりの若者にとって、黒船は今で言えばUFOに遭遇してしまったくらいのカルチャーショックだったに違いありません。そのとき、龍馬が父親に送った手紙には「もし戦になれば、異人の首を討ち取って土佐に帰ります」と綴られています。
それから一年後、土佐に戻った龍馬は外国事情に詳しい土佐の知識人・河田小龍*を訪ねて、「どうすれば米国のような外国勢力を追い払えるのか」と尋ねました。
河田から「世界と対等に付き合うには、大きな船とそれを動かせる人材が必要だ」と聞かされた龍馬。それで「日本に海軍をつくろう」と決意したのです。
幼馴染みだった武市半平太率いる土佐勤王党も、「外国勢力を追い払う」という目的では龍馬と思いは同じだったものの、あくまで土佐藩という一つの国を尊王攘夷に導くことにこだわり、同じ藩の中で自分たちの思想と対立する人物の暗殺を企てるなど過激な行動に出ていた。そんな党の活動方針に龍馬は違和感を抱いていたのです。
そんな折に、長州藩の久坂玄瑞(尊王攘夷運動の中心人物)を訪ねる機会がやってきました。その際、久坂から「尊王攘夷の大義を成し遂げられるなら、藩など滅亡しても構わないではないか」と龍馬は諭されます。
この時に龍馬は「アメリカという強大な敵が日本に迫っているのに、藩という小さな枠組みにこだわっている場合ではない」と気付かされたのでしょう。龍馬が脱藩したのは、それからわずか2カ月後のことでした。
脱藩した龍馬はやがて江戸へ向かい、当時の海軍トップに当たる幕府の軍艦奉行を務めていた勝海舟の門人となり、軍艦の操縦や航海術を学びました。
さらには日本初の商社である亀山社中を設立し、海運業を営みながら海軍としての修練を積んで、「外国と対等に渡り合える海軍をつくる」という夢の実現に向かって邁進しました。
思い切って藩を飛び出し、各地から優れた人物たちが集まる江戸に出て新しいことを学び、多様な考え方に触れて刺激を受けたことで、龍馬自身も大きく成長できたのです。
今の時代でも「やりたいことができると思って今の会社に入ったけれど、実際に働いてみると何か違う」と感じるケースはよくあるでしょう。ならば龍馬のように今いる場所を飛び出して、自分が本当にやりたいことができそうな環境へ移る選択肢もあると思います。
いきなり転職に踏み切るのが不安なら、龍馬が河田や久坂に会いに行ったように、セミナーや勉強会などを通じて自分が興味のある分野で優れた知識や実績を持つ人の話を聞く機会を作れば、「やっぱり自分がやりたいのはこれだ」と確信が持てるかもしれません。
今の仕事や組織に違和感があるなら、まずは何かしらの行動を起こすことが、自分らしいキャリアを切り開く第一歩になるはずです。
文/塚田有香、撮影/桑原美樹、編集/玉城智子(編集部)
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