アイキャッチ

ノーベル物理学賞、本当は日本人研究者のもの? 甘利俊一の功績を忘れてはいけない【今井翔太コラム】

ITニュース

プロフィール画像

AI研究者,博士(工学,東京大学)
今井翔太さん(@ImAI_Eruel

1994年、石川県金沢市生まれ。東京大学大学院 工学系研究科 技術経営戦略学専攻 松尾研究室にてAIの研究を行い、2024年同専攻博士課程を修了し博士(工学、東京大学)を取得。人工知能分野における強化学習の研究、特にマルチエージェント強化学習の研究に従事。ChatGPT登場以降は、大規模言語モデル等の生成AIにおける強化学習の活用に興味。生成AIのベストセラー書籍『生成AIで世界はこう変わる』(SBクリエイティブ)著者。その他書籍に『深層学習教科書 ディープラーニング G検定(ジェネラリスト)公式テキスト 第2版』(翔泳社)、『AI白書 2022』(角川アスキー総合研究所)、訳書にR.Sutton著『強化学習(第2版)』(森北出版)など

一人のAI研究者として、2024年のノーベル賞でAI研究が物理学賞と化学賞を連続受賞したことは、非常に喜ばしく思います。私だけでは無く、大半のAI研究者が同じ思いでしょう。

私に関して言えば、初代『AlphaFold』(*1)が発明された時点でその可能性に目を付け、以後毎年AlphaFoldの受賞を予想していたこともあり、喜びはなおさらです。

また化学賞を受賞したGoogle DeepMindのCEOであるデミス・ハサビスは、囲碁の世界チャンピオンを倒したゲームAI『AlphaGo』の開発者であり、もともとは世界的なゲーマーでした。同じくゲーマーだった私は、このハサビスの経歴とAlphaGoの成果をみてAI研究を志したという背景もあり、今回の受賞はとても感慨深いです。

ただし今回の物理学賞に関しては、日本人として少々複雑な想いがあります。その理由を、個人的な思いも含めて解説させていただきます。

(*1) 「AlphaFoldを用いたタンパク質の構造予測」を理由に、デミス・ハサビス(Google DeepMind CEO)とジョン・ジャンパー(Google DeepMind)が2024年ノーベル化学賞を受賞

史上最も異例な年? 2024年ノーベル賞はなぜ“AI祭り”なのか今井翔太が全力解説! https://type.jp/et/feature/26928/
史上最も異例な年? 2024年ノーベル賞はなぜ“AI祭り”なのか今井翔太が全力解説!

甘利俊一先生を無視することはできない

なぜ複雑な想いなのかというと、ヒントンやホップフィールドがノーベル賞を受賞するのであれば、同じく受賞するべきだと感じる日本人研究者がいるからです。

その研究者とは、東京大学名誉教授の甘利俊一先生です。

今井さんが医学系の学会で講演した際、DeepMindのAI for Scienceにおける業績を説明したスライド

東京大学HPより

甘利先生は、『バックプロパゲーション(誤差逆伝播法)』や『確率的勾配降下法』として知られるニューラルネットワークの学習アルゴリズムをいち早く提案し、ニューラルネットワークの研究に多大な貢献をしました。

ただ人工知能の標準的な教科書では、これらのアルゴリズムの成立を1986年とし、貢献者としてヒントンやルメルハートの名前を挙げることが多いのです。彼らの手法とほぼ同じものを、甘利先生は1967年に発表した論文(*2)にて導入しているにも関わらず、です。

これだけではありません。今回物理学賞を受賞したホップフィールドが1982年に提案した連想記憶モデルは、一般に彼の名を冠した『ホップフィールドネットワーク』や『ホップフィールドモデル』と呼ばれています。

実はこれも、甘利先生がホップフィールドより10年ほど前にほぼ同じものを提案(*3)しており、正しくは「甘利-ホップフィールドネットワーク/モデル」と呼ばれるべきものです。

この辺りのいきさつは、甘利先生ご本人の著書『脳・心・人工知能』(講談社BOOK倶楽部)や、数週間前(24年ノーベル物理学賞発表の数日前)に発売された『めくるめく数理の世界 情報幾何学 人工知能 神経回路網理論』(‎サイエンス社)に詳しく載っており、日本のAI研究者やそれに近い自然科学者の間では割と有名な話です。

甘利先生の著書『脳・心・人工知能』と、『めくるめく数理の世界 情報幾何学 人工知能 神経回路網理論』の書影

著書によると、海外の研究者の一部には「甘利-ホップフィールドネットワーク/モデルと呼ぶのが正しい。そう呼ばなければ論文は受け入れない」と言う人もいたものの、その他多数の科学者の勢いに押されてホップフィールドの名前だけが定着したとのこと(撮影・提供/今井翔太)

前述の確率的勾配降下法についても、甘利先生が提案した時期はニューラルネットワーク研究の暗黒期に近かった一方で、ヒントンらが提案した時はブームの真っ最中。かつ、提案内容やネーミングも派手だったことから、甘利先生の発見が無視されてしまったといいます。

そしてこの件が話題になるのは、実は今回のノーベル賞が初めてではありません。

19年にヒントン、ヤン・ルカン、ヨシュア・ベンジオ、いわゆる“深層学習のゴッドファーザー”3名が、「コンピューター科学のノーベル賞」とも呼ばれるチューリング賞を、深層学習への貢献を理由に受賞した時にも物議を醸しました。

騒動の発端となったのは、ユルゲン・シュミットフーバーという、AI研究者の中ではある種の妖怪のような扱いを受けている研究者です。何かと「その研究は私が既にやっていた」と主張する“お騒がせ研究者”なのですが、その業績は圧倒的。彼が開発を担った『LSTM』という系列処理アルゴリズムは、AI研究における最重要手法(*4)として知られています。

そのシュミットフーバーが、深層学習の研究の歴史を細かく調べた上で、次のような主張をしたのです。

深層学習における最重要発見の多くは、甘利先生や私自身、その他さまざまな研究者に帰せられるものだ。ヒントン氏ら3名だけがチューリング賞を受賞するのはおかしい。そもそも彼らの論文は、先駆者の発見を意図的に引用すらしていない

以下のシュミットフーバーの記事では、その辺りが詳しく議論されています。もはや怪文書と言ってもいいほど、執筆者の熱量と迫力が物理的にも伝わってくる記事です。

シュミットフーバー氏の記事【1】 https://people.idsia.ch/~juergen/scientific-integrity-turing-award-deep-learning.html#lbhacm
シュミットフーバー氏の記事【1】
シュミットフーバー氏による記事【2】 https://people.idsia.ch/~juergen/ai-priority-disputes.html
シュミットフーバー氏による記事【2】

そしてシュミットフーバーは、今回のノーベル賞にもすぐに噛み付きました。確かに彼の言動は、AI研究者の中で煙たがられることが多いです。ただ少なくとも、今回のノーベル物理学賞に関して甘利先生に触れている部分は、日本人の研究者からすると妥当な主張のように思います。

実は今回のノーベル賞発表の数日前に、甘利先生の著書に関する話や、私がとある選書企画で甘利先生の本を推薦したことなど、直接対面してやり取りをする機会がありました。まさかその時は、数日後にこのような騒ぎになるとは思っていませんでしたが……。

(*2) 論文:S. Amari, A Theory of Adaptive Pattern Classifiers, IEEE Trans., 1967.

(*3) 論文:S. Amari, Learning patterns and pattern sequences by self-organizing nets of threshold elements. IEEE Trans., 1972.

(*4) 現在のChatGPTなどの生成AIが出る前は、LSTMとそれに関連する『RNN』という技術が言語処理の主役だったくらいです。

文/今井翔太 編集/今中康達(編集部)

転職力診断

Xをフォローしよう

この記事をシェア

RELATED関連記事

RANKING人気記事ランキング

JOB BOARD編集部オススメ求人特集





サイトマップ