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競プロ界のレジェンド・高橋直大が挫折も燃え尽きも“したことがない”理由「四番バッターを目指してない」

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エンジニアtypeが運営する音声コンテンツ『聴くエンジニアtype』の内容を書き起こし! さまざまな領域で活躍するエンジニアやCTO、テクノロジーに関わる人々へのインタビューを通じて、エンジニアとして成長していくための秘訣を探っていきます。
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自身も現役の競技プログラマーでありながら、競技プログラミングコンテストを開催するAtCoderの代表である「ちょくだい」こと高橋直大さん。2010年から現在まで、コンテストでは常に世界3位以内に入賞し続けるつわものだ。

誰もが認めるプログラミングの天才はどのようにして生まれたのだろうか。そのきっかけは、実に意外なものだった。

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AtCoder株式会社
代表取締役 高橋直大さん(@chokudai)

1988年生まれ。筑波大学附属駒場中学校・高等学校、慶應義塾大学環境情報学部を経て、慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。大学院在籍中にMicrosoft主催のプログラミングコンテスト『Imagine Cup 2008』に出場し、アルゴリズム部門で世界3位に入賞した経験を持つ。Google主催のGoogle Hash Code 2022でも世界1位に。2012年、競技プログラミングコンテストを主催するAtCoder社を創業。著書に「最強最速アルゴリズマー養成講座」(SBクリエイティブ)など

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【MC】
エムスリー株式会社 VPoE
河合俊典(ばんくし)さん(@vaaaaanquish

Sansan株式会社、Yahoo! JAPAN、エムスリー株式会社の機械学習エンジニア、チームリーダーの経験を経てCADDiにジョイン。AI LabにてTech Leadとしてチーム立ち上げ、マネジメント、MLOpsやチームの環境整備、プロダクト開発を行う。2023年5月よりエムスリー株式会社3代目VPoEに就任。業務の傍ら、趣味開発チームBolder’sの企画、運営、開発者としての参加や、XGBoostやLightGBMなど機械学習関連OSSのRust wrapperメンテナ等の活動を行っている

周囲と比べず「自分に向いているかどうか」だけで突き進んできた競プロ人生

日本を代表する競技プログラマー・ちょくだいさんが競技プログラミングデビューをしたのは高校時代。きっかけは「ただの人数合わせだった」という。

ちょくだいさん

僕、小学校3年生から高校2年までずっと野球少年だったんです。「好きな科目は体育!」のいわゆる体育会系キャラ。それが、肘をケガしたことで野球ができなくなってしまって。

それから友人が所属していたパソコン研究部に入り浸るようになって、流れでコンテストに出ることになっていました。

もちろん、この時のちょくだいさんはプログラミング初心者。右も左も分からない中、インターネットで調べた情報と友人たちのアドバイスで、なんと予選を勝ち抜いたのだとか。

ちょくだいさん

決勝でもそこそこ上手くいって、最終順位は6位。大好きだった野球を諦めて勉強もやる気になれなかった僕にとっては十分な順位で、もうこれしかないんじゃない? と光が差した瞬間でした。

そこからは競技プログラミングの世界に没頭。受験勉強のかたわら、プログラミングコンテストの問題を解き続ける日々が続き、2008年にはマイクロソフトが開催している学生向けプログラミングコンテストである『Imagine Cup』で世界3位となった。

しかし、レベルの高い環境にいけばいくほど、優秀なエンジニアの存在を知ることになる。

ちょくだいさん

世界3位になった時は、「僕、意外とやるじゃん」という気持ちはありました。ただ、当時は「自分の周りにいる友人たちの方がはるかにすごい」という感覚もあって。数学オリンピックのメダリストみたいなのがゴロゴロいる環境でしたから。

ばんくしさん

自分よりも優れた人がいる中で、プログラミングを続けるモチベーションを保てるのがすごいです。挫折したり燃え尽きたりしなかったんですか?

ちょくだいさん

僕は、コンテストで予選を通過しただけで充分すごいと思ってたんですよね。周りの優秀なエンジニアたちが常人離れしているのであって、それは僕の価値を下げる要因にはならない。「プログラミングは自分に向いている。だからやり続ける」というシンプルな動機でここまで来た感じです。

ちょくだいさん

こんなふうに考えるようになったのは、野球をやっていた影響が大きいかもしれないですね。

野球って9人で試合をするので、めちゃくちゃ強い人がチームにいても、ある程度できればレギュラーにはなれるんですよ。「四番バッターにはなれずとも、レギュラーにはなれそう」といった感覚がプログラミングに対してもあったんだと思います。

だから、モチベーションを保つために苦労したことや困ったことは正直ほとんどないですね。

大学時代には世界三大コンテストと称される『Topcoder Open』でも世界3位となり、トップクラスの競技プログラマーとして名を馳せたちょくだいさん。大学卒業後の選択肢に挙がったのは、研究者・就職・起業の三つだった。

ちょくだいさん

最初に候補から外れたのは研究者でした。新しいことを生み出したり、課題を解決したりするのは好きなものの、“論文”として評価されるようなアウトプットを目指すのは、僕の興味のベクトルとは合っていないと感じたからです。

もともとプログラミングコンテストに関わる仕事をしたいというのは決まっていたので、そういった事業を手掛ける企業に就職するか、自分で会社を立ち上げるかで迷いましたね。

結果、“今やるならどっちがいいか”という視点で起業を選びました。就職したあと起業するより、学生のうちに起業してダメだったら就職する方が、圧倒的にリスクは低いですから。学生だったからこそできた決断ですね。

ばんくしさん

ちょくだいさんの根底には、常に「やれるか分からないけど、やってみよう」という精神があるのですね。

生粋の競技プログラマーでありながら、経営者としてのキャリアを歩むことに決めたちょくだいさん。経営やマネジメントに携わるようになって、どのような変化があったのか。次回は、ちょくだいさんが直面してきたマネジメントの課題について聞いていくてく。

※本記事は聴くエンジニアtypeオリジナルPodcast『聴くエンジニアtype』#68#69をもとに執筆・編集しております

文/赤池沙希 編集/秋元 祐香里(編集部)

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