シャープ株式会社 TEKION LAB CTO/博士(工学)
内海夕香氏
液晶材料技術のスペシャリスト。新規蓄熱技術開発、市場ニーズに合わせた新商品コンセプト開発、ソリューション提案、量産技術等、要素技術から商品化技術まで一気通貫の開発チームのリーダーを務める
一般に、企業が技術を基点にイノベーションを起こそうと思ったら、「魔の川・死の谷・ダーウィンの海」と呼ばれる3つの障壁を乗り越えなければならないと言われる。大手メーカーのR&D部門にいる技術者や新規事業担当者は、これをどう乗り越えるかに日々、頭を悩ませている。
シャープで長年、液晶材料技術の研究に携わってきた内海夕香氏も、“死の谷”を前に苦しんでいた。液晶技術研究の副産物として、マイナス24℃から28℃まで保つ温度帯を自在に変えられる独自の蓄熱技術を開発したが、その実用化のアイデアは市場規模と適社性を理由に事業部門には受け入れられずにいた。
光明になったのはクラウドファンディングの活用だ。埼玉県幸手市の石井酒造と組み、マイナス2℃をキープする保冷パックと日本酒をセットにした『冬単衣』をMakuakeで販売したところ、達成率1800%超えの大成功を収めた。その後もコラボプロジェクトの第2弾『茶饗-SAKYO-』、第3弾『白那-HAKUNA-』がMakuakeで進行し、いずれも多くのユーザーの支持を得ている。
クラウドファンディングは、大手メーカーのR&D部門が死の谷を越える懸け橋になり得るのか。内海氏と、商品企画の面からそれを支えたシャープの西橋雅子氏、プロジェクトの一部始終に並走したMakuake Incubation Studio(MIS)の木内文昭氏、北原成憲氏に話を聞いた。
シャープ株式会社 TEKION LAB CTO/博士(工学)
内海夕香氏
液晶材料技術のスペシャリスト。新規蓄熱技術開発、市場ニーズに合わせた新商品コンセプト開発、ソリューション提案、量産技術等、要素技術から商品化技術まで一気通貫の開発チームのリーダーを務める
シャープ株式会社 TEKION LAB 代表
西橋雅子氏
2014年より研究開発部門にて、開発テーマをいち早く事業化につなげる「事業ブリッジ」活動に取り組み、「蓄熱技術」との出会いからTEKION LABを立ち上げる。生活目線で使い勝手や、生活の質を高める商品作りを目指す。主に商品企画を担当
株式会社マクアケ 取締役
木内文昭氏
新卒でリクルートグループに入社以降、新規事業創出に携わる。2013年のマクアケ設立から現職。『Makuake』が4つ目の新規事業となる。SONY『FES WATCH』プロジェクトをはじめとして、大企業の新商品・新事業創出時のクラウドファンディング活用を推進。Makuake Incubation Studio事業担当役員
株式会社マクアケ クリエイティブディレクター
北原成憲氏
福岡県久留米市で60年以上続く板金加工工場の息子として生まれる。サイバーエージェント・インターネット広告事業本部にてデジタルを基軸に置いた大企業の広告戦略立案やコンテンツプランニングを担当した後、2015年にマクアケに加入。Makuake Incubation Studioを木内氏と共に立ち上げ、SHARP『TEKION LAB』をはじめとする、大企業の新商品企画立案や新規事業創出のための仕組みづくりを推進している
――一連のプロジェクトに使われている蓄熱技術はどのようにして生まれたのですか?
内海 私はもともと液晶材料技術の研究をしていました。液晶というのは固体と液体の中間にある物質の状態を指しますが、これをディスプレイに使うべく凝固を防ぐ研究をしている中で、副産物として生まれたのが今回の蓄熱技術です。本格的にこの研究を始めたのは2010年10月ごろでした。
この技術は最初にインドネシア市場向けの冷蔵庫に搭載されるものとして実用化されました。停電が多いインドネシアでは冷蔵庫内の温度が上がってしまうことが問題で、それを防ぐための保冷剤というアイデアでした。
――それがどうして今回の商品のようなアイデアに?
内海 冷蔵庫は2014年夏に実際に発売されましたが、並行して別の使い道の模索も続けていました。ビルの蓄熱などいくつかアイデアはあったのですが、私の中には「もっと身近なところで活用できるのではないか」という思いがありました。
開発した蓄熱技術を使えば、マイナス24℃から28℃までの任意の温度で一定に保つことができます。一方で食べ物や飲み物にはそれぞれ一番美味しい温度帯というものがあるはず。この切り口で何かできないかと考えたのが、現在「適温」という言葉で表現しているコンセプトにつながりました。
このアイデアを元に最初に形にしたのがワインクーラーです。電気も使わずに一定の温度に保つワインクーラーというのはユニークだと思いました。段ボールやベニヤ板を使って夏休みの宿題のようにしてプロトタイプを作り、社内の技術展示会に出展したところ、経営幹部からの反応も上々でした。
ところが、製品化するとなると、一定の数量の販売が見込めなければGOサインは出せないと言われました。電気を使わないという点にも「(電機メーカーである)シャープの製品としてどうなのか」という声が上がりました。説明するとウケはするものの、事業化した時にどうなるのかというところで、完全に壁にぶつかることになったのです。
――西橋さんはそこにどのような形で加わることになったのですか?
西橋 私は事業部側でずっと商品企画に携わってきたのですが、2014年の秋に研究開発本部(当時)に異動になり、研究所内にある技術をなるべく早く商品に近いところにつなげる、「事業ブリッジ」と呼ばれる役割を担うことになりました。そこで出会ったのが、内海が開発したこの蓄熱技術でした。
――西橋さんの目にこの技術とプロトタイプはどのように映ったのでしょうか?
西橋 率直に、「これはすごい」と思いました。実際に内海の作ったワインクーラーを使って、「適温」に保たれた赤ワインを試飲してみたんですけど・・・・・・。
内海 西橋のこの試飲エピソード、一人で赤・白・泡とワイン3本も空けたもので、社内では伝説化してます(笑)。
西橋 全力で取り組んだんです、仕事ですから(笑)。3本飲みきるには2時間ほどかかりましたが、温度は最後まで変わりませんでした。最後の一滴までそれぞれの温度の美味しい状態を保てるこの技術に、私は心底感動したんです。
シャープとしても、研究開発技術を元に新製品を生む流れを加速したいと考えていて、私たち研究部門からの提案に期待されてもいました。しかし、事業部門の判断はやはり「スケールメリットが期待できそうにない」というものでした。
それはもちろん分かるけれど、こんなにユニークな技術なのに、世の中に出せずに終わるなんてもったいない。シャープという枠を外れてでも世の中に届ける価値がある、絶対に面白いと思ってもらえるはずだという思いがありました。
――それでクラウドファンディングに活路を見いだしたんですね?
西橋 はい。実はその前に一度、ある企業とのコラボという形で事業化が実現しかけていました。けれども、あと一歩のところで頓挫してしまい……。それでいよいよ既存の販路は諦めなければならなくなり、いろいろと調べて知ったのが、クラウドファンディングであり、マクアケさんでした。
後から知ったのですが、社内の新規事業担当者とマクアケさんとは、すでに接点があったそうです。そんなことは何も知らなかったので、製品化寸前までいったワインクーラーを持ってマクアケさんを訪れました。「これって、売れますか?」って。2016年8月のことです。
――マクアケのお二人は率直にどんな感想だったんでしょう?
木内 まず、技術があまりにユニークで驚かされましたね。そしてここに至るまでの内海さんの7年もの研究の日々と、西橋さんが加わってからのご苦労を聞いて、これを世に生み出さないというのはあり得ないと思いました。
西橋 うれしかったですね。私は日々、研究開発に携わっている者を近くで見ているので、その努力や素晴らしさはもちろんよく知っています。でも、そのことを社外の人に共感してもらえた、「価値がある」と言ってもらえたことにすごく感動しました。
北原 初めてお会いした時から、お二人の溢れ出る思いがすごかったんですよ。「絶対にこの技術を世の中に届けたい」という強い思いが伝わってきました。僕はお二人のこの「熱意」が、今回のプロジェクトが成功した大きな要因だったと思っているんです。
というのも、Makuakeで扱う商品って、そもそもまだ世の中にないものばかりなんですよ。だから本当にそれが成功するか失敗するかなんて誰にも分からないんです。でもだからこそ、実行者本人に「絶対に成功させたい」という意志がなくては成功なんてしようがない。お二人からはそれが強く感じられたので、私たちも絶対に何とかしなくちゃいけないと駆り立てられました。
――クラウドファンディングをやることはシャープの社内ですぐに認められたんですか?
西橋 いえ。そもそも社内にクラウドファンディングというものを知っている人自体それほど多くなかったですし。なぜこういうことをやらなければいけないのかを説明するところからだったので、時間がかかりました。正式にクラウドファンディングを実行することが決まったのは、お二人に最初に相談に行ってから4カ月後の12月のことでした。
――なるほど。でも逆に、決定したのが12月なのに、翌年3月にはもうプロジェクトが開始というのは、むしろスピーディーなのでは?
木内 はい。実は、最初にご相談いただいてから正式に意思決定していただくまでの間も、事前打ち合わせや酒造さんへの打診など、根回しできることは水面下で進めさせてもらっていたんです。GOサインが出たら、すぐにトップスピードに動けるようにと思っていたので。
北原 それができたのも、最初にお会いした時にお二人から「絶対に世の中に届ける」という強い意志が感じられたからです。であれば、我々も同時並行で企画を進めようと腹をくくることができました。
――最初のコラボ相手に日本酒の酒造さんを選んだのはどうしてですか?
北原 その頃、Makuakeの食カテゴリーでは明らかに日本酒関連のプロジェクトが伸びていました。それは日本酒に価値を感じてくれるユーザーが増えているということでもあり、日本酒業界自体が業界全体で新しい価値探索に乗り出していることの表れでもありました。
中でも特にそういうことに積極的だったのが、今回協力してくださった石井酒造さんです。社長さんはまだ30歳と若く、日本で初めてクラウドファンディングを活用した酒造さんでもありました。同じモノづくりの担い手としてお二人の熱意にすごく共感してもらえましたし、「適温」という考え方により、「日本酒業界としても新しい価値を世の中にアピールする機会になるかもしれない」と言って、二つ返事で協力してもらえることになったのです。
――ここでもお二人の熱意が人を動かしたんですね。『冬単衣』のアイデアはどうやって生まれたんですか?
北原 このメンバーに石井酒造さんを交えてさらに企画を進めていったのですが、もちろん一発必中で出たわけではありません。技術サイド、企画サイドで何度も案を出した末に生まれたアイデアでした。
5~50℃のいろいろな温度帯で飲まれる日本酒には、もともと「適温」に近い文化がありました。ただ、その歴史の中でも、マイナスの温度帯で飲むというのはタブーだったそうです。なぜかというと、冷えて舌の感覚がなくなることで、日本酒本来のうま味や甘みが感じられなくなるというのが一つ。もう一つは、そういう飲み方がしたいと思っても、マイナスでキープし続ける技術がなかったからです。
けれども、この蓄熱技術があればそれができます。そこで実際にプロトタイプを借りて氷点下に冷やした日本酒を飲んでみたら、これが驚きの体験だったんです。会議室の全員が「これはうまい!」と目を見張りました。
中でも面白かったのが、最終的に『冬単衣』にも採用した甘口のお酒でした。甘口のお酒というのは香りが芳醇でうま味が広がるのが特徴ですが、氷点下にすると、先ほど言ったような理由で味わいが感じづらくなり、水のようなすっきりした飲み口になるんです。それが口に含んでいる間に、体温によって香りとうま味が一気にふわっと広がっていく。アトラクション性の高い驚きの体験が生まれました。
内海 研究所の会議室にお酒のいい香りが広がって。その瞬間がたまらなく面白かったですね。
――こういう企画を考える時、メインターゲットはどのように考えるんですか?
北原 日本酒というと、一般的には年配の方が飲むというイメージですよね。ところが、Makuakeで実行されている日本酒関連のプロジェクトを独自のアナリティクス機能で分析してみると、30代を中心とした若い世代が多く反応していることが分かったんです。
そこで僕らがやったのは、日本酒をただ日本酒として売るのではなく、「その商品がもたらす体験とは何か?」を考えることでした。思い返してみると、僕らが氷点下に冷やした日本酒を試し飲みした後には、皆、口々に香りや味について語り合って感想を伝え合い、決まって会話が弾みに弾んだのです。この「会話が盛り上がった」という体験が、すごく重要な価値だと思いました。
口の中で味わいが変化するという驚きの体験をしたら、自然と誰かに話したくなるんです。そう考えたら、例えば若者がホームパーティーにお酒を持っていくとなった時に、「ちょっとこれ飲んでみてよ」なんて言ってドヤ顔して披露するシーンがすぐに思い浮かびます(笑)。それを実際にみんなで飲んで、盛り上がる。そういう楽しい場作りに一役買えるんじゃないかと思ったんです。
――木内さん、北原さん自身は先ほど、技術そのものの素晴らしさに感動して心を動かされたとおっしゃっていましたが、消費者の心を動かすためには、そこから別の価値に変換する必要がやはりあるということでしょうか?
木内 そうだと思います。僕らは過去3000件以上のプロジェクトを見ています。その中でさまざまな失敗も重ねながら学んだことは、消費者は簡単にはお金を払わないということです。
この蓄熱技術は、確かにとても素晴らしい技術です。けれどもこの技術を消費者が理解するのは、なかなか難しい。その技術が自分にどんな体験をもたらし、自分にとってどういう価値があるのかが翻訳され、それが自分にとって魅力的だと思ってもらえた時、消費者は初めてお金を払うんです。
北原 象徴的だったのは、プロジェクトを開始して最初に試飲会を開いた時です。『冬単衣』を試飲した若い人が、飲んだ後に技術の質問をしてきてくれたんです。「このお酒すごく美味しいですけど、どんな仕組みになってるんですか?」って。美味しいと思うと初めて、裏にある技術に関心が向くんだなあって。
内海 それは私にとっても大きな発見でした。普段研究所にいると直接お客さまと触れ合うことはないので。目の前で喜んでいるところが見られるということ自体がないですし、そこに自分の技術を提供できていると実感できたことが心からうれしかったですね。
西橋 メーカーにいると、ついつい「すごい技術があるから、みんなも驚いてくれるはずだ」という発想になってしまうんです。もちろんそれだけの努力をしているという自負もあります。でも、それではダメだということを今回改めて気付かされました。逆に言うと、アプローチを間違えなければ、必ず技術の素晴らしさに気付いてもらえる。それを具体的に実感することができたと思います。
――クラウドファンディングの成功は、事業化に向けた大きな一歩になったんでしょうか?
西橋 はい。おかげさまでお酒以外にもいろいろと具体的なお問い合わせをいただいています。これまでは私たちとしてはできそうだと思っても、それを実現するのに、どの会社の誰に声を掛けていいかというのが分からなかったんです。今はそれをやりたいという方から直接お声掛けいただくので。クラウドファンディングを実施したことによって、事業化に向けて大きく前に踏み出せたと思っています。
――マクアケのお二人にとっては、このプロジェクトはどんな意味がありましたか?
木内 1990年代にはジャパンアズナンバーワンと言われた時代がありました。僕らには、もう一度あの頃のような「ものづくり大国日本」を蘇らせたいという思いがあります。今は労働人口が減り、研究開発効率が悪いと言われる時代ですが、現場にはいっぱい、良い“タネ”があるんです。それをバサッと切り捨ててしまっては、イノベーティブなプロダクトなど生まれようがない。
クラウドファンディングを活用することで、そうしたタネから芽が出るのを助けられるのではないかというのを、僕らなりに感じています。今回お二人と出会えたことで、そうした事例を一つ、世に送り出すことができた。研究開発技術のタネを世に出すのにはこういう方法もあるんだと、一つの形をアウトプットできたことは、僕らとしてもうれしいことですし、それによって研究者の皆さんを勇気付けることができたらと思っています。
――内海さんは今回のプロジェクトを通して研究者としての価値観に変化はありましたか?
内海 自分の技術を通して誰かを幸せにしたい、困っている人の助けになりたいという思いで、企業の中で技術開発に携わってきました。これまでも世の中に出た商品に自分の技術が使われたことはありましたが、ここまでダイレクトに関わりながら商品として世に出せたのは初めてのことでした。
西橋とも話しているのですが、それができたのはマクアケのお二人との“奇跡の出会い”があったからだと思っています。お二人は「成功したのは私たちの熱意だ、技術だ」と持ち上げてくれますが、考えてみてください。私たちが相談を持ち掛けた相手は、お二人が初めてではありません。でも、お二人に会うまで、私たちの思いを実現することはできなかったんです。
瓶の形一つ、ネーミング一つ取ってもそうですが、私たちだけでは到底実現し得なかったことだと思っています。マクアケのお二人の力を借りて、組織の外にいるさまざまな人を巻き込むことで、このような大きなプロジェクトとして成功することができた。それを普段研究所にいる私のような人間が肌で実感できたことが、とても大きな収穫でした。
――内海さんのように歯がゆい思いをしてきた研究者は、世の中に少なくないと思います。そういう方に刺激や希望を与えるものであったかもしれないですね。
内海 そういえば先日、液晶研究の学会に久しぶりに呼ばれたんです。蓄熱の方に行ってからはしばらく離れていたんですが、今回の件をバンケットで発表してくれと言われて。
皆さん太陽電池とか有機ELとかの話をしている中で、一人だけお酒のクラウドファンディングの話をしたんだから、相当浮いていたと思います(笑)。でも終わった後、「今年の学会で一番良かった!」と声を掛けてくれる人もいて。内心、みんな興味津々なんだろうと思います。これからも機会があれば積極的に発信していって、こういう輪を広げていけたらいいと思っています。
取材・文/鈴木陸夫 撮影/柴田ひろあき
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