特集:音楽とITと私
・AWA小野哲太郎氏が語る、音楽産業復興の打ち手~「出会いと再会を生むプレイリスト」の開発に込めた思い
・激変する音楽業界でスタートアップはどう生き残る?Beatrobo×nanaトップ対談
・音楽の危機を救うのはネットか?リアルか?業界の異端児3人が立ち上げた地方創生プロジェクト『ONE+NATION』
・「閉じたコンテンツ商売」に未来はない~猪子寿之氏が語る、デジタルと作り手のいい関係
特集:音楽とITと私
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・「閉じたコンテンツ商売」に未来はない~猪子寿之氏が語る、デジタルと作り手のいい関係
国内外でビッグプレーヤーが相次ぎ参入する定額制音楽ストリーミングサービスに対しては、音楽の安売りにつながることなどを理由に、一部のレコード会社やアーティストから反発する声も上がっている。
聞き放題サービスがユーザーにもたらすメリットは大きいが、そこに音楽の作り手が報われる仕組みがなければ、長い目で見れば音楽文化の衰退という形で、ユーザーにとっての不利益につながるかもしれない。
こうした構図は、デジタル化が進むあらゆるコンテンツ産業にも通じるものと見ることができるだろう。デジタル時代に良質なコンテンツが持続的に生み出されるためには、どのような条件が必要なのだろうか。
今回は、デジタルなアート表現を追求し続けるウルトラテクノロジスト集団チームラボ代表の猪子寿之氏に、「音楽とテクノロジーのいい関係」、そして「デジタルコンテンツの未来」について聞いた。
その前に、定額制ストリーミングサービスがいいかどうかは置いておいて、デジタル時代になって音楽の作り手たちの収入は全体として本当に減っているの?
「デジタル化が進んで、作り手たちの収入が減っている」という言説は、はなはだ疑問ですよ。直感的に言って、むしろ増えているんじゃないかとさえ思う。そこには何か大きな勘違いがある。
なぜって、衰退しているのは音楽産業そのものではなく、コピーライトを独占し、それをパッケージ化することによって利益を得ていた人たちだから。これはコンテンツ産業をはじめ、他の産業においても言えることです。
分かりやすいのはIT業界の例ですよ。Windows 95のように、かつてはIT業界においてもパッケージビジネスが主流で、Microsoftはそれで巨大になった。そこからインターネット時代になってパッケージビジネスは減っていったけれど、じゃあIT産業は全体として小さくなったか?そんなはずがないですよね。むしろますます巨大になっている。優秀なトップエンジニアの収入は増えているし、エンジニアリングを職にする担い手の数も増えた。
相対的に、作り手たちは得をしているんです。損をしたのは、パッケージビジネスをやっていた人たちだけ。音楽業界もおそらくそうでしょう。
インターネットの時代になって、世界のトップミュージシャンの収入はインターネット以前と比べて増えていると思う(編集部注:Forbesが発表した「Celebrity 100」の2015年版によると、ミュージシャン部門の収入ランキングトップはスーパーボウルのハーフタイムショーも話題になったKaty Perryの165億円。近年のランキングトップは90年代のそれを大きく上回っている)。
そして、音楽を生み出している人の裾野の人数も収入も増えている。だって、今までは限られたプロしか収入がなかったのに、プロでも何でもない人がネットで集客したりして、ちっちゃいなりにライブもできたりするんだから。
だから、音楽産業がデジタルに移行してきたことも、一体何を問題視しなければならないのかが分からない。ここでも損をしたのは流通の担い手たちだけで。音楽が生まれて広がるプロセスがシンプルになって、ビジネスに必要な組織や人数が減ったからって、音楽を生み出すという文化そのものには何にも関係がない。
確かに、20年前と同じスタイルの文化の担い手たちは困っているだろうと思う。問題は、今の日本では文化の担い手たちまでがある種の洗脳を受けて、20世紀型のパッケージビジネスこそが正しいと思い込まされていることにある。そのせいで自ら損をしている。
作り手たちは新しい環境に合わせて倫理観や考え方も変えていかなければならないし、もしかしたら法律も変えていく必要があるかもしれない。現行の法律は、文化の担い手たちのためというより、流通業者やコピーライトを独占したいビジネスマンのためにあるものかもしれない。
そうだとしたら、こういった法律を変えていく方が、真に音楽の作り手がより得をする時代に近づくし、音楽を作る人の数が増え、音楽文化そのものが栄える可能性もある。
パッケージビジネスが崩壊して21世紀型になって、音楽を楽しむ人は増えていると思う。ユーザーが音楽を聞いている時間はおそらく増えているし、知っているミュージシャンの数も増えている。ライブに行く回数だって増えているでしょ? ユーザーはますます音楽を好きになっている。
変な洗脳を受けて思い込んでいるより、新しい音楽を作りたいと思っている人たちは、こうした環境をチャンスと思った方がいい。例えばボーカロイドのようなもの。Pと呼ばれる人たちは、新しい環境に置かれたことで、今までと違う方法論で音楽を作ったわけでしょ?
音楽というものがパッケージから解放されて、全く違う可能性が開かれようとしているのに、まだまだ音楽=パッケージという概念に縛られている人が多い。音楽を数分の固定的なものだと思い込んでいるでしょ?
それはこれまで、レコードとかCDとかいったパッケージというメディアが音楽を規定していたとも言える。パッケージビジネスを成立させるために音楽をその中に閉じ込めて、それだけが音楽であると人類に思わせていたのだとしたら、それは罪ですらある。
インターネットによってようやく静的で固定的なものから音楽が解放され、新しい音楽が生まれる可能性が高まっているのが今という時代。これはもしかしたら、この先に続く長い歴史を考えたら、人類にとってものすごくハッピーなことかもしれない。
別に、僕は固定的なものを作ってはいけないと言っているわけじゃない。固定的なものを作りたいと思う人は、これまで通りのものを作ればいい。でも、それを他人に強要するのは犯罪と言ってもいいくらいですよ。一方では全く違う概念の音楽を作れる可能性もあるわけだから。
若い人、これは実際の年齢という意味ではなく、新しいものを生み出したいという人は、この新しい環境をチャンスだと思ってチャレンジしたらいい。その方が面白いことが起こる可能性は高まるから。
実際、新しい音楽は常にそうやって生まれてきた。例えばEDMみたいなものも、コンピュータが身近なものになったからこそ生まれたジャンルだし、それを受け入れてチャレンジしたからこそ今がある。
聞き手の側も、今まで通りクラシックが好きな人はそこにお金を使ってあげればいい。一方でEDMが好きな人は踊りに行けばいい。そうやって選べるようになったということ自体が、それ以前より音楽文化が豊かになったということでしょ。
それは僕には分からない。常に時代とともに変わるんじゃない? 言葉で簡単に説明できるような領域じゃないし、言葉にできた時点でおそらくそれは間違い。明日には通用しないものになっていると思う。
ただ、以前、別媒体の取材で似たようなことを話したんだけど、あらゆるコンテンツは【グローバル・ハイクオリティ型】と【ローカル・コミュニティ型】に2極化していくだろうと思っている。音楽だってそう。David GuettaのDJも聴きに行きたいけれど、友だちのDJだって行きたいじゃない?
後者が面白いのは、顔まで見えるコミュニティという存在が、コンテンツの価値に影響を与えているから。コミュニティまでセットでコンテンツのクオリティになる。だから、グローバルのハイクオリティに対してロークオリティと言ってしまうと失礼で、今までのクオリティの概念とは少し違うというだけ。
日本では、昔からコミュニティを含めて価値と見る気があった。違う言葉で言えば、コンテクストまで含めての価値だった。
だからコンテクストという前提を共有しないコミュニティの外においては価値を生まない。日本の文化への評価が比較的、国内外で温度差があるっていうのは、つまりそういうことでしょう。
これは、いい悪いの話ではないですよ。
グローバル・ハイクオリティ型かな。まぁ、コンテクストとか苦手だからね。僕はちょっと動物的過ぎるから。
別にグローバル・ハイクオリティがカッコいいと思っているわけでも、目指したいわけでもない。生き残るにはそのどちらかにならないと無理だと考えていて、自分の場合はこっちしかできないから、生きるために頑張っているってだけ。
行かなくていいなら行きたくないよ、海外なんて。疲れるし。
取材・文/鈴木陸夫(編集部) 撮影/竹井俊晴
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