自動車開発の最先端を行くF1を長年追い続けてきたジャーナリスト世良耕太氏が、これからのクルマのあり方や そこで働くエンジニアの「ネクストモデル」を語る。 ハイブリッド、電気自動車と進む革新の先にある次世代のクルマづくりと、そこでサバイブできる技術屋の姿とは?
開発者を長く続けるために、なぜ「何でもやる」という覚悟が必要なのか
F1・自動車ジャーナリスト
世良耕太(せら・こうた)
出版社勤務後、独立し、モータリングライター&エディターとして活動。主な寄稿誌は『Motor Fan illustrated』(三栄書房)、『グランプリトクシュウ』(エムオン・エンタテインメント)、『auto sport』(三栄書房)。近編著に『モータースポーツのテクノロジー 2013-2014』(三栄書房/1680円)、『F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Part2』(オトバンク/500円)など
自動車メーカーで働くエンジニアや、自動車メーカーに学生を送り出す先生から話を伺っていると、広く自動車産業で働くにあたり、いや、エンジニアとして生きていくにあたり、役立ちそうなエピソードに触れることがある。
筆者自身はエンジニアではないが、自分の身に置き換えて受け止めることのできるエピソードもある(今さら取り返しのつかないこともあるけれど)。
大学院で機械工学を教えるある准教授は、学生にこんな話をするという。就職先は自動車会社ばかりではなく、広く製造業だ。いや、それだけでは不十分。医療関連や飲料メーカーであっても、自社で容器を製造する必要があれば機械工学の知識は必要で、有力な就職先の一つとなる。最終製品を製造している会社だけが就職先ではない。
「大学では広い範囲を勉強しますが、すべてを深く勉強する時間はありません。就職した後で、どの分野がどう役立つかは事前には分からない。会社に入ったら、特定の分野を任されることになると思いますが、その際、『これは大学で勉強したな』という印象を持てることが大事です」
と、自らも社会人経験のある准教授は言う。
「まったく勉強していないと、あるいは勉強したという記憶がないと、取り組む仕事に対するハードルは高くなります。でも、ちょっとでも勉強したという意識があると、心理的なハードルは一気に下がる。だから、学生たちには、『いったんは理解して覚えましょう』と言っています。『覚えた内容は忘れてもいいけれど、一度は覚えた“経験”を忘れるな』と」
「あの時やったはず」という手掛かりさえあれば、責任のある仕事を任された際も「どうしよう」と戸惑わずに済む。詳しい内容は忘れていても、本なり資料なりを見返すことで、当時の記憶がよみがえるからだ。
自動車メーカーでの勤務歴が30年を超えるベテランエンジニアは、大学で船舶工学を学んだが、不況のあおりを受けて何の知識もないまま自動車メーカーに入った。「エンジンのエの字も知らなかったが、流体力学や材料力学は使えた」ので、なじむことができたという。
「何でもやります、というマインドだったのが良かった」とも振り返った。その代わり「一所懸命勉強した」そうだが。
他者とのマインドセットの統一が隙のないプロダクトを生む
エンジンの機種はそう何種類もあるわけではなく、改良を加えながら10年や20年使い続けるのがざらだが(近年は開発サイクルが短くなっている)、そのエンジニアは新規エンジンの開発を任されるまでになった。
時期的にはバブル経済期のころである。現在では法的に許されないけれども、夜中に一応家に帰って、朝は普通に出勤する毎日だった。苦心してエンジンをまとめあげた時、「会社を辞める気はなかったけど、これで、どこの会社に行っても一人前のエンジニアとして食っていける」と感じたという。
「重要なのはマインドセット」だと、そのベテランエンジニアは言う。気持ちの持ち方や、取り組む対象に対する考え方を指す。
「楽しくやっても、つらくやっても仕事の物理量は一緒。だったら、前向きに楽しくやった方がいい。サラッとやっても深くやっても成果にたいして差が出ないなら、深くやらないでサラッとやることも大事です」
その割り切りが重要だ。
「効率的に仕事をしようと思ったら、全員のマインドセットがぴたっと合わないと無駄になります。力の入れどころですね。女房は子守をしてほしいのに、よかれと思って掃除に精を出しても報われない(笑)」
会社が閉塞感に包まれている時、難局を打開するには革新的なアイデアと行動力が必要になる。
だが、往々にしてそのアイデアは、先輩エンジニアたちが連綿と築き上げてきた考えや手法を否定することになる。ある自動車メーカーの若手エンジニアは、意を決して行動に移した。
「オレたちがこれまでやってきたことを否定する気か、と先輩たちに言われました。でも、理想のクルマを作るためには、新しい取り組みをしなければならない。切々と説明をしたら、最後は分かってくれました」
これもマインドセットだろう。若手にしてみれば、「こんなこと続けていてもダメだ」と思いながら仕事に取り組んでいたに違いない。
ダメだと思いながらやっても楽しくない。物理量は一緒でも、楽しくやるのとつらさを感じながらやるのでは、成果に差が出ようというものだ。
この会社の場合、同じ部署の中でマインドセットが統一されただけでなく、異なる部署間でもマインドセットが統一された。結果、どこをとっても破綻のない商品ができあがり、ヒット作につながった。
希望の仕事がしたければ、会社に認められる仕事を
エピソードの内容から社名の特定は可能だけれども、ある自動車メーカーは1980年代から90年代初頭にかけてF1に参戦していた。そのころ就職したエンジニアの中には、視界にF1しかない者も多かった。「F1をやりたい」一心である。
社会人になってみれば分かることだが、希望する部署に配属されることの方がまれだ。しかも、その会社はF1を始めたと思ったら止めたりして、ときに「いつかはF1」の思いを抱くエンジニアの希望を打ち砕いたりもする。
それでも希望を捨てずに仕事をする。いつか再びF1に復帰することを夢見て毎日を過ごすわけだが、会社がF1復帰を決めたとして、自分が携われる保証はない。
「(F1開発部門に)行きたいと手を挙げて、行かせてくれるほど甘くはありません。『何考えているんだ』と言われるのがオチ。だから、会社に成果を残し、『次は何をするのか。自分で考えろ』と言ってもらえるのを待つことにしています」
ホントにそうなのか誇張なのかは知る由もないが、その会社、「だいたいみんなF1をやりたいと思っている」そう。
別のエンジニアはこう言った。「わたしもあと2~3年死ぬ思いをして新しい技術を立ち上げ、F1やりたいなと思っています」。
口々に「F1」と言うが、F1の開発に携わることがエンジニアとしての終着点ではないことを、当事者は承知している。F1で鍛えた技術なり手法なりを量産車の開発に活かすことを見据えてのF1なのだ。
「お客さまの期待を超える商品を提供したい。それができないのは非常に悔しい」という思いが一方にあり、悔しさを晴らすための鍛錬にF1(広く「モータースポーツ」に置き換えてもいい)が必要なのである。
自分が「楽しい」と思うことが、会社と、商品を手にするユーザーの幸せにつながるのが理想。「楽しい」エンジニア人生を送るための参考になれば幸いである。
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