上杉周作の「From Silicon Valley」 ~IT最先端の”今”に学ぶ~
エンジニア / デザイナー 上杉周作
1988年生まれ。小学校卒業と同時に渡米し、カーネギーメロン大学でコンピューターサイエンスを学ぶ。米Apple、米Facebookにて、エンジニアとしてインターンを経験した後、実名Q&Aサイト『Quora』のプロダクトデザイナーに。2011年7月に慶應義塾大学で行われた講演が好評を博し、日本のIT・Web業界でも名を知られるように。2012年3月にQuoraを退職。現在はシリコンバレーのとある教育ベンチャーにて、パートタイムでエンジニアとデザイナーを兼任している
シリコンバレーでは最近、教育ベンチャー業界が盛り上がっています。そこで、この連載の第1回~3回は、日本ではまだ耳慣れない教育ベンチャー業界について、わたしが思うことを書く予定です。
まず最初に、「そもそも向こうの教育ベンチャーって何してるの?」という疑問に答えておきます。
シリコンバレーの教育ベンチャーが解いている問題
アメリカの教育の問題は大きく分けて2つあります。
まず、「初等/中等教育のレベルが低過ぎる」こと。アップルが今年1月に教科書業界に参入した時、発表会で登壇したフィル・シラーは、「(アメリカでは義務教育である)高校生の卒業率は7割。読解力は世界17位、数学は世界31位、科学は世界23位。良くない数字だ」と発言しました。
もう1つの問題は「高等教育の費用が高過ぎる」こと。学生が大学進学で背負う借金は昨年、合計1兆ドルに達してしまいました。
わたしはアメリカの中学/高校/大学に通ったので、両方の問題を体感しましたが、今回は初等/中等教育を題材にします。
生徒、教師、家庭、出版、政策などいろいろな要素が絡み合う初等/中等教育に即効薬はありませんが、ITを使った次の3点から、少しずつ変えることは可能だと言われています。
まず、「ITを使い、生徒を置いてけぼりにしない」こと。
例えば、小学校から大学教育までを英語で学習できる授業動画サイト『Khan Academy』では、初等/中等教育カリキュラムをカバーする3300本以上のビデオ講義と、それを使った自習ソフトウエアを無料で提供。理解の遅い子でも、周りを気にせず自分のペースで授業を進められます。
次に、「ITを使い、先生の人生をより豊かにする」こと。アメリカの教師は過酷な労働を強いられ、社会的地位も低いと言われています。NYタイムズ紙によると、世界最高峰の初等教育を誇るフィンランドでは、教師の給与が大卒の平均給与より13%しか低くないのに対し、アメリカでは40%も低い。
そのため「教師を幸せにするIT製品」の需要は高く、最近では『Edmodo』という、「教師と生徒間のためのFacebook」が大人気で、教育アプリ開発者のプラットフォームにもなりつつあります。
最後に、「ITを使い、新しい教え方を提案する」こと。わたしのお気に入りは500 Startupsに投資された『Motion Math』という、「iPhoneを傾けて、ボールをX分のYの位置に落下させよ」というルールで、体感的に分数を学習させるゲームです。
この3つはすべてシリコンバレーの教育ベンチャーです。ほかにも多くの教育ベンチャーが生まれ、ImagineK12などの教育専門のアクセレレータも第三期を迎えるなど、業界全体が勢いを増しています。
業界内に閉じこもるか、”業界外恋愛”に活路を見出すか
それでは本題に入ります。シリコンバレーと東京を往復するニートライフも6カ月目に入り(編集部注:上杉氏は今年3月、直近の勤務先だったQuoraを退職している)、新たに気付いたことがあります。
まず、わたしが聞いたところ、両方のITベンチャーのほとんどは人材不足で悩んでいます。
しかし、シリコンバレーでは「ITベンチャー業界全体として見れば、人材は多い」という認識がありますが、首都圏でそう思う人は少なく、「優秀な人材はほかの業界にとられてしまう」とよく聞きます。
言い換えると、シリコンバレーのITベンチャーは、業界に自社のアピールをして人材を集める、いわば「業界内恋愛」で上手くいくのですが、
首都圏ではそもそも業界の人材が少ないため、「ITベンチャーのセクシーさ」をほかの業界にアピールして、人材の合計を増やす、いわば「業界外恋愛」をする必要があると考えます。
「ベンチャーの成功例が増えれば人は集まる」とはいえ、「成功には人材が必要」なのですから。
しかし、首都圏のITベンチャー業界は内輪になりがちだとわたしは感じています。そこで業界外の人材を浮気させようとしている事例を紹介したいと思います。先ほど紹介したシリコンバレーの教育ベンチャー業界です。
参考にすべきは、シリコンバレーの教育ベンチャー業界
シリコンバレーの教育ベンチャー業界は、同地域のITベンチャー業界に比べ、優秀な人材が不足しています。
人材不足は容易に数値化できないものの、肌感覚でならつかめます。業界の縮図に過ぎませんが、オフ会用のコミュニティ最大手『Meetup.com』によると、シリコンバレーで一番人数が多いコミュニティはSV NewTech(9342人)、Cloud Computing Group(7324人)、ハッカーの起業家グループ(7053人)とITベンチャー系が並んでいます。
しかし教育ベンチャーとなると、一番有名なのはnode.jsで知られるLearnboostが主催するEduTech Meetupで現在849人。わたしも数回参加し、素敵な出逢いもあったものの、SFのMongoDBユーザーグループ(1669人)の半分の規模しかありません。
人材不足の理由は、参入障壁の高さと、教育ベンチャーが増えたのが最近だからだと思います。市場自体は小さくないのですから(ホワイトハウスによると、教育の市場規模はアメリカだけで1.3兆ドル)。
また、教育システムは変化を拒むため、ベンチャーは成功するまで時間がかかります。「成功例が増えれば人は集まる」とのんびりできないので、ほかの業界(= ITベンチャー)から人材を誘惑しなければなりません。まさに東京首都圏と同じ状況です。
では、シリコンバレーの教育ベンチャーはどうやって、ITベンチャー業界を誘惑しているのでしょうか。わたしが効果的だと思った手法を3つ紹介します。
1. 「相手の得意分野」で、相手の業界に勝るとアピールする
優秀な人材が仕事に一番求めるのは「スキルアップ」です。なので、エンジニアに「スキルを上げたければ、ITベンチャーより教育ベンチャーの方が良い」とアピールするのは効果的です(ソーシャルゲーム業界しかり)。
例えば、先ほど紹介したKhan Academyが先週ローンチした、新しいプログラミング講座。まだ試していない人はぜひ試してみて下さい。
この講座の凄いところは、エディタ部分がビデオ講座になっているところ。再生ボタンを押せば音声と共にコードが書かれていき、鑑賞するだけで勉強になりますが、自由に再生を止めて自分でコードを書くことも可能。さらに「実行ボタン」を押さずとも、コードを打ち込むだけですぐ隣で結果が画像として反映されます。
元米国Facebookのフロントエンド・エンジニアだったわたしから見ても、このシステムは技術的に高度だと分かります。「普通のITベンチャーより、教育ベンチャーの方が、エンジニアリング的に高度な問題を解いている」というアピールになり、エンジニア御用達の『Hacker News』でも330ポイント以上を稼ぐ話題になりました。
ちなみに、これの制作にかかわったのは、jQueryを作ったJohn Resig氏。超一流エンジニアです。
2. 「メディアの質」で、相手の業界に勝るとアピールする
IT業界の人間の多くはTechCrunchを読んでいて、現在TechCrunchのツイッターは200万人以上のフォロワーがいます。彼らを教育業界にスムーズに引っ張るために、「TechCrunchのようなメディア」を用意するのは効果的です。
そこで最近登場したのが、教育の起業家向けのメディア『Edsurge』です。
TechCrunchと似ているところは、
1. 教育ベンチャーのニュースや、資金調達ニュースが大量にある。今日(8月20日時点)の最新記事は「RSmartが$10.75 million調達」だった。
2. Crunchbaseのように、会社や製品のデータベースがある。
3. 一流ジャーナリストが運営。CEOのBetsyは元Forbesのエグゼクティブエディター。
TechCrunchより優れているところは、
1. 毎週届く無料メルマガの情報量が凄い。例えばこれは8/1の週の分。
2. Crunchbaseと違い、会社だけでなく、「ブレンデッドラーニング」「5年生向け教材」など、トピックに関するニュースをフォローできる。創業者のエンジニアNickとスカイプしましたが、「メディアとしても、Webアプリとしても優秀なEdsurge」を目指しているようです。
シリコンバレーでは、「今日のTechCrunch見た?」が合言葉のように使われますが、どんな分野でも「業界を代表するメディア」の影響力は強く、人材をつなげる接着剤となります。
Edsurgeのフォロワーはまだ4000人弱ですが(@edsurge)、TechCrunchを意識しつつ、超えようとする努力は実る気がします。
3. 「人材の質」で、相手の業界に勝るとアピールする
優秀な人ほど、もっと優秀な人と働きたいと考えます。教育の起業家は教師と組むことが必須なのですが、頭でっかちのIT起業家は「教師に優秀な奴などいるのか」と思うかもしれません。
この点でわたしが推すのは、『Teaching Channel』です。
『Teaching Channel』は「現役教師が考えた、授業で使えるすばらしいアイデア」をビデオで紹介するサービスです。プレゼンする教師とビデオの質が高く、「TEDの教師版」とも言えます。わたしのお気に入りは、「赤は何分の何を占めるか?」と、分数をブロックのパズルで教えるアイデアです。
もともと、教師のアイデア交換のために作られたサービスなのですが、一般人にとっても「世の中にはこんなに素晴らしい教師がいる」というアピールになります。厳選された教師が発揮する想像力と実行力は、エンジニアのそれと遜色がありません。そして丁寧に作りこまれたビデオに映る教師は、皆とても魅力的です。
「私の学校では、良い先生はいなかった」とこぼすIT起業家でも、『Teaching Channel』を見れば考えが変わると思います。このように「うちの業界にも有能な人はたくさんいる」というメッセージは、単純ですが一番効果的だと思います。
“業界外恋愛”で、競合に差をつける
こうしたアピールが功を奏すれば、続々とシリコンバレーの人材がITから教育と流れるでしょう。実際、わたしもアピールに負けて教育業界に浮気しようとしている一人です。
東京首都圏のITベンチャー業界も、業界外恋愛に本気になってはいかかでしょうか。
この記事で紹介した手段を使うなら、理系大学院の優秀な人材を「あなたの研究より難しい問題に、ITベンチャーなら取り組める」と誘惑したり、金融機関の優秀な人材向けに「経済誌のように数字を羅列するIT系のメディア」を作ったり、ニコニコ生放送でIT起業家の優秀さをアピールしたり、方法はいくらでもあると思います。
次の記事からは、先程のKhan Academyのように「エンジニア的に面白い、シリコンバレーの教育ベンチャー」を紹介したいと思います。