本連載では、業界の第一線で活躍する著名エンジニアたちが、それぞれの視点で選んだ書籍について語ります。ただのレビューに留まらず、エンジニアリングの深層に迫る洞察や、実際の現場で役立つ知見をシェア!初心者からベテランまで、新たな発見や学びが得られる、エンジニア必読の「読書感想文」です。
任天堂元社長・岩田聡の仕事哲学に学ぶ。「ボトルネックを見極め、最善を尽くす」【データサイエンティスト・からあげ】
著名エンジニアが、独自の視点で「おすすめ書籍」の紹介を行う本連載。
今回の語り手は『面倒なことはChatGPTにやらせよう』(講談社)の著者であり、データサイエンティストのからあげさん(@karaage0703)だ。
本書をピックアップした背景
エンジニア向けの書籍を選ぶという企画を受けたものの、取り上げる書籍に関しては非常に悩みました。技術書は、基本的に時間が経つほど、どうしてもその内容が古くなってしまいます。特に私が仕事の関係でよく読む「AI関係」の書籍であればなおさらです。
「せっかくなら、何年後に読んでも内容が古くならない、普遍的な内容の本を紹介したい!」
そう思い、今回あえて技術書ではなく『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』(※以降『岩田さん』)を選ばさせていただきました。
『岩田さん』は、任天堂の元社長・岩田 聡さんの残した言葉を紡いだ書籍です。
岩田さんを知らない人でも、岩田さんの関わった『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ(※1)』『脳トレシリーズ』『ニンテンドーDS』『Wii』といった数々のゲームコンテンツ、ゲームハードを知っている人は多いのではないでしょうか? そのようなゲームを、岩田さんがどのような思いと考えで生み出してきたかが書かれています。
技術について直接書かれている本ではないのですが、「ものづくりをするエンジニアであれば、ジャンルを超えて学べるものがある」と思い、紹介させていただきます。私自身も、折に触れて何度も読み、そのたびに新しい発見がある本です。
(*1)スマブラのプロトタイプは、企画やデザインをゲームクリエイターの桜井政博さん、プログラムを岩田さんが担当するという超少数精鋭体制で開発されていたそうです
本書で得られた学び・教訓
書籍を通じて岩田さんから語られることの一つに、仕事の「ボトルネック」を意識して、そこにフォーカスすることの重要性があります。
それ自体は当たり前のことかもしれませんが、岩田さんの凄いところは、まず覚悟を決めて一番重要なところに徹底的に取り組むところです。そのためには、炎上している現場に飛び込むこともいとわない、むしろ喜んで飛び込んでいたというので驚きます。炎上している現場を一度でも経験している人は、なかなかそう覚悟を決められないのではないかと思います。
そんな岩田さんの有名なエピソードとして、『MOTHER2』のゲーム開発を立て直した話があげられます。
開発が破綻し、炎上していた『MOTHER2』の開発現場を立て直すために助っ人として呼ばれたのが、当時HAL研究所の社長兼プログラマーだった岩田さんでした。既に多忙を極めていたはずの岩田さんは『MOTHER2』の立て直しを引き受けることを決めます。そして『MOTHER2』のソフトウエアの現状を分析した岩田さんは、今ではもはや伝説となったセリフを、プロデューサーであった糸井重里さんに告げます。
「今あるものを活かしながら手直ししていく方法だと、2年かかります。1から作り直していいのであれば、半年で作ります」
炎上しているプロジェクトを立て直す当事者として、こんな痺れるセリフを言える人がどれだけいるでしょうか?
そして糸井さんが「1から作り直す」という決断を下した後、岩田さんが最初に取り組んだのが「環境整備」でした。開発者が開発を効率的に行えるツールやバージョン管理ツール、まだインターネット黎明期(*2)でほとんど使われていなかったメールシステムを整えたというのです。
岩田さんは凄腕のプログラマーなので、自分がゴリゴリ開発する選択を取っても不思議ではありません。ただ岩田さんは「環境整備をすることがプロジェクト全体のパフォーマンスを高めて、一番結果を出せる」、すなわちそこがボトルネックでありフォーカスすべき課題であることを、冷静に見抜いて判断していたのですね。
実際に、岩田さんは『MOTHER2』プロジェクトを見事立て直し、絶望と思われていたゲームの完成を実現したのですから驚きです。
(*2)大きいデータのやりとりに、バイク便を飛ばしてROMを渡しているような時代です
実務での活用方法
岩田さんの『MOTHER2』開発のエピソードは、『岩田さん』が発売される前からネットでは有名だったので、単純な私はこの話に感銘を受けて、これをいつか真似しようと思っていました(笑)
その機会が来たのは、私が社会人になって数年目のときでした(※3)。
当時私は、製造業の会社で新規事業として、ソフトウエア開発部隊の立ち上げを担っていました。ただ製造業の会社によくあるのですが、ソフトウエア開発に関しては、バージョン管理はエクセルシートに変更点を記入して、変更時は印刷して上司にハンコを貰いに行くというのが当たり前の世界でした。
そんな中、自分が開発するソフトが特殊でかなり複雑だった上に、複数組織で共同でソフトウエアを開発するような枠組みだったこともあり、開発はみるみる暗礁に乗り上げました。そこから立て直すためには……まあいろいろなことがあったのですが、大きかったことの一つが「開発環境の整備」です。
社内でIT系の最先端のソフト開発をしている有識者と仲良くなって協力してもらい、当時社内ではほとんど使われていなかったGit/GitHubによるバージョン管理、PullRequestによるコードレビュー、自動テストといった、当時としては最先端の開発環境を次々と整えていきました。その結果、開発の大幅な効率化を実現して、プロジェクトを徐々に軌道に乗せることができました。
もちろん、私の場合は技術を転用しただけなので、全く新しいシステムを作り出した岩田さんとでは、その難易度もインパクトも及ぶべくもありません。ただそのときは、ちょっとだけ憧れの岩田さんに近づけた気がして、少し自分を誇らしく思いました。
それ以外にも『岩田さん』には、「好きか嫌いかではなく、これは自分でやるのが一番合理的だと思えたら、覚悟はすぐに決まる」という話が出てきます。具体的にいうと、岩田さんはその考えに従い、会社を代表して大勢の前のステージで、決して好きでも得意でもないプレゼンをしていたそうです。
私自身も、実は好きでも得意でもないプレゼンをすることが多くなっています。プレゼンが多くなると「そんなに得意じゃないし、もうやめようかな」と思うことが頻繁にあります。ただ「岩田さん」を読んでからは「自分がプレゼンするのは、それなりに合理的かもしれないな」と考えるようになり、「人から求められる以上は続けよう」と、少しだけ思えるようになりました。
そういう意味では、この「一流のエンジニアの選書」という分不相応な企画を引き受けているのも、岩田さんの言葉があったからかもしれません。
この書籍を通じて、技術以外で岩田さんを非常に魅力的に感じるのは、とにかく人を喜ばせることが好きだということです。任天堂の社長になった後は、なんと全社員との面談を実施したそうです。
岩田さんが面談するとき、開口一番に聞くのが「あなたはハッピーですか?」らしいです。そして、その人が幸せになるためにどうすれば良いか、本気で考えるそうです。岩田さんの人柄が慕ばれるエピソードですね。
実は、私も仕事で1on1のときに、これもこっそり真似しています。「ハッピーですか?」だとあまりにそのままで恥ずかしいので、「絶好調ですか?」と聞くようにしています。なので、もし私に「絶好調ですか?」と聞かれても、「岩田さんの真似ですか?」とは言わないようにしてくださいね。恥ずかしいので(笑)
(*3)このときは「岩田さん」発売前なので、正確には書籍の内容を活用できたわけではないのですが、書籍にもほぼ同じ内容の文章が書かれているのでご容赦いただけましたら幸いです
まとめ
拙い文章でしたが、少しでも書籍『岩田さん』と岩田さん自身の魅力が伝わりましたら幸いです。私は書籍を読んだ後、どうしても岩田さんが開発した「MOTHER2」をプレイしたくなり、当時のゲームカセットを買ってプレイしました。
開発の背景を知ってプレイすると「このシステムにしているのはこういう理由なのかな?」とか、作り手の都合も想像できて楽しかったです。ちょっと大げさかもしれませんが、時を越えて、岩田さんと対話しているような気持ちになりました。私もこのように、「後の世代の人と時を越えて対話できるようなコンテンツを、せめて一つでも生み出したい」と、同じ作り手として思っています。
ちなみに『MOTHER2』は、今はNintendo SwitchでNintendo Switch Onlineに加入するとプレイすることができます。なんと、私がゲームカセットを買った直後に公開がはじまりました(涙)
もしよかったら、『岩田さん』を読んで『MOTHER2』をプレイして、時を越えた岩田さんとの対話を楽しんでみてください。そこには、ものを作る人なら感じられる感動がきっとあると思います。
データサイエンティスト
からあげさん(@karaage0703)
『面倒なことはChatGPTにやらせよう』(講談社)『人気ブロガーからあげ先生のとにかく楽しいAI自作教室』(日経BP)『Jetson Nano超入門』(ソーテック社)を執筆。『ラズパイマガジン』『日経Linux』など多数の商業誌・Webメディアへも記事を寄稿。 個人としてモノづくりを楽しむメイカーとして「Ogaki Mini Maker Faire」をはじめとした複数のメイカー系イベントに出展。好きな食べ物は、からあげ
文/からあげ 編集/今中康達(編集部)
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