株式会社コロプラ 代表取締役社長
馬場功淳氏
1978年、兵庫県生まれ。都城工業高等専門学校を卒業後、九州工業大学の情報工学部知能情報工学科へ編入。大学院博士課程時代からベンチャー企業でアルバイトをし、iアプリの開発を行う。その後、2003年3月にケイ・ラボラトリー(現KLab)に入社。2007年4月にグリーへ転職。翌2008年10月にコロプラを創業。自ら開発に携わるなど、エンジニア社長としても知られている
一世を風靡したソーシャルゲームの現在に触れるまでもなく、プラットフォームの盛衰やユーザーの嗜好のうつろいによって、業績が大きく左右されるのがゲーム業界の運命。
その中にあって増収増益を続けるのが、創業から6年目を迎えたコロプラだ。
位置ゲー(携帯電話のGPS機能などを駆使した、位置情報と連動したゲーム)の元祖と言われる『コロニーな生活』で事業をスタートさせた同社は、3年前にスマートフォン向けゲームアプリの提供を本格的に開始し、現在では計87のアプリを配信。
『プロ野球PRIDE』や『クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ』、『軍勢RPG 蒼の三国志』、『スリングショットブレイブズ』といったヒット作も生まれ、2014年6月24日の同社発表ではスマートフォン向けゲームアプリの累計ダウンロード数が1億件を突破している。
さらに、ゲームを起点に店舗、鉄道会社、宿泊施設などオフライン事業者と提携したO2O事業の展開、位置情報ビッグデータを活用した観光動態調査レポートの提供など、他のゲーム会社と一線を画す事業展開を見せている。
ではなぜ、コロプラは他のエンターテインメント系企業とは異なり、成長曲線を描くことができたのか。
創業者社長の馬場功淳氏に理由を聞くと、その裏側には、創業以来地道に積み上げてきた「しなやかに成長し続けるための組織作り」があった。
株式会社コロプラ 代表取締役社長
馬場功淳氏
1978年、兵庫県生まれ。都城工業高等専門学校を卒業後、九州工業大学の情報工学部知能情報工学科へ編入。大学院博士課程時代からベンチャー企業でアルバイトをし、iアプリの開発を行う。その後、2003年3月にケイ・ラボラトリー(現KLab)に入社。2007年4月にグリーへ転職。翌2008年10月にコロプラを創業。自ら開発に携わるなど、エンジニア社長としても知られている
―― 2011年~12年にかけて盛り上がったソーシャルゲームバブルは一段落した印象です。そんな中、なぜコロプラは成長し続けられるのでしょう?
人によって定義は違うと思いますが、ソーシャルゲームを「ガラケー向け」で、「ボタンをポチポチ押すだけで楽しめるゲーム」、かつ「ガチャ要素のあるもの」と定義するなら、確かに勢いは落ちていると感じます。
しかし、ゲームマーケット自体が終わったとは思いません。広い意味でのモバイルゲーム市場、正確にはスマートフォン向けゲーム市場は、成長を続けています。
人々の持つデバイスがガラケーからスマホへシフトしていること、ユーザーさまがボタンをポチポチ押して遊ぶスタイルのゲームに飽きはじめていることから、コロプラでは今お話したような定義におけるソーシャルゲームを続けるのは難しいと考えていました。
同じように考える会社さんも多かったと思いますが、ソーシャルゲームでの収益が大きいことや、技術面でスマホアプリを開発・運用するのが難しいということから、なかなかスマホシフトに踏み切れなかったのではと推察しています。
そこで我々は、今後スマホが主戦場となり、モバイル端末でもゲームらしいゲームが求められる時代が来ると考え、3年前からスマホアプリ開発に軸足を移しました。最初は経験がなく、今提供しているようなゲームを作ることはできませんでしたが、たくさんのゲームを開発していく中でノウハウを蓄積していきました。
また、スマホアプリの開発・運用ができるエンジニアの採用や、既存社員の育成など、地道に積み上げてきたことが、現在につながっていると分析しています。
―― 開発陣の育成はどのように?
技術力の向上に近道はありませんから、特別なことはしていません。とにかくたくさんのアプリを作る経験を積んで、実践を通じて勉強してきました。
ただ、組織には手を加えました。具体的には、スマホゲーム開発にシフトした3年前に、それまでの機能組織制から事業部制に変更しました。
機能組織制とは、企画部、開発部、デザイン部などと役割に応じて部署を設けるもの。一方の事業部制は、ビジネスごとに部門を設けるものです。コロプラは事業部制にシフトしたことで、ゲーム開発にあたって、プランナーもエンジニアもデザイナーも、同じグループに所属するようになりました。
「今の時代は事業部制が良い」という話ではなく、あくまでも当時のコロプラ社内の状況を見て、事業部制を採ることにしました。
―― 事業部制に切り替える決断をした背景は?
複数の事業を手掛けるようになったからですね。
『コロニーな生活』がメイン事業だった創業当時には、機能組織制でうまくいっていました。1つの事業を育てるなら、役割分担を明確にしながら効率を追い求めるやり方が合理的だったのです。
でも、会社が事業を複数展開していくフェーズになると、各事業のスピードを上げる必要があり、機能組織ではうまくいかないシチュエーションも出てくるようになりました。だったら、事業部制にして職種に関係なくみんなが事業にフルコミットする体制にした方がよいと考えました。
こちらの方が長期的な目線で、ノウハウの蓄積や人材育成の面で良い影響があるだろう、と。
―― エンジニアやデザイナーも、事業企画から運用まで一連の流れを実践を通じて勉強できるからですか?
そうです。さらに、複数の事業を平行して軌道に乗せていくには、人材を分散する必要もありました。プロジェクトマネージャーを担当できるような人たちを集めたチームが1つだけあってもダメなので、そういう人たちは分散してもらい、チーム内のメンバー育成に影響力を発揮してもらうことが不可欠だと考えています。
分散することによるリスクもありましたが、今のところうまくいっています。
―― おっしゃる通り、既存の組織をいじる時はリスクが伴います。機能組織制のまま、タスクフォースで複数事業を立ち上げていくやり方もあったのではと思いますが、なぜそうしなかったのでしょう?
ご指摘の意図は分かりますが、自分の今までの経験から、タスクフォースは機能しないと考えました。特に人事評価の面で、誰がどのくらい事業に貢献したのかを判断しづらいからです。
組織を根本から変えるのは労力と気力のいることですし、事業部制にする難しさもありましたが、会社の成長を考えると重要なことだと判断しました。
―― そうやって複数の事業を育ててきた成果として、ゲームを起点としたO2Oサービスや、位置情報ビッグデータを活用した観光動態分析などがあります。リアル連携事業の状況と、今後の展望を教えて下さい。
位置情報ビッグデータを活用した観光動態調査レポートの提供は、1年間ほど挑戦してようやく収益化できるようになってきたところです。
O2Oサービスは「いずれ来る」ジャンルで、今はまだ黎明期。コロプラもその辺については慎重に考えながら事業展開をしています。
―― O2Oサービスの展開に関心を持つ企業は多いと思います。先駆けて行っているコロプラの経験知として、うまく展開させるポイントはどこにあるのでしょう。
我々がまだまだ試行錯誤中だということと、コロプラはゲーム起因のO2Oが得意であるということを踏まえてお話をすると、3つの注意点があると考えています。
1つは、東京だけで限定スタートしないこと。東京のユーザーさまはいろんなサービスに触れているので、中途半端に提供すると悪評が立って失敗する可能性があります。それに、東京以外のユーザーさまの中には、「また東京だけか」と思う方もいるでしょう。やるなら最初からある程度全国規模で始めないと、うまくいかないと思います。
2つ目は、ゲームを起点としている以上、エンタメ性がないとスケールしないということ。ポイント付与などのインセンティブで店舗に来てもらうやり方がO2Oサービスとしては一般的ですが、ゲームを起点とした場合は実際に足を運ぶことによる楽しさを付け加える必要があります。
そして3つ目が、収益を追い過ぎないことです。O2Oは、ある程度のスケールにならないと収益化できない上に、ゲームのようなデジタルなサービスよりも「規模」を取るのが難しい。だから最初はサービスをスケールさせることを優先するべきだと考えています。
―― ゲーム事業が好調な中、すぐに収益を生まないO2Oになぜ取り組むのですか?
理由は2つあります。まず、コロプラ創業の原点は位置情報ゲームにあるので、企業ポリシーとしてO2Oにも取り組むべきだという使命感を持っています。
それから、先ほど話したように、O2Oはいつか必ず来るジャンルだと考えているからです。IoT(モノのインターネット)の話題が増えているのを見ても、これからもっと、ネットとリアルが融合していくと考えられます。
コロプラは、その「いずれ来るO2O時代」に向けて今から試行錯誤をしておくことで、本格的に流れが来た時にゲーム起因のO2Oでナンバーワンになっていたい。そのために、今はゲームをしっかり作り続け、そのノウハウをいずれO2Oに活かしていきたいと考えています。
―― リアル連携事業の投資は、ゲーム事業でネイティブ開発に舵を切った時のお話と判断の仕方が似ていますね。なぜ馬場さんは、次の一手を打っていく上で先を見通すことができるのだと思いますか?
この分野で長くやっているから、だと思います(笑)。ゲームについてもリアル連携についても、創業からずっと考え、悩んできましたので。
―― 「次を読む」上で、一番考え抜いた時期はいつでしたか?
創業からやってきた『コロニーな生活』の勢いが落ち始めたころです。「単一事業では経営が危うい」と感じたことが何度もありました。好調な時は非常にレバレッジが効く反面、ダメになる時には一気にダメになる。
「コンテンツには賞味期限がある」ということを、あの時期に肌身で学びました。
言葉にすると当たり前なことなのに、事業がうまくいっていると、この事実に意外と気が付かないものなんです(笑)。最初の事業がダウントレンドになり、その流れを変えられないと知って、初めて気が付きました。
―― なるほど。
だから、ある事業がうまくいっている間に必死に「次」を作ることが大事になります。そこで経営者に必要なことって何だろうとずっと考えてきた結果、未来を予測する精度を高めることと、自分たちの弱み・強みを考えた上で方向性だけを決め、変化に適応し続けることが大事なのではないかと。
わたしは社長なので、自分の予測が外れたら会社にいる何人もの社員を困らせることになります。そうはしたくないという思いで、ギリギリのところで考えてきたことが、流れを読む力になっているのだと思います。だから、早めに組織体制を変えたり、リアル連携の知見を得るためO2Oサービスも平行して行うようにしてきたわけです。
常に考えながら予測の精度を高め、どんどん次の一手を打ち続けるのが、長く続く強い組織を作ることにつながっていくのではないかと考えています。
―― すると、次々に事業を生み続けることが最も重要で、中には失敗するものがあっても仕方ない?
いや、失敗から学べることはほとんどないと思っています。一般的には「失敗から学ぼう」と言われますが、一回も成功したことがない場合、その方法を知る由もないと思うんです。一度でも成功すると、その理由がなんとなく分かってきます。
ですから、事業の担当者が「これは外れるかも知れない……」と思っていては、当たるものも当たりませんし、成功体験ができません。やると決めたら、「絶対にうまくいく」と確信が持てるように全身全霊で調べ、考え、作らなければなりません。成功していくことが成長にとって重要な要素であると、わたしは考えています。
―― では、多様性を持たせるために新規事業へ乗り出す際に、コロプラとしてチャレンジする分野はどう選ぶのですか。
会社というのは、得意なこと、苦手なことがはっきりしている組織です。なので、得意なところに軸足を置いたまま、もう片方の足を新しい事業に乗せるようにして広げています。
足を乗せたい事業が、軸足を動かさないと届かないほど遠ければ、直接その事業には乗り出さずに近くの事業から始めます。そして、そこを「軸足の置ける得意な事業」にしてから足を踏み出すようにしています。
見方を変えると、得意なところからあまり遠くへはいかないようにしているんです(笑)。
―― スマホが登場した時のように、ITの世界は不定期に「破壊的イノベーション」が生まれます。馬場さんでも予想し得ないような、外的要因の急激な変化が起こることがあるかもしれません。その際は今日お話いただいた「未来予想」も崩れるのでは?
そうですね。だから多様性が大切だと強く意識するようになりました。
先ほど「予測精度を高めていくのが大切」とお話しましたが、外的要因が変わったらわたし自身がサクっと考えを変えていくのも大切だと肝に銘じています。
―― ということは、今日と同じ質問を3年後にしたとしたら、答えががらっと変わっている可能性もありそうです。
そうかもしれませんね(笑)。それは、3年後のわたしが、今気が付いてないことに気が付いたということだと思います。それが、経営者としての成長だと考えています。
―― 今日はありがとうございました。
取材/伊藤健吾、佐藤健太(ともに編集部) 文/片瀬京子 撮影/竹井俊晴
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