2025年2月27日、エンジニアリングマネジメントを実践する人たちのためのカンファレンス「Engineering Manager Conference Japan(EMConf JP 2025)」が、東京・新宿にて開催された。
当日は、スタートアップから大手まで多様な企業で活躍するエンジニアリングマネジャー(以下、EM)たちが登壇。その基調講演を務めたのが、テックリードからEMに転身し、現在はNTTコミュニケーションズで「Generative AIプロジェクト」を率いるiwashiこと岩瀬義昌(@iwashi86)さん。
「n=1の経験が紡ぐエンジニアリングマネジメントの可能性」と題した講演の中で彼が語ったのは、正解がない中でEMの仕事を続けていく難しさだ。
「1on1を重ねても、メンバーが本音を話してくれない……」
「ビジョンやミッションを根気よく伝えても、なかなかチームに根付かない……」
「開発をスケジュール通りに進めたいのに、自分の手元にやるべきことがたまっていくばかり……」
本講演でも、岩瀬さん自身が体験した「EMとしてのリアルな失敗談」が共有され、参加者たちの共感を集めた。この記事では、「頑張っているのに仕事がうまくいかない」ことに戸惑うEMたちに向けて、岩瀬さんの四つの失敗談から現状を打開するための方法を紹介する。
NTTコミュニケーションズ株式会社
『Generative AI プロジェクト』リードエンジニア | エバンジェリスト
ポッドキャスト『fukabori.fm』運営者
岩瀬義昌さん(@iwashi86)
東京大学大学院修士課程修了後、2009年にNTT東日本に入社。大規模IP電話システムの開発などに従事したのち、内製、アジャイル開発に携わりたいという思いから14年にNTTコミュニケーションズSkyWay開発チームに転籍する。20年には組織改善に尽力すべく、ヒューマンリソース部に異動。22年からは再び開発部に戻り、全社のアジャイル開発・プロダクトマネジメントを支援。現在は、同社のイノベーションセンター テクノロジー部門 担当課長として活躍。『エンジニアのためのドキュメントライティング』(日本能率協会マネジメントセンター)『エレガントパズル エンジニアのマネジメントという難問にあなたはどう立ち向かうのか』(日経BP)など、数多くの技術書の翻訳に携わる。エンジニアに人気のPodcast『fukabori.fm』を運営
失敗1:パブリックな議論を促すも、かえってメンバーが萎縮
マネジメントって、勉強すればするほど難しいと感じます。しかも困ったことに、矛盾にあふれている。
例えば、「透明性って大事」という通説がありますよね。
「情報が隠蔽されると意思決定を間違える」
「情報がオープンでないと、正しい判断ができない」
透明性はスクラムの価値基準の一つだし、その通説に僕も基本的には完全同意です。それを体現するために、機密情報やインサイダー情報を除き、全てのコミュニケーションをパブリックチャンネルで行うことはよくあります。
でも、これが意外とうまくいかないこともあって。
とある研修チームで、プログラミングや内製開発を学ぶ場を運営していた時のことです。参加者は、エンジニアリング経験の浅い初級者が中心でした。
当初は「全てのやり取りを公開した方が、後から検索もできるし、チーム全体の知見として蓄積されるし有益だ」と考え、Slackのパブリックチャンネルを使っていました。
ところが、会話が全然盛り上がらない。メンバーが、なかなか発言しないんですね。
「こんな初歩的な質問を、みんなが見ている場でしてもいいのだろうか?」そんな不安が、発言のハードルを上げていたのだと思います。試しにプライベートチャンネルを作ってみたところ、あれよあれよと会話が盛り上がる(笑)
その時、僕が翻訳に携わった『エンジニアリングが好きな私たちのための エンジニアリングマネジャー入門』(日本能率協会マネジメントセンター)で、著者のサラ・ドラスナー(Google のエンジニアリングディレクター)が主張していたことを思い出しました。
私はオープンなコミュニケーションや書面での記録をすべてやめなさい、と言っているわけではありません。オープンな会話と、チームメンバーが少しリラックスできる場所とのバランスをとることが良い方法だと言いたいのです。
個人的には、チームのためのプライベートチャットグループを作ることをお勧めします。すべての雑談やチャットをオープンにしたがる企業もたくさんありますが、私は多くのリモートチームをマネジメントしてきた経験から、チームが自分たちだけの場所を持つことが重要だと考えるように……
『エンジニアリングが好きな私たちのための エンジニアリングマネジャー入門』
(日本能率協会マネジメントセンター)(pp.45-46)
「透明性は大事だけど、状況に応じて使い分けることが重要」
EMの世界には、こうした 「どちらも正しい」 という矛盾した概念がたくさんあります。だからこそ、原則にこだわりすぎず、柔軟に考えることが求められるのだと思います。
失敗2:手を動かしたくてチケットを取るも、プロジェクトが停滞
現在EMとして働いている皆さんも、かつてはIC(Individual Contributor)だったと思います。かくいう僕もそうで、EMになりたての頃は、ついICの感覚で開発タスクを引き受けてしまうことがよくありました。
だけど、EMの仕事って想像以上に忙しい。採用、メンバーの評価、目標管理、チームビルディング、技術投資の提案……。そんなふうに次から次へとマネジメント業務に追われると、自分が取ったタスクを思ったように進捗させられませんよね。
すると、当然ながらチーム全体の仕事が滞る。でも、進捗管理をするのはEMである僕の役割。そんな状況で、メンバーから言われた一言を今でも覚えています。
「岩瀬さんが、ボトルネックです……」
これは、僕がEMとして経験した最初の大きな失敗でした。
昔の感覚のまま「自分でも出来るだろう」と思ってタスクを引き受けていたけれど、EMの役割は自分が動くことではなく、「チームの方向性を定めて、ブロッカーを外し続ける」こと。この出来事からは、「本当に自分がやるべきことなのか?」 を常に考えるようになりました。
「あのとき勇気を出して言ってくれたメンバーには、本当に感謝しています」と、岩瀬さん。
先日、僕たちのチームは「ソフトウエアと機械学習に関する技術(プロダクト)」を二つリリース(※1)(※2)しました。
いずれのプロジェクトでも僕が注力したのは、「予算とヘッドカウントの確保」「チームのビジョン策定」「アジャイル的な動きの率先垂範」など、チームが前に進める環境を整え続けること。
広木大地さん(@hiroki_daichi)の講演でも話されていましたが、エンジニアリングマネジメントとは「価値を実現するためになんとかする」ことです。
そうして、一人では絶対にできなかったことをチームで成し遂げられたとき、「EMってめっちゃ面白い」って心の底から感じますね。
(※1)企業が保有する膨大なデータの活用を促進する 「rokadoc」のパブリックベータ版を公開
https://www.ntt.com/about-us/press-releases/news/article/2025/0219_2.html
(※2)機密情報の流出を防ぎ、 企業の安全な生成AI活用を促進する 「chakoshi」のパブリックベータ版を公開
https://www.ntt.com/about-us/press-releases/news/article/2025/0219.html
失敗3:熱意をこめて話しても、アイデアが思うように伝わらない
EMとして、メンバーにアイデアを伝えなければならないシーンってたくさんありますよね。だけど、「伝えたつもり」になっているだけで、実際には伝わっていなかった……身に覚えのある方、結構いるんじゃないかな、と。
自分では明確に言語化したつもりでも、メンバーの反応は薄い。いざ実行に移してみると、意図とは違う方向に進んでしまったり、思ったよりも動きが鈍かったりすることは、僕も何度も経験しました。
アイデアを根気よく伝え続けることは、とても大事です。でも、それだけでは足りない。試行錯誤する中で僕がたどり着いたのが、「ポエムドリブンマネジメント」というスタイルです。
このアプローチでは、ドキュメントを活用して「思考過程を残す」 ことを特に意識しています。ミーティングで直接伝えるのはもちろんですが、それだけでは伝わらないことも多い。だからこそ、ドキュメントとして残し、スケールする形にする。
書くことでアイデアが整理されるし、後から振り返ったときにメンバーが理解しやすくなる。「なぜこう考えたのか?」を明確にしておけば、単なる指示ではなく、思考の流れごと伝えることができるんです。
ちなみに「書くこと」には、もう一つ大きな意味があります。例えば、知識創造の研究で知られる経営学者の野中郁次郎先生が、次のようなことをおっしゃっています。
やっぱり「書く」がないと、暗黙知を形式知に変換できないと思うんです。だけどその言語化について、 僕自身は知的コンバットをやることのなかで閃いているのかな。
(中略)
人は「書く」ことで、そういった「コトバ」を生み出せる。書くことで、本人も気づかなかった「コトバ」の意味を知り、自らの暗黙知が豊かになっていく。
『野中郁次郎先生は、世界をどんなふうに捉えているか。』(ほぼ日刊イトイ新聞)
つまり「書くこと」は、自分の考えを整理する手段であり、チームの知を蓄積する手段でもある。
だからこそ、EMには文章力が求められると思っています。最近は生成AIもありますが、そもそも「伝わる日本語」が書けないと、AIを使ってもうまくいきませんからね。
元朝日新聞編集委員の本多勝一が著した、文章作法の名著。
「主語と述語を対応させる」「修飾語を正しく配置する」「一文一意を徹底する」など、日本語で論理的かつ明晰な文章を書くための具体的な技術が、豊富な具体例を用いて説明されている。
失敗4:振り返る余白を残しておらず、手戻りが増える
メンバーが意欲的に働き、プロジェクトの進捗もスムーズだったら、EMとしては「このまま進めば大丈夫」と思いがちですよね。
でも、仕事にのめり込んでいるからこそ、一度立ち止まって振り返る時間を意識的に取らないと、チームとして大事な課題を見落としてしまうことがある。
僕にも、手応えを感じながら進めていたプロジェクトで、後になって重大なブロッカーに気付いた経験があります。そうなると、大きな手戻りが発生して結果的に進捗が遅れてしまう。
そのため僕たちのチームでは、月に一回「チーム全体の振り返りミーティング」を設けています。日々の雑談では出てこなかった課題も、この場では自然と表に出ることが多いんですよね。
「実はこの取り組み、最近うまくいっていないんです」
「ちょっと気になっていることがあるんですが……」
こうした声をひろい、チーム全体で共有することで、問題を先送りにせず、より良い方向へ進めるようにしています。
ただ、結局のところチームは「人」で成り立っています。信頼関係がなければ、どれだけルールやプロセスを整えても、チームはうまく機能しません。
逆に言えば、関係性が強ければ、多少の不確実性があってもチームは前に進める。ウィル・ラーソンも著書の中でこう語っているほどです。
チーム内部の問題のほぼすべては、関係性の欠如や悪化に帰着し、すばらしい関係性があれば何でも一緒に解決できるだろう。
『エレガントパズル エンジニアのマネジメントという難問にあなたはどう立ち向かうのか』
(日経BOOKプラス)
だからこそ、僕は「1on1」を何より大事にしていて絶対にスキップしません。やっぱりコミュニケーションの密度が、他の手段とは段違いなので。
では、1on1ではどんな話をしているのか? 僕は基本的に、次の四つのことしか聞いていません。
●元気度合い
●今のブロッカー(仕事で障害になっていること)
●最近の楽しさ度合い
●今日話したいこと
そもそも僕のマネジメント観として、「マネジャーのアウトプット=自分の組織のアウトプット+自分の影響力の及ぶ組織のアウトプット」だと捉えています。マネジメントの名著『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』(日経BOOKプラス)で言及されている考え方ですね。
ここでいう「組織のアウトプット」について、僕は次のように考えています。
「組織のアウトプット」を高めるには、メンバーの能力と熱量を引き上げること、かつブロッカー(摩擦や制約)を外すことが不可欠。なので1on1を活用し、先ほどあげた四つの要素を聞いているといった形です。
【あとがき】君は何を成し遂げるため、EMとして働くのか?
岩瀬さんの講演は、頑張っているけど報われないEMが明日から実践したい、具体的なヒントに満ちていた。
しかし、EMとしてのキャリアをより良いものにするには、何のためにこの役割を担うのか、どんな未来を実現したいのかといった「大義」を持つことも大事だと岩瀬さんは言う。
本講演の終盤、岩瀬さんはとある質問を来場者に投げ掛けた。
「皆さんは今、何を成し遂げたくてEMとして働いていますか? そこに、自らが共感する大義はありますか?」
その問いの背景にあるのは、自らが感じている日本のテクノロジー分野に対する強い危機感だった。
「世界的な日本の立ち位置を顧みると、子どもたちや未来のために、日本のテック業界を少しでもいい方向に動かしたいと思うんです。なので最近は、『自分はあと何年働けるのか?』『この先、何を残せるのか?』と、そんなことばかり考えています」
だからこそ彼は、EMという立場を選び、その役割を生かそうとしている。
「EMは、組織の『上』と『現場』をつなぐポジション。方向性を変える影響力を持っているし、現場の意思決定にも関与できる。そして幸いなことに、僕が在籍しているのは、日本の中でもトップクラスの規模を誇る企業グループ。
僕たちが変われば、きっと日本が変わる。なので今は、とにかく自らチームを立ち上げてプロダクト開発の成功例をつくることで、組織に根付く価値観や文化を変えていきたいですね」
仕事を通して自分は何を成し遂げたいのか? どんな変化を生み出したいのか? その答えを見つけることが、EMとして仕事に取り組むモチベーションの源泉にもなるはずだ。
写真提供/2025 EMConf JP 2025 実行委員会 文・編集/今中康達(編集部)